32:縁
翌日にはラストチャンスにいたドュルーワルカの避難民が居留区に戻ってきた。
幸い早期に戻れたため、オーグの被害も畑の被害もなく、すぐ元の生活に戻れた。
ガルスガからの伝言で、
「ファルナザールと、アウロシルヴァエの2氏族が来る前には一度お戻りください。陛下が不在とあっては格好がつきません」
だそうだ。
まだ1週間ほどあるし、そのタイミングまでは戻れるだろう。
幸い、通信石のおかげでセーブポイントとの連絡はかなり密に取れている。
いなくても大丈夫だとは思うが、移住してきた氏族を僕が迎えないでどうする? というのは確かにあった。
翌日には、独立宣言前に出向していた定期船が入港した。
この船はストームポートから退去することになった人々が乗船することになる。
臨時便も決まっていて、今回はカシュラート王国関係者とレイブンズの一部、そしてアーナンダ司教が乗ることが決まっていた。
だがその前に、この船に意外な人物が乗っていることを知った。
「ギヴェオン司教が戻ってこられた!」
エウリはそう叫びながら、書類に埋もれかけていたキャッスルの執務室に飛び込んできた。
僕は書類の山を一つ崩してしまった。
「事前に知らせはなかったの?」
「なかったようだね。デニスに確認したが彼も知らなかったようだ。で、猊下が陛下にお目通りを願っておられる。許可をいただきたい」
急に改まるエウリに、僕は笑いながら答えた。
「君は顔パスでここまで入ってこれるのにさ、ギヴェオン司教が来られないっていうのは、おかしくない?」
「そりゃそうだ。すぐに案内するけど良いか? 同行者がおられるのだが?」
「同行者、ですか? 教会関係の方ですよね?」
「詳細はご本人から伺ってほしい。ああ、身元がしっかりしていることは俺も保証する」
「何にしてもギヴェオン司教のお連れさんなら問題ないでしょう。エウリ、早速ご案内して」
エウリに告げると、彼はうなずいて執務室を後にする。
僕は近くにいた下働きの人に声をかけて、お茶の用意と、行政官を呼んでほしいと伝えた。
しばらくしてお茶の準備が整う頃に、行政官、ジン・ラグストフが執務室にやってくる。
「聖炎のギヴェオン司教が戻ってきたんだよな? それで呼んだんだろ?」
「さすがに耳が早いですね。そのとおりですよ。顔見世はしておいた方が良いと思いましたので」
「一応顔は知っているぞ? 改めて顔見世もないんじゃないか?」
「先方が知っているのは港湾管理者としてでしょ? 行政官ジン・ラグストフとしては初めてなわけですから」
「まあ、そりゃそうだが。俺はあの人は少し苦手だ。なんて言うのか……固すぎる」
「まあ、そうでしょうね。でも悪い人じゃないですよ? 冗談は笑えませんけど」
「そりゃくそ真面目な聖炎の聖戦士様だ。冗談が笑えるわけがない」
そんな会話をしていると、扉をノックする音が聞こえてきた。
「聖炎教会のエウリシュア・レーベンにございます。
我が上司に当たります、アーノルド・ギヴェオン司教を伴い参上いたしました」
エウリの改まった物言いに、少し噴きかけたが堪えて、執務机から立ち上がり答える。
「どうぞ、お入りください」
僕は扉に向かって歩きながら扉が開くのを見て、立ち止まった。
「失礼します」
そう言って一礼したエウリが中に入ってくると、懐かしい顔がすぐに見えた。
僕が声をかける前に、ギヴェオン司教は膝をつき、挨拶を口にした。
「陛下、この度は突然の訪問を快くお受けいただきました事、感謝申し上げます。
また南大陸を統べる王に即位されました事、謹んでお喜び申し上げます。
我らが神も祝福しております」
そう言って深く礼をした。
彼の連れは聖戦士の装備を身につけた女性と、見習いの聖職者と分かる少女が一人。
司教と同様に膝をついて深く礼をしている。
僕が気になったのは、その位置取り。
中央に見習いの少女。その左側に女性のパラディン。一番右にギヴェオン司教。エウリはギヴェオン司教の右後ろに膝をついている。
最上位の位置に、見習いの少女がいるのだ。
堅苦しいことは抜きでと思っていたが、どうもそうはいかないようだ。
一応空気を読んで、公式仕様の返答を行う。
「ギヴェオン司教。祝辞をありがとうございます。失礼ですがご同行の方々をご紹介いただけますか?」
僕がそう言うと、中央にいた見習いの少女がまず口を開く。
