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レイニーレイニー  作者: 田代夏樹
8/12

感性

 正門にはまず零士がやって来た。零士がヘルメットを脱いですぐ栞がやって来た。

「おっす! 本当に今日も降るのかな?」

今はまだ雨は降っておらず、青空が広がっている。

「おはよう。ここは良さげだけど、南に下るほど降りそうよ? 私の予想だとね。麗奈先輩はどう予想したのかしら?」

十三時の集合時間ぴったりに麗奈はやっていた。

「おはよう! 昨日はありがとうね」

「どういたしまして。これでレイニーの名は俺が引き継ぎますから。あ、そうそう、聞きましたよ、レイニークィーンの名の由来。新谷さんの追いコンで、本当にレースクィーンのコスチューム着たんですってね」

「止めて、恥ずかしい。あれはノリでやっちゃってけど、私の黒歴史だから」

「今度写真見せて下さいよ」

「お断り!」

「麗奈先輩、すごく似合ってたと思いますよ。っていうか、今でも絶対似合いますよ」

「まあ、栞ちゃんまで! あの頃はまともな精神状態じゃなかったからね。ほんと心の隙を突かれて騙されたわ。お願いだからその話題は封印して。さあ、出ましょう」

「雨、降りそうですか?」

「夜ね。戻って来るときは雨雲と競争になると思う。南の方から北上すると読んでるわ」

「とりあえず、串本へ出れば良いんですよね?」

「そう。串本か、田辺、白浜の間になるかも。五時半にはロケーションポイントを見つけたいわね」

零士がキックでエンジンを掛ける。すぐ横で栞がセルを回す。二台のバイクが目を覚ました。三人はアイコンタクトでスタートした。


 いつものように麗奈、栞、零士の順で走った。青空の下、ヘルメットで切る風はまだ冷たいものの、春が確実に近づいているのが実感できた。冬用のジャケットもパンツも、こうして日の高い時間は少し熱い。とは言え、日が傾くと一気に気温は下がる。寒暖差が大きく、ライダー泣かせの時期でもあった。

 栞の反り腰はすっかり矯正されていた。おおよそ一年前、峠に入る度に走りたくないと訴え、コーナーの度に停止寸前まで減速していたのが嘘のように、堂々とコーナーを曲がっている。串本までは高速道路を使って、片道で250kmを余裕で超える。京滋バイパスから第二京阪、近畿道、阪和道を使うルートだ。時速百キロ前後でクルージングしながら渋滞に悩まされることなく、三人は走った。栞は高速走行でも危なげなく走った。二度の休憩を挟み、南紀白浜のインターチェンジで降りたのが十六時。そこからは海岸線を国道で走った。時々麗奈がバイクを止め、スマホで気象データを見たり海岸線を覗き込んで、そして結局南串本まで来た。十七時十分。無料の駐車場にバイクを停めて、カメラを持って最南端の碑を越え、芝生の上を磯まで歩いた。歩く途中、遠く南の方に黒い雨雲が見えた。そしてその下にグレーのカーテンのようなものも見えた。

「あれ、雨雲ですよね? あそこだけ垂直に黒っぽく見えるのは、あれ、雨ですか?」

「そうよ」

「うわ、あんなに! 降っているところと降っていないところって明確に別れるんですね」

「海だと遮蔽物がないから解り易いわよね。あの下はきっと土砂降りよ。この距離ではっきりと判るくらいの明暗だから。・・・陸にいても雨の切れ目って解るところもあるけど、こんなにはっきりと見えるかどうか。ただ、雨の中にいる時はどこが切れ目だかは目視できないわ。雨の外から見てるからこそね」

