24:黄昏の峰へ
それから4日間。
巨人族と共に歩いて進む行程は、かなり過酷なものとなった。
彼らは歩幅が大きいので、歩くスピードは速いし、段差や足元の不安定さに対する感覚が僕らとは全く違っている。
一番きつかったのはパーシバルだと思うが、泣き言一つ言わないのはさすがだと思う。
ドワーフが忍耐強いと言うのは、事実だと証明された。
ンガデラを筆頭に3人の炎の巨人は、呪文使いが朝に準備の時間を必要とすることを知っていて、朝の時間を長めにとってくれるのは意外なことだった。
僕は奇跡の構成を変えて、言語会話の準備数を増やしていた。
他に選択しておきたい奇跡はあるが、彼らとコミュニケーションを取ることが最優先だと思ったからだ。僕が彼らの生活や風習に興味があったことも否定しない。彼らの話は僕にとっては、とても意外で驚きだった。
「俺たち炎の巨人は火の精霊の加護を持つ。丘の巨人や、岩の巨人は地の精霊の加護を得ている。
氷結の巨人は水の加護、雲の巨人は風の加護。嵐の巨人は世界の加護を受けていると聞く」
ンガデラはそう話してくれた。
丘の巨人や炎の巨人など、いくつかの種族の総称として巨人族と僕たちは呼んでいる訳だ。僕は種族ごとにかなり違うと思っていた。
実際外見の特徴も能力も、丘の巨人と火の巨人ではかなり違っているし、話に聞く他の巨人たち、氷結の巨人や雲の巨人なども、僕が聞いた限りでは完全に別の種族だと思っていた。
確かに種族としては別なのだが、そう単純な話でもない。
火の巨人と氷の巨人は相性は悪いが、住んでいる地域の特性の差であり、生活様式などはそれほど変わらないそうだ。
もちろん各種族の力関係というものは存在するが、一方的にそれを押し付けることは稀で、普段は種族は独立して生活している。
そういった微妙な関係性が不文律として存在していて、彼らは全てが山の民、という認識で、種族を超えた緩やかな連帯意識のもとに共存体制が出来上がっているようだ。
その中で山の民の王として存在するのが、雷の王。またはデュルーナ=ガンケットル(山を統べる者)と呼ばれている、嵐の巨人だ。
元来、嵐の巨人は単独生活を好み、人間でいう隠者のような生活をしているそうだが、嵐の巨人から一人が王として選ばれて、その務めを果たすのが慣例となっている。その周囲を雲の巨人が固める形で、実際に細かい差配をするのは雲の巨人たちらしい。
もっとも、形式的に存在しているだけで、税を徴収する訳でも、統治をおこなうわけでもない。
普段は種族間の揉め事に裁定を下すのが主な仕事のようだ。だが、ひとたび山岳地域に脅威が訪れれば、すべての山の民に王の名で命令が下る。
今回の事態は、彼らにとって数千年に一度レベルの非常事態だった。
ンガデラ達の部族とだけなら、彼がうんと言えば同盟は成立する。だが、僕は巨人族との、つまり山の民との同盟を希望した。
なので、雷の王の裁定が必要となる。
風に乗っての移動ならアッという間に到達する距離だが、ンガデラたちを置いて行っても意味はない。
僕たちには歩いて進むしか選択肢はなかった。
この辺りから、山岳の中央部だという。一部の火山を除いて、雲の巨人や嵐の巨人が住まう区域だ。
周囲のどちらを向いても山並みが続いており、ジャングル地帯が広大であったように、山岳地帯もかなり広いのは間違いなさそうだ。
まだ雪こそないが、周囲の高い山の頂には万年雪が見られるし、気温的にもだいぶ低い。奇跡の力による寒さへの耐性がなければ、寒くてどうにもならないだろう。
「巨人族が平和的で、これ程理知的だとは思いませんでした」
同行している整備士が感想を漏らす。
彼も巨人族の言葉をある程度理解できるらしい。
この数日で彼の人となりも少しわかってきた。
同じレーヴァであるザックとは余り話が合わないようだ。一方で夜な夜な地質調査を行っているパーシバルとはよく話している。
