1:再出発
まもなく日が昇る。
東の空が白み始めて、わずかな光が世界に輪郭を与え始める。
そこに広がるのは朝霧に包まれた、すりガラス越しの世界。
陽が昇り始めると、光によって影が生まれる。光と影の織りなすモノクロームの世界。
やがて朝霧は、植物に雫となって残り、虹色の光を乱反射させる。
そして朝霧が晴れるころには、世界は鮮やかな色彩を取り戻す。
僕はその光景を目にすることなく、神に祈りを捧げていた。
繰り返される日常の光景が、目にしていなくても僕にはわかる。
そして思う。この世界は美しい。
オースティン・ヘイワードの一件が片付き、レイアの埋葬を終えた翌日、僕たちはドュルーワルカの集会所に集まった。
今後について協議するためだ。
「まず、あの剣を封じる手立てが必要じゃ。破壊できぬとなると、人の手の届かぬところに捨てるか、それとも安全な場所に隠すか」
Gさんが議論の口火を切った。
「むしろそこらに置いておいたほうが安全じゃない?そんなヤバいものには見えないしさ。その剣のことはあたしたちしか知らないんでしょ?」
ロアンが意見を述べるが、Gさんが即座に却下した。
「まあ、普通の魔法の剣ならそれも一つの方法としてはアリと思うが、この剣は知性を持っておる。
近くに使えそうなものがおれば、口車に乗せて、手にさせるじゃろうよ」
「ですが、私はその手の誘惑は受けてません。考えすぎでは?」
ローズが意見を挟んだが、
「相性の問題もあるじゃろうが、ある程度相手を選ぶのではないか?
わしの想像じゃとザック辺りがターゲットにされそうなもんじゃが、その兆候はないのじゃな?」
ザックの方を見てGさんが言った。
「はい。今のところ、思い当たる節はありません」
「そうか、じゃとしたら収納袋の中からでは、外を認識できんからかもしれん」
「だとすると、収納袋に入れておけば、ひとまずは安心していいということですか?」
僕はGさんに尋ねた。
「安心はできんじゃろう。邪神とは言え、神の一柱に数えられる死者の王の現身みたいなもんじゃからな」
困った……結局、有効な手が見つからない。
人の届かぬところに捨てるといっても、結局捨てに行くのは僕たちだ。僕たちが行けるなら、他の誰かも行ける。
結局隠し通すしか方法がないが、それも難しいときている。
みんな同じようなことを考えているのだろう。場は静まり返っていた。
すこしの沈黙のあと、Gさんが再び口を開いた。
「いい思いつきがあればと思うたが、難しいようじゃのう。少し慎重に考えてから試してみたいことがあるので、この件はひとまずわし預かりにしてもらってもよいか?」
一同が頷く。他力本願で申し訳ないが、Gさんに何か考えてもらう方がいいと思うし。
最初からGさんに一任してもいいとは思う。だけど、こういう場を設けて言葉を交わすこと自体に意味があるとも思うから。
「では、次は僕からです。先日太陽の神様にお伺いを立てた際に、
『魂の器を用意せよ』と言われました。
レイアの魂が、地上に留まって僕たちを守るために必要だともおっしゃったのですが、僕にはどうすればいいのか分かりません。
何か思いつくことがあれば、ぜひ教えてください」
「魂の器。リッチが使う封魂具のようなものかの?前に話したことがあると思うが、奴らはそれを破壊せんと倒せん。言わばリッチの本体じゃな」
僕もそんな感じのものをイメージしていた。
「レーヴァの体のようなものを用意する、ということではないでしょうか。魂なきレーヴァの体であれば、魂の器になるのではありませんか?」
ザックが発言した。
僕にはなかった発想だ。生物の肉体はもともと魂を持っていたので、レイアの魂の器にはなり得ないが、レーヴァであれば魂を持っていない肉体を用意できる可能性がある。
「面白い。転生を通常とは異なる手段で行うわけか。理に適っておるな」
Gさんも納得している。新しくレーヴァを作ることは違法であるが、南の大陸でなら、古代の魂なきレーヴァを確保することが可能かもしれない。僕はなんとなくオリヴィアを思い浮かべていた。なぜか僕の中で、ものすごく説得力がある。
「でも、転生となると、魂の保護の問題はありませんか?転生が可能であるなら、蘇生が可能といえる気もするのですが……」
コマリの言葉にハッとなる。
死者の王との契約は生きている。
であれば、レイアの魂を宿したレーヴァはどうなるのだろう。
「ふむ。さすがわしの弟子じゃ。よう気がついた。コマリはえらいのう」
Gさんが、孫を可愛がる爺さんモードになった。
それはさておき、器は死者の王の干渉を受けないものであるほうが望ましいということになる。
「何らかの神器が必要になりそうですね。太陽の神の聖印とかなら死者の王も干渉できないでしょうし」
自分で言っておいてなんだけど、太陽の神の聖印を誰が持つのだという問題はある。
「でもそれだと、太陽剣を使わないんですか問題、と同じことになるよね?」
ロアンが突っ込んできた。その通りだよ。わかってるんだけどさ。そう思っているとロアンが続ける。
「だからさ、いっそのこと、アレンちゃんの三日月刀に、レイアちゃんの魂入れちゃえば?そうすれば知性ある剣になるんじゃないの?」
これも僕の発想には無かった。
確かにそれなら僕は使えるし、死者の王の干渉も受けないだろう。もちろん太陽の神にも、月の神にも許しを得なければならないけど。
「方法としては現実的じゃな。じゃが、今使うておる三日月刀は向かん。人の手を渡り長くこの世にあり過ぎた。
