9 女性の姿で
「シャロン。良かったらなんだけど……今度の日曜、またデートしてくれないか?」
「うん。い、行くわ」
リオンが控えめに誘ってきたので、シャロンはすぐに頷いた。二回目のデートだ。それに、今度は交換条件などない。でも構わなかった。リオンは嬉しそうに笑った。
「嬉しい!魔法の特訓もあるのに、悪いな」
「ううん、息抜きしたいし……魔法は、リオンのアドバイスもあって上達してるから」
「じゃあ、頑張ったご褒美だな。楽しんでもらえるように努力する!」
このときシャロンは胸のうちで、とあることを決意した。
♦︎♢♦︎
「え……女性の姿で行くの?」
「うん。またデートに誘われたら、そうしようって、決めてたの」
シャロンはすぐ、親友のアーシャの元へ相談に来ていた。彼女はファッションセンスも確かなのである。
「というか、もう婚約破棄は成立したし、普段から男装する理由もないんだけどね……。一度始めたら、止められなくなっちゃって。何だか、怖くて……」
「シャロン……」
「私、女性としての自分の姿に、自信がないんだ。思ってみれば、ずっとそうだった……」
ライナスは、大嫌いな婚約者だったが――――彼に嫌われて否定され続けたことは、確かにシャロンの心に傷を残していた。
「でも、リオンなら……。リオンなら、女性の私も好きになってくれるかもって、思うの。だから、勇気を出したいんだ」
シャロンが真っ直ぐな瞳でそう言うと、アーシャはにっこりと笑った。
「そういうことなら、いっぱいお洒落しましょ!今日の放課後、早速服を買いに行きましょう!」
♦︎♢♦︎
約束の日曜日。
侯爵邸にやってきたアーシャに見守られながら、シャロンは買ってきた服を身に纏っていた。
「ど、どうかな……変じゃない?」
「シャロンにすごく似合ってるわ!貴女はスタイルが良いし美人なんだから、もっと自信持って!」
選んだのは、美しい瑠璃色のワンピースだ。スカート丈は長めの、綺麗な形のワンピースである。貴族女性は足を出せないので、キャメルのロングブーツも買った。ワンピースはオフショルダー型だ。だから、上からショート丈の白いカーディガンも羽織った。髪は腕の良いメイドに頼み、複雑に編み込んで、まとめ髪のスタイルにした。サイドの髪は垂らしてコテで巻いている。そして仕上げに一粒真珠の清楚なネックレスと、ピアスを付けた。
「シャロン、殿下がいらしたよ」
「ほら、行ってきなさい!」
「う、うん」
シャロンの心臓が、バクバクと嫌な音を立てる。
もしも、がっかりされたら……?リオンに女性の姿を見せるのは、これが初めてだ。彼が少しでもマイナスの反応を見せたら、立ち直れる気がしない。
「シャロン!」
だが、リオンはあっさりとシャロンの前に現れて、いつも通りの朗らかな笑みを見せた。
「やっぱり、シャロンは綺麗だな!」
「…………っ!」
「それに…………」
リオンは目元を赤くして、シャロンの全身を見てから――――赤らんだ顔のまま、ニッと笑って言った。
「今日はすごく可愛いから、少し緊張する……」
ドクン。
シャロンの心臓は、今までで一番大きな音を立てた。
この瞬間に、シャロンははっきりと自覚した。
――――私、リオンが好きだ。こんなに、好きになってたんだ…………。
途端にリオンがキラキラとして、いっそう眩しく見える。心臓がドキドキと煩い。今からこの人とデートだなんて、耐えられるのだろうか……?
