32:盟約
「あれ?僕は……なんで寝てるの?」
僕は状況が呑み込めていなかった。
目の前には雷の砦の客室の天井。
過去の夢を見たのが、試練の洞窟で……スロンドヴァニールの記憶を夢で見て……!
「アレン様、お気づきになりましたか」
コマリの声にそちらを向きながら慌てて上半身を起こして、
「スロンドヴァニールは?!」
コマリは僕の顔を見て笑っている。
そして、大きく頷くと、僕の後ろに視線を送った。
僕は振り返ると、そこに僕と同じように寝台に座っているスロンドヴァニールの姿があった。
「ひっ」
僕は思わず素っ頓狂な声を上げてその場に平伏する。
「た、大変失礼を致しました」
神格を持つ龍の目前で僕は寝ていたのだ。起きて第一声が呼び捨て。しかもその前には彼を怒鳴り飛ばした。
首が飛ぶとかいうレベルの話ではない。
「私も人の子に怒鳴られるとは思わなかったが、むしろ心地よく響いた。礼を申すぞ」
いや、怒ってないのはありがたいけど、Mなの?いや、これは不敬だ。口に出しては絶対にダメだ。
平伏したまま、この次はどうすればいいのか完全に分からないでいた。
スロンドヴァニールは僕に助け舟を出してくれた。
「かしこまる必要はない。私もお前も同じ世界の命なのだから。
アレン、お前はそう思うからこそ、私を起こしてくれた。違うか?」
「恐れながら不敬とは存じますが、概ねその通りかと存じます」
僕は自分でも何を言っているか分からなくなっていた。
「アレン様、スロンドヴァニール様はいつも通りのアレン様で接されることを望んでおられます」
「いつも通りの僕で?」
コマリの言葉を僕は聞き返した。
「ああ、いつものアレンでよい。仮に力を失っていなかったとして、神とタメ口をきく訳にはいかん。
力を失った私と、月の使徒であるお前なら、対等で問題なかろう?」
スロンドヴァニールがコマリに変わって答えた。
「尊大な言葉遣いに聞こえるかもしれんが、私の地と思うて許せ。お前はお前らしくあればそれでよい」
なんだろう、口調だけじゃなくて、強い威圧感も感じる。これは神威……なのだろうか。
「アレン様も無事に戻られたことですし、お茶にしませんか?先ほどお湯を頂いたので、豆茶を入れております。
スロンドヴァニール様もよろしかったら、ぜひ」
「この時代のお茶か。それは楽しみだ」
スロンドヴァニール様、妙になじんでる気がする。
巨人の家具は使えないので、みんなで寝台の上に座った。
そこにコマリが入れてくれた豆茶の香りが部屋に広がっていく。
目を閉じて大きく息を吸い込み、わずかに微笑んでから、僕たちの普段使いのカップを口に運んだ。
「ああ、大地に息づく味わいだ。命は途絶えなかったのだな……」
彼は小さな声で呟いた。
深い安堵と小さな喜びがにじんでいた。
「スロンドヴァニール様。世界の現状について少しお話したいと思うのですが、よろしいですか?」
僕はスロンドヴァニールに問いかけた。
「ああ、頼む。世界は随分とそのさまを変えておるのであろう?」
彼はゆっくりと頷いた。
僕は少し慎重に言葉を選びながら説明してく。
「北の大陸と南の大陸で事情が少々異なります。南の大陸ではかつての巨人族は滅び、今の巨人族はその後の世代となっています。ドロウたちも生き延びはしましたが、かつての文明を失っています。北の大陸は崩壊の影響は少なく、エルフやドワーフ、巨人族も生きておりますが、世界を動かすのは人間となりました」
僕の言葉にスロンドヴァニールは、少し眉をひそめた。僕は彼の言葉を待つ。
「人間か……それも気になるが、龍たちはどうしている?」
ああ、彼もまた自らの一族のことが気になるのだ。配慮すべきだったと反省するが、一方で何の情報も持っていないのも事実だった。
「龍たちですが、崩壊の危機の後、長きにわたって龍と遭遇したという事実は存在しておりません。人間などは当然ながら他種族の伝承でしか知りませんので、伝説と思っているようです。各地に眠る龍の逸話などはありますが、確かなことは何も……」