西の空に太陽はあったが、雲に隠れていた。

「あっちの雲の下に太陽が沈むと、東の雨雲の北側に虹が見えるはずよ。角度が低いからくっきりとは見えないかも知れないけど」

 磯まで来ると、麗奈と栞がカメラを構え、暫くすると西日が射しこんだ。

「あ、見えた。虹!」

「夕陽が、沈んでいく・・・海の中へ、沈んでゆく」

「こいつは・・・すげえや」

なんと言ったらいいのか、零士は言葉にならなかった。

「ラッセンのマリンアートみたい・・・」

栞が呟いた。ラッセンの独創的な色使いが、現実に目の前にあった。極彩色、とでもいうのだろうか、それが空と海の間で、嫌味なく調和し、幻想的な空間を作り出している。

 頭上はうすい青だ。少しだけ霞の掛かった、青だ。雲のない空の所々に星が見える。南には黒いカーテンの雨を背景にした虹が見えた。うすく七色が見える。そこから西へは雨雲と区分けされたような青空があり、いくつもの雲の塊は白く、輝いている。さらに西へ目をやると、雲がオレンジ色やピンク色や黄色や白金に染まり、複雑な形で陰影を作っている。夕日は朱色というか、赤オレンジ色というべきだろうか、陽炎で揺れながらゆっくりと沈み、海はきらきらと反射して色を染め、輝きの左右はそこから離れるにつれて深い群青色となった。

 零士は息をのんだ。今目の前の景色が、秒単位で色を変えて行く。なんという美しい光景だろう。ありとあらゆる色が、そこにあるような気がした。視界一杯に広がるその世界を、視界だけではなく、全身の感覚神経を貫いている気がした。太陽はさらに位置を変え、海に着き、達磨太陽になって沈み、そのすべてが見えなくなってもまだ、零士は動けずにいた。空の色が、海の色が、急激に色を失っていく様にどうしようもなく切なくなってしまい、ポロポロと涙をこぼした。

「え? 零士君、泣いてるの?」

栞が零士に声を掛ける。零士は慌てて涙を拭った。

「さ、急ぎましょう。まだ足元が見えているうちに芝生へ戻らないと、危ないわ」

「はい」

零士と栞は促されて来た道を戻って行った。ゴツゴツとした岩場はバイク用のブーツでは歩きにくい。ちょっとした突起が、薄暮の中でもうすでに判別がつきにくく、三人は何度か躓きながら、芝生広場へと戻って来た。

「ちょっと待って」

最南端の碑の前で立ち止まり、ストロボを焚いてシャッターを切った。二人ずつが交代で三枚の写真に納まった。

「ああいう風景に出会えると、荘厳な自然って言葉がぴったりと来るわね」

「零士君、感動して泣いてたでしょ」

「違うよ、あれは勝手に涙が出て来ちゃってさあ・・・」

「それを泣いたって言うのよ」

「感性が敏感になっているのね。自然界の波長に、九頭龍君の感性がシンクロしたっていうか、魂が共鳴したっていうか・・・。でも感情はコントロールしないとね」

「スピリチュアルなこと言うんですね」

「そういう訳じゃないんだけどね。例えばバイクに乗っていると、挙動の限界を感じることがあるでしょう? まるでバイクと神経が繋がっているみたいに。タイヤの滑り出し、フレームのたわみ、フォークの捻じれ、センサーなんてないのに感じるときがあるの。バイクの隅々まで自分の神経が通っているみたいに」

