18:離陸
翌日の朝、出発の最終確認をしていると、Gさんから小さなアクセサリーのようなものを渡された。
「なんですか、これ?」
僕の質問に対してGさんの答えは明確さを欠いた。
「結晶を組み込んだ、一種のマジックアイテム。効果は現段階では説明できん。というか、今は効果が説明できん」
渡されたものを角度を変えながら確かめるように見る。
円盤状の銀色の金属板の中央に赤紫の結晶が固定されている。
結晶の周囲を囲むように魔法の構築式……俗にいう魔方陣が刻み込まれている。
最初に見た時はキラキラしてたのでアクセサリーに見えたが、細かく見ると、羅針盤を思い起こさせた。
僕がそれを眺めている間にGさんはコマリも呼び、同じように一つ手渡していた。
「汎用品に仕上げる時間がなかった。なので、魔力を制御する技術が最低限ないとこれは使えない。おぬしらに渡しておくことにする」
「で、これは何で、どんな時に使えばいいんです?」
「前にもいうたが、実験的な代物じゃ。起動すればはめ込まれた結晶のエネルギーが放射される。害はない。
でだ、ここからが肝心なのじゃが、現時点では、何も起こらん」
「え?現時点では何も起こらんって、意味が解りませんが?」
「うむ……この結晶の解析がもう少し進めば、できることが増える可能性がある。
最低一週間は絶対に使うな。その先は……ピンチとか危険な状況とか、何か打開策が必要な時に使うと良い。効果は保証できんから、まだお守りなのじゃよ」
僕はGさんの言っていることが理解できない。
だけどコマリは何か思い当たるようだった。
「お師様。ご研究が早く進みますよう、お祈りいたします」
「うむ。コマリはいい子じゃのう」
Gさんが孫を可愛がるお爺ちゃんになっていたが、そこはスルーして、他のメンバーの準備状況を確認する。
ローズ、ザック、パーシバル。みな装備をきっちりと整えて出発待ちだ。
「では、Gさん、あとはよろしくお願いします。デニスたちだけではドロウたちの問題に対処しきれないかもしれません。
ハーバーマスターとの交渉とかも―」
「分かっとるわ。余計な心配はせんでいい。さっさと行ってこい」
僕はGさんに言葉を遮られて少しむっとしたが、その言葉を心強くも感じていた。
「デニスたちによろしく。行ってきます」
Gさんにそう言い、奇跡の行使を始める。
それを合図にパーティーのメンバーは輪になって手を重ねる。
宙に描く月の神の聖印が光を放ち、準備が整うと僕は静かに言った。
「わが月の神よ、御身の奇跡の力を与え給え。風渡り」
その言葉と同時に宙に輝く聖印がはじけて、僕たちの体を包み、徐々に半透明なガス状に変えていく。
変化の完了を感じて僕たちは互いに目を合わせ頷く。
Gさんに手を挙げてから、僕たちは空へと舞い上がった。
高度を取りながら南へと進路を取り速度も上げていく。
先頭はローズが務める。僕たちはそれを追従する形で飛行する。
かなりの高速での移動だ。急激な機動の変更は難しい。そのために早めのハンドサインによる指示が必要となる。
移動計画はその辺も考慮して建てられている。
単調な飛行が続けば集中力が落ちて、万一の状況変化に対応できなくなる。
なので、2時間程度で休憩を取る予定だ。僕が周囲の状況を確認して、ローズにハンドサインで伝え、ローズは速度を落としながら休憩場所を探す手はずになっている。
飛行はずっとジャングルの上だから、休憩する場所も簡単には見つからない。
それでも歩くことを考えれば圧倒的に早いのだから。
クァルテレンダの元集落、ジャングルの南端までは想定距離400km。最大で500kmと予想している。
これは彼らの移動速度に基づく推定距離だ。
途中何度かの休憩を取ったとして、目的地には日暮れまでには着いている計算。
そこから山岳地帯までは100kmもないはず。歩いても3日程度。必要なら翌日に再度飛べばすぐに到着できる。
現地の状況がわからないので、現時点で決まっているのはそこまで。
あとは状況に応じて近辺の調査を行うことにしている。
チャンスがあれば巨人族との接触を試みたい……これは現時点での希望的観測だ。
飛行途中、大きな雷雲と遭遇する。正面に見据える巨大な雲の塊は、一言で表現すれば巨大な白い筒。
少し早めに迂回コースを取ったものの、それが僕の想像をはるかに超えた大きさであることは理解できた。
迂回コースを取っているはずなのに、距離感が変わらないのだ。
あの雲の真下は嵐なのだろうか?あの雲の中ってどうなっているのだろう?