魂を迎えるのであれば、無垢な刀を用意すべきだろう」
ふむ。そういうものなのか……あ、そう言えば、太陽の神はこんなことも言ってた。
「今思い出したのですけど、太陽の神は、レイアの魂は『武人として、この者を守りたいと申しておる』とおっしゃっていました」
「今頃になって情報後出しとか、アレンちゃん、もうボケ始まったの?」
僕の言葉にロアンが、厳しい突っ込みを入れる。ごめんなさい。口には出さないけど一応謝っておく。
「まあ、方向性としては、古代のレーヴァを探してモーテュラムの干渉を防ぐ方法を別途考えるか、神に祝福された『神剣』としての器を用意するか。この二つのいずれかで良いのではなかろうか。無垢のレーヴァを探すのは遺跡巡りをするしかなかろうし、剣を用意するには鍛冶屋と相談してみねばならん」
「ちなみにそれらに魂を宿すのって、どうすればいいんですか?」
僕は率直な疑問を投げかけた。
「わしも知らん。通常の魔剣の類は、ベースとなる剣に、魔術師なり聖職者なりが効果を付与する形をとる。その際に必要な魔法は、付与する能力によって異なるからのう。魂を宿すとなると、願いか神の介入か。いずれにせよ現段階ではわしもアレンも使えぬから、それ以外で用意せねばならんじゃろうな」
『願い』の呪文は僕でも知っている魔導師の最高位にして最も扱いの難しい呪文だ。『神の介入』は聖職者の聖人と呼ばれるクラスに許される、文字通りの奇跡の業。僕はその域にはまだまだ遠い。
「いずれにせよ課題は多いですね」
「詳しい方法は神に聞けぬのか?」
僕の言葉にGさんが尋ねてきた。
「器とは何かを訪ねましたが、あとは自分で考えろと言われましたので、伺いにくいですね」
少し考えてからGさんが答えた。
「神には神の考えがあるのじゃろう。その時になってみればわかるか」
僕はこのGさんの言葉に、少し違和感を感じた。なんだか彼らしくない気がしたのだ。
少し突っ込んで聞いてみようかと思ったときに、ロアンの声がした。
「あたしからも、いいかな?」
遠慮がちに手を挙げて発言の許可を求めるロアン。すごく違和感を感じる。らしくない。
「どうしたのロアン?何かあれば遠慮なく言って?」
僕は発言を促し、ロアンが続けた。
「今後の方針が決まったところでさ、少し間が悪い感じもするんだけど、早く言った方がいいと思って。
あたし、冒険者を引退しようと思う。というか、引退を決めたんだ。事後報告みたいで悪いんだけど……」
僕にとって衝撃的な、いや、みんなにとっても衝撃的だっただろう。
ロアンはパーティから抜けることを悩んでいたんだ。これは予想できたはずなのに、全く頭になかった。
僕は何を言って良いか分からずに、言葉を切り出せずにいた。
すると、ロアンが続けた。
「んとさ、あたし基本的に臆病だから、やっぱ怖いんだよ。
2年も経たないうちに、大きな事件が立て続けに起きてさ。
気がついたら、あたしもみんなも強くなってて、でも敵もそれ以上に強くなってた。」
その言葉を聞いて、少し僕は落ち着いた。
ロアンも精一杯続けてくれたんだ。そして彼女は自分で決断したんだ。
彼女が引退しようと、僕たちの大切な仲間であることには何の変わりもない。
「そう、決めたんだ。
でも、引退したあとは、どうするの?」
僕はもう少しうまく言えればよかったと言った直後に思ったが、口から出た言葉は取り返せない。
「うん、最初は主大陸の故郷に帰ろうかと思ったんだけどさ。
でも今、新しく街ができてるでしょ?そこに、みんなの帰れる場所を作りたいなって思うんだ。
アレンちゃんも、ザックも、レイアちゃんもそうだったけど、帰れる場所ってなかったじゃない?
だから帰ってきたいなって思える場所を作りたいんだ。
帰りたい場所があったら、何かが変わったのかもしれないって思うんだ」
ロアンは、レイアに帰りたい場所があったら、生きて帰ってくる未来を選んだ可能性があった、そう思っているんだ。
同じことが今後起きないようにしたいんだ。
「帰れる場所かぁ。そうだね、確かに僕にはないなぁ。ここに教会が建てばまた違うのかもしれないけど、旅から戻ってきて、ロアンの笑顔が見られるってさ、想像しただけで嬉しいね」
そう言うと少しロアンは笑顔になり、続けた。
「新しい街のメインストリートに宿を作ろうと思うんだ。みんながいつでも泊まれる専用室を持った、あたしの宿。どうかな?」
「うん、それはいいね。いつでも泊まれる宿か。ありがたい」
「いや、もちろん宿泊費はもらうけどね?」
しっかりしてる。ロアンらしいと思う。
「もちろん、コマリの大好きなパンケーキも用意しておくよ?ストームポートで一番おいしいのをね」
コマリが満面の笑みを浮かべる。ザックが遠慮がちに口を開く。
「私も部屋があるのでしょうか?」
「当たり前じゃない、あたしの宿だけどさ。でも自分の部屋だと思って過ごしてくれて全然いいからさ」
ザックの問いに、ロアンが笑いながら答える。
ロアンが抜けるのは正直不安だ。ローズがいるから、ある程度はカバーしてもらえるが、探索者としての能力はロアンには及ばないだろう。
いや、誰であっても、今のロアンに対する信頼感は得られない。
だけど、彼女が未来の話をすることで、みんなに笑顔が生まれる。これって、すごいことだと思う。
そしてその未来を語れるロアンもすごいと思う。
その後、みんなでロアンの宿について、あーだこーだと他愛のない話で大いに盛り上がった。