13:眠り(2)
2時間くらいは眠っていたようだ。
あの時は意識せずに眠っていた。今回は意識して眠った。
起きた時にコマリとローズが座ったままの姿勢でいたことに少し驚く。
二人とも瞑想状態だったのだろう。僕が目を覚ますとすぐに目を開けた。
「目覚めたようですね」
「お目覚めですか?」
二人の声が両耳から同時に入ってくる。
「おかげでよく眠れたみたいだ。エルフは眠らないはずなんだけどね」
僕は二人と共に体を起こす。先程までの倦怠感が嘘のように消えていた。
「少し前にエウリシュアが来ました。バドリデラ族長から状況の聞き取りをするので来て欲しいと言っていましたが、断っておきました」
そう報告してくれたローズの顔を至近距離から見て、彼女に言う。
「追い返しちゃったの?行かなきゃ!」
慌てて立ち上がろうとしたら、ローズに手首を掴まれて引き倒された。
「今のあなたには休養が最も重要だったからです。バドリデラ族長は共通語をたしなまれるようですから問題ないでしょう。それに息子がやらかした後です。あなたがいない方が気が楽なのでは?」
ローズの意見には一理あった。
別段僕がいなくても、通訳がいなくても問題はないだろう。一分一秒を争う状況でもないはずだ。
「お茶をお入れします。少々お待ちくださいね」
コマリが立ち上がって天幕の外に出ていく。
いい機会だと思ったのでローズに気になっていたことを聞いてみた。
「ねえ、ローズ、聞いてもいいかな。ローズにとって『ドロウレイス』って称号は大切なもの?」
「大切なものか、ですか。
『ドロウレイス』を名乗るために努力したのは事実ですし、ドロウにとっては名誉です。
ですが、蠍神を崇めない以上、確かに大切なものではないですね。他の氏族との交渉の際には使えると思います」
「そう、分かった、ありがとう」
「それがどうかしたのですか?」
「いやさ、今はまだ早いのかもしれないけど、いつかは『密林の薔薇』ではなくて、元の名前に戻って欲しいかな、って思うんだ」
「そうですね、それもいいかもしれません」
少し遠くを見るような眼をして、ローズはそう答えた。僕には彼女がどこを、あるいは何を見ていたのかは分からない。
だけどその表情とても優しいものに見えた。
そうしているとコマリが戻ってきた。
「お湯を頂いてきたので、もう少しお待ちください」
天幕の中に、香ばしく豊かな香りが広がり始めていた。
濃厚な豆茶の香りは、今では落ち着ける匂いとなっていた。
「奥方、アレンは起きてますか?」
天幕の外からエウリシュアの声が聞こえてきた。
「エウリ、豆茶の香りにつられてきたの?入ってよ」
僕がそう答えると、少し慎重にエウリシュアは天幕の中に入ってきた。
「どうしたの?バドリデラ族長の話で何か新しい事実でも分かったの?」
先ほど一度追い返されているのは聞いている。慌てる様子がないから緊急事態でもない。
でも再び来たということは、相談事か何かがあるということだろう。
コマリがカップに豆茶を注ぎ、トレイに乗せてエウリシュアの前に置く。
「新事実、というほどのことではないのだが、彼女の言っていることが今一つ理解できないというか……
彼女の共通語は問題ないし、理解できない部分は言語理解の奇跡を用いてドロウ語で説明してもらった。
それでも、表現の違いというか、習慣に根差した言葉の真意の部分が伝わらないというか」
エウリシュアは少し困惑した表情を浮かべながら説明している。
言葉は通じているが、言い回しや表現の仕方で理解が進まない状況なのも伝わった。
「具体的に言うと、山が動いた、と彼女は言っている。これが何を意味するところなのかよく分からないんだ。
山が動いたので巨人族がジャングルに移動してきた。永遠に続く水から人が溢れた。魂無きレーヴァが災厄となる。
この辺の表現と言うか、どう評価すればいいのか分からないんだよ」
「それは全部バドリデラ族長が口にした言葉?」
僕はエウリシュアに確認した。想像の域は出ないが、いくつか思いつく事象はある。
「ああ、彼女から聞いた言葉だ。彼女は巨人族がそう言っていた、と言っている。巨人族は言葉が異なるから、そこで齟齬が生じている可能性も否定はできない」
僕は少し考え込んだ。
聞き取り自体は問題なく進んでいるし、さっきのローズの指摘も考慮すると、僕が直接聞き取る必要は今のところない。
最終的に僕たちが直接確かめるしかないのも間違いないだろう。
「エウリ、時間が大丈夫ならバドリデラ族長から聞き取った内容をざっくり教えてもらって良いかな?」
エウリシュアは順を追って説明してくれた。
クァルテレンダ族がジャングルの南端に近い場所に生活域を持つ部族で、近くには巨人族として唯一ジャングルで暮らす、密林巨人族と比較的良好な関係を築いていた。
彼らから山岳地帯の巨人族が、ジャングルまで移動してくると警告を受けたが、彼らは自らの生活域にとどまった。そして山岳系の巨人族と領土を巡る争いとなって大規模な戦闘に発展。
撤退を余儀なくされたところで、蠍神の司祭の一団に遭遇し、彼らの指示のもとヴィッシアベンカ族の生活域まで移動した。その際にケヒーラとドゥアルデストが派遣されて、実質的に氏族を率いる形になった。
あとは我々が知っている通りで、クァルテレンダ族の大半は何のために長距離の移動をしてきたのかすら、理解していなかったようだ。
