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閑話 リオン・アシュフォード

閑話を挟んだ後、第二部に入ります。

 リオン・アシュフォードの人生は、危険と苦難に満ちていた。

 

 二歳。乳母の一人の誘導で拉致され、ナイフで滅多刺しにして殺されかけた。

 四歳。ゆっくりと死ぬ毒を盛られて、一晩中生死の境を彷徨った。暗闇の中に、ずっと恐ろしい幻覚を見続けていた。

 五歳。ずっと信じていた教育係に裏切られ、心臓を魔法で貫かれた。無理矢理の救命魔法をかけられたため、高熱を出して、一週間昏倒していた。

 七歳。媚薬を二度盛られた。ずっと歳上の女性に襲われそうになり、逃げて、一人で何時間も苦痛の時間に耐えた。媚薬の抜けたリオンの体は、自分でつけた深い引っ掻き傷で、血だらけだった。


 いつしかリオンの精神は麻痺してしまい、大抵のことを気にしない性格が完成していた。そうでないと生きていけなかったのだ。

 リオンは自分の命のことを、いつかふっと失われてしまう儚いものなんだろうなと、漠然と思っていた。いつでも明るく見える彼の心は、その実、諦観に満ちていて、刹那的だったのだ。

 彼は度量が大きいと、周囲から褒められることが多かった。しかしその代わり、何事にも執着できなかった。


 八歳。また毒を盛られた。今度は三日間、生死の狭間を彷徨い続けた。


 ここまできてリオンは、とうとう耐えられなくなった。公の場でも王妃や第二王子に怯えてしまうことがあり、平気な顔ができなくなってしまったのだ。

 だから、とにかく自分の命を脅やかす恐ろしいものたちから、逃げることにした。最初は田舎へ、それでも足りなくて、もっともっと遠くへ。そして結局、国外へと逃げた。

 危険の少ない国外は気楽で楽しく、リオンはそこで魔法の研究に夢中になった。


 自分の国で信頼できる人間は、父と、幼馴染のウィルバート、カイルだけだった。リオンは一見すると、柔和で人当たりが良かったが、その実ほとんどの人間を信用しておらず、距離を取るようにしていた。彼は酷い人間不信に陥っていた。


 媚薬を二度盛られて襲われかけてから、リオンは特に女性というものが苦手になった。お見合いも何度かさせられたが、着飾った年頃の女性の顔が皆同じに見えて、本当に困ってしまった。どうしても、相手に対して微塵も興味が持てないのだ。そして女性から触れられたりすると、突然、あの暗闇で襲ってきた女の肌が蘇る。このトラウマのせいで、慌ててお見合いの部屋から退き、ひどく吐くこともあった。

 


 だから――――リオンにとって、初めてだったのだ。あんなに、女性のことを綺麗だと思ったのは。


 か弱い者を庇い、自分はいくら殴られても構わないとでも思っているかのような、強い眼差し。

 彼女は明らかに自分より強大な者に少しも怯まず、逃げなかった。

 その意志の込められた青い目の煌めきが、あんまり眩しくて。綺麗で。美しくて。

 怯えて、逃げて、諦めてばかりの自分とは、まるで正反対で。強烈に焦がれた。

 


 リオンは、シャロンに一目で見惚れて――――初めての、激しい恋に落ちたのだ。

 


 その日以来リオンには、シャロンだけがキラキラと輝いて見えるようになった。男装していたって、何をしていたって、シャロンは美しかった。まるで彼女の心のありようが、外まで溢れ出ているようで。眩しくて、綺麗だった。


 リオンはただひたすら、シャロンに振り向いて欲しかった。どうしても、彼女だけが欲しかった。だから、思いつく限りのあの手この手を使って、求愛しようとした。しかし、誰かを口説くのなんて全くの未経験だ。結局リオンには、ただ何度も真っ直ぐに想いを伝えることしか、できなかった。


 不思議と、シャロンにだけは触れても平気だった。それどころか、もっと触れていたいと思った。そのほっそりした白い手を、愛おしいと思った。触れた場所が熱くて、心臓が煩く高鳴った。リオンの体はシャロンのことだけを、他とは全くの別ものとして認識しているらしかった。

 

 そして、シャロンにも弱い部分があることを、リオンは次第に知っていった。どうやら彼女は女性としての自分の姿や、自分自身のことがあまり好きじゃないらしかった。

 なのにシャロンは他人のことになると、とても一生懸命で熱心だった。ファンの女の子の一人一人のことすら、よく見て優しく接したり、心配したりしているのだ。

 他人を懸命に大切にするのに、自分を大切にできない。そのちぐはぐさが、愛おしいと思った。やっぱり、リオンとは真逆だったから。シャロンが大切にできない分も、リオンが守ってやりたいと思った。