僕の言葉にロロカントが続けた。
「龍の大陸は無事ではないかと思われます。世に関わるのを拒むかのようにいまだ結界が存在しております。それゆえ神々ですら中の様子を伺い知ることが出来ないようです」
「そうか。……結界が存在しているのであればエルゼリオスは健在であろう」
スロンドヴァニールが少し遠くを見ているように感じた。
何を考えているのだろうか。古き友、多くの一族、故郷……
僕がそんなことを考えていると、彼が口を開いた。
「うむ、それで人間という種族に関しても少し教えてくれ」
「はい。彼らは短命ですが、成長も適応も恐ろしく早く、世界の変化も早くなりました。常に揺れ動いているように感じます」
「変わることを恐れぬ者たち、か。ティレメンザが聞けばさぞ喜びそうだ」
スロンドヴァニールは笑ってそう言った。
僕もその笑顔につられるように笑ってから、少し表情を引き締めて話を続けた。
「今の世界は活力にあふれています。その一方で混沌ともしているのです。人間が混沌とは言いません。彼らにも秩序はありますし、それに重きを置く者もまた沢山います。ですが、その混沌の中に、我々の向き合わねばならない問題があるのもまた事実です」
「問題か……」
「ですが、その話の前に……スロンドヴァニール様はまずは休まれるべきです。今のあなたの状態では、無理は禁物でしょう」
「自覚はある。力を取り戻さねば、自ら世界を歩くこともままなるまい。
この地でしばらく眠り、力を蓄えようと思う」
「せっかく起きられたのに、またお休みになるのですか?」
コマリが率直な言葉で語りかける。
「そうだな、確かにその通りなのだが、眠りの質が大きく違う。過去の夢を見るためではなく、未来の夢を見るためだからな」
「であれば洞窟に籠られる方が良いかと。幸いにして死者の王の領域は一掃されておりますし、奴もしばらくは近づけないでしょう」
ロロカントがそう言うので、僕はその言葉に続けた。
「であるなら巨人族に一応話を通した方がよいでしょう。立ち入り禁止にしてもらわないといけませんし。彼らも聞きたいことがあるようですし、ジャガーノート対策も考えねばなりませんしね」
「圧倒的な力?」
スロンドヴァニールがその言葉に反応した。
「ええ、僕たちがそう呼んでいる古代平気です。かつてエルフが巨人族に抗うために作ったもののようで、今は人間が使っています」
「エルフの移動要塞か。4万年前の物がまだ動くとはな」
「詳細は不明ですが、巨大な機体が魔力を放ち、都市を焼き払う力を持つようです。現在の技術では及ばずとも、古代の遺産を修復して使っている可能性があります。先日も古代の大魔法が使われそうになりました」
僕の言葉にスロンドヴァニールの顔色が変わる。
「あれが再び使われたのか?それで世界が無事だったと?」
「部分的な発動に留めることには成功したと思いますし、鍵と思われるものは破壊しました。再び使われることはないでしょう」
僕の説明で彼は少し落ち着きを取り戻した。
「そうか、そんなことがあったのだな」
「いずれにしましても、ジャガーノートは今の世界には不要だと思っています。方法を見つけて破壊します」
「私に力が戻っていれば……」
スロンドヴァニールがぐっと拳を握りしめた。
「大丈夫です。僕たちで何とかしますから。スロンドヴァニール様は今は休むときなのですよ」
「……大地の守護者が聞いてあきれる」
「あなたの守った命を信用してくださいませんか?僕たちは愚かで非力かもしれませんが、できることもきっとあります」
僕の言葉にスロンドヴァニールは笑みを浮かべた。
「……そうだな。アレン、お前が言うのであれば、それが正しかろう」
僕にはその言葉が重く感じられた。明らかに過剰評価されていると思う。でも、自分から言った建前、引くことはできなかった。
