12:眠り(1)
とにかく長い一日だった。
僕は状況を確認した後、そのまま朝まで休ませてもらうことにした。
ローズとコマリも休めたようだった。
3人の中で僕が最初に瞑想から覚めたようだ。
普段よりも少し遅い時間。朝の祈りを行おうと思ったが、一瞬躊躇する。
ヴィッシアベンカのテントの中。瞑想しても大丈夫だろうか。
昨日の夜に刺されたばかりだ。
慎重になるべきかとも思ったが、休息が取れたということは、朝の祈りを行っても問題はないだろう。
何かあれば真っ先にローズが対応してくれるはずだし。
「なんか昨日からローズに頼りっぱなしだよね。ありがとう」
僕はローズの顔を覗き込みながらそう言ったら、目が合った。
「感謝の言葉は起きてる時に言うものです。しかも女性の寝顔を覗き込むとか、いやらしい!」
教育的指導に罵倒。言われていることが正論なだけに、とっさに言葉が出ない。
わずかな沈黙の後に、後ろからコマリの声が聞こえた。
「そうですね、姉様の言うことには一理あります。ですので姉様も妾になさってはいかがですか?
私としても嬉しいですし。あ、でも、姉様が私よりも先に可愛がられるのは黙認できません。ですので、その点だけご了承くだされば、大歓迎です」
「え?!」
ローズが飛び起きて、僕と同時に声を上げる。
「コマリ様、冗談が過ぎます。誰がこんなひ弱なエルフなどと!」」
「さすがにローズに失礼だよ、戦士として敵わないし」
「意外と息が合っているように見えますけど?」
コマリが笑いながら指摘した。
僕はローズと顔を見合わせる。
あれ、ローズの顔が赤い?
「周囲の見回りをしてきます。さっさと朝の支度を済ませてください!」
そう言い残してローズはテントを飛び出していった。
コマリが身を寄せながら僕に呟く。
「私の目から見て、姉様はかなりアレン様を気に入っています。お気づきになれないのは仕方のないことなのかもしれませんが、あまりに鈍感なのは罪だと思いますよ?」
「アレン起きてるのか?入るぞ?」
ソウザがそう言って入ってきて、すぐに踵を返し出ていこうとする。
「ソウザ、問題ないよ、どうしたの?」
ソウザは振り返らずそのまま言った。
「いや、すまん。その、邪魔をするつもりはなかったんだ。許可なく入ってきて申し訳ない」
「いや、だから問題ないってば。どうしたの?」
「ローズ殿が見回りに行くと言って飛び出したのが聞こえてな。起きてると思ったんで、その」
「気にしないで、というか君たちから見れば不謹慎だよね、こっちこそごめん」
僕は姿勢を正して、改めてそう告げる。
「いや、ここは南の大陸ですし、もともとドロウの領域ですし―」
埒が明かない。僕は声を張った。
「ソウザ!こっちを向いて姿勢を正せ!」
「はっ!」
反射的に振り返り、直立不動の姿勢を取ったソウザが、僕と目が合って、口を開けた。
僕は両手で自分の頬を引っ張ってベロを出している。
それを直視したソウザは、一切の行動を取れなくなっていた。想定外の事態が起きた時の正しい反応だ。
僕は『変顔』をやめて、ソウザに話しかけた。
「不毛な状態から抜け出せましたね。で、何を伝えに来てくれたんですか?」
「あ、ああ。はい。デニスより連絡がありまして、問題が片付いたのであればドロウのキャンプをセーブポイント近くに移動してもらった方が良いのではないかと」
確かに両部族が信頼できる状況なら、その方が今後発生する可能性に対処しやすい。
「ソウザはどう思う?」
「万一の防衛戦等の可能性を考えると、その方が良いかと考えますが」
「固いよ、いつも通りでOKだから。そうだね、僕もそう思う。たぶんクァルテレンダ族も問題ないと思うから」
「すぐに移動の指示を出しますか?」
「んと、今日の朝の祈りがまだなので、出発はその後だと助かるけど」
「分かりました、では1時間後に出発の準備、それから出発の運びにしましょう」
「ごめん、脅かしたのは悪かったから。謝るから非公式の場で畏まるのはやめてほしい。それとも僕を殺すつもりですか?」
僕は笑いながらそう言った。
「了解した、アレン。後で迎えに来る」
「ええソウザ、また後で」
ソウザはそう言ってテントを去った。
僕は冗談のつもりだったし、ソウザも冗談だとは理解していたが、『僕を殺すつもりですか』は冗談としては適切ではなかったと少し反省する。
彼は、つい数時間前の状況を思い出したのだろう。軽口が過ぎた。
すぐに朝の祈りを始める。
コマリも魔法の準備が必要だ。