「なんか、解ります。そういうとき、あります」

栞は不思議そうな顔をした。

「私、解らないわ。・・・鈍いんでしょうか?」

「そうじゃないの。感性は人それぞれだし。栞ちゃんだってあの景色には感動したでしょう?」

「勿論です!」

「美しいものを見て感動したとき、きっとその波長と栞ちゃんの感性がシンクロしていると思うの」

「そうですね」

「私や、九頭龍君のようにバイクにマシンとしての限界を探すような人は、バイクに対しても思い入れや感性が人一倍強いわ。だからだと思う」

「私だって、バイク好きですよ。ちゃんと走れるようになって、一層好き。バイクも、バイクがくれる世界も。ダボ君だって可愛がってますよ」

麗奈はにっこりと笑った。

「じゃあきっとあなたも感じるわ。バイクに神経が通ったように感じることができる。きっとね」

それから一瞬顔をしかめると、

「あ。もうレインウェア着た方が良さそうね。これから帰るまでは雨雲と競争になるわ」

と言った。気圧が急激に下がりつつあるのを感じたようだ。

「ガス入れなきゃ」

「すさみの入り口にあったはず。そこで入れましょう」

三人は駐車場へ急いだ。

 スタンドでガソリンを入れて、時刻を確認すると丁度十九時だった。

「三時間で帰ろう」

インカムから麗奈の声が二人に届いた。栞は、来たときよりほんの少しペースを上げれば楽勝のような気がした。

「大丈夫でしょう」

「栞ちゃん、夜間高速の経験は?」

「ナイトランはしますけど、高速は乗ったことないです」

「視界がね、夜は悪くなるから体感的には同じ速度で走っているつもりでも、一割近く速度が落ちることもあるの。ペースは私が作るから、スピードメーターと車間距離を確認しながら走ってね」

「解りました」

「ありがとうございましたあ!」

スタンドの店員の声に見送られて、三人は走り始めた。

 高速道に乗って、麗奈は時速百十キロで走行車線を走った。前走車に追いつくと追い越し車線に加速しながら移動し、時速を百三十キロまで上げるがそれは一瞬だった。前走車を追い越し、バイク三台分の十分な車間距離を確保すると走行車線に戻り、速度も元に戻す、それの繰り返しだ。加速と減速を繰り返し、走行車線と追い越し車線を泳ぐように走った。

 走り始めて一時間を過ぎた、次のパーキングエリアにバイクが入った。

「休憩は十五分ね」

「あぁ! 身体が冷えるぅ」

「栞のはグリップヒーター付いてるでしょ? 電熱ベストも着てるし」

「なきゃ凍え死んでるわ。脚、特につま先が冷えるの」

「俺、ベストだけだよ」

「付ければいいのにグリップヒーター。もはやこれは必需品よね」

「レーサーだからね。バイクは軽量化しとかなきゃ」

「身体を動かさないと血行不良が起きるわ。余計寒くなるから軽く体操してね」

「麗奈先輩、寒くないんですか?」

「まさか! 寒いわよ。グリップヒーターと、電熱グローブ、電熱ソックス、電熱ベスト。バッテリーの予備も持って完全装備よ」

「ですよね」

「麗奈先輩、南紀は普通一泊コースじゃないんですか?」

「下道で行くときはね。高速を使えば日帰りコースよ」

「夕陽を見るためだけに高速で六時間。滞在時間はせいぜい九十分かあ。贅沢な時間遊びですよね」

「苦労があった方が感動もひとしおよ。良かったでしょう? 涙まで流して」

「栞、なんだか麗奈先輩に似て来た。言い方が!」

「美しい風景は沢山あるけど、光の芸術が見えるのは本当に限られた時間だけ。例えば、五分、いいえ、十秒のために一日走ることだってあるわ。ライダーでなきゃ、やってらんない」

「どういう意味です?」

「物理的な意味での移動なら、電車でも車でもいいのよ。目的地に狙った時間にいれればね。でもね、そこでその時間、ありとあらゆるものを感じたいの。視覚だけじゃない、風も温度も湿度も気圧も匂いも。そのためには閉鎖的な乗り物よりバイクの方が良いわ。メットで風切って、全身で風を受け止めて、雨に叩かれたっていい。走ることで私の体が敏感なセンサーになっていく、そんな気がする」

「単純にバイクで走るのが好き、とは言わないんですね?」

一瞬間をおいて、麗奈が笑った。大きな笑い声だ。

「そうね。バイクが好きだわ。私はバイクで走るのが好き」

「てっきり小回りが利くとか、駐車場のないところでも止められるとか、そんな理由だと思ってました」

「写真部ではないから。バイクの利便性を移動の手段にしているわけじゃないの。目的は美しい風景写真を撮ること、じゃなくて、美しい風景を見るためにバイクで走ること、だからね。風景も走りも楽しむ」

「一粒で二度美味しい、的な」

「栞ちゃん、お手洗い行っておこう。まだあと一時間以上走るから」

二人は並んで歩いて行った。零士は売店まで行き、缶コーヒーは買ったが、それは飲まないで手の暖を取るのに使った。空を見上げると真っ黒な雨雲が迫って来るように見え、振り切れずに雨に降られるような気がした。雨で体温が奪われると、なお辛い。零士も体温の低下に備えてトイレに向かった。


