第十三話 白桜
急に匂いを嗅がれ始めたものだから流花は慌てて後退った。
「や、やめよう! 山道走って来たから汗臭いよ。ね、だから、ダメだってば! 」
樹を背にしてしまい逃げ場の無くなった流花に対して狸晏は構わず匂いを嗅いでいた。心狐も反対側から確認するように匂いを嗅いでいた。
「緋女ちゃん、助けてよぉ!」
どう見ても心狐にも、敵意も戦闘力も無さそうなので緋女はクスクスと笑いながら様子を見ていた。すると2人はほぼ同時に何かに思い当たったらしくポンと手を叩いた。
「村の御神木の匂いだ!」
「村の白桜と同じ匂い!」
今までの2人の様子からすると白桜というのが御神木なのだろう。白桜というのは幾つかの植物の異名として用いられるが御神木というくらいなので深山桜だと流花は思った。確かに深い山奥に咲くような桜なので地理的には不思議もないのだが、それと自分の匂いが似ているというのが、よく分からなかった。
「御案内するので村長に会って頂けますか? 」
「案内するから村長に会ってもらえますか? 」
やはり同じような事を言っても揃う事はないらしい。あまり長居は出来ないだろうが月奈の事を考えると食事と寝床は欲しかったので流花と緋女は顔を見合わせて頷いた。
「それじゃ、お世話になります。」
三人は心狐と狸晏に続いて村に向かった。といっても整備された道はなく獣道のような道で心狐たちはスイスイと進むが流花たちはそうもいかない。
「もう少し、ゆっくりになりませんかぁ? 」
流花が月奈の手を引きながら訴えた。
「あんまり、のんびりしてると村に着く前に日が暮れちゃいますよ? 」
「狸晏、私たちと違って慣れない道だし小さい子もいるんだから気を遣いなさい! 」
心狐に窘められて狸晏は頬を膨らませた。それでも歩調を緩めて貰い、なんとか無事に村に辿り着く事が出来た。そして村の入り口で異様な光景を見る事になる。それは月奈が村に入った瞬間の出来事だった。
「取れた!」
「取れた!? 」
珍しく心狐と狸晏が異口同音に声を挙げた。村の中に入った月奈は村の外に影を置き去りにして、その場で意識を失ってしまった。
「月奈ちゃん!? 」
地面に倒れ込む前に流花が抱き止めたが息はしているが返事はない。村の外に残された月奈の影に向かって緋女が身構えていた。すると影から声が聞こえてきた。
「クックック……まさか、山奥の村にこんな結界が張られているとは思いもよらなかったよ。」
月奈の影から陽炎のようなものが立ち上ぼり、やがて人の形を成してゆく。
「初めまして……でいいのかな? まあ、こちらは流花が沙久楽の郷に流れ着く前から待っていたんだけどね。」
それを聞いて流花が驚きの声をあげた。
「わたしが……流れ着く前から? 」
「そう。月読が天啓を受けてね。まあ川を流れてくるとは思わなかったけど、あの村に現れる事は分かってた。そやさかい月闇とは別に指示を受けた、この月影さんが拐ったその娘の記憶を消して影に潜り込んで待ってたんよ。あそこの星務官や療師は変に勘がいいから人格はあの娘のままで、あんたらの行動を流してただけやけどね。」
「それじゃ月奈ちゃんは…… 」
ワナワナと震える流花の様子を見て月影は笑いを堪えきれない様子だったが、それが流花の怒りの火に油を注いだ。
「月奈……ねぇ。それ、わてが適当につけた名前だし。でも元の名前も分からへんし、月奈って事にしとこか。もう、何処で拐ったんか覚えとらんし。ともかく月奈が流花に懐くように仕向けて、村を出るようなら着いていくようにしたんよ。ここまでは予定どおりやったんやけど……でも、わてが離れたから長くはないやろうけど。」
「許せない…… 貴女だけは許せない…… 武具顕現!白桜…… 」
「お待ちっ! 」
白桜姫を顕現させようとした流花の手を懐かしい声が止めた。
「え!? ……鳥鳴先生!!」
そこに居たのは紛れもなく沙久楽の郷の療師、鳥鳴だった。
「どうして鳥鳴先生が此処に? 沙久楽の郷を留守にして大丈夫なんですか? 」
「お前さんが武技解放したら、ここの村まで吹き飛ぶんじゃなかったのかい? 」
鳥鳴に言われて、流花は危うく心狐たちの村を消し去る手前で踏み留まる事が出来た。
「今は月奈の命を救うのが先だ。流花、手伝っておくれ! 」
「え、でも…… 」
流花の不安を振り払うように上空から降ってきた漆黒の刀が地面に突き刺さる。
「悪い。大先生が遅くってよ。」
「お前さんみたいに流花が居る場所なら、何処でも飛んでいける訳じゃないんだよ! 」
まるで竜斗が遅くなったのが自分の所為のように言われて鳥鳴も語気が強くなった。
「月奈の命を救うだって? そんな事が出来る訳がないやろ! 」
「わたくしの仙術を侮るんじゃないよ。そもそも月奈が沙久楽に来た時から妙な違和感はあったんだ。時々、二重にぶれるようなね。最初は気の所為かとも思ったけど、流花と初めて会わせた時に月奈に重なってた気配がハッキリ感じ取れた。でも人格が月奈のまんまってのは上手い手だったよ。目的が読めなかったから泳がせといたんだ。端的に言えば怪しいと思ったから事前に手は打っておいた。どうやら、お前さんは気づいていなかったようだね。」
鳥鳴の視線に苛立ちを覚える月影だった。