シャロンがパニックになっていると、リオンは彼女に手を差し伸べて、柔らかな声で言った。
「さあ、行こう」
シャロンは、夢見心地でその大きな手を取ったのだった。
リオンにエスコートされてやって来たのは、王都の大通りにあるカフェだった。
「この間シャロンと買い食いした時、甘いものが好きみたいだったから。今日は、ケーキの美味い店にしてみた!甘党のカイルに、おすすめを聞いたんだ」
「わあ。すごく素敵なカフェね……」
ほんのりと桜色の壁に、大理石の床。桜色の調度品たちに合わせて置かれているのは、ターコイズブルーの一人がけソファ。そこは乙女心を刺激する、可愛い空間だった。
「カイルは一人でも来るらしいが、俺はそんな勇気ない。だから、一緒に来られて嬉しいよ!」
「カイル様……一人でここに来るのは、確かにすごい強心臓ね」
客層はそのほとんどが、カップルか女性客だ。二人は奥の個室に案内されて、ゆったりと座った。リオンは早速メニュー表を渡してきた。
「俺は沢山食べられるから、好きなのを好きなだけ頼んで良いぞ」
「ありがとう。わー!どれも美味しそう……!!」
色鮮やかなケーキのイラストが描かれたメニューに夢中になる。選びきれなくて、四つも頼んでしまったが、リオンは「四つで良いのか?」と意外そうだった。一体何個食べる気でいたんだろう。
ケーキを待つ間、リオンがしみじみと言った。
「俺はシャロンが、どんな姿でも好きだけど……やっぱり、今日は特別可愛いな」
「…………っ」
「俺のためにお洒落してくれたんだなって、思った。だから、すごく嬉しい」
「…………うん」
シャロンは一気に、林檎よりも真っ赤になってしまう。好きと実感してからのリオンの直球の口説き文句は、あまりにも心臓に悪すぎる。今まで一体どんな風にこれをかわしてきたのか、全然思い出せないのだ。
シャロンは一生懸命話題を変えた。
「そ……そう言えば、魔法対抗戦、もうすぐね!」
「ああ。そうだった。シャロンに一つ提案があるんだが……」
「何?」
「魔法対抗戦、俺とペアを組まないか?まだ、相手が決まっていなければだけど」
「えっ……」
それは意外な申し出だった。魔法対抗戦はペアを組んで戦うのだが、あれは観客が沢山来る、対外的にも大きなイベントだ。王太子として実力を示すための、絶好の場でもある。てっきり、リオンは護衛騎士のウィルバートと組むものと思っていた。
「私じゃ、実力不足じゃない?リオンの足を引っ張っちゃう……」
「そんなことない。それに、シャロンを守って戦う方が俺は頑張れる!なに、ちゃんとした理由もあるぞ。ウィルと組むと戦力が集中しすぎて良くないなと、前々から頭を悩ませていたんだ」
「まあ確かに、一年生の間では二人の実力が突出しているからね……」
「そういうわけで、どうだ?」
シャロンは嬉しくなった。だって、そうすればリオンを守って戦えるのだ。
「私で良ければ、喜んで」
「やった!」
リオンはからりと笑った。やっぱり彼の笑顔は眩しい。温かなお日様みたいだと思う。
そんな話をしているうちに、ケーキとコーヒーがサーブされてきた。
「わあ、絵の通り綺麗。美味しそう!」
「うん、良いな」
シャロンは早速イチゴのショートケーキを一口取り、口に放り込んだ。まるで淡雪のように溶けていく。
「美味しい……!」
「ふは。シャロンは、本当に美味しそうに食べるな!」
リオンはにこっと笑ってから、自分も上品にケーキを取って食べた。大柄なリオンだが、やはり王太子なので所作がとても綺麗だ。大きな筋ばった手が、もう一口分フォークで切り取る。シャロンがその動きにぼうっと見惚れていると、ひょいとケーキの乗ったフォークを差し出された。
「へっ!?」
「はは!食べたいって、顔に書いてあった。どうぞ?」
「う、うん……」
恐る恐る口を開けて近づき、それを含んだ。ドキドキしすぎて、味がよく分からない。
「美味しい?」
「ん……よく、分からなかった」
「じゃあ、もう一口」