「ありがとう。概ね状況は把握できたと思う。ところでさ、ガルスガ族長からは状況について何か聞いた?」
「いや、ガルスガ族長はヴィッシアベンカ族だけでなく、クァルテレンダ族に関しても指示を出してもらっている状況だ。セーブポイントの西側に、とりあえずの宿営地を準備する指揮に当たってもらっている」
「そう、蠍神の勢力が侵攻してくる可能性もまだあるからね……エウリ、悪いんだけどさ、これからガルスガ族長の所に行って、ざっくりでいいからここに来るまでの経緯を聞いてきてもらえないかな?」
「それは構わないが、何か気になる事でもあるのか?」
「うん。彼らはここに星が落ちるのを見ているはずだ。そのうえでセーブポイントに来た。まあ、実際の所セーブポイントじゃなくラストチャンスを目指して移動していた可能性も高いとは思うんだけどさ。タイミングに関しても偶然って可能性が高いと思う。
だけど確証が持てないからね。何らかの別の意図がある可能性も否定できない」
「ヴィッシアベンカも蠍神の意向を受けて動いていると?」
「そこまでは思っていないよ。ガルスガ族長は信用していいと思っている。
だけど、ヴィッシアベンカ族が一枚岩であるとも言い切れないし、斥候が混じっている可能性も否定できないよ。
今は少しでも情報が欲しい」
「分かった。早速出向いて世間話でもしながらその辺を聞いてみよう」
「あ、あと、僕の容態に関してだけど、命に別状はないけど毒の後遺症で臥せってることにしておいて。
多分その方が良いと思うんだ。彼らを騙すようで少し気が引けるけど」
「なるほどな、その方がボロを出す奴がいるかもしれない」
「僕を警戒して慎重になっている方がいいのか、勇み足を踏んでくれる方が良いのかは、正直言うと判断できないんだけどさ。
向こうが動くとすれば、万全の体制で動かれるより対処できると思うんだ」
「一応デニスに言ってから、早速話を聞いてくる。アレン、おとなしくしててくれよ」
「僕は今は病人だからね。もちろんおとなしくしてるさ」
エウリシュアは足早に天幕を出ていった。
僕はおとなしくはしているつもりだが、何もしないつもりもない。
「ロロカント、頼みがあるんだ」
僕の呼びかけに目の前に輝く人影が現れる。
さすがに近いとはまぶしすぎる。薄暗い天幕の中ではなおさらだ。
直視できず腕で目を覆いながら善の使徒に語りかけた。
「君に頼みがある。これから南方に向かって空からの偵察を頼みたい。
君の眼なら地上を移動するスコーロウを捉えることが出来るだろう。
契約の時間までに戻れる距離で何かを発見したら、戻って報告してほしい。
そうでなければ、その時点で契約を終了させてくれ。そうすれば少なくとも何かを君が見つけたことが伝わる。
もし偵察を続けて何も発見できずに契約時間が終わったら、その時点で終了だ。
頼めるかな?」
「貴殿の同意が無ければ契約を終了にはできないが?」
「僕は現時点をもって契約の終了を申し入れる。これで君が同意すれば契約は完了だよ」
「しかと承った。ではこれにて」
「ロロカント、ありがとう。君のお陰で色々と上手く行った」
「私は契約に従ったまで。またいつの日にか、貴殿と共に戦える日が来ることを望む」
ロロカントはその場で強い光を発してから消えた。
先程までと変わらない天幕の中であるはずだが、強烈な光の余韻がそこにあるように感じられる。
僕はハッとなって後ろを振り返る。
ローズが少し呼吸を荒くしているのが見えた。
「ローズ大丈夫?ごめんうっかりしてた。この至近距離だと、かなりきつかったよね」
「これくらいなら問題ありません」
ロロカントは善の象徴みたいな存在だ。彼が放つオーラは周囲に強い影響を及ぼす。
普段はそのオーラを解放はしていないが、抑えていても自然と漏れ出す。
中立のローズにはかなり負荷がかかったはずだ。
「ほら、少し横になって」
「いえ、大丈夫です。アレンと違って私は十分に鍛えてますから」
「はいはい。僕は青白い軟弱なエルフですよ。鍛えてても休息は必要です。
なので名誉族長として命令します。ここにきて少し休みなさい」
「ここに来てって、どういう意味ですか?」
「膝枕ですよ、早く来なさいよ?コマリもこっちにおいで」
コマリは笑顔でやってきて、右の膝に頭を乗せる。
「ほら、ローズも」
「それは……あまりにも横暴です! 権威の乱用です!」
「うん、権威の乱用だね。僕がそうしたいんだから。ローズ、諦めて」
彼女は渋々と言った感じで横になり、僕の腿の上に頭を乗せた。
僕に背を向けるようになっているので表情までは見えない。
コマリは僕の方に顔を向けているので表情が良く見える。いい笑顔だ。
「膝枕……何十年ぶりでしょうか……」
ローズのつぶやきが聞こえた。
「その言葉が聞けただけで嬉しいよ。ローズ、ありがとう」
僕はそこまで言って二人の呼吸が穏やかに、安定したものになっていることに気がつく。
二人は瞑想状態に入ったようだ。
何か喋れば当然聞いている。
気の利いたセリフの一つも言おうかと思ったが、それはやめることにした。
何も焦ることはない。ゆっくりと進めばいい。
僕の独りよがりかもしれないけど、僕は二人の愛情を感じていた。
今はこれでいい。




