19:東海岸
翌朝を迎える。
なれたはずのジャングルだが、いつもよりも少し肌寒く感じられた。
かなりの距離を南下しているから、赤道近辺に位置するストームポートよりも朝晩は冷え込むのだろう。
遠くに霞んで見える山の頂は白く見える。高さもあるから雪が残っているのだろう。
僕たちは手早く出発の準備を整えて、再び風渡りの奇跡の力を借りて、一路東へと向かう。
上る太陽に向けて飛ぶ感覚は、なんとも形容しがたい不思議な感覚だ。
だけど気を付けていないと、先頭を進むローズのハンドサインを見落としかねない。
最初の休憩のころには太陽の光で見えにくいということもなくなっていて、順調に進んでいく。
日が傾き始めたと感じるころには、遠くに海が見え始めていた。
暗くなる前には海岸線に到達できそうだ。キャンプをするにしてもやはりジャングルの中の方が安全だろう。
海に面するジャングルの南端付近に降下して実体化した。
周囲の警戒を行う。
海風が吹き、強く湿った風が吹きつけている。
繰り返す波の音が、ジャングルの中の小さな喧騒を覆い隠していた。
周囲を確認し安全確保が完了する。
「この木、凄いね。砂浜に根を下ろしてる。塩分が多い土地でも――」
僕がそこまで言ったときに、『静止』のハンドサインを出した。
皆が一斉にその場で姿勢を低くする。
僕は低い姿勢のままローズに近寄り、彼女に小声で尋ねる。
「どうしたの?何か…」
僕の問いかけにローズは海の方を指さした。
ここから南東の方角、海上で、光る明かりを見つける。
かなり距離があるから、人間の視力では確認できないかもしれない。
あたりが暗くなり始めているからこそ、その明かりを確認できたのだと思う。
「海上……おそらく船ですね」
ローズが呟く。
「うん、間違いない。正確にはわからないけど、大型の船が4~5隻はいるように思う」
「少しジャングルの中まで下がりましょう。この時間帯で、この距離で発見されるとは思いませんが、上陸した部隊がいれば巡回している可能性は否定できません」
ローズの言葉に同意して、僕たちは慎重にジャングルまで進み、昨日よりも少し奥まで移動した。
「彼等の哨戒域は広くないようですので、これくらい離れれば火を焚いても見つからないと思います」
移動開始から小一時間。
周囲はすっかり暗くなっていた。
「とりあえず野営の準備をしよう。火が欲しいけど、念には念を入れたい」
保存食で空腹を満たしながら、僕はいくつかの指示を出した。
警戒を強めたいので、普段はザックにまかせっきりの見張りを二人態勢にする。
最初にコマリ、その次に魔法の準備が必要ないパーシバル、次が僕。
ローズにも僕と同じ時間に動き始めてもらう予定だ。
「出発前に少しミーティングするから、今はしっかりと休んで」
僕はローズに声をかけて瞑想状態に入った。
瞑想の状態は意識こそはっきりしていないが、周囲の音は全て聞こえている。夜は順調に過ぎて行き明け方近くになってパーシバルから、
「時間だ」
と告げられる。
僕は瞑想から抜けると、ローズも装備を身に付け始めていた。
あたり真っ暗だ。正確な時間はわからないので感覚ではあるが、日が昇り始めるには2時間くらいあるはずだ。
僕はローズに状態確認の奇跡を用いる。
「これで状態は分かるけど、詳細な状況まではわからないから。
くれぐれも気を付けて。絶対に無理はしないで、見つかる前に撤退して。
見通しがいいから、ローズが先に見つかることはないとは思うけど、見つかると隠れる場所がない。絶対だよ?」
僕は真剣な表情でローズに伝えた。一方彼女は表情を変えず黙々と準備をしている。
「少しでもステイタスに異常が見られたら、全員で救出に向かうからね?」
「まるで人質ですね。わかりました。他のメンバーを危険にさらすわけにはいきませんから。細心の注意を払います」
「うん、お願い」
「では、行ってきます」
ローズはそう言って海岸の方に向かい走っていく。
とうに月は沈んでいてかなり暗い。エルフもドロウも夜目がかなり効くから、問題になることはない。