 関西空港からの合流で渋滞するかと思われたが、ほとんど混むことさえなく高速を走り切った。二度目の休憩のときに少し雨がぱらついてきたがすぐに止んだ。

「じゃあこのまま流れ解散にするわね。お疲れ様」

信号で止まったとき麗奈がそう言うと、二人からお疲れ様でした、と返信があった。この信号で麗奈は左折し、零士と栞は直進だ。ウィンカーを点けて歩行者のために一時停止をした麗奈の横を、零士と栞が走り去ってゆく。

「栞、疲れたろ?」

「疲れより寒い」

「きっと明日は肩と腰がガチガチになってるよ」

「うん。そうだね。この季節にナイトランはきついね」

「あとひと月遅ければだいぶ違うのだろうけど」

「でも逆にさあ、日が長くなると太陽が昇るのも早くなるし、朝はもっと早出になるってことでしょう?」

夜の市街地を二人のバイクは駆け抜けて行く。零士は栞の家まで送った。

「夕焼けを見てから帰るのも、もっと遅くなるってことだよね」

「ってことは、夏の時期に朝焼け夕焼けを見ようとしたら、一泊の方がいいよね」

「宿代考えたら、キャンプかなあ」

「あ。私キャンツーしてみたい! 今年はキャンツーデビューしようと思っているの」

「マジっすか?」

「だめ?」

「駄目じゃあないけど・・・」

零士は、NSRにもCBRにも大荷物は似合わないと思った。

「また今度、話しよ!」

 あと二区間走れば栞の家、という所でとうとう雨が降って来た。

「あと三分なのに」

「やっぱり雨男」

栞の家の前で雨は本降りになった。レインウェアを雨が叩きボツボツと音を立てた。栞はハザードを点滅させてCBRを停め、その右横ぎりぎりに零士はNSRを止めた。二人はバイクに跨ったままだ。シールドを上げて栞が大声で言った。

「じゃあね。送ってくれてありがとっ! お疲れさま!」

「うん、おつかれ!」

右手を上げる栞に、零士はその手を左手で軽く叩いた。

「おやすみ」

「おやすみなさい」

カツン、とNSRのギアが入る音がして、零士は雨の中を帰って行った。


 大学が春休みに入って、零士は昼間は四輪普通免許の教習、夜は居酒屋のバイトという生活リズムになった。二週間、学生のための短期特別プログラムだった。卒業生の栞の紹介で入校すると、栞と零士には特典としてレストランの食事券がもらえた。教習は順調に進み、四月の第二週には零士は免許証を手にしてた。


 大学の構内には運動部、文化部が新入生を歓迎する看板が並び、自部の活動と勧誘のコメントが添えられていた。色とりどりの看板は見ていても楽しい。今日は大学が活動を認めた公認クラブやサークルが新入生へ向けての活動紹介の日だ。