リオンの手が動き、もう一口目の前に出される。シャロンは、ひええと思いながら口にした。
「お、美味しい……」
「良かった!こっちのチーズケーキはどうだ?」
にこにこと別のケーキを取って、差し出してくるリオン。シャロンは結局、無邪気な彼にあーんされ続けてしまった。とても心臓に負担のかかる時間だった。
シャロンのお腹がいっぱいになると、残りのケーキはあっという間にリオンが平らげてしまった。彼は背が高いとはいえ、スラリとしているのに、一体どこへ入るんだろう。
「この後なんだけど、今日はマダムチェルシーの……アトリエじゃなくて店の方に、予約を入れてあるんだ」
「本当!?」
「男装の格好良い服を色々着て買うのも、楽しいかと思ったけど……折角だから、ドレスを見よう!マダム本人も顔を出して、見立ててくれるって言っていたしな」
「そっか。ふふ、楽しみだな……」
ドレスを選ぶのが楽しみだなんて、生きてきて初めてだ。ヒラヒラフリフリした流行りの形は、どれも背の高いシャロンに似合わなくて、今までは憂鬱な時間だった。でもリオンとなら、きっと楽しい。シャロンはそう確信できた。
「いらっしゃい♡シャロンちゃん!今日は、女の子の格好なのね。その姿も、とっても素敵だわ〜!思った通りよ!!」
「あ、ありがとうございます」
店に行くと、マダムチェルシー本人に歓迎された。彼女は前回と打って変わって、今日は男装していた。白銀髪を短く刈っているので、とても似合っている。
「流行りのゴテゴテしたのより、貴女はスタイルをそのまま活かせる服の方が良いわね。オススメが沢山あるの!いらっしゃい」
「シャロン、ゆっくり選ぼう」
「うん……!」
リオンに手を引かれて、シャロンはドレスの海に飛び込んだ。
そこからは、とても楽しい時間だった。マダムチェルシーのセンスはさすがで、新しい形のドレスや、洗練されたデザインが沢山あった。シャロンは根本的に服が大好きなので、とても楽しんであれこれと試着したのである。
それに、シャロンが何を着てもリオンは顔を輝かせて、「綺麗だ!」「可愛い!」と思い切り褒めてくれた。リオンといると、シャロンは少しずつ自分を好きになれるような気がした。
「良いものを仕立ててもらえることになって、良かったな」
「結局、リオンに買ってもらっちゃって……あの、ありがとう……!」
「だって、俺の目の色のドレスだぞ?贈りたいに決まってる!」
「ん……」
シャロンは結局、一着のドレスを仕立ててもらうことになった。
それは、リオンの目と同じ翡翠色のドレスだった。縦のラインを強調するホルターネックのデザインで、マーメイドラインのスカートが美しかった。スカートには途中から切れ込みが入り、大ぶりのフリルになっていて、中から白いプリーツが覗いているのだ。まるで逆さにした白い花のようで、とても綺麗だった。リオンがプレゼントすると言って譲らず、結局贈ってもらうことになった。
「何だか今回も、私の好きなものばっかり見せてもらって……ごめんね?」
「?俺は、好きなものを見てるよ」
「え……?」
「嬉しそうにする、シャロンのことを見てる。俺の一番、好きなものだ」
「……!」
やはり、リオンには敵わない。シャロンは再び真っ赤になって俯き、もにょもにょとお礼を言ったのだった。
♦︎♢♦︎
その晩、シャロンは布団の中に入ってぐるぐると考えた。
――――私は、リオンが好き。リオンといると、幸せ。今日も、とても楽しかった……。
だが、王太子妃になるという覚悟は、まだ完全にはできていない。シャロンは今日、やっと気持ちを自覚したばかりなのだ。
それに、原作ゲームでリオンが死亡するルートがあるということも気になっている。
あともう少しだけ、腹を括るための時間が欲しかった。
――――魔法対抗戦が終わったら、気持ちを伝えよう。今までリオンが伝えてくれた分、私も沢山返そう……。
シャロンは布団の中で寝返りを打ちながら、そう決めた。
そうしてリオンと繋いでいた手の温度や、微笑む彼の顔などを思い返しながら、温かな眠りについたのだった。