そんな好奇心も鎌首をもたげるが、今は鎮める。
僕には明確な目的があるのだから。
雲を大きく迂回し前方がクリアになると、はるか彼方に大きな山脈が見え始める。
ジャングルからでは見ることのできない光景だ。
かなり高い山が東西に連なっているのがわかる。
そんなことを思っているとローズがハンドサインを出した。
―減速、降下―
ジャングルの南端が近いのだろう。途中2度の休憩を取ったが、気がつけば陽が傾き始めている。
概ね予想通り、時間的にはトータルで500㎞近く移動したはずだ。
それから15分後。僕たちはジャングルの南端を超えた平原に降り立っていた。
周囲を警戒しながらガス化を解除する。
「こうやって来ると近いもんだね」
僕は安堵していたので、軽く口にした。
「誰でもできる方法じゃありませんから。気を抜くのは少し早いです。
ジャングルから南の生態系は私も知りません、何が潜んでいるのか分からないのです」
ローズの言葉は正しい。冷静に考えれば、ストームポートの街が作られてから、ジャングルを超えた記録は残っていない。
我々が一番乗りだとは思わないが、情報がほぼないのは確かだ。
安全だと言えるくらいには周囲を確認してから、一息入れた。
「日暮れも近いし、キャンプだよね。場所はどうする?」
僕の問いかけに、パーシバルがまず答えた。
「思ったよりも草の背が高い。見通しがいいように見えるが、野生動物や小型のモンスターを事前に見つけるのは難しいぞ」
「そうですね、少し戻ってジャングルの中の方が、下草は少ないですし、私は警戒しやすい」
ローズもパーシバルの意見に続いた。
反対する根拠もないので、そこから30分ほど歩いてジャングルの中にキャンプの準備をする。
ローズが周囲の簡単な捜索を行っている間に野営の準備は整った。
お湯が沸くころにローズが戻ってきた。
「周囲にドロウなどの痕跡はありませんでした。近くに集落などはないですね。大型の肉食獣の痕跡もありませんし、比較的安全な場所と言えそうです」
小麦を水でこねて塩を加えて、薄く延ばし、三脚に吊るす鍋の外側に張り付ける。
焦げすぎない程度に焼き目がついたら、棒で突いて鍋から剥がし、火の中から拾い出して重ねていく。
鍋に入れられた肉や野菜に火が通るころには、薄パンの枚数がそろい、最後に鍋の味付けを整える。
小麦の生地が焼ける香ばしい匂いと、肉と野菜の煮える匂いが、焚き火の周りを漂う。
鍋を火からおろして、ポットを火にかける。
僕たちは火を囲んで食事を始めた。
ザックにも近くで話に加わるように頼んで、明日の予定を決める。
「雷雲を避けたために、当初予定していたクァルテレンダの集落からは少しそれてしまった。なので、僕が考える方向としては、当初の予定通りクァルテレンダの集落に向かうか、いっそ東寄りに進んで、山岳地帯の海際まで移動するか、どちらかにしたいと思う。みんなの意見も聞かせてほしい」
僕がそう問いかけると、ザックが最初に発言した。
「当初の予定を大きく変える必要性は感じません。巨人族との遭遇確率も高いと思いますし、クァルテレンダの集落を目指した方が良いのでは?」
その発言にローズが続いた。
「そうですね、クァルテレンダの集落を確認するのは良いと思いますが、上空からの確認にとどめて、東に向かうのも確かに手だと思います。
広範囲を先に確認できた方が、安全に状況を把握できます」
「俺はさっさと山岳地帯に入る方がいいんだがな」
パーシバルの率直な意見は、状況というよりも彼個人の目的のように感じられる。
僕はコマリを見たが、彼女は笑うだけ。判断は僕に任せるスタンスだ。
「僕個人としては『山が動いた』や『大きな水から人が溢れた』って言葉が気になってるんだ。クァルテレンダの集落を目指したのは情報収集が目的な訳だけども、一部とはいえ巨人族と交流のあるクァルテレンダ族の情報以上のものが入手できるか、少し疑問に思ってるんだ。だったら、いっそのこと海岸線まで先に移動して、偵察を行うべきじゃないかと思う」
