31:光の牢獄
僕の朝の祈りが終わる前には、コマリとロロカントは部屋に戻ってきていた。
祈りを終えてから、二人に話しかけた。
「コマリ、ロロカント、気を遣わせたね。おかげでしっかり休めたよ。ありがとう」
「いいえ、アレン様のお役に立てるのであれば、このくらいのことは」
コマリが笑顔で返してくれる。それにロロカントも続けた。
「嵐の巨人は色々とあなたに話したいことがあるようでした。私から答えがたい質問なども保留しておりますので、いずれ時間を取っていただかねばならないでしょう」
「うん、わかった。彼らとの交渉は問題なく進むと思うし。だけど、まずはスロンドヴァニールについてからだ。
ロロカントに確認なんだけど、スロンドヴァニールに関する詳細は誰にも話していないんだね?」
「はい。死者の王に囚われていた方を救出したとだけしか」
「雷の王には伏せておいても良いと思うけど、ここにいる僕の仲間には正確な情報を伝えたいと思うんだ……君はどう思う?」
ロロカントが昨日の夜スロンドヴァニールに関して詳細に話さなかったのは、周囲に対しての影響の大きさを考慮してのことだと推測できる。
僕の一存で話してしまう訳にはいかないと思うから、ロロカントに確認をしておきたかった。
「月の使徒がそうお考えなら、私が口を挟むことは何もありません」
「うん。ありがとう」
まずはこの場にいる全員に近くに集まってもらう。
部屋の中とはいえ、大きな声で話す内容ではないと思った。今の会話を聞いていたローズとコマリは明らかに興味がありそうだ。
そりゃ、気になるよね。
「これからとても大事なことを話すけど、その前に確認したいことがあるんだ。昨晩眠った人で、悲しい夢を見た人は手を挙げてくれるかな」
僕の問いかけに皆は少し訝しげだったが、コマリ、ローズ、パーシバルが手を挙げた。
ザックと整備士は眠らない。そう言えばロロカントって眠るのだろうか。
寝ていた人は、僕も含めて全員だったと思ってよさそうだ。
「その夢は、自分の個人的な思い出に関連するものだった?」
再び3人が手を挙げた。
この結果から、僕は一つの仮説を組み立てる。
まず、僕の見た夢はスロンドヴァニール本人の記憶の一部と、彼の見ている夢だ。ローズがみた僕の様子から考えて間違いないと思う。
次にスロンドヴァニールは周囲に対して、夢を通じて感情の波を伝えている。本人が望んでのことではないだろうが、彼は力を失っているようだが、これくらいの影響があるのも、むしろ当然だと思える。
蛇足だが、洞窟で僕が過去を追体験したのは、死者の王がスロンドヴァニールの力を悪用したものと推測できる。
いずれにせよ彼を同行させるのはリスクがある。これが毎晩続くとなると、仲間の心がもたない。
少し考えてから、
「うん、わかった。ありがとう」
一言そう言ってから、そして本題に入った。
彼がこの世界と同時に生まれた神格を持つ3頭の古代龍の1頭であること。
巨人族の大魔法が暴発した際に、身を挺して世界を守り、殆どの力を失ってしまっていること。
その為に龍の姿を維持できず、辛うじて人の姿で生き続けていること。
恐らくその時から死者の王に捕らえられて幽閉されていたこと。
これらが推測混じりではあるが、事実に限りなく近いことを説明した。
この話を聞いて、誰も何も言わなかった。
多分言えなかったのだと思う。
「北の大陸にはスロンドヴァニールの名前はおとぎ話とかで出て来るけど、ドロウにはそう言う伝承は伝わっている?」
「はい。大地の守護者スロンドヴァニールは銀の賢龍などとも呼ばれています。
蠍神も銀の賢龍の友を名乗るくらいですから、ドロウの間ではとても有名です」
「その、伝説の守護者に直接お目にかかれるとは……」
コマリとローズが眠るスロンドヴァニールの方を見ていった。
「ドワーフにはこんな伝承が残ってる。
世界を支える3龍あり。
黄金の龍は火の力と業を
白銀の龍は豊穣と命を
赤褐の龍は創造と破壊を
それぞれドワーフに与えたもうた。
古い言い伝えで、どちらかと言えばおとぎ話だ。
だが、工房の炉には金の龍。採掘現場には銀の龍。工房の入り口には銅の龍を飾るのが縁起担ぎとして残ってる」
パーシバルの言葉に僕は続けた。
「そう言う話が人間の文化にも影響を与えているんだね。吟遊詩人の歌にも3聖龍の話とかあるし、みんな知ってるんだ。彼のことを」
少しの間が流れる。
僕は話を続けた。
「僕は彼を目覚めさせたいと思っている。何ができるかは分からないけど。太陽の神は僕にこう言ったんだ。
『お前にしか出来ぬ』って。
一つ気がついたことがあるんだよ。神様たちは直接この世界には介入できない。けど、声に応えることはできる。そのために聖職者っていると思うんだ。
じゃなかったら、天上神の神様たちと、地獄の神々達が、地上で大戦争をしているはずだからね」
息を継いで続ける。