彼の興味は学問的知識に対して大きいようだった。
多くのレーヴァが戦いに対して向き合い、好奇心が薄いと感じる一方で、彼は好奇心旺盛と言っていいと思う。
その辺が彼の人間臭さに繋がっていると感じた。
その日のうちに、中央部付近の最後の丘の巨人の集落に到達する。
同行していた丘の巨人はここで待機するそうだ。この先は3人の炎の巨人と、僕たちだけが雷の王が住まう、雷の砦を目指すことになる。
「ここから3日か、4日か。今日は霞んでいて見えないが、この先に『黄昏の峰』と呼ばれる山があり、そこに雷の砦がある。
雲の巨人たちは高圧的だ。少し我慢しろ」
そう教えてくれたのはビルバだった。
この数日で、彼もまた僕たちを少し理解してくれている。
僕が感じているように、彼も僕たちの似ている部分を感じてくれているのだろう。
僕は見たことはないが雲の巨人や嵐の巨人は、炎の巨人の倍近い身長があるという。
それでも彼らは同じ山の民と言えるのだ。炎の巨人の半分しかない僕らを対等に思えるのは、もしかすると自然なことなのかもしれない。
そういう意味ではエルフや人間に比べて寛容だ。
この事実が僕に大きな希望を与えてくれていた。
丘の巨人の集落で一泊し、翌朝僕たちは山の頂を目指して出発する。
3人の炎の巨人はこの集落で山に上がるための装備を用意したようだった。
「この先の気温は低い。お前たちは大丈夫なのか?」
ンガデラの問いに、
「大丈夫ですよ。神の加護がありますから。凍えたりすることはありません」
事実ではある。だが、1段階の呪文の殆どが寒暑耐性に費やされるのは、少し心許ない。
どのみち巨人族サイズの防寒服は着られないので他に手はなかった。
緩やかな登りが続く道。集落から半日過ぎるころに周囲の景色が変わり始める。
赤茶けた大地の色は、深い褐色に変わっていく。
歩くべき道は整備されているが、用いられる石畳もまた色を変えた。
巨人族のサイズなのだろう。石畳のサイズが大きいために、僕らが歩くには滑りやすい。
幸い僕は地面の影響をあまり受けないが、他のメンバーは少し苦労している様だった。
僕はコマリの手を引き、歩き続ける。
暫くすると、道の両側に大きな石碑。
そこには魔法文字で、こう記してあった。
―神域―
同じ言葉が3度繰り返されている。言葉を重ねることで意味を強めているのだろう。
その石碑の脇を通り抜けると、空気感が変わる。
結界の類のようだ。
僕に影響を与えるほどではなかったので、どういった効果があるのかは分からない。
パーティのメンバーを見渡すが、影響を受けている者はいない…整備士が少しふらついていた。
「ンガデラ、申し訳ないが少し止まってくれ。整備士君、大丈夫?」
声をかけると少し息苦しそうに答えた。
「なんと表現すればいいのだろう。人間が空気が薄い時というのはこういう感じがするのかもしれない」
彼は息苦しいようだ。レーヴァは呼吸を必要としないはずだから、これは何らかの魔法か呪詛の効果と思われる。
「きついようなら先ほどの集落まで戻って、待っててもらっても良いと思う。君は巨人語が出来るしね」
「待ってくれ、これから嵐の巨人の城に向かうのだろ?常識的に考えてこの先、見るチャンスがあるとは思えない。
このくらい平気だから連れて行ってくれ」
僕の言葉に整備士は慌てて返事をした。だけど、この調子だと先が心配だ。
どうしたものかと思っていると、パーシバルが声を掛けてきた。
「こいつは自分の意思で行きたいと言っているんだ。なに、多少なら俺がカバーする。連れて言ってやってくれんか?」
パーシバルが温情的なことを言うのが少し意外だったが、この数日の関わり方を思えば、それも納得できる話だ。
「分かった。ここから先に進むと引き返すという選択は出来なくなるよ。それでもいい?」
