20:赫熱の泉
祈りを捧げ奇跡の準備を済ませると、すでに出発の準備は整っていた。
「アレン様、アレン様もお食事は取ってくださいね?」
少し冷めてはいるが、暖かさを感じる豆茶の香りが鼻腔をくすぐり、喉に心地いい。
それから手渡されたパンを受け取って少し急いで口に押し込む。
「それで、これからどうするんだ?まさか正面切って乗り込んで、どちら様ですか?って尋ねるつもりじゃないだろ?」
パーシバルが僕に向かって言った。せっかちな奴だ。
もちろん、そんなことはしない。
僕は最後のひとかけらを口に入れて咀嚼しながら豆茶で流し込む。
「パーシバルが一人でやってくれるなら、それでも構いませんけどね」
僕はカップを水で流してから布で拭いてバックパックに放り込む。
「もちろん、正面からご訪問、なんてしません。船団の規模から見て動員数は3000程度。北から派遣されたのは間違いないでしょう。
カシュラート王国や、セルベック皇国なら、旗の一本も立ててるんじゃないかと思います。絶対じゃないですけど。
かなりの有力貴族か、あるいは財力を持った組織か。いずれにせよ公に気づかれることなく、この規模の派兵ができる勢力って限られてるでしょう」
「何にしても、ストームポートにとっちゃ一大事だな」
「ええ。それは間違いないですね」
僕の中には何かが繋がりそうで繋がらないモヤモヤ感がある。言語にならないレベルだ。これはまだ口にはできない。
「推測ですが、主兵力は山岳地帯か、手前の丘陵地帯に進軍していて、巨人族と交戦状態に入っていると推測できます。
当面の目的はストームポートではないようですし、彼らの目的か、せめてどこを目指しているかを調べたいと思います」
「ストームポートに一報を入れた方がよろしいのでは?」
ザックが僕に問いかけた。
「うん、筋から言えばそうなんだけど……僕の中で何かが引っかかってるんだ。だけど、それが何なのかはっきり自分でもわからないし、うまく説明できないけど、今じゃない気がしてる」
僕はザックにそう答えてから続ける。
「今日は上空からの偵察を行おうと思う。海側から大きく回り込んで、停泊中の艦隊と、砦の上空、真上じゃなくて少し脇に逸れた位置から目視で確認して、そのまま山岳方面に向かう。たぶん今日中には最前線付近まで上空から確認できると思う。
地上を確認する目は多い方がいいとは思うけど、みんなはローズのハンドサインに集中してほしい。」
みんな頷いた。こうして今日の旅が始まる。
今日も風渡りの奇跡を行使して飛び立つ。
進路は事前に指定した通りで、先導はローズ。他の3人はローズの後方、やや上に並ぶ形で続き僕はローズの真後ろからその後ろを飛ぶ。
上昇しながら東に。海上を進んで陸地が遠のいたのを確認してから旋回し、西へと進路を変える。
ガス化して半透明な状態、さらには太陽を背にして上空を進む僕らは、認識される可能性は極めて低いと見ていた。
おおよそ300mの高さを飛行して艦隊の上空を通過。目立つ反応はない。
僕は船の種類を確認した。
ローズの報告は正確だった。
船は全部で6隻、少し丸っこく見える太っちょが2隻、カラック船だ。その両側に3隻の細身の船。これはガレオン船。いずれも大型の帆船だ。
想像と少し違ったが、概ね予想と一致する。そしてその中央に、中型の船……
帆船ではない変わった形状の船が見える。マストはなく大きめの艦橋と左右に伸びた一見マストにも見える構造物。
この特徴は間違いなく、飛空船だ。大気の聖霊を捕縛して動力とする、空飛ぶ船。
大きな港町で、時々目にする、最新鋭艦だ。
すぐに陸地の上空を通過し、砦の規模を確認する。
テントの数とか、建物とか数えられればいいのだが、通過する速度の都合で、そんな時間はない。
ざっくりとイメージで兵力を確認する。非戦闘員を中心に最大1200くらいか。
断言はできないが、レーヴァ以外に人間も相当数いるようだ。
火を焚く煙が上がっているし、食料と思われる樽などが積まれているのが見て取れた。
そのまま南西に進路を取り、飛行を続ける。
30分ほどで丘陵地帯に入り、1時間もすると山岳部に接近した。
