15:策
王妃付の侍女に呼ばれて、アレンの天幕を訪れたデニスとエウリシュアは2回驚くことになる。
まだ目を覚まさないはずのアレンが起き上がってお茶を飲んでいて、さらにその正体がレイアだと知ったからだ。
「正確に言えば、アレンの体を借りてるわけだから、アレン本人には違いない。
正体が俺だっていうのは、少し違うな」
お茶を飲みながらレイアがそう答える。
デニスとエウリシュアが落ち着きを取り戻した頃合いを見計らって、今後の打ち合わせを行う。
「……なので、数日はアレンは眠ったままってことで。
その後は状況を見ながら、必要ならアレンの代わりに動く。
死んだはずのアレンが現れれば、連中は予定を変更せざるを得なくなるだろうからな」
「どこまで情報を開示する? 評議会には知らせた方がいいとは思うが……」
デニスの言葉にコマリが答えた。
「今の評議会は一枚岩とは言い切れません。
聖炎の方々はレイアを知っていますから問題はないでしょうが、ドュルーワルカ以外のドロウはレイアを知りません。
ですので、あくまでもアレン様の影武者として動いてもらう。
各氏族長には、状況が落ち着き次第、少なくともアレン様が目覚めてからの事後報告でいいと思います」
「味方を騙すのは少し気が引けますが……」
コマリの意見にエウリシュアが言った。
それを聞いてレイアが口を挟む。
「相変わらず馬鹿正直だな。エウリ、状況に応じて使い分けろ。
嘘を言っているわけじゃねえし、それが最善だろ?」
「レイア殿……そうですね」
「矢が胸に刺さったままで歩き回られても、問題があるしな。
レイア殿の出番は、最小限度の方がいいだろう」
エウリシュアを援護するようにデニスが言った。
コマリが話を続ける。
「お師様には状況を早く伝えた方がいいと思いますが、どうでしょう」
「ガイアはレンブラント司教とエリーを確保しようとしてるんだろ?
ロアンもいるし、その作戦が終わったタイミングで伝えればいいだろう。向こうから連絡が入った時で十分だ。
何にしても、まだアレンは死んだことにしておいた方がいい。しばらくはアレンの話は一切NGだぞ」
レイアが念を押すと、その場の一同は頷いた。
方針が決まると、デニスとエウリシュアは司令部へと戻っていった。
「コマリ、俺は少し休ませてもらう。慣れない体を使っているからか、少し疲れた」
レイアはコマリにそう告げ、横になる。
「そうですね。少しお休みください。私がアレン様を守りますから」
「すまないな。何かあったら鞘を引き抜け」
レイアはそう言いながら右手に剣を握ったまま、アレンの体の上でその刀身を鞘に戻していく。
完全に刀身に収まる直前、レイアは再び口を開いた。
「なあ、コマリ。
私には確証がないのだが、伝説に語られるスロンドヴァニールなら、アレンに刺さる矢を抜くこともできるんじゃないか?」
「そうですね。確かにスロンドヴァニール様なら……」
「そうか。続きは少し休んでからにしよう」
レイアは刀身を最後まで鞘に納めて沈黙した。
コマリは、スロンドヴァニールなら確かに可能かもしれないと思った。
数時間後、アレンの左手がゆっくりと剣の鞘を引く。
それからアレンはゆっくりと起き上がった。
「まだ馴染むには程遠いな。鞘から出るのも一苦労だ」
「レイア、起きたのですね」
「ああ、寝てたってのが正しいのかは分からないが、休息は取れた。十分回復させてもらったよ。
コマリはまだ休んでなかったのか?」
「ええ、私が今休めば、アレン様を守る者がいなくなります。
レイアが大丈夫なら、私はこれから休ませてもらおうと思います」
「そうしてくれ」
「レイア。昨日の話ですけど、休息が終わり魔法の準備ができたら、スロンドヴァニール様を訪ねてみましょう。
即座に抜いてくださるかもしれませんし、何かヒントを与えてくださるかもしれません」
「そうだな。少しでも早い方がいいだろう」
「決まりですね。では私は少し休みます。アレン様をお願いします」
「ああ。何かあればコマリを起こすからな。休んでくれ」