「ね。免許の取れたお祝いに、レストラン行こうよ」

栞が零士に話し掛けた。

「レストランって、食事券もらったとこ?」

「そ。ファミレスじゃなくて。フォークが三本以上並んでるとこ」

講堂の一室、自動車部に割り当てられた教室で、東側が四輪部、西側が二輪部で各々壁にはパネル写真と活動記録を展示し、新入生を待っていた。

「やっぱ呼び込みが必要じゃん? 教室は雨風には強いけど目立たないからなあ」

吉岡が呟くように言った。

「さっき手の空いた人が呼び込み行きましたよ? チラシがどうの、言ってたけど」

「ああ、今年からチラシの配布は禁止になったんだ。ゴミが増えるからって。どの部も皆、新入生一人ひとりに声を掛けてるよ」

「わ、非効率!」

「例えばー。誰かがレースクィーンのコスチュームで、自動車部のプラカードを手にして構内を練り歩けば、釣られてくる人もいるんじゃないんですか?」

「九頭龍君、それは非常にいい案なんだけどね、自発的に手を挙げてくれる奇特な女子部員がいないのだよ」

吉岡が栞をちらっと見た。

「あ! セクハラだあ!」

「強要してないじゃん! ノーハラスメント」

「まあまあまあ」

教室の中でコントのようなやり取りがあり、そこに女の子が二人入って来た。

「二輪部はこちらですか?」

「はい、こっちが二輪部です。ようこそ鳳凰大自動車部二輪部へ」

「まだ免許もなくて。免許とかバイクとか、持っていないとダメなんですか?」

「駄目ってことはないけれど、取る予定はあるの?」

「まあ、ここ、座って下さい」

零士が椅子を勧め、栞が説明を始めた。

「まずざっくり二輪部についてお話しますね。自動車部の中に四輪部と二輪部があって、正確には二輪部門なんですけど、体面上、二輪部と呼んでいます。二輪部の活動は今はツーリングだけですが・・・」

 零士はその説明を聞くともなく聞いていた。思えば去年はこのようなクラブの活動紹介など聞かず、いきなり入部しますと言って部室を訪ねたのだ。入ってから活動の内容を聞くなんて、我ながら間抜けな話だ、と零士は自嘲した。

立石が教室に入って来た

「どんな感じ?」

「不調ですねえ。こっちはこの二人だけ。四輪の方はまだゼロです」

「できれば四月に五、六人は入って欲しいところだけど・・・まあいいさ。例年夏くらいまではポツポツ入部者がいるから、最終的に学年で十人くらい入ってもらえれば」

「理想ですねえ。僕らの代は結局六人ですから」

「最近はバイクブームが再燃らしいよ。キャンプとか釣りとか、山登りとか。アウトドア全般すごい人気らしい。きっと入部希望者も増えるさ」

「立石さんはキャンツーするんですか?」

「え? 今更それを聞く? 俺、基本キャンツー、ロングツーリストだよ? 知らなかったの?」

「全然。だって立石さん、去年は就活で部活してなかったじゃないですか」

「ああ、そうだっけ」

「それに合同ツー以外は結構バラバラにグルーピングされてるから」

「そっか。今年は自二部のイベント、少し増やそうかなあ。チーム別の活動もないし。どう思う?」

「そうですね・・」

「・・・俺さあ、高校の夏休み、三十九連泊で日本一周したんだよ。沖縄、離島を除いてね」

「高校生で、ですか?」

「うん。親父のバイクを借りてさ。ウチの親父が、男子たるもの冒険すべし、って言って、応援してくれたんだ」

「へえー」

「本当は三週間二十一日の予定だったんだけど、楽しくて楽しくて、二学期が始まる前日まで走ってた」

「やっぱり、北海道サイコー! ですか?」

「いや全部良かった。北海道はライダーの聖地とか言うし、行った人は最高だった、って言うけど、俺は北海道に限らず全部良かった。九州も四国も東北も。バイクが故障して立ち往生したとき、道に迷ってキャンプ場に着けなかったとき、いろんな人に助けられてさ。バイクツーリングって、景色だけじゃない、人の優しさ、人情にも触れる旅なんだよ。勿論自然の驚異にもね」

 いつの間にか部活紹介を聞いていた女の子も、立石の話を聞き入っていた。

「高校生の一人旅っていうのもあったんだろうけど、いろんなところでいろんな人に飯をおごってもらった。田舎の農村とか、漁村とか、小屋で良ければ泊まっていいぞ、とか言われてね。図々しくお邪魔したら、母屋の客間に布団敷いてもらったり、その地方の名産の食べ物とか、めちゃんこ出されて食べきれんとかね」

「すごい体験ですね。でもなんで、そんなに優しいのですかね? 見ず知らず、でしょ?」

「・・・お子さんとかお孫さんとか、俺を重ねたんじゃないかなあ。・・・たださあ」

立石は思い出し笑いをこらえ切れなかった。

「訛りがきつ過ぎて何言ってるかわからんのも、結構あったよ。たぶん、こういうことを聞いているんだろうなあ、って想像しながら答えたりして。話が噛み合わなくて気まずい雰囲気になったりね」