時々ローズが僕の指示を確認するので山岳地帯に入るタイミングで、一度下に降りると、僕からハンドサインを出す。
ローズは頷いて、同じハンドサインを出した。
僕たちは減速しながら丘陵地帯に降下する。
周囲の偵察を上空から行って、地面に降り、一時的にガス化を解除する。
安全を確認してから、一息入れる。
ガス化しているとほとんど気にならなかったが、この辺はジャングルよりもかなり気温が低い。
大分南に来たし、丘陵地帯だから高度もある。
寒いということはないが、この先は気温が低下するし、高い所に上がれば寒いはずだ。
「とりあえず、状況を共有するね。
ローズの偵察は正確で、船の数や砦の人員数も、情報通りだった。一隻変わった船が見えたのは、飛空船だと思う。
結構な数の部隊が移動してるから、地面に上空からでもわかる痕跡がある。これを追えば、先行している部隊を確認できそうだ。
あとは……途中に中継のための拠点がなかった。この辺を制圧侵略する目的ではないようだし、明確な目的地があるんだと思う。他に何か気になった事とか、気づいたことがあれば教えてほしい。もちろん、積極的に観察はしないで。はぐれないことが最優先だからね」
僕はみんなの顔を見渡す。
するとパーシバルが手を挙げた。
「すまんが、地質の調査をしたい。サンプルの採集と簡単な分析だけだ。1時間もあれば十分なんだが」
パーシバルは僕たちと同行する条件として調査を提示していたので、これは真っ当な要求。1時間くらい休憩するのも悪くないとも思う。
僕はその申し出を快諾して、休憩を取ることにした。
事前に確認した限り、周囲数キロの範囲には連中の部隊などは確認できていない。
斥候がいる可能性も否定できないが、本体に出くわしていない以上、この近辺に斥候がいる事もないだろう。
とりあえずお茶を入れるために、火を起こす。
パーシバルは早速その辺の岩石を見ながら周囲を歩き始めた。
「パーシバル、くれぐれも迷子にはならないでよ?」
ドワーフは振り返りもせず、分かったと言わんばかりに手を挙げてひらひらと動かした。
まあ、一応はプロだし、放っておいて大丈夫だろう。
その間に僕はこの辺の簡易的な地図を作り始める。
東の海岸線に、ジャングルの境界線。
昨日の野営地がこの辺。そこから南の海岸線に数キロ行ったとこが砦。
ジャングルの境界を西に約800㎞移動して最初の宿営地。そこから北に約500㎞にセーブポイント。
砦から聖南西方向に約80㎞移動したのが現在地付近。
ぶっちゃけ距離は適当だが、大まかでも書いておかないと位置が特定できない。
忘却の王の呪いの影響で正確な距離は断定できないけど、ないよりはましなはずだ。
その間に、コマリがお茶を淹れてくれる。
「ありがとう。コマリ、ドュルーワルカも昔はジャングルの南方に住んでいたんだよね?」
「ええ、ですが私の生まれる前の話ですから。姉様の方が詳しいかと思います」
コマリの返事にローズの方を見る。
彼女は今朝無事に回収できたダガーの手入れを行っていた。
一見無心に手入れをするように見えるが、わずかに見える複雑な表情。
僕は声をかけるのを躊躇った。
「姉様、姉様はジャングルの南側について、何かご存じなことはありますか?前の前の村の場所とか、その近辺の話とか」
コマリがローズに声をかける。
ローズは顔を上げて、ダガーと砥石をしまうとこちらに歩いてきた。
「お役に立てるような知識は持ち合わせていません。集落のあった場所はずっと西寄りで、少し北です。この辺のことは何もわかりません」
「山岳地帯に関する伝承とか昔話みたいなのって知らない?」
「伝承ですか、……実際に見たことはありませんが山岳地帯は巨人族の住む地で、我々とは無縁の世界、とは聞かされていました。
こうして今山岳地帯にいるのが少し不思議な感じがしています」
「そっか。ありがとう」
そこで会話は途切れた。
途中でわずかに揺れる感情が表情に出ていた。いや、正確にはその感情を出さないように無表情になった。
ローズにとってあまりいい思い出がないのだと、僕は感じていた。
ざっくりした地図を描いてからカバンに入れて、軽く火であぶった堅パンと、塩漬け肉をやはり直火で焼いたものを口に入れる。