「お初にお目にかかります陛下。私はキャスリーン・ドラクレアと申します。現在は見習いの身にございますが、お見知りおきくださると光栄です」
そう言って今一度頭を下げた。
歳はエリーと同じくらいか、少し若いか。確かに見習いの服装ではあるが、その振る舞いは堂々としているし、何か神威に近いものを感じる。
ただ者でないことは間違いないが、何者かまではわからない。
それに続いて左の女性が名乗った。
「陛下。私は聖炎教会にて枢機卿を務めます、イグレシア・フォートと申します。これまで我々に力添えいただきましたこと、お礼申し上げます」
フォート卿は40手前くらいだろうか。同じくらいだったレイアに比べると、随分線が細く感じる。
枢機卿って、大司教のさらに上の人だったよね? と自分に問い直す。
この状況がまったく理解できない。
僕は動揺を隠したまま、まずは返答する。
「ご丁寧な挨拶ありがとうございます。遅くなりましたが、この大陸を統治いたしますアレン・ディープフロストです。お見知りおきください」
そう言いながら膝を落として礼をすると、元の姿勢に戻って続けた。
「ギヴェオン司教はご存じかと思いますが、元来堅苦しいのは苦手でございます。
よろしければ公式行事はここまでにさせていただいてよろしいでしょうか?」
「陛下、ここはご自身の王国なれば、ご自由に振る舞われるのがよろしいかと。
私目は役目上、羽目を外すことはできませぬ故、どうかこのままであることをお許し願いたい」
上司がいるから、羽目は外せないか。参ったな。
そう思っていると、キャスリーンと名乗った少女が口を開く。
「ギヴェオン司教、よろしいのではありませんか? 陛下がこうおっしゃっているのですし。
フォート卿はどう思われます?」
「ええ、本日は表敬訪問ですし、陛下がそう言われるのですから、ここからは非公式でよろしいのではありませんか?」
「ご両名がそう言われるのでしたら、私もそうさせていただきます」
司教がそう言ってくれて少しほっとした。
「お茶をご用意しております。よろしければこちらに」
僕はそう言って、応接の方に移動する。
そこでジンを行政官として紹介してから、ソファを勧めて僕は座る。
3人も並んで腰かけた。
エウリシュアは後方に立って控えている。
「アレン。今回も随分と貴殿の力に助けられた。まずは礼を言う」
「僕もかなり助けてもらっていますから、お互い様ですよ。
そもそも司教が助けてくださらなかったら、こうはなっていないでしょう」
「そのおかげで私も生きながらえたのだ。お互い正しい選択ができた、そういうことにしておこうか」
「そうですね。で、さっきから気になっているのですが、伺っても良いですか?」
「見習いが、なぜ真ん中にいるのか? あたりの話かな?」
「ご名答です。正直に言いますが、状況がまったく分かっていません。
説明していただける範囲で、伺ってもよろしいですか?」
僕がそう言うと、フォート卿が口を開いた。
「そうですね。教会内部のものでなければ分からないことでしょう。私からご説明させていただいても?」
その問いが僕へなのか司教に向けてなのか少しわからなかったが、司教がすぐに、
「ええ、お願いします」
と言ったので、彼女は説明を始めた。
「まず、聖炎の炎の護り手と、聖炎の声はご存じですか?」
「はい。テレシア様の御姿は炎の中に一度拝見したことがあります。ティナ様は直接お話しさせていただく機会がございました」
「そうですか。さすがは陛下としか言いようがありません。我々とてティナ様と言葉を交わせる者は稀なのですから」
僕が返答に困っていると、彼女は続けた。
「テレシア様というのは受け継がれる名前で、聖炎の護り手をそう呼ぶのです。
そして新しい護り手を指名する神託が下りると、役目を終え、フォート卿の地位に就いて教会を支えます。
私は先代の炎の護り手で、今のテレシア様がその役目に就かれた時に、枢機卿になりました。
炎の護り手が常に一人であるように、フォート卿も常に一人。私はその最後の御役目として、こうして陛下にお目にかかりにまいりました」
今の説明で僕は全てを理解した。
「つまり、ドラクレア様が次の炎の護り手になる、そういうことですね」
「まだ見習いの身です。キャスリーンとお呼びください、陛下」
キャスリーンが笑いながらそう言う。