そう言って豪快に笑った。

「ああ、いいなあ」

声を出したのは栞だ。新入生に向き直って、満面の笑顔で言った。

「一緒にバイク乗ろうよ。一緒にツーリング、行こうよ。旅の楽しみ方はいろいろあると思うけど、バイクにはバイクの、いいえ、バイクでしか味わえない楽しさや感動があると思うの。それを自二部で体験してみて!」


 零士がアパートで一旦着替えて待ち合わせの駅に着いたのは、丁度午後七時だった。栞も自宅に戻ってワンピースのロングスカート着替えてきた。光沢のあるベージュと赤いハイヒール。白いショートジャケットを羽織り、長い髪をアップライトにまとめてうなじが白い。メイクも昼間とは違い、どこか少女らしさの残す顔は、今は大人びて見える。

 零士はカーキー色のチノパンとブラウンのデッキシューズ。白いコットンのロングティーシャツにコーデュロイのジャケット。普段はジーンズかワークパンツしか履かない彼としては目一杯のお洒落だが、しかし栞のドレスアップとはバランスが取れていない。

「すんごいおめかしだな」

零士が顔を近づけてみると栞は照れた。

「そんなに見ないで。穴が開いちゃう」

「俺、こんな格好なのに・・・。スーツの方が良かったかな?」

「大丈夫、清潔感のある大学生っぽくて、マル」

「栞は、大人の女って感じがする・・・。レディだな」

「いやん。もっと言って」

二人は微笑んで、雑踏の中を並んで歩き始めた。ポケットに手を入れて歩く零士の左側で、栞はそっと腕を通した。


 レストランはホテルの上層階にあって、全席から夜景が見えた。予約の名前を告げると席に案内され、フロアマンが椅子を引いてくれた。

「こんなの、初めて」

「俺も」

予約したときに食事券のコースでと言ってあったので、メニューはコース料理の説明を受けるだけだった。次にソムリエがやって来て、コースは食事のみとなりますが、お飲み物は如何なさいますか?と丁寧に聞いた。零士も栞もワインはさっぱりだったので、ソムリエに、学生が無理なく払えるもので、と言葉を添えて任せた。

 一礼して一旦下がったソムリエは、ワインリストを手に戻ってきた。

「今日のお料理ですと、この辺りがよろしいかと存じます。白ワインは酸味が強めですがさっぱりと素材の味を引き立たせ、赤ワインは濃厚なソースとの相性も抜群です」

広げたワインリストに、そっと手で指し示し、

「どちらもグラスでご用意ができます」

そう教えてくれた。白赤フルボトルで頼むと零士の一日のバイト代が吹っ飛ぶが、グラスで二杯ずつなら許容範囲だ。

「それでお願いします」

 やがて運ばれてきたワインで乾杯をすると、二人は言葉少なに料理を待った。野菜と貝を使った前菜が二つ、白身魚の香草焼き、牛ヒレの赤ワイン煮込み、モッツァレラチーズのリゾット。デザートにアイスクリームとエスプレッソ。二人は食事を楽しんだ。

 食事の最中、二人は珍しくバイクの話をしなかった。ワインで頬を染めた栞が、色っぽい。いつもより陽気に話す栞を見つめて、零士は静かに相槌を打った。

「麗奈先輩、どうしてるかな?」

唐突に栞が話題を変えた。三月、南紀への弾丸ツーリングが結局三人での最後のツーリングになった。あと二回と数えた週末は、二回とも春の嵐ともいえる暴風雨でツーリングは実現できなかった。

「雨ならまだいいんだけど。強風はちょっとね」

「また、一緒に走れますか?私たち」

栞のメッセージにグッドマークの返信。それが最後のショートメールだった。

「研修が終わった頃に連絡をくれるさ。きっと」

栞は窓の外に視線をやると、一瞬寂しそうな顔を見せて、でもそれは幻だったかのように笑顔を零士に見せた。

「・・・ねえ零士君、キャンプのこと調べてくれた?」

「ああ、そのことなんだけど・・・」

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