「アレン様は『大きな水』が海を意味しているとお考えなのですね?」
「うん、ドュルーワルカもヴィッシアベンカにも『海』って言葉はなかったでしょ?あえて言うなら『大きな水』みたいな表現になると思うんだ。
そこから人が溢れる。どういう意味だろうね。僕は船から人が沢山上陸した、って状況を想像するんだ」
コマリの確認に答えながら僕の解釈を説明する。
「だとしたら、ストームポートにとっては一大事だな。勝手に大量に不法入国したってことになる」
パーシバルが僕の懸念を言葉にしてくれた。
僕は言葉を続ける。
「はっきり言って、ウエルナート男爵家に義理はないし、彼らの領土保全に興味はないよ。でも、ドロウの居留地があって、スラムの人たちが真っ当に暮らせる街が出来ようとしている。その状況が揺らぐのは嫌なんだ。今の所、僕の利害とストームポートの利害は一致している」
「そうですね。ドロウはまたジャングルに戻って生活することもできますが、せっかくできあがりつつある共存関係が壊れるのは面白くありません」
ローズが僕の意見を後押ししてくれた。
「まあ、ストームポートも行政官閣下はドロウをあまりよく思ってないと思うけど……北の連中と比べればまだマシだ。もし他の勢力が上陸したのなら、ドロウとは戦争になるだろうからね。それは避けたい」
「なるほど。状況は理解できました。であれば師匠のおっしゃる通り、先に海岸線を確認する方が良いでしょう」
ザックの意見に一同もうなずいてくれる。
「ありがとう。では明日はもう一度風渡りを使って、ジャングル沿いに東を目指そう。夕方には海に出れるんじゃないかな」
明日の行動指針は決まった。ここで僕は気になっていたことをパーシバルに尋ねる。
「ねえ、ドワーフの鍛冶屋さん。戦士として戦えるって聞いてるけど、大丈夫なの?そのプレートも見かけ倒しだったりしない?」
僕は少し挑発気味に言った。
「お偉いエルフさんの腕っぷしじゃ、俺は倒せんだろうよ」
にやりと笑いながらパーシバルが答える。
「戦術を考えるのに、俺の戦士としての特性が知りたいなら、教えてやるよ。普段はお前と同じような盾と、戦槌での防御的スタイルだ。
だが、俺が最大の能力を発揮できるのは……」
そう言ってパーシバルは自分の荷物袋から、彼の背丈ほどもある巨大な盾を取り出した。
「このタワーシールド構えて、拠点防御が、俺の真骨頂ってところだ。前衛としての殲滅力は期待してくれるな。だが、防御能力なら、そこらの奴には負けねえ。巨人でも俺を素通りはさせねえよ」
タワーシールドのスパイクを地面にドスンと突き立てて、盾を構えて見せるパーシバル。
ドワーフの守護者――ドワーフの耐久力を活かした守りのスペシャリスト。それがパーシバルの戦闘スタイルだ。
「普段は円形盾なのは移動速度を考慮してのこと?」
「その通りだ。さすがにタワーシールドは歩き回るのには邪魔だ。坑道とか建物の中とか、慎重に進むときは最初からデカい盾で問題ないが、そうじゃない状況なら円形盾の方が動きやすいからな」
確認しておいてよかったと思う。前衛中央を任せようと思っていたが、これなら十分に務まる、というか願ってもない。フォーメーションはザックとローズが左右を固める形になる。二人とも攻撃力は高いが防御的な戦いは得意ではない。パーシバルが加わることで、前線が安定し、後衛に余裕が生まれる。
中央にコマリを置いて、最後尾を僕が務めれば、全方位的に安定するだろう。
「まだデカい盾の出番はないと思うけど、期待してるね」
「おう、任せときな」
パーシバルの答える声が心強い。
彼がドワーフであることを除けば、最高なんだけど。
そうしているうちにザックとパーシバルが武器談義を始めたようだ。
少しだけ緊張感が漂うジャングルの野営。
そんな時間が、どこか心地よかった。