僕はその後ろ姿を見えなくなるまで見送った。
気がつくと、隣にザックが立っている。
「師匠、あの方は無事に戻られます。信じて待ちましょう」
「うん、そうだね」
今は信じて待つしかない。
ザックの言葉に、僕は少し救われた。
二時間ほど過ぎ、予想通りに東の空が白み始める。
明るくはないが、少しずつ視認できる距離が長くなり始めるころだ。
今のところ変わった様子はない。
「おはようございますアレン様。姉様は偵察中ですか?」
起きてきたコマリが僕の横に座る。
「うん、もうそろそろ戻ってくるはずだよ。コマリ、先に魔法の準備をしておいて。ガッツリ戦闘とはならないと思うから、いつも通りの構成でお願い」
「かしこまりました。それではまた後程」
そう言ってコマリは自分の荷物の所に戻って、呪文の書を開いた。
ジャングルの中は十分暗い。木の上に所々見える空の色は刻一刻と変わっていく。
どっしり構えて報告を待つ、人の上に立つ人ってそういう印象がある。
僕には多分向いていないな。
僕は思い出したようにローズのステイタスを確認する。状態異常もないし、負傷もしていない。方向は南から南東の間くらい。
相対距離は接近中。多分近くまで戻ってきてる。
それを確認した次の瞬間、彼女に関する情報が負傷中に変わった。
「パーシバル!少し早いけど起きて!コマリの護衛をお願い!コマリは魔法の準備を続けて。
ザック、行くよ、真東の方向、結構近いはず!」
僕はザックと共に走り出す。
「ザック!先行してローズと合流して!僕も追いかけるから!」
その言葉を受けて、ザックの速度が上がる。
筋力的に僕よりも優れて、僕よりも実質軽装なザックの移動速度はプレートを着た僕よりもはるかに速い。
あっという間に僕とザックの距離が開いていく。
ザックが視界から消えると同時ぐらいに、固いものがぶつかり弾ける音が聞こえる。
僕は必死に走りその方向に向かう。
ザックが戦斧を振るうのが見える。
何か赤黒い塊を引き裂いている。
少し近づくと、それが体長1mほどのカニであることがわかった。
「カニの群れ?」
ローズは囲まれつつあったが、ザックはその閉じかけた包囲を凄まじい勢いで切り開いていた。
切れるというよりも殻を砕く音が響き渡る。
ローズもこちらを確認したようだ。
ただ、彼女の手にするドロウロングナイフでは殻を打ち砕くことができないでいた。
関節部を狙い、足や爪を切り落としてはいるが、致命傷には至っていないようだった。
しかも数が多い。
もう少しで合流できる、というタイミングで、僕は叫んだ。
「全力でこっちに!」
僕はすぐに奇跡の行使体制に入る。
宙に聖印を描き、発動準備が整う。
精神の集中を維持させて、二人が接近してくるタイミングを計りながら、
「刃舞の障壁!」
宣言した瞬間に、僕たち3人の周囲を無数の刃が旋回し始める。
壁の内側に入り込んだカニはザックが二つに引き裂くと、刃の周囲に、切り裂かれたカニの死骸が転がり始める。
全部で30くらいはいただろうか、残り半数になるころには奴らは共食いを始めた。
その様子を注意深く見ながら、僕は障壁を解除して、慎重に下がり始める。
カニたちはすでに僕たちに興味を持ってはいないようだった。
「このまま下がろう」
僕の提案にザックは頷いて賛成したが、ローズは違った。
「待ってください。少し手前で左手用のダガーをカニのハサミに挟まれて、手放してしまいました。回収したいのです。お願いします」
残りのカニは10ちょっと、余りに真剣なローズの様子に僕は判断を迷ったが、探すことに同意した。
「ザック、臨戦態勢で。奴らがこっちに来るようなら殲滅する」
僕も三日月刀を抜いて、構える。
ローズはそこらに転がるカニの死骸を見て回っている。彼女も生きてるカニには十分に注意を払っていた。
やがて、
「ありました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「うん、回収できてよかった。慎重に下がるよ」