1時間後、僕たちのいたテントは手早く畳まれて、すぐに出発となった。
徒歩で30分ほどの移動。
僕たちは先頭を進んでいく。最後尾を聖炎の騎馬隊が務めていた。
歩きながらぼーっと取り留めなくいろんなことを考える。
昨日の朝にストームポートを出発してから、まだ24時間ちょっと。
十分に休めたと思っていたが、体の疲れは抜けきっていないし、若干集中力も欠いている。
ローズがあれから姿を見せないのが少し気になったが、彼女的には気まずいのかもしれない。
彼女なら能力的に問題はないだろうから、心配する必要はないだろう。
南方の状況を改めてバドリデラ族長から聞く必要もあるし、蠍神の手下が襲撃してくる可能性も現段階では考えられる。
できる準備はしておかないと。
昨夜の一方的な虐殺が、頭をよぎる。
必要だと割り切ったはずだが、割り切れていない。
でも、割り切れないで良いと思う。
命の重みを簡単には割り切れるはずがない。
では、ローズはどうなのだろう、そんなことも考える。
彼女は何も感じないのだろうか?それとも葛藤を抱えているのだろうか。
直接聞いてみれば早いとも思うが、聞くこと自体が怖くもある。
取り留めのない乱雑な思考が頭を駆け巡っているうちに、出迎えに出てきたデニスの姿が目に入った。
「無事で何よりだ。刺されたと一報を聞いた時は、冷や汗が出たぞ」
デニスは笑顔で僕を迎えてくれた。
彼と握手を交わして、まず最初にすべきことを行う。
「デニス、すまないんだけど、身柄を確保している子供、釈放してあげて?」
「子供と言えど重要人物を殺そうとした犯人だぞ?法に則って裁く必要がある」
「うん、君の立場ならそう言うと思うし、それが正しいと思う。だから、いま釈放したいんだよ。
セーブポイントの中に入ったら、僕が口出しすべき問題で無くなってしまう」
「しかしだ―」
「被害者がお願いしてるんだ、少し考慮してくれないかな?
現時点では人間の法を押し付けない方が良いと思うんだ。だから、せめてその処罰は彼らに委ねないと。
それに彼はまだ15歳だよ。人間の年齢で言えば5歳かそこらだ。僕は15歳の時に自分がこんなことをしてるなんて思いもしなかった。
彼は今の彼の常識に従っただけだ。その常識を変える機会を与えたいし、変えるための機会を僕たちも欲しいと思わないか?」
デニスは腕を組んで考えている。
「ここは南の大陸。僕や君はここではよそ者なんだ。僕たちはここが正当な権利者から認められた領土であるという認識だけど、彼らからしたら、ここはドロウのジャングルだ。聞いたこともない国の知りもしない臣下の領土だと言っても彼らには説得力を持たないよ。
君も彼らを征服するつもりではないだろ?共存を目指すなら、双方が妥協できるところを見出さないと。
だから彼らにも妥協はしてもらう。どうだろう、まずはこちらの寛大さを示してみては?」
考え込んでいたデニスが口を開いた。
「今回の件に関してはアレンがそう言うので、従うことにする。ただし、こちらとしては2度と同じことを起こさないように言うことにするよ。
必要に応じて我々の法で罰せられると。それでいいか?」
「うん、いいと思う。クァルテレンダ族はまだ蠍神との決別を決めてここに来た訳ではないようだし、決別できないなら仕方のないことだ。
その場合はひとまず平和的に去ってもらわなければいけないからね」
僕の言葉にデニスは再び考え込んだ。そして少し重たげに言葉を紡いだ。
「なあ、アレン。あまり意味のない仮定だが・・・・・・もし、だ。我々の神がドロウを討てとお命じになったら、お前はどうする?」
僕は即答した。
「うん、仮定の話に意味はないよ。聖炎の神が理由もなくドロウを討てとおっしゃるはずがないと僕は思っている。
でも、万一その理由が分からないのにそうおっしゃったのなら、僕は君の前に立ちはだかるだろう。それが月の使徒として正しいと思うから」
「そうか、つまらんことを聞いて悪かった。迷いなくそれを言えるのはお前らしいと思う。
ギヴェオン猊下がお前を友と呼ばれるのが、俺にもわかる気がするよ」
「何言ってんの?デニス、君も僕の友達だろ?」
「そうか、友達か。そうだな」
デニスが照れ笑いした。
ギヴェオン司教の留守を預かる身として、気負いがあるのだろうと思う。ここで建設をする信者たちの命を預かっているんだから、当然だ。
「さあ、聖炎の名において、解放と彼らに少し釘を刺してきて。痛くない程度のをね」
「ああ、そうしよう」
