7:契
ストームポートの城壁内、“シティ”には異様な緊張感があった。
普段よりも多くのシティガードが配置されており、通常はあまり見かけない鉄の監視団と呼ばれるレーヴァの部隊も展開していた。
その街中を周囲の様子をさほど気にすることなく、一人の人影が進む。
クロークを深くかぶり、顔は確認できない。その人影は中央広場のマーケットを回り、この街を統治するシティローズの邸宅、“キャッスル”の正門まで進むと、堂々と門を開けて中に入る。
そして建物の正面へ真っすぐに向かった。
正門付近にも、そして中庭にも、警備のためのシティガードがそれなりの数いたが、誰もその人影に注意を払う者はいなかった。
その人影はごく自然に建物へと入り、ホールから階段を上がり右側の棟へと進んでいく。
長い廊下を進み、一番奥まった場所にある扉の前に立つと扉をたたく。
「デューザル卿、私だ。今戻った」
「入りたまえ」
人影は扉を開けて中へと進む。
そこは豪華な造りの執務室だ。
人影は後ろ手に扉を閉じ、深くかぶっていたクロークから顔を出した。
「首尾は上々のようだね、ケイトリン」
「当然だ。私の腕は知っているだろう?
ご要望通り、私の矢は彼の胸を貫いた。
特別な矢だ。簡単には抜けない。助からないよ」
「君の腕は確かに見事だったよ。
監視も君と同じことを口にしている」
「監視だと? 信用していなかったのか?」
「もちろん信用していたさ。だが……不思議なことが起きている。
アレン・ディープフロストは、まだ死んでいないようだ」
ケイトリンの表情が怒気を孕むものに変わる。
「難癖をつけるのか?
私は貴殿の望み通り仕事を果たした。
貴殿も約束通り、契約に従うべきだ」
「まあ、あの男には月の神の加護がある。
簡単には死なないかもしれない。
確かに君は注文通りの仕事をした。
約束の報酬は支払うべきだ」
そう言うとデューザル卿は4冊の重厚な造りの本を取り出して、自分の執務机の上に並べた。
「ご所望の『叡智の書』だ。この通り4冊ある。好きな1冊を選びたまえ」
「……4冊、だと?」
「左様。叡智の書というのは、4冊をまとめた時の呼び名だ。
報酬の約束は1冊。君が手にできるのはこの中から1冊。それが契約だ」
「ちょっと待て、貴殿は叡智の書を渡すと言ったではないか」
「いや、そこは正しく覚えているよ。叡智の書を1冊渡す、と言ったはずだ」
「最初から叡智の書は渡さないつもりだった、そういうことか」
「いやいや、ちゃんと最初から1冊渡すつもりでいたさ。それに君もオリジナルを……ああ、目にできなかったのか。
月影の司教たちは2人とも、4冊存在することを知っていたはずだがね。
君は知らなかったのか」
「……」
「4冊のどこかに、エルフの森を再生する『生命の木』に関する記述があるかもしれない。
もっとも、内容は高度で複雑だ。
150年かけた私でも、すべての内容を理解はできない。
ある意味ギャンブルではあるな。
だが、4冊のうち、『地の書』か『命の書』がその可能性が高いのではないかな?
さあ、遠慮なく、好きな1冊を持っていくがいい」
「貴殿は、『生命の木』に関する記述があるといったはずだ」
「10年前のこととなると、君の記憶はかなりいい加減だね。
『生命の木』につながる情報があるかもしれない。これは一語一句正しいはずだよ」
「貴殿は森をよみがえらせるための協力をすると……エルフとして放っておくことはできないと……」
「ああ、その件に関しては、正直私はどうでもいい。エルフはいずれ種族として終わりを迎える」
「貴様!」
ケイトリンは素早く矢をつがえた弓を構える。
文字通り一瞬だった。
だが、デューザルはそれに動じる様子はない。
「やめなさい。せっかく円満に契約が満了しようというのに、自らそれを反故にすることはない。
君は約束通り、この中から1冊を持って、ここを立ち去るといい。
君の10年の契約は終わるんだ。本音を言えば、1冊だって渡したくはない。
これは私の君への感謝のしるしなのだよ」
「ふざけるな! 最初から私を騙すつもりだったのだろう!」
「人聞きが悪いな。私は一語一句正しいことを口にしているんだ。
君が勘違いしただけではないか」
「4冊とももらっていく」
「……この4冊は写本だ。予備もあるので、4冊持って行っても構わない。
と言いたいところだがね。
4冊の内容を知るものが私以外にいてはならないんだ。わかるかな?」
ケイトリンは躊躇うことなく矢を放つ。素早く2射目、3射目と。
1射目は3本、2射目は1本、そして3射目は3本と複数の矢が放たれ、
すべての矢が額と両目、左右の胸、喉、胸の中央、鳩尾と、影矢も含め8本の矢がすべて正確に急所を射抜いた。
「最初から人をだますつもりだった、あんたが悪い」
ケイトリンは一歩踏み出す。
次の瞬間、目の前で執務机が裂けると、複数の黒い刃がケイトリンに向かう。
ケイトリンは一撃目を体をひねって躱し、横に大きく跳びながら2撃目、3撃目を躱しきった。
いや、完全に躱すことはできずに、左腕に刀傷が残る。
「本当にいい腕をしている。
殺すには惜しい。
ここで再契約といかないか?