そう言って少しずつ後ずさり、20m程離れたところで全速でその場を離れた。
幸い追ってくる気配はない。
3分ほどで野営地にたどり着く。
「さっきのが来ないとも限らないから、いったん出発するよ。急いで片付けて」
天幕を用意していない僕らの出発準備はすぐに終わる。
「準備ができたら待機して。コマリの魔法の準備が終わり次第、移動するから」
10分ほどでコマリの魔法の準備が終わり、僕たちは急ぎ足でそこから距離を取った。
コマリを待つ間、カニがこちらに近づいてくる様子はなかったので、奴らは共食いで満足したのだろう。
魔獣ではなく自然種の類で、この辺の生態系の一部だと考えられた。
30分ほど移動して距離を取り、ひとまず落ち着くことにした。
「とにかくみんな無事でよかった。ローズ、偵察の結果と、あのカニに関して教えてよ」
荷物を下ろして焚き火の準備をする。朝からお茶の一杯も飲みたかったからだ。
コマリとザックも火起こしの準備を手伝ってくれる。
僕は手を動かしながら、ローズの言葉に耳を傾けた。
「まず、偵察の結果から。ここから南に約5キロの地点に、砦と思われるものを確認しました。
船から上陸した者たちの拠点となっている模様です。
規模はセーブポイントと同じくらいではないかと思われます。
全周を確認していないので、推測ですが、全部で6程度の監視塔と、木製の防護柵を備えています。
監視塔には常時2名、レーヴァでした。
砦の周囲を警戒に当たっているのもすべてレーヴァで、偵察中にそれ以外の種族は確認できていません」
「海上の方はどうだった?」
「はい、目視で確認できたのは計6隻です。5隻はストームポートで時々見かける大型の外洋船に酷似していました。
1隻は一回り小さく、形状が異なっているように見えました」
僕はローズの教えてくれた内容を想像してみる。
1隻の特殊な船は正体がわからないから、置いておいて……
5隻の艦隊なら恐らく2隻は護衛を兼ねて戦闘向きなガレオン船。通常のストームポート航路では単独だからこれが使われている。
残り3隻は物資や人員を輸送するのに向いているカラック船ではないかと想像する。機動力においてガレオン船より劣るが、丸みを帯びた船体は、より多くの物資を運搬できる。ストームポートとラストチャンスの定期便は中型のものが用いられている。
積載人員は最大で600人、ガレオン船はもう少し少ないかな。でもレーヴァは通常の人間を運ぶより多く運べるはずだ。
トータルで3000人規模と計算できる。
「ローズ、中を見ていないからわからないとは思うけど、君の感覚で、どれくらいの人数が砦にいると思う?」
僕の問いかけにローズは少し考え込む。
「1000人程度はいるのではないかと。あまり根拠はありませんが」
「うん、ありがとう」
砦として機能しているなら、船に多くの人員を残していることは考えにくい。
ローズの予想が正しければ、半数以上は砦から出ているという事になる。仮に出払っているのが2000と仮定して、遠征軍としての比率としては正しい範疇だと思う。
僕はひとしきり考えを巡らせると、再びローズに尋ねた。
「で、あのカニは……偵察帰りに絡まれた、ってところかな?」
「ええ、その通りです。海岸沿いに戻ってくる途中に、砂の中から奇襲を受けました。
二つの爪と、背中側の殻は大蠍よりも厚いようで、私の刃が完全には通りませんでした。
仕方なく撤退したのですが思いのほか数も多く、移動速度も速かったので……」
「ジャングルに到達してしばらくして囲まれそうになった」
「はい、そうです。海際で暮らす生物ですので、ジャングルまでは追ってこないだろうと考えましたが、うまく撒けませんでした。申し訳ありません」
「いや、無事で何よりだよ。本当に無事でよかった」
僕は一つ息を吐いてから、
「えっと、みんなこれから朝食をとってよ。僕はまだ朝の祈りを済ませてないから、その間にお願いね?」
沸いたお湯で豆茶を一杯飲んでから、僕は朝の瞑想を始めた。
普段より少し遅いが、このくらいなら神様も許してくださるだろう。