デニスはそう言って歩いていった。あとは彼に任せて僕たちはセーブポイントへと戻る。
すぐに僕たちに割り当てられてる天幕に入ってから、大の字になった。
「だめだ。疲れが抜けてない。今日はもう何もしない!コマリは平気なの?」
「ええ、昨日は実働時間が長かったとは思いますけど、それを除けば普段の行軍とあまり変わりませんから」
「そっかぁ、僕の体力が足りてないのかな。ザックの無尽蔵の体力が羨ましい」
「状況が二転三転しましたからね。お疲れにもなるでしょう」
「そう言えば朝からローズを見てないけど、大丈夫かな。昨日は一番働いてもらったし、僕なんかよりも疲れてると思うけど」
「そうですね、本人に聞いてみてはいかがです?」
「え?」
僕は状態を起こし周囲を見渡す。
僕の右後方にローズが立っていた。
「ひっ?!」
気配も何も感じていなかったのに、そこにいる事に驚いて引きつった声が漏れてしまう。
「情けない声を出して、アホですか。それに必要な休養は取れてますから、心配は無用です。あなたとは鍛え方が違うんですよ」
「スミマセン……」
筋力も体力も足りてない。知力だって十分じゃない。本当に鍛え方が足りない。
「何を落ち込んでるんですか?あなたにはあなたにしかできない仕事があるでしょう。
なんでもかんでも自分でしようなんて、どれだけ傲慢なんですか?」
少しローズの言葉が耳に痛い。仲間を頼ることが、必要なのは理解しているし、仲間たちの能力も信頼している。
それでも自分で何とかしようとしてしまうのは、僕の悪癖だと思う。
「分かってはいるんだよ。信頼もしている。一度ついた癖ってなかなか治らないよね」
「アレン様、姉様はそう言うことを言っているのではありません。
仲間を信頼しているから、お師様に意見を求められ、姉様に偵察を申し付けられ、ザックに戦えとおっしゃっている。
それは皆が理解しているのです。
必要ならハーバーマスターやギヴェオン司教をお頼りになる。
それでいいのですよ。なにも治すことはないんです」
僕にはコマリの言っていることが上手く理解できない。ではなぜローズは怒っているのだろう。
僕の様子を見てコマリは続けた。
「少し言い方は悪いですが、姉様はこう言っているのですよ。
『仲間の長所に追いつこうなんて、無理なんだから悩むのを止めなさい。本気でそれが出来ると思っているのなら、それは高望みが過ぎます』と。
お分かりいただけますか?アレン様はアレン様の強みを発揮することを考えていればいいのです」
「頼れる仲間がいて、その仲間ができることが自分にできないからと言って、いちいち落ち込んでるのは見てて腹が立ちます。
向上心があるのはいいことですが、それを本気で悩むのは無駄で無意味なことに気づきなさい。
ギヴェオン司教がガイアの魔法能力を身に付けようと努力していたら、あなたはどう思います?」
ローズが続けた言葉にハッとなる。ここまで言われて初めて気がついた自分が正直恥ずかしかった。
中堅冒険者の感覚が抜けてなかった。
僕は自分が行使を許されている奇跡の力が、どれだけ強力なものであるということの自覚が足りていなかった。
かつてギヴェオン司教が僕に言った言葉や、ハーバーマスターの言葉が初めて実感を伴う。
「そうだね、僕が目指すべきは一人でも多くの人を救うことであって、敵を討ち倒すことじゃない。
当たり前のことが分かんなくなってた。僕は聖職者なのにね」
「あなたはギヴェオン司教やレイアを目の当たりにしてる。彼らはもはや伝説級と言ってもいいですからね。
でも、忘れないでください。あなたも私たちから見れば伝説の域に達しようとしているのですよ」
「うん、正直実感はないんだけど、ローズが言っていることは良く分かった。忘れないようにする」
「さあ、アレン様。少し話が長くなりましたが、まずはお休みください。疲れていてはこれからに差し障りますから」
「そうさせてもらうよ。コマリ、ローズ、お願いがあるんだけど」
「何でしょう?」
「なんですか?」
横になって目を閉じ、僕は続けた。
「その、少しの間だけでいいから、僕の両脇にいて欲しい」
コマリは無言で僕の頬に頬を寄せてくれた。
ローズは「子供か」と言いながらも同じように頬を寄せてくれた。
目を閉じたまま自然と涙がこぼれる。
こうしていることが嬉しくて心地よくて、安心感が心を満たした。
かつて彼女たちが僕を救ってくれたように、今再び救ってくれている。
僕は、深く、とても深く、意識の底に沈んでいった。
瞑想ではなく、眠ったのだ。