「ええ、僕たちにお任せください。スロンドヴァニール様には一日も早く力を取り戻していただかないと」
「アレン、私に敬称は不要だ。共に大地に生きる一つの命として、世界を頼む」
いや、大地を生きる一つの命は世界の行く末を案じたりはしませんから……そうは思うけども、彼の気持ち自体は十分に伝わった。
「ええ、スロンドヴァニール。あなたの思いは確かに預かりました。とりあえず雷の王に謁見して、話を付けますか」
「私も同席しよう。自分の寝床くらいは自分で確保しないとな」
その言葉に僕はロロカントを見た。
今のところスロンドヴァニールの正体は巨人族には伝えていない。今の状態では明言しない方が安全である可能性があるからだ。
ロロカントは僕の視線に黙って頷いた。ぼくはそれをスロンドヴァニールの意思を尊重するという意味に理解した。
「では参りましょうか。ああ、一応事前にお時間を頂いた方がいいのかな」
僕は外にいるであろう番兵に話を通してもらうつもりだったのだが、
「必要ないでしょう。彼らにとって月の使徒やスロンドヴァニールに面会を請われて、断る理由などないはずですから」
ロロカントはそう言うと、扉を開けてそこにいた巨人の番兵に雷の王に面会するからすぐに案内するように言っているようだった。
僕たちは全員で雷の王の元に向かった。
僕たちは一昨日と同じ尖塔に向かう。
そこには雷の王とその臣下たちがそろっていた。
突然の訪問であったため、彼らは少し慌てたようだ。
僕たちが歩み寄ると、王は慌て玉座から立ち上がり、臣下と並んで膝をつく。
「ロロカント、絶対に何か言ったでしょ?」
「過日ご説明した通りです。月の使徒に失礼が過ぎると申したまでです」
僕たちが彼らの所まで歩いて進むと、玉座に座ることを勧められた。
もちろん、僕はその勧めには応じない。もっとこの椅子に座るのに相応しい人……龍がいるのだから。
スロンドヴァニールに玉座に座ってもらう。玉座の左右に僕たちとロロカントが立つ形になる。
「失礼ながら月の使徒よ。そちらの方は先日洞窟より助け出された方のようですが……どういった方なのですか?」
雷の王は改まって僕に尋ねてきた。僕が説明しようとしたところ、僕よりも先にスロンドヴァニールが口を開いた。
「自己紹介がまだであったな。冷たき天の塔の主、スロンドヴァニールだ。見知りおけ」
その言葉に雷の王をはじめとする巨人たちは、困惑した様子だった。
ロロカントが、スロンドヴァニールの言葉を補足する。
「こちらは、この冷たき天の塔の主にして、大地の守護者。白銀の龍、スロンドヴァニール。巨人族にもその名くらいは残っておろう?」
空気が凍り付いた。
彼の名を知っていれば、当然そうなるだろう。
その空気の中、雷の王が辛うじて口を開く。
「まことスロンドヴァニール様なのですか」
その言葉にスロンドヴァニールは自嘲気味に答えた。
「いかにも。もっとも、大地の守護者を名乗るには、いまは力を失い過ぎているがな」
それを受けて雷の王は再び深く頭を垂れた。
「巨人族の王よ。私はこの下の洞窟でしばらく眠りにつくつもりだ。そこで頼みがある。
巨人族に、わが親衛隊として警護を頼みたい」
「我々をスロンドヴァニール様の親衛隊に取り立てていただけるという事でしょうか?」
「すぐには礼も出せんが、いずれその忠誠には報いよう」
「王よ、お待ちください!この者が偉大なる元始の龍とは思えません」
臣下の一人の雲の巨人が声を上げた。
スロンドヴァニールはそれに素早く反応する。
「ほう、そなたは私と、これなる天上人が嘘を言っていると申すのだな?」
言葉と同時にスロンドヴァニールの神威が膨れ上がり、異を唱えた巨人の顔がみるみる青ざめる。
僕に向けられたものではないが、横に立っている僕も額を汗が伝う。
そして、それがふっと引いたかと思うと、スロンドヴァニールは再び話始めた。
