第七話 狂化
逃げ惑う第三師団『炎華』の兵士たちの前に現れた人物の顔を見て『炎華』の師団長、焔獄は一瞬、戸惑った。
「月読!? まさか……いや、月闇か? 」
焔獄の慌てた様子に呆れて月闇が口を開いた。
「双子やから見間違えてもしゃぁないけど、普通に考えてみぃ。こないな所に妹が来る訳、ないやろ? それより、この場をなんとかせんとあかんな。武技解放!狂化睡月! 」
まるで燐光のようなぼんやりとした光が広がり『炎華』の兵士たちを包んでゆく。すると兵士たちは逃げる足を止め踵を返す。その兵士たちの真っ赤な目を見た鳥鳴が眉を顰めた。
「あれは……武技に妖術を合わせている? 」
「へぇ、目敏いねぇ。さすが仙術使いだ。まぁ暫くは、うちの狂化兵士の相手でもしたっといてぇ。」
狂化兵士たちは手に手に武器を携えて迫って来る。その間に月闇は焔獄の手を引く。
「何をする!? この焔獄、兵士たちを捨てゴマにするような…… 」
「この状況で何言うてんねん? 相手の方が武技解放出来るんが倍居るねんで? おまけに流花が白桜姫を抜いたとなったら逃げるしかないやろ? 華京かて武技解放出来る人材は貴重なんやから、焔獄だけでも逃げな、しゃぁないやろ! グダグダ言うと、あんさんも狂化してまうで! 」
月闇の勢いに圧されて焔獄は撤退した。竜斗が後を追おうとしたが狂化兵士たちが立ち塞がる。
「こうなりゃオイラが武技を解放して…… 」
「おやめっ! 」
黒竜を構えた竜斗を鳥鳴が止めた。
「なんで止めんだよ大先生? あいつら逃げちまうだろ! 」
「こいつらは逃げ出そうとしてた。つまり、もう戦意は無いんだ。あの月闇とかいう奴に操られてるだけなら療師として傷つけさせる訳にはいかないねぇ。」
「んな事、言ってこいつらに押しきられたら本末転倒だろ? 」
「なら任せろっ! 」
歩み出たのは雷庵だった。
「速きこと雷光の如く、轟くこと雷鳴の如し。眩きこと落雷の如く、猛きこと雷獣の如し…… 武技解放! 感電呪縛! 」
雷庵の銃から放たれた雷撃が狂化兵士たちを包囲するように広がり感電させて自由を奪ってゆく。そして全ての兵士たちがその場に倒れ込んだ。
「おいおい……そんな武技なら、なんで今まで使わなかったんだ? 」
竜斗が今までの苦労はなんだったんだと言わんばかりに雷庵に詰め寄った。
「偶々だ、偶々。あの月闇って奴がバラバラだった兵士たちの意思を無理矢理1つにしやがったからな。人の思考を網目のように伝わる武技にとっちゃ好都合だったって訳だ。ガッハッハ! 」
「確保ぉっ! 」
突然、澄んだ力強い声がしたかと思うと突如現れた兵士たちが動けなくなった華京の兵士たちを捕縛し始めた。
「おやおや。その紀章、あんた執星官だろ? 善良な村民に一国の一個師団の相手をさせといて手柄だけ横取りかい? 」
執星官を相手にしても鳥鳴は怯む事はない。その態度を見て執星官は笑みを浮かべた。
「あなたが療師の鳥鳴さんですね。弟の言っていたとおり毅然としていらっしゃる。」
「弟? 」
「申し遅れた。私はこの辺の執星官を務める山紫陽花。この村の星務官、山紫水明の姉です。」
「星務官様のお姉さま!? これは、とんだ御無礼を。星務官様には日頃よりお世話になっております。」
水明の姉と聞いて恭しく陽花に頭を垂れた鳥鳴だったが、陽花の視線は他所に向いていた。
「何かお探しですか? 」
鳥鳴の問い掛けに陽花は残念そうに溜め息を吐いた。
「はぁ…… 弟は何も言わなかったけど文官から龍の刃紋のついた黒い刀を持った黒ずくめの男が現れたと知らせがあったの。黒竜の所有者は要監視対象だからね。でも逃げられちゃったみたいね。華京の一個師団を相手に出来るような武技解放者が複数居るなら逃げる隙もあったでしょうしね。」
陽花に言われて鳥鳴も辺りを見回す。案の定、流花の姿も消えていた。そして視線の先に緋女を捉えた。
「お前さん、流花の知り合いなんだろ? あの娘はここにいた方が安全だと思わなかったのかい? 」
鳥鳴に言われても緋女は当然のように首を振った。
「だって流花だもん、自分の安全より自分が居る事でこの村が狙われる方が嫌に決まってるじゃん。オバさんに流花から伝言。短い間でしたがお世話になりました。治療費はいつか必ずお支払いに伺います、だってさ。伝えたからね。」
「お待ち! 」
流花からの伝言を伝えて立ち去ろうとした緋女を鳥鳴が呼び止めた。
「お前さん、まだ名前を聞いてなかったね? 」
「あたし? あたしは緋女だよ。」
「なら緋女、流花に伝えとくれ。お代の心配は要らないから、好きな時に帰っといでってね。それからオバさんじゃなくて鳥鳴さんとお呼び! 」
「確かに伝えとくよ、鳥鳴……オバさん! じゃあね! 」
鳥鳴に怒られないうちにと云わんばかりに緋女は走り去っていった。
「流花さん? 弟も文官からも聞いていない名前ね。鳥鳴さん聞かせて貰える? 」
しかし鳥鳴は首を振った。
「流花がこの村を守る為に出ていったっていうのに流花を売るような真似は出来ないね。」
「承知しました。」
「役人にしちゃ、やけに素直だねぇ? 」
「私、弟のに嫌われたくないの。たった1人の肉親だもの。」
「……なるほどね。」
『炎華』の兵士を連行していく陽花を鳥鳴は一礼をして見送った。