「スロンドヴァニールは神格を持つ不死の存在だけど、この世界に生まれたこの世界の存在だ。
だから神様は直接彼を起こすことが出来ない。だけど、僕たちなら、同じ世界に生を受けた僕たちなら、彼に声を届かせることが出来るんじゃないかって。
これから僕は今考えうること全て試してみようと思う。みんなにも協力してもらいたいんだけど、どうかな?」
僕の言葉に仲間たちは一堂に縦に首を振る。
「ありがとう。あ、ロロカント、一つ聞いてもいい?」
「何でしょうか?」
「スロンドヴァニールが目覚めたとして、急に巨大な龍の姿になったりって……しないよね?」
「銀龍はその大半の力を失っていて、回復できる状況にはありませんでしたから。ないとは思いますが、断言もできません」
「そっか。ここで試すのは危険かな。上手く行ったとして、そのあとこの砦と共に潰れてしまいました、とか冗談にもならないよね」
「そう言う意味でしたら、どこで試しても大差はないでしょう。銀龍のはばたきは慈悲をもって地を滅ぼす、などと言われてますから」
ロロカントの何気ない言葉が、僕の胸を深くえぐる。今は人にしか見えないスロンドヴァニールだけど、その本質は地上にある神なんだ。
他の神様と違って、この世界に直接影響を与えるという点において、頼りにもなるが危険でもある。
僕は思わず生唾を飲み込んだ。
「そうだね。成功するかもわからないし、そこで悩むのはやめよう。僕たちは、できることをする。始めようか」
誰に言うでもなく、僕は口にした。自分に言い聞かせるためだ。
彼はこの世界を救ってなお、今も苦しみ続けている。
今ある安寧の為に彼に犠牲を強いるのは間違っている。
「コマリ、力場の壁の呪文は準備してる?」
「はい。用意してあります」
「万一異変が確認されるようなら、展開して安全を確保して。
あと、善からの防御陣を内向きに展開して、僕とロロカントはスロンドヴァニールと中に入るから、必要に応じて魔法解呪で破壊してほしい。もちろん自分で消せるなら僕が消すけど、何が起こるかわからないからね。
他のみんなも十分警戒してほしい。じゃあ、はじめようか」
僕は寝台の上に座る。スロンドヴァニールを挟んで反対側にロロカント。
―神様、これからの悪しき行いをお許しください―
僕はそう祈ってから、僕たちの周囲に善からの防御陣を展開した。悪からの防御陣を反転させて効果を発揮させる。
反転は、悪しき行いとされている。
だけど、スロンドヴァニールの力が外に漏れたら大変なことになる可能性があるので必要な措置だ。神様もきっと許してくださる。
僕は周囲には聞こえない小さな声で、ロロカントに言う。
「ロロカント、もし、異変が起こった場合には、君は自分の世界に戻って。いいね?」
僕の言葉に、一瞬僕を見てから、ロロカントは立てに首を振った。
それを見てから、僕は次の奇跡の行使を始める。
「魔法看破」
スロンドヴァニール自体が魔力を帯びている。ただ、これは彼自身が発する魔力を感知していると思える。
外部から彼に施された呪いと言ったようなものは無さそうだ。
腰のポーチから聖水の入った小瓶を取り出して手の上に聖水を垂らし、雫を周囲に散らす。
聖印を手に握り、宙にシンボルを刻むと祈りの言葉を紡いだ。
「わが神月の神に願います。この者は自らの罪を深く悔い、自らを罰し続けています。彼が悔いる罪そのものも、彼の責任とは言い切れません。どうか、温情をもって彼の罪を赦し、彼が自らを赦すようお力添えください」
そう声に出した後も、僕は祈り続け、彼の心に語り続けた。
―もう自らを罰する必要はないのです。あなたが多くの命を愛するように、自らを愛してあげてください―
1時間ほどの祈りが続き、わずかに周囲の空気がはじけるような感覚を覚える。
贖罪の奇跡が正しくなされた。
人の罪を消し去る奇跡が神格を持つスロンドヴァニールにどのくらい影響を及ぼすかは分からないけど、少しは効果があるのではと期待していた。
だが、見た目に何か変わった様子はない。
彼は眠り続けている。
5分ほど様子を見てから、僕は次の手段を講じることにした。
ポーチから素焼きの小皿と麻の繊維を一つまみ取り出す。それに香木のかけらも。
皿に麻を敷き、火打石で火を点ける。
その麻が燃え終わるのを見計らい、上に香木のかけらをそっと置いた。
わずかに残る紅の熾火が、香木に静かに熱を伝える。やがて淡い煙が一筋、立ち昇った。
木肌に蜂蜜を垂らしたような甘く柔らかな香りが、部屋の隅々まで広がっていった。
再び聖印を切り、祈りを捧げる。
「古の龍、スロンドヴァニールよ。私の声にお答えください」
そう告げてから、目の前の彼に祈り続けた。
交神の奇跡の使い方としては恐らく正しくない。目の前に存在する神に話しかけるなんて誰も想定していないだろう。
でも、僕には神様と直接対話する手立てがこれしかない。
口に出すことなく、スロンドヴァニールを呼び続ける。