 シャロンを知れば知るほど、リオンの中の恋の炎は、激しく燃え上がった。誰かを守りたいなんて強く思ったのも、初めてのことだった。


 遭難して、山小屋で一夜を明かした時。

 毛布にくるまったシャロンの白い肩を見たリオンは、自分が激しく欲情していることに気がついて、心底動揺した。媚薬のトラウマのせいで、自分に誰かを抱くことは一生難しいのかもしれないと思っていたからだ。

 しかしシャロンを前にすると、そんなことすら微塵も関係ないようだった。何もしないと約束したリオンは、その約束を遂行するため、頭の中で懸命に素数を数えながら過ごしていた。自分が女性の肌を想像して欲情しているなんて、多分一年前の自分に言っても、信じなかっただろう。


 シャロンを前にすると、次々と未知の感情が湧いた。

 

 好かれたい。

 愛されたい。

 優しくしたい。

 知りたい。

 守りたい。

 触れたい。

 触れたい――――他人が知らない、奥深くまで。


 それは、リオンが初めて経験した『執着』でもあった。


 だからシャロンが、自分のために命を危険に晒した時。リオンは思い切り、怒ってしまったのだ。

 普段、リオンはどんなことがあっても……例え自分の命が狙われたって、怒る気なんて全く起きないというのに。

 リオンにとっては、それだけシャロンが大切で、大切で。もはや自分の命よりもよっぽど、守りたい存在になっていたから。

 だから、リオンが制御できないほどの激しい『怒り』に包まれたのも、あれが初めてのことであった。


 そして、シャロンに「愛してる」と言われた瞬間――――リオンの世界は、文字通りひっくり返った。

 正直リオンは、自分のような人間が、シャロンに好きになってもらえるとは思っていなかったのである。

 それは、これまで諦観に溢れていたリオンの人生に、光が差した瞬間だった。

 リオンの心は、溢れるほどの幸福に包まれた。これまで生きていて、そんな大きな幸福に包まれたのも、やっぱり初めてのことだった。

 


「…………こんなだから。多分、俺は君が思っているような……立派な人物じゃないんだ。皆が思っているように、感情豊かでもないし。君を、がっかりさせたかな……」


 リオンは弱々しい声で、自分のこれまでの本音を語っていた。

 リオンはシャロンの髪をすきながら、まるで自分の罪を語るかのように、訥々(とつとつ)と話をしていたのである。

 

 しかし、シャロンは困ったように眉を下げて言った。


「今の話の……どこで、がっかりするの?」


 リオンは少し、呆気に取られた。世間で受け取られているリオンのイメージと自分の本質は、かなり乖離していると思うのだが。

 しかし、シャロンは続けて言った。


「私は、いつでもリオンが真っ直ぐに私を見て、私の心ごと救ってくれたから……貴方を好きになったのよ。だから、今の話を聞いても、がっかりなんてしない。むしろ、私自身が思っていたよりもずっと、ずっと、貴方に深く想われていたんだなって分かった。だから……すごく、嬉しい」


 シャロンは睦み合って少しとろんとした青い目をさらに緩め、優しくリオンを見つめた。そうされるとリオンは、大声で泣き出したいような気持ちになってしまうのだ。


「リオンのことが知れて、嬉しかった。教えてくれて、ありがとう」

「シャロン……」

「貴方のことが、もっと愛おしくなった。また、些細なことでも、どんな気持ちでも、教えて欲しいな」


 リオンはほっとして、肩の力を抜いた。シャロンをぎゅっと抱きしめる。華奢で、柔らかい。愛おしさが止まらなくなる。


「シャロン……好きだ。大好きだ」

「うん……」

「俺と出会ってくれて、ありがとう……。俺に色んな感情をくれて、ありがとう……。君は、俺の光なんだ……」

「それなら、私にとっての光は、間違いなくリオンだわ」


 そう言ったシャロンの青い目は真っ直ぐで、嘘がなくて。リオンは彼女に一目惚れした遠い瞬間を、またはっきりと思い出した。

 リオンは湧き上がる幸福の大きさに目を細めながら、彼女の細い肩に顔を埋めた。そうして、少しだけ涙を零したのだった。

毎日19時更新です。

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