正式に私のしもべとなれば、生かしてやってもいい」
「誰が貴様のしもべなんかに!」
「そうか。ではその気になるまで、時間をかけるとしよう。
契約には本人の意思が重要だからね」
矢が刺さったままデューザルは立ち上がると、両手をケイトリンに向ける。
そして小さく呟いた。
「死霊の手」
デューザルの手から無数の鞭のようなものが次々と放たれる。
ケイトリンは回避しながら部屋の出口へと近づいていく。
後ろ手に扉の取っ手を掴んで扉を開けようとした。
「残念だったね」
デューザルの言葉と同時に握った扉の取っ手がケイトリンの手を掴み、さらにデューザルから延びる複数の黒い鞭のようなものが、四肢を捕らえ、締め上げた。
「ぐあぁっ!」
堪らず苦痛の声を上げるケイトリン。
それを聞いたデューザルは、矢が突き立てられたままの顔で笑った。
「いい声だ。だが……
汝、自ら死を選ぶことなかれ。神の制約」
「何を…した……」
「死なれちゃ困るのでね。
自殺できないようにさせてもらったよ」
「つまらんことをするな! さっさと殺せ!」
「活きが良いのは、長く楽しめるということだ。君の気が変わるまで、付き合おうじゃないか」
デューザルは矢を抜くこともなく、口元を歪めながら舌なめずりをした。
「バケモノめ……」
「褒め言葉と受け取っておくよ」
ケイトリンの額を冷たい汗が流れる。
「絶対に諦めない……」
ケイトリンは自分にだけ聞こえる声で、そう呟いた。
「これは……かなり難儀なものを使いおったな……」
ガイアはアレンの胸の矢を詳しく調べてから呟いた。
「お師様、アレン様は助かりますか?」
コマリの問いかけにガイアが答える。
「通常の解析では、この矢の正体がわからん。
わしもこれが何なのか、想像がつかんのだ。
今日は用意しておらんが、わし以上の知識を持つ者に手伝ってもらわんことには、手の打ちようがない」
「Gちゃん、それって、遺物の類ってこと?」
ロアンが少し離れたところから問いかけた。
「それか、わしの知らぬ魔法によるものか……実体があるし、恐らくは遺物の類じゃろうな……ん?」
「お師様、何か?」
ガイアはその矢の矢羽根を見て気がついた。
よく見れば、矢に付けられている矢羽根の白と黒の細かい模様が3本とも完全に同じだった。
普通は鳥の羽を流用するので、完全に同じ模様はあり得ない。
ガイアは何か意図的なものを感じた。
「魔法解読!」
ガイアが呪文を放つと、矢羽根に魔法文字が浮かび上がる。
「矢筈を回せ……」
ガイアが口に出し、そのまま矢の弦につがえる最後尾をひねって回す。
するとその部分がくるくると回りながら外れた。
矢の中は空洞になっており、何かがある。
ガイアはテーブルから鑷子を手に取って、その空洞を探る。
するとそこから小さく巻かれた紙が出てきた。
すぐにそっと開いていく。
そこには小さな文字でびっしりとメッセージが書かれていた。
―
この矢は心の牢獄と呼ばれるアーティファクトだ。
私の目的のためにアレン君にはしばらく眠ってもらう。
30日で効果が切れるように設定してある。彼に実害はないはずだ。
極めて高価な品だ、再利用ができる。
お詫びのしるしに受け取ってくれ。
アレン君が目を覚ますころには、私は主大陸に戻っているはずだ。
君たちが私の顔を見ることも二度とないだろう。
身勝手で申し訳ないとは思っているが、これも私の目的のため。
許してくれとは言わない。
だが、君たちの友人でありたいと今でも思っている。
ケイトリン
―
「ケイトリンめ、勝手なことばかり言いおって……」
「ひとまずは安心して大丈夫、ということですよね?」
「……恐らくな。ケイトリンとて、ここまでして嘘はつくまい。
命に別状はないとして……30日か。
その間に何事も起きない、ということはないじゃろうな」
「良かった……」
コマリはその場で静かに涙を流す。
「安堵するのはまだ早い。
今のところアレンは生きておるが、黒幕がそれを知ったらどう動くかは分からん。
ケイトリンはデューザル卿から仕事を受けておると以前言うておったろ。
ケイニスとも繋がっておるようじゃし、山岳地帯の一件がデューザル卿に伝わったのも間違いなかろう。
黒幕は決まりじゃな」
「デューザル卿が、アレンを殺そうとした……理由は?」
デニスがガイアに尋ねる。
「そんなもん、わしにもわからんわ。
まあ、ケイニスの邪魔をしたのが気に食わなかったか、別の意図があるのか。
ここはひとつ覚悟を決めるか」
「覚悟を決めるって? Gちゃんまさか、殴り込んだりするの?」
「相手の手の内が見えん。
いかんせん情報が少なすぎる。
塔を引き払い、ラッシャキン達と合流して、セーブポイントに戻る。
これが正解じゃろうな。
まあ、覚悟を決めるかと言うたのは、別の意味じゃが」
「結局なんなの? 勿体ぶってないで教えてよ」
「そこに寝ておる男を起こす。
それも、魔法で眠らされておるのか、ただ眠っておるのか……
いずれにせよ解呪すれば、起きるじゃろう」
ガイアの視線は研究室の隅にある、動物用の檻の中に横たわるハーバーマスターに向けられていた。
「まずはこの男から情報を取る。それが一番早かろう。
なんせ、デューザルの手下じゃからな。
危険は伴うが……背に腹は替えられん」
ガイアの瞳に冷徹な光が見えた。
ロアンもコマリも、彼女たちの知らないガイアの表情に、かけるべき言葉を失う。
二人には、ガイアが少し怖く見えたのだ。




