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翌日、早々に市内に告知が行われる。シティガードを総動員しての極めて原始的な告知だ。
「本日より南大陸の王たるディープフロスト陛下が、ストームポートの統治をなさる!」
そう口々に叫びながらガードたちが街中を走り回っていた。
「これじゃ外も歩けないじゃないですか?」
僕は小屋からヴェルと共にハーバーマスター――もとい、行政官の事務所に来ていた。僕が漏らした小さな不満にジンは笑いながら答える。
「別に歩いたっていいんじゃないか、陛下?」
絶対にこの人は僕のことをおちょくって楽しんでいる。被害妄想気味に僕は思った。
「そうですね。アレンが歩くと周囲がひれ伏す。そういう光景も見てみたい気がします」
ヴェルもなんてことを言うんだ。真顔で言っているから冗談というわけではなさそうだ。一体どんな顔をして通りを歩けばいいんだろう。割と僕は真剣に悩んでいるのに。ジンが付け加える。
「何も王様らしく振る舞うことはないんじゃないか? あんたはあんたらしくあればいいと、俺は思うけどな」
ジンがまともなことを言った気がする。僕らしくでいいのか。確かにそうだ。
「では、僕はキャッスルに移動します。現地にはオリヴィアはいるのですよね?」
「ああ。俺も一仕事した後にすぐにキャッスルに向かう。待たせることはないだろう」
ジンとそう言葉を交わし、僕は彼の事務所を後にした。ゲートの下へと降り、中央公園経由でキャッスルに向かう。シティのど真ん中を突っ切る最短ルートだ。すぐに数名のガードが駆け寄ってきて、脇に整列し、敬礼する。
「キャッスルまで護衛に当たります」
部隊長と思われる人は女性だった。
「オーガスタ隊長?」
「陛下。ご無沙汰しております。ご案内いたしますのでどうぞ」
そう言って前を先導して歩き始める。僕はそれに続いた。
「アレン、知り合いですか?」
ヴェルが問いかけてきたので僕は答える。
「うん。こっちに渡ってきてすぐに手を貸してくれたシティガードの隊長さんだよ。スラムで起きた事件で、エリーが生贄にされそうになった時の……」
そこまで言って僕はふと思い出す。黒マントの事件。聖なる血って一体何だったんだろう?
当時はオースティン・ヘイワードが討たれて、それっきりだと思っていたけど、デューザルはその当時からオースティン・ヘイワードを知っていた。というか協力関係にあった可能性が高い。
あの時の魔方陣って、悪魔を召喚するためだと思っていたけど、もしかすると昨日のゲートを作るための下準備――巨大な魔方陣の一部だったんじゃないだろうか。
状況は落ち着いた。黒幕も排除できた。急ぐ必要はないが、一度専門家に調査を頼んだ方がいいかもしれない。事前に気がついていれば、こんな大穴を開けることもなかったかもしれないな。中央公園に差し掛かり、その先に開いた大穴を見てそんなことを思う。
「アレン? どうしました? 大丈夫ですか?」
ヴェルが僕の様子を気遣って声をかけてくれた。
「うん、大丈夫。それよりも思ったより人が少なくて、誰も僕に気がつかないみたいだね。少し拍子抜けというか、安心したというか……」
「あまり気を抜かない方がいいと思いますよ」
ヴェルの言葉が予言になるとは思わなかった。少し進んで、僕は唖然とする。
「なに、この人の多さ……」
キャッスルを取り囲むように大勢の人が集まっていた。レーヴァたちがゲート付近を整理しているので近づくのに問題はなさそうだが……そう思っていると、僕に気がついた市民の一人が声を上げた。
「新王陛下、万歳!」
「ストームポートの守護者に栄光あれ!」
そこにいる人の口々から大きな声が発せられ、周囲へ伝播していく。ある種の熱狂。僕は少し怖くすら感じる。
「みな新王陛下にお祝いを言いたくて集まったのでしょう。答えてあげてください」
オーガスタが振り返り、僕にそう告げた。僕は営業スマイルになり、手を振って周囲に応える。ここに来てすぐに、ハーバーでこんなことしてたっけ。人の数も、立場も随分違うけど。そんなことを思いながら僕はキャッスルの門をくぐり、レーヴァたちの敬礼を受けながら建物へと入った。
「では我々はこれで」
オーガスタが敬礼をしながら言う。僕は彼女に向かって軽くお辞儀をして、答えた。
「ありがとうございます、オーガスタ隊長。今度一杯おごらせてください」
「陛下、立場をお考えください。お心遣いには感謝申し上げます」
そう言って立ち去っていった。
「ちゃんとした兵士ですね。好感が持てます」
ヴェルがそう付け加えた。僕は玄関からホールを抜けて中央棟の1階を進んでいく。最初にデューザルと面会した、一番奥の部屋。ここが僕の仮執務室ということになっている。