コマリは横になり瞑想状態に入った。
レイアはそこにあったポットから、豆茶をカップに注いで口に含む。
昨日は感じなかった、苦みとコクを感じられた。
少しずつだが、アレンの体をちゃんと使えるようになってきている実感があった。
朝日が昇るころ、コマリは目を覚ます。
それからすぐに呪文の準備を始めた。
その間もレイアは柔軟運動や軽いトレーニングを続けていた。
アレンの肉体を鍛えるためでなく、レイアがアレンの感覚を正しく理解するための、いわば馴染むための訓練だ。
コマリは魔法の準備を終える。移動と防御を中心にした魔法の構成だった。
「レイア、準備ができました。少し何か食べてから出かけることにしましょう。
出かける前にはデニス様に伝えておいた方がいいでしょうし」
「まあ、黙って出かけるのはマズいよな。俺とコマリだけで大丈夫か?」
「ええ、スロンドヴァニールは巨人族の砦にいますし、巨人族は友好的です。安全という意味ではここよりも安全かもしれません」
そう言って、コマリは天幕から外に顔を出し、近くにいた誰かに食事を運んでもらえるように指示を出した。
天幕に完全に戻り、コマリは続ける。
「それに、お師様には及びませんが、かつてお師様がドュルーワルカの集落を訪れた頃と比べたら、今の私の方が上ですよ」
「それは凄いな。爺さんはコマリに才能があると言っていたが、間違いなかったようだな」
「そうかもしれませんが、そうじゃないかもしれませんよ?」
「どういう意味だ?」
「いつだって、恋する乙女は無敵なのです。レイア、少し横になっていてください。
食事を運んできたところで、起きているアレン様を見せるわけにはいかないでしょ?」
「ああ、そうだな。その通りだ」
レイアは少し笑い、寝台に戻った。
程なく、侍女たちによって食事が運び込まれ、再びレイアとコマリの二人になる。
「一人分しかないな」
「まあ、寝ているアレン様の分はないでしょう。
レイア、遠慮せずに食べてください。アレン様のお身体は長い時間食事を取っていませんから。
動かすなら、ちゃんと食べておかないと」
「お前はどうするんだ?」
「幸い非常食ならここにありますし、私はそんなに食べませんから」
「そうか。じゃあ遠慮なく頂くよ」
「どうぞ、召し上がれ」
レイアはスープを口にし、パンをかじる。
胃に沁みる感じがした。レイアは気がついていなかったが、空腹だったのだ。
生きるために必要な本能が欠落しているのは間違いない。
理解はしていたが、生きている時とこうも違うのかと、改めて実感する。
豆茶同様に味は感じられていた。
食事を終えて、レイアは一息つく。
「デニスさんのところに行ってきます。少しだけ待っててください」
コマリはそう言うと、天幕から出て司令部に向かう。
目と鼻の先の司令部の天幕に着くと、警備に立っている従士に声をかける。
「デニス様はおいでになりますか?」
「はい。お入りください」
従士はそう言うと天幕の入り口を持ち上げてくれた。
コマリは軽く会釈し、中に入る。
そこでは4人の聖戦士たちと、元ハーバーマスターが何か話し合っていた。
「だから、まずガイアに連絡を取って、許可を貰ってからなら問題ないだろ?」
「いや、不用意に連絡を取るのはマズい。確証があるのか?」
コマリに気がついたエウリシュアが会釈をしながら近づいてくる。
「何かトラブルですか?」
「いえ、ラグストフ氏が鉄の監視団に連絡を入れて、ガイア殿を支援できると言っているんです。
デニスはそれはさすがに許可できないと。まあ、鉄の監視団は街の支配者直轄ですからね」
その話を聞いて、コマリはジンに話しかける。
「ハーバーマスターさん、呼びかけるのはオリヴィアですよね?」
「ハーバーマスターはやめてくれ。たぶん首になっているし、悪党どもに組しているようにも聞こえる。ジンでいい。
で、その通りだ。オリヴィアは妙にアレンになついていたからな。根拠はないが、あいつはアレンにつくだろう。お嬢ちゃんもそうは思わないか?」