どれくらい時間が経ったかは分からないが、何かが心に触れる……そう思った瞬間に、僕の周りの景色が一変した。
境目なく光が溢れる空間。上も下もわからない。
強い光で目を開けることもままならない。
光がじりじりと僕を焦がしているような感じがした。
闇とは対極の世界だとは思うが、僕はここが白い闇、まるで光の牢獄のように感じられる。
光の強さと、そこにあふれる悲しみに、僕の意識が刈り取られそうになる。
まずい。光が強すぎる。光に自分がのまれて、溶けて混ざっていく。
その時、僕は誰かが手を握ってくれる感触を思い出した。
この感触……コマリの手の感触。
あの時に握ってくれた感触が僕の中に確かに残っている。
僕はその感触のおかげで自分を失わずに済んだ。
僕の意識が、僕という存在を形作っていた。
光の中に感じる深い悲しみの波動。
僕は意を決して、その波動の根源へと歩き始めた。
どれくらい歩いたかわからない。一瞬だったようにも、とても長い時間を歩いたようにも感じる。
目の前に淡い緑色の卵があった。
波動はここから放たれている。
僕はそう確信して、その前に跪いた。
「古の龍スロンドヴァニールよ。お目覚め下さい」
「たれか」
小さな声が龍語で返ってきた。
「月の使徒にてアレン・ディープフロストと申します。分を弁えずお話しておりますこと、ご容赦ください」
僕は龍語でそう答えた。
「月の神の使いか。何をしに来た。このような姿を笑いに来たか?」
「誰も貴方を笑うものはおりますまい。大地の守護者、スロンドヴァニール」
「大地の守護者。かつてはそのように標榜していたな。だが、とんだ思い上がりだ。私は何も守ることはできなかった」
「いいえ、違います。あなたが守護してくださったからこそ、私はここにいるのです。古き巨人族は滅びました。
ですが、多くの命があなたのおかげで今なお地上には溢れております」
「私はこの目で見たのだ。私が愚かだったばかりに、地上の命が消えゆくさまを。
私はこの耳で聞いたのだ。絶望と恐怖の声を」
「いいえ、あなたがご覧になったのは、一部でしかありません。
想像で話すことをご容赦ください。力を使い果たしたあなたに、死者の王が偽りを見せたのでしょう。
それ以来あなたは死者の王によって囚われておりました」
「死者の王か。あのような光景をもたらした私は死者の王と呼ばれるのも相応しいかもしれん」
「いいえ、あなたは生きとし生けるものを愛してくださった。お守りくださった。
だからこそ私がここにいるのです。
今一度名乗らせてください。私は北の大陸、ディープフロスト郷のエルフ、アレンと申します。
私の妻は南の大陸で生まれ育ったドロウ、コマリと申します。
他にも多くの命が今も南の大陸に残っております。死の世界には成り果てておりません。
あなたがお守りになったのです」
「私が。守った……」
「ええ、スロンドヴァニールよ。あなたが守った世界は今も多くの命と共に生きているのです」
彼は沈黙した。
何かを考えているのだろうか。
僕は彼の言葉を待った。
沈黙が続く。
僕はしびれを切らし、リュートを手元に寄せるために呪文を唱えた。
交神中に呪文を使うとか、正気の沙汰ではないと分かってはいたが、どうしてもそうしたかった。
常識的には交神の集中が途切れて、僕は元の世界に戻るはずだった。だが、そうはならなかった。
僕の手元にはリュートが現れる。
弦の調子を確かめてから、即興で歌った。
勇気鼓舞の呪歌として
「
栄華を極めた世が終わる
世界は滅びに瀕していた
黄金の龍は去り
赤銅の龍も去った
白銀の龍はこの地に残り
自らの責務と世界を護った
わが身を厭わず世界を護った
この世界は滅びなかった
幾千幾万の夜が過ぎ
大地は緑に覆われ花が咲き誇る
溢れる命が謳歌する
この時龍は眠り続ける
今こそ目覚めよ白銀の翼広げ
目に焼き付けよ命の輝きを
今こそ目覚めよ白銀の龍よ
この世界はあなたと共にある
」
「人の魔力……そなたは、人か?地上の者か?」
スロンドヴァニールは僕に尋ねた。
共通語で歌ったが、意味は通じているはずだ。
さっきは龍語でちゃんと喋った。何を聞いていたのか。
言葉に詰まりそうになりながらも、僕ははっきりと伝えた。
「さっきから申し上げている通りです。私は嘘を申しておりません。私もまた、あなたが救った命に連なる者なのです」
そう言った瞬間に僕の中で何かが弾けた。
「いつまでも自らを憐れむのはおやめなさい!あなたは罪を犯したのではなく、世界を救ったのです。
寝ぼけてないで、自らの目で確かめなさい!」
言った後になって、僕はハッとなる。
すると、目の前の卵にひびが入った。
パリッ、パリッ。
同時に白く染まった光の世界に大きなひびが入り、空間の至る所が崩れ始めた。
これって、もしかして……僕、やらかした?
次の瞬間、僕の意識は飛んだ。