「理解してもらえたようで何よりだ。で、巨人族の王よ、返答をまだもらっておらぬが?」
「謹んでお受けいたします。我らが一族の誉れとなりましょう」
「そうか、世話をかけるが頼む」
「我らが主よ、洞窟に籠られるとのことですが、我々の足元に主がおられるのは問題があると考えます。この砦をお使いいただければ幸いです」
「心遣いは感謝する。だが私は気にせん。ここからお前たちを追い出そうとも思わんし、今まで通りでよい。
――いや、一つだけ頼もう。この砦にはいくつかの尖塔があったな。そのうちの一つを私のために使わせてはくれぬか?」
「でしたらこの尖塔をお使いください」
「ここにはそなたらの玉座があろう。それには及ばん。一番使っておらぬ塔でよい」
「でしたら玉座を別に移します。この塔がこの砦で最も高き搭なれば、我が主に最もふさわしいかと」
「そうか、そう申すのであれば、そうさせてもらおう。それともう一つ。これなる月の使徒は我が恩人にして友だ。そなたたちもそれを忘れるでない」
「はっ」
「私からの用件は以上だ。何かあるなら申してみよ」
その言葉に場が静まり返る。
少し思案したが、僕は発言を求めることにする。
「アレン、どうした?遠慮せず申してみよ」
「スロンドヴァニール、感謝します。雷の王よ。先だっての件ですが、お考えいただけますか?」
「月の使徒よ、何をおっしゃるか。今をもって我々は白銀の龍の親衛隊。主が友とお呼びになる方が何の遠慮をなさる必要があるか。
我々はあなたの言葉を我らが主の言葉としてお聞きいたします」
「それは私にはいささか過分です。スロンドヴァニールは私を友と呼んでくれた。ですので私もまたあなた達を友と呼ばせていただきたい」
「恐れ多い言葉ですが、ありがたくお受けいたします。月の使徒よ」
なんだか交渉も何もない状態になってしまった。
これでいいのだろうか?と思わないではないが、スロンドヴァニールも雷の王もいいと言っているんだから、これでいいのだろう。
「さて、話は終わったようだし、私は眠りにつこうい。少しでも早く力を取り戻さねばな。ああ、そうだ。アレン、これをお前に与えよう」
そう言うとスロンドヴァニールは、身に付けていた鱗状鎧の裾の部分から一枚鱗を抜いて、僕に渡した。
「私の鱗だ。私は不死故に、この鱗も生きている。この鱗を通じて私と会話ができるし、鱗の状態で私の力の戻り加減を知ることもできよう。防具の材料としても一級品であるが、普通の龍の鱗と違い加工ができん。うまく取っ手でもつければ盾としては役立つであろう」
「頂いてもよろしいのですか?」
「外してしまった以上、持って行ってもらうしかない」
僕の問いかけにスロンドヴァニールは笑って答えた。
「では、遠慮なく頂きます」
「ああ、これで私はいつでもお前を見守ることが出来る」
僕は少し緊張した。言い方を変えると『お前の行いは常に見ているぞ』と言われたのだ。
だが、次の瞬間にはその緊張も消えてなくなる。僕はいつだって月の神様に見られている。スロンドヴァニールに見られていようともさほど変わらないと思ったからだ。
ロロカントは暫くここにとどまって、スロンドヴァニールの身の回りの世話をするという。
僕たちは翌日に雷の砦を発った。
来たとき同様に3人の炎の巨人たちと、雲の巨人ガルンドルンを一行に加えて。
彼が同行するのは、巨人たちを必要に応じて動員するためだ。
これから本格的にジャガーノートを何とかしなければならない。
振り返ると朝日を浴びて輝く雷の砦、黄昏の峰、冷たき天の塔。
呼び名は違えど、同じ場所。時が流れても、そこに存在する本質は変わらない。
ひときわ高い尖塔の上に、翼を広げたロロカントの姿が小さく見える。
彼に見えたかどうかは分からないけど、僕は大きく力強く頷いて見せた。
淀みなく吹く山風が、心地よかった。