コマリはラストチャンス防衛戦でのオリヴィアの副官ぶりを見ているし、アレンを師匠と呼ぶのも知っていた。
「デニス様。ジンさんが言うように、オリヴィアなら味方してくれる可能性は高いと思います。
お師様に連絡だけでもさせてあげてはどうでしょうか? 最終的な判断はお師様に任せることにして」
「ほら、嬢ちゃんもこう言ってる。あんたらもオリヴィアを知らないわけじゃないだろう?」
「まあ、あんたが言うのはともかく、コマリ殿がそう言うのであれば……」
デニスは一応の承諾をしたようだった。
コマリはそれを見てデニスに話しかける。
「デニス様、折り入ってお話が……」
そう言うとデニスは何かを察して、ジンを天幕の外に連れ出すようにマッカランとソウザに指示を出した。
「ジン殿、通信石の準備をしますから、一度外に出てお待ちください」
そう言いながら二人がジンを外に連れ出す。
「で、折り入っての話というのは?」
コマリは周囲を確認してから、声を落としデニスに告げる。
「これから、私とレイアで、スロンドヴァニール様の元を訪ねてみようと思います。
あの方であればアレン様の矢を抜く方法をご存じかもしれません」
それを聞いたデニスの表情が明るくなる。
「たしかに。賢龍スロンドヴァニールなら、ご存じかもしれない。妙案ですな。
安全確保に何人か連れていかれますか?」
「いえ、私とレイアだけで大丈夫だと思います。巨人族の砦は、南大陸で最も安全な場所だと思いますし」
「そうですか……」
少しデニスは考えて、再びコマリに言う。
「確かにそうですが、我々としても彼らと伝手を持つチャンスでもあります。
邪魔は致しませんから、エウリシュアをお連れください。
万一の護衛としても役立ちますし、エウリであればレイア殿から直接指南を受けておりますから、連携も取れるでしょう」
今度はコマリが少し考える。
あえて断る理由はなかった。
「ではお言葉に甘えて、エウリシュア様をお借りします。
すぐに私たちの天幕に来るように伝えてください」
「分かりました。我々は吉報を待っております」
その言葉にコマリは一礼してから足早に自分たちの天幕へと戻る。
入れ違いでジンとソウザとマッカランが司令部に戻った。
「準備とか言ってたが、そこに最初からあるじゃないか。とにかくガイアと話をさせろ」
「そんな大声を出さなくても聞こえてるって。ほら」
そのやり取りを見ながらデニスはエウリシュアに何かを告げる。
エウリシュアは頷いて、天幕を出た。
5分も経たずにアレンたちの天幕の前にエウリシュアが姿を現す。
装備をきっちり整え、荷物もまとまっていた。
「奥方、エウリシュアです。指示により参りました」
「どうぞ中へ」
その声に従いエウリシュアは天幕へと入る。
「レイア殿は……?」
横たわるアレンを見て、エウリシュアは尋ねた。
「一応人目を警戒して横になってるだけだ。
すぐにでも出られる……いや、エウリ、一つ頼みがある」
「何でしょう?」
「済まないが、聖炎の標準的なもので構わないから、盾を1枚貸してくれないか?
スロンドヴァニールの盾は、俺には扱えんようだ」
「なるほど、分かりました。今すぐお持ちします。
とりあえず、これをお渡ししておきます」
「お前の盾じゃないのか?」
「私のですが、標準支給品と変わりありません。どうぞお使いください」
「剣は最上級品を使っているのに、盾はノーマルだと。ちょいとばかり勿体ないな」
「まあ、強力ではありませんが、聖戦士の標準装備品ですからね。ノーマルではありませんよ」
そう言い残してエウリは一度天幕を出て、再び戻ってくる。
「準備はよろしいですか?」
「ああ」
「はい」
3人はそろって天幕の奥に移動する。
コマリは干渉解除装置が動いていることを確認して、中に魔法文字を描き始める。
一節書くごとに、それが地面へと広がり、数秒後には魔方陣が完成していた。
「飛びますよ。瞬間移動」
光の柱が天に延び、一瞬にして消える。
もうその場には誰もいなかった。