かつて並べられていた机は片付けられており、突き当たりの壁際の一段高いところに椅子が置かれている。右奥には大きな執務机。小規模の謁見を行えるように準備されていた。
とりあえず執務机に座ってみる。立派過ぎて落ち着かない。謁見用の王の椅子に座ってみたがもっと落ち着かない。ここは中途半端に広いんだ。広いなら本当に何もない方がいいし、狭いのなら周囲に手が届くほど狭い方がいい。まあ、これは例えだとしても、僕がここでは落ち着けないことはよくわかった。
執務机に戻って、椅子ではなく、床に座り込む。机がその先の目隠しになって、すごく落ち着ける気がした。
「さっきから何をしているのですか?」
ヴェルの訝しげな視線が痛い。
「いや、その、少し落ち着かなくて」
「堂々としていればいいんです。王という立場に慣れないのであれば、私の夫ということを思い出してください。少しは堂々としようと思えるようになるでしょう?」
ヴェルが笑いながらそう言う。その言葉は確かに効果があるような気がした。僕は改めて執務机の椅子に座る。
「そうだね。ヴェルがいてくれるんだから、落ち着けないはずがないよね」
そう言うとヴェルは少し驚いた表情をして、目を伏せた。扉がノックされて、ジンが入ってくる。
「最初のお客さんをお連れしたぞ」
ジンの後ろからコマリが入ってきて駆け寄ってくる。さらにその後ろからレンブラント司教が入ってきた。僕は立ち上がって、飛びついてきたコマリを抱き留めてから、
「お客さんの前だよ」
とたしなめ、窓際にある応接用の椅子に向かい、レンブラント司教にも座るように促す。
「この度は王位につかれました事、お喜び申し上げます。天上の神々も陛下の即位をお喜びになっておられるかと」
「司教、堅苦しいのは抜きにしてください。これからしばらく堅苦しいのが続きそうなので、少しでも楽をしたいんですよ」
僕がそう言うと、レンブラント司教は椅子に腰かけた。
「では、いつも通りにさせていただきます。それで、私に話というのは?」
「ストームポートの天上神教会に関してなのですが、天上神教会と完全に独立して、本部の関与を無くしたいと思っています。つきましては、司教に主教を務めていただけないかと思ったのですが」
「私が主教、ですか。いささか荷が重すぎます」
「そうは言っても教会を切り盛りすることのできる方は司教以外におられません。幸いにして南大陸にある天上神教会は、ここ一か所のみです。主教となって、ここにいる信者の支えになるとともに、後進の育成を行ってはいただけませんか? もちろん、とても重たいお願いをしているのは承知しています。北の大陸へ戻る道は閉ざされてしまうでしょう」
「本国に帰ることは諦めております。すでに異端として告発されている身です。戻っても未来はないでしょう」
「でしたら、是非ともお引き受けいただきたい。私も自分の教会を持つつもりですし、こちらをお任せできればそれに越したことはない」
改めて切り込むと、レンブラント司教は少し考え、それからゆっくりと答えた。
「教会を預かるという意味では今も変わりませんからね。ここでの生活にも随分慣れました。そのうえ陛下がそう言ってくださるのでしたら、断る理由もない。謹んでお受けしましょう」
「ありがとうございます。ではこの後の茶番に少し付き合ってください。主教猊下」
「陛下、堅苦しいのは苦手だったのでは?」
「冗談で言う分には堅苦しくないと思いますよ」
ジンに視線を送ると彼は頷いて答える。僕は席を立ち、謁見の椅子へと移動した。ヴェルが僕のすぐ左隣に立ち、レンブラント司教は一段下の右側に立つ。ちなみにコマリは窓際の応接の椅子に座ったまま。ジンがそれを見てから扉を開けて外にいた誰かに声をかけると、その人物は中に入ってきた。
「お初にお目にかかる。アーナンダ司教。私はアレン・ディープフロスト。この南大陸の王位につく者です」
アーナンダ司教は僕たちの前に進み、立ったままで頭を垂れた。
「お初にお目にかかります、陛下。お見知りおきくださるとは恐悦至極」
そう言ってから顔を上げる。僕はすぐに話を切り出した。
「あなたの噂は色々と耳に入っています。いくつか意見をお聞きしたい。まず最初に、私も異端と認定されたと耳にしましたが、それは事実ですか?」
「あくまでも嫌疑でございます。陛下が自ら神に奇跡を願い、その奇跡がもたらされるところを私は目の当たりにいたしました。あれほどの奇跡を目の当たりにし、神の寵愛を受けておられることを知ったうえで、異端を疑う余地はありません」
「それはよかった。ではもうひとつ尋ねます。あなたはここにおられるレンブラント主教を異端として捕縛されましたが、未だ異端と思っておられますか?」