「炎の護り手となるとルミナムを離れることはできません。その前にどうしても陛下に会いたいとキャスリーンが申しましたので、この度突然ではございますが、伺う運びとなりました」
「船の中で、ウエルナート一族が皆殺しにされ、その犯人がアレンだと聞かされた時には、どうしたものかと焦ったがな」
司教が笑いながらそう告げた。
トランスポーターの連絡網で船にも連絡が行ったのか。
「その状況で船はよく引き返しませんでしたね?」
「デューザル卿の名前で、“アレン・ディープフロストは討たれた”とすぐに続報が入ったのだ。
まあ、これもかなり驚いたが……現地に着けば状況がわかると思っていたからな」
「そうでしたか。でも一歩間違えばドラクレ……キャスリーンも危険な目に遭うところでしたね」
「子細は先ほど聞いたよ。正直に言わせてもらえば……開いた口がふさがらん。
地獄の王の依り代を2つも破壊するなど、前代未聞だからな」
「お話は分かりました。でもなぜキャスリーンは僕に会いたいって言ったんです?」
「それは、おばあさまから、陛下の話を聞いていたからです。
確信はありませんでしたが……お名前も、エルフの聖職者というのも同じでしたし、ギヴェオン司教から聞いた人となりも」
「おばあさまというのは?」
「はい。もともと裕福な商家の生まれだったそうですが、大変苦労なさり、結婚後ルミナムに住まれることになりました。
あまり詳しいことはお話しになりませんが、今でも時々こう言われます。
私はあの方に出会えたから人生が変わり、生き延びることができた。
月のように優しく、そしてどこか冷たい。月の使徒様に出会ったのだと。
心の傷を癒やしていただき、前に進むことを教えてくださったと。
祖母の名はクリスティーナ・ドラクレア。
お心当たりはございませんか?」
クリスティーナ……生き延びた……。
僕には心当たりがあった。
自分の居場所を探して軍隊に入り、それを見つけかけたと思ったあの砦。
彼女はあの地獄から、生き延びたんだ。
「そうか……クリスは無事に逃げられたんだね……」
あれから30年以上が過ぎている。
戦場の混乱の中、離れ離れになってしまった僕の仲間たち。
人の世の中なんて、そんなものだと斜に構えて、達観したふりをして。
できることはしたなんて思ってた。
ただの言い訳で、簡単にあきらめただけなのに。
嫌な記憶として半ばふたをしていたんだ。
それなのに彼女はずっと僕を覚えていてくれた。
うれしくて、情けなくて、悲しくて。後悔と望郷の念に似た感情が僕の中で激しく渦巻いていた。
「陛下、その……私、失礼なことを申しましたでしょうか?」
キャスリーンが少しおろおろしながらそう言ったのを聞いて、僕は我に返った。
涙があふれていた。
「ああ、ごめん。大丈夫。驚かせちゃったね」
そう言って涙を拭ってから、言葉を続ける。
「そうだったんだね。君の金髪はクリス譲りなんだね」
そう言うとキャスリーンの表情がぱっと明るくなる。
「陛下、祖母をご存じなのですね?」
「うん、知っているよ。そんなに大したことをしてあげられたわけじゃないのに、今でも覚えていてくれたんだね。
すぐには無理だけど、状況が許すようになったら、クリスに会いに行きたいな」
「ええ、ええ! ぜひともお越しください。祖母も喜びます!」
「うん、約束する。時期が来たら会いに行く。
だから戻ったらクリスに伝えてくれないかな。覚えていてくれてありがとうって」
「はい。必ず伝えます」
カシュラート王国との状況が落ち着かないことには、北には行けない。
対立している状況でルミナムを訪れれば、聖炎教会に迷惑をかけることになりかねないからだ。
カシュラート王国内にも聖炎教会も信者もいる。
彼らの政治的中立に配慮しなければならない。
その後しばらく談笑し、特にギヴェオン司教とラッシャキンの一騎打ちは大いに盛り上がった。
ラッシャキンがいたらきっと暴れたか、その場でリベンジを申し出ただろう。
彼らはこの後、船でラストチャンスに渡り、そこから現地のマッカランたちと共にセーブポイントの視察を行うそうだ。
僕も同行したいところだが、まだストームポートを離れるわけにはいかない。
彼らを見送り、僕は執務机に向かう。
大切にしていた、だけど失ってしまったものを、届けてもらったような気がしていた。