一息はいて座ったまま空を見上げた。
「師匠、あれを」
ザックが僕に声をかけて、南西の方向を指さす。
その先に、移動する人影が見えた。
かなり距離はあるはずだが、人影と認識できる。
「巨人族だね、移動してるみたいだ。こっちに気がついてるかな?」
火を慌てて消しながら、ローズに尋ねる。
「こちらに向かってくるわけではなさそうですし、巨人族がドロウより目が良いとは聞きません。気づかれてはいないでしょう」
「パーシバル!近くにいる?」
僕は声を上げてみたが、返事はない。
「方向はわかります。見てきましょう」
ローズはパーシバルが歩いて行った方に駆けだした。
僕たちは完全に消火して、水で冷やしたトライポットやポットなどに、拭いた布を巻き付けて収納する。
僕たちは遠くの巨人たちの移動を眺めながら、静かにローズたちが戻るのを待った。
「なんじゃ、まだ1時間は経っておらんぞ!」
ローズに文句を言うパーシバルの声が聞こえてくる。
比較的近くにはいたようだが、僕の声が聞こえないくらいに集中していたのだろう。
「パーシバル、休憩は打ち切りです。あれを見てください」
「巨人族……。見たところ丘の巨人が中心だが、率いているのは炎の巨人のようだな。
今の所、こちらに影響はないだろ?」
「影響はありませんが、彼らを上空から追跡しようと思います。彼らの向かう先は、正体不明の遠征軍じゃないかと思いますし」
状況をみて巨人族と話が出来ればとも思うが、それは難しいだろう。
彼らが北から来た連中と交戦状態ならば、見つかった時点で問答無用になるのが想像できる。
「5分、いや3分待て。サンプルをちゃんと収納したい」
何本かの焼き物の筒に、木の栓を差し込みながらパーシバルが叫ぶ。
僕は巨人族の動きを注視しながら、パーシバルの準備が終わるのを待つ。
「待たせた。いけるぞ!」
パーシバルの一言を聞き、他のメンバーを見渡して全員が頷いた。
僕は再度ガス化を始めると、他のメンバーもそれに続く。風渡りの効果時間はまだ十分にある。
僕たちは巨人族の後方に大きく回り込んで、上空からその後を追った。
巨人族は暫くしてから山岳地帯へと足を踏み入れる。
追跡しながら一つ気がついたことがある。
丘陵地帯もそうだったが、どちらかと言えば荒地で、植物が極端に少ない。
気候的にはこの辺もうっそうと茂るジャングルか、場所によっては森林地帯になっていてもおかしくないと思うのだが、大きな木は一本も生えていない。
極端に雨が少ないのだろうか。
巨人族の進みは飛行速度からすれば遅いが、人間の歩く速度からすれば十分早かった。
数は丘の巨人が16名、炎の巨人が3名。いずれも武装していた。
丘の巨人は人間をそのまま大きくした感じで、身長3mほど。何かの布で作られた粗末な服を着て、手には原始的な金属の棒や丸太のような棍棒を手にしている。炎の巨人は丘の巨人よりも一回り大きく、横はさらに一回り大きい。褐色か黒い肌に、燃えるような赤い髪。全身に金属製の鎧を身に付けており、武器は彼らのサイズの長剣を携えていた。
あのサイズの武器が振り回されると思っただけで脅威だ。
3時間ほど歩き、二つほど山を越えたあたりで、彼らは進む方向を変えてから、さらに2時間歩く。
日は西に傾き始めている。
風渡りの奇跡の効果時間はもう少し余裕があるが、ギリギリまで追跡すると、安全な場所を確保する余裕がないかもしれない。
そんなことを考えながら追尾していると、前方に黒く真っ平らな場所が見えてきた。
遠目一見すると、少し低めの山にぐるりと囲まれた、小さな盆地のような地形だが、何か違和感を感じる。
少し近づくと、その違和感が何なのかがすぐに分かった。
その土地の表面が、時々ボコッと盛り上がったかと思うと、弾けて、赤く明るい光が見える。
表層が薄く固まっているが、これは溶岩だまりだ。
まるで溶岩の湖。
火山は知っているし、見たこともある。
だけどこれまでに、こんな地形は見たことがなかった。
巨人族たちは、その溶岩の少し離れたところを南に向かって歩き続けている。
僕はギリギリまで追跡することを決める。