僕が念を押すと整備士は黙って首を縦に振る。
それからさらに半日進む頃に、巨人たちの使う休憩所のようなところにたどり着く。
そこにつくころには整備士の体調も元に戻ったようだ。
道脇に作られた、岩壁の風よけ。
人が入っても余裕のある大きさの火鉢。
デウラが薪を火鉢に放り込んで、火をつけた。
「今日はここで泊まりだ。夜通し歩けないこともないが、休むのが正しい」
デウラの言葉に僕たちも近くに荷を下ろす。
そして空を見上げた。
暮れ行く空の色は深い青。
上空はかなり風が強いようだ。
周囲の植生は灌木と茂った背の低い草。
比較的乾燥していて、風も強いのだろう。
炎の巨人たちは天幕を用意する様子もないので、僕らもそれに倣う。
寒くはないからブランケットがあれば大丈夫そうだ。
簡単に食事を済ましてから、寒暑耐性の奇跡を更新して、その日はそのまま休んだ。
朝起きた時間には霧が立ち込めて視界が全く利かなかったが、朝日が差し込むと、その光が立ち込めるもやを一気に払っていく。
朝のルーティーンを済ませてから出発。今日も山歩きだ。
雷の砦に続く道は、ひたすら真っすぐ、山頂へと延びている。
その先はまだ見えない。
今日になって風が巻くように、吹く向きを変えていた。
風が鳴っている。
あちらこちらから風が甲高く、幾重もの笛の音のように聞こえた。
昨日までに比べて、息が切れるのが少し早い。疲れがたまっているせいかとも思ったが、多分空気が少し薄いのだ。
高い山では息苦しくなると聞いている。それくらい高い所まで来ているんだろう。
雲の巨人が住まう場所だ。常に雲に覆われているのかと思っていたが、空は澄んで限りなく高く感じた。
普段見上げる空よりも青く、深く感じる。
遥か先に山の頂と思われる場所が見える。
周囲には雲一つない。だが、そこだけは雲が見えた。
山肌の道筋は、そこへと向かってまっすぐ伸びている。
日暮れ間近になって、今日の宿営地に到着する。
昨日と同じように石壁で囲まれた休憩所が道脇にあった。
そこで僕は振り返り、その光景に圧倒される。
周囲の山々の頂が目の前に並んでいるのだ。
山岳地帯がどこまでも続いているように見える。
そのいずれの場所よりも向かう頂は高い。
そう思って頂を見ると、僕は思わず息をのんだ。
周囲に夜のとばりがおり始めて暗くなり行く中、この山の頂だけがまだ陽の光を浴びて、赤みを帯びた黄金に輝いているように見えた。
黄昏の峰。
この呼び名がふさわしいと思うし、その佇まいは神々しさすら感じる。
その光景は僕を昂ぶらせた。
翌日になると、道の勾配はきつくなり、いつしか階段へと変わっていた。
巨人族基準の階段で、僕たちにはかなりきつい。
息を切らしながら、その階段をひたすら上る。
次来るときは、絶対に空路を使って来る。
そんな事を思いながら進み続ける。
登るのに必死で、周囲を見る余裕もなかった。
そんな中2回目の休憩、ちょうど昼頃か。
ンガデラが前方を指さして言った。
「見えてきたぞ」
彼の指さす方向、山頂を見ると、僕の口から自然と言葉が漏れた。
「あれが、雷の砦、ですか?」
山頂部分がすべて黒い岩で作られた巨大な楼閣。
いくつもの尖塔が天に向かってそびえ、その周囲を黒雲が渦巻いている。
雷の砦?砦なんてものじゃない。まるで巨大な城塞都市のようだ。
「そうだ。デュルーナ=ガンケットルが住まう雷の砦だ」
誰も口を開かなかった。
ただ、その場に立ち尽くし、目の前に広がる光景に、心を奪われていた。
雷鳴は聞こえない。風すら止まったように思える静けさ。
それでも――この先にある「何か」が、僕たちを見据えているのを、確かに感じていた。
雷の砦。
嵐の巨人が統べる神域の門。
それは、ただの目的地ではない。
僕は一歩を踏み出した。
それが、戻れぬ旅の一歩であることを、胸に刻みながら。