「はい。北の教会に勤めていたころの記録を調べ、かつての月影の司教――後の大罪人、オースティン・ヘイワードに傾倒していたのは紛れもない事実と確認しております。そこなるレンブラントは神に背いた異端であると確信しております」
「なるほど。あなたの見解はわかりました。その上で私がレンブラント主教が異端ではない事を保証します。それでも主教は異端ですか?」
「まずは認識を正していただきとうございます。陛下、そこなるレンブラントはもともと司教にございます」
「そこは良いのです。私が聞きたいのは彼が異端かどうか。私が異端でないことを保証した上でも、彼は異端ですか?」
「恐れながら、それを決める権限を私は持っておりません」
「そうですか。質問を変えます。あなた自身はどうお考えですか?」
「陛下がそう申されるのであれば、異端ではないかと」
まずひとつ。
「そう言ってくれてうれしいです。もう一つ伺いたい。貴殿はレディア・オーソンという人物を知っていますか?」
「はい。存じております。先ほど名前の挙がりましたオースティン・ヘイワードと戦い、敗れて闇に落ちたかつての聖戦士にございます」
「さすが優秀な審問官であられる。よくご存じだと思いますが、少々間違った理解をしておられるようですね」
「間違った理解?」
「ええ、レディア・オーソンはすでに亡くなっていますが、その最後にオースティン・ヘイワードを討ったのです。彼女は闇に落ちたのではない。呪われた。そしてその呪いと戦いながらも、常にパラディンとしての心は失っていなかった」
「それはまことですか?」
「いかにも。私は彼女と共に戦い、そして最後を看取りました。その私の言葉が信じられませんか?」
「にわかには……」
アーナンダ司教から戸惑いを感じる。この件に関しては彼は本当に資料上のことしか知らないようだ。
「貴殿にお見せしたいものがある。この剣は、神の奇跡によって私に遣わされたもの。その名をレディアスといいます。神剣レディアス。この剣には、死して太陽神のもとへ帰った彼女の魂が込められています。彼女が私を守りたいと願い、太陽神がそれをお許しになった」
「陛下は月の神の使徒と伺っておりますが……」
「最近は太陽神とも懇意にさせていただいているのですよ。ご覧なさい」
そう言ってから立ち上がり、レディアスを抜く。そして僕は剣を掲げると、祈りの言葉を口にした。
「天におわす2神に願う。しばし手綱を放し、我に委ね給え」
剣が輝きを放ち始め、刀身上をいくつもの雷が走る。
「解き放て、剣の真なる力を」
刀身の輝きが一段と増した。部屋中が真っ白に染まり、白い闇と化す。そこで僕は太陽神と月の神にお礼を言ってからレディアスを鞘へと戻した。
「あなたも聖職者の端くれなら、感じたでしょう。太陽神と月の神の双方の威光を」
アーナンダ司教は目をむいて気絶していた。
「少し強烈すぎたかな……行政官、申し訳ない。彼を起こして」
ジンにそう言うと彼はグラスに水を注いで、司教の脇に立ち、顔をめがけてその水をかけた。
「ブハッ、ゴホッゴホッ」
「気がつかれたようですね。何よりです。結論を申し上げます。南大陸の天上神教会は聖月神教会ともども、本山から分離を宣言します。信ずる神は同じですが、今後は違う道を歩むこととなります」
「そ、そのようなことが許されるはずが……」
「許しを求めてはいません。そうすると決めたのです。あなたには申し訳ないが退去していただく。もちろん、船が出るまでの期間はストームポートに滞在していただいても結構です。そして戻り次第、あなたが見た真実を報告してください」
「あまりにも横暴ですぞ」
「それをお決めになるのは人ではなく、神でしょう。よく覚えておかれると良い。あなたが良心に従い、善き行いをすれば神はお喜びになります。天におわす神は常にあなたを見ておられます。昼も、夜も」
笑顔で話した僕の言葉に、アーナンダ司教の表情が引きつる。彼はそのまま何も言うことができなくなった。
「本日はご足労いただきましたこと、お礼申し上げます。あなたの旅が善きものとなることを、祈っています」
僕がそう告げると、アーナンダ司教は小さく一礼して、部屋を出て行った。ジンが彼を送り出す。
ふうっと、一つ大きな息を吐く。僕は少しスッキリとしていた。レイアを埋葬した日から、彼女の名誉を守りたいと思っていた。事実が正しく伝えられ、正しく理解されれば、レディア・オーソンの名誉は回復されるだろう。実際に彼が帰国し、教会本部でこの件をどう語るかは分からないけど、僕ができることはしたという満足感はあった。
それともう一つ。今のやり取りの中で気がついたことがある。彼女の名誉を気にしているのは、僕なのだという事実。レイアはそんなことを気にしていないのだから。彼女のことが北でどのように語られても、南大陸では関係ない話。そしてそれでいいと思えた。




