光の芸術
十二月も末になり、鳳凰大も冬休みに入った。零士は二十九日まで居酒屋でバイトし、明けて三が日だけ帰省することにした。四日からは居酒屋は店を開けるからまたバイトが始まる。大晦日に年越しのライヴを栞と見て、朝、初詣を済ませてから帰省するつもりで計画していた。
零士の部屋、二人は栞が借りて来たDVDを見ていた。明日行くロックバンドの、去年のライヴDVDだ。第一部が終わって、第二部の冒頭、アコースティックギターからのイントロは栞の大好きなバラードだ。メロディーラインと歌詞がマッチして、このバンドの代表的な一曲と言ってもいい。その曲が終わると同時に、二人のスマホにメールが入った。麗奈からだ。
「あ、麗奈先輩だ。今年はもう終わりだって言ってたのに・・・」
「麗奈先輩、寒さにも強いよね。私、ダメ。気温が十度を下回るとバイクはムリ」
「そんなこと言ってると、絶景を見逃すよ。こないだだって」
「あー、止めて。あの時行かなかったことすっごい引きずっているから。あの写真を見たときのショック、零士君には解らないよ」
「風景写真見て泣いた人、初めて見たよ」
「もう! いじわるね」
二人はメールを見た。明日、志賀東方面濃霧発現濃厚、早朝四時大学正門集合、防寒必須。と書いてあった。
「ねえ、麗奈先輩のメールってさ、いっつも電報みたいだよな」
「癖、なのかな? ショートメッセージだから文字数削ってる、とか? 解散予定は書いてないよねえ」
「うん、聞こう。ライヴの時間から逆算すると、四時にはここ出ないと間に合わないし」
零士が返信を送ると、すぐにスマホが鳴った。開くと、昼十二時大学前解散、と九文字あった。二人は顔を見合わせて笑った。
「やっぱり電報みたいだ」
「どうしよう。明日寒いよねえ」
「冬だからねえ。滋賀の山ん中なんて、路面凍結してないのなか?」
栞はスマホのアプリを操作して天気予報を見た。
「明日は・・気温は高めですって。最低気温五度」
「ってことは標高で五、六百上がると危ないな。もう一回聞いてみよう。・・ノーマルタイヤで大丈夫ですか? 路面凍結の恐れは? と。送信!」
「あ、返事来た。速っ。無問題って書いてある。今度は三文字だね」
「もう一回メール送ったら、一文字か二文字で返ってくるかな? 良とか否とか」
「送ってみてよ」
「その前に。栞、どうする?」
「行くわ」
「オーケー! じゃあ。・・・行きます。栞ちゃんも一緒、と送信。さて、なんと返信があるか・・・」
「・・・来た! 了解、だって。二文字だ」
二人は顔を見合わせて笑った。
翌日、午前六時過ぎ、そろそろ辺りは明るくなり始めている。暗闇の中、ヘッドライトの灯りを頼りに西側から回り込んで、今、山を背に谷が東側に見下ろす場所に三人はいた。エンジンを切って、何の音もしない。夜明け前の静かな時間だ。
「ここね、丁度東北東に開けているの。あの方角から太陽が昇るわ」
「霧は?」
「この谷に発生している」
「雲海ではなく?」
「霧も雲も同じ水蒸気の固まりだから」
徐々に周囲が明るくなり、眼下の谷に霧があるのが判った。霧が波を打っているようにも見える。朝まず目の時間、三人は寒さを堪えて、ただその時を待った。
「あ!」
太陽が昇り、光の筋が霧を照らす。
「よく見ていて。ほんの数秒だから!」
麗奈の押すカメラのシャッター音だけが響いた。
低い角度でスポットライトを当てられたような、一閃の霧が七色に輝いて、儚く消えた。
「な、なんなんですか? 今の!」
「きれい・・・。なんて幻想的なの・・・」
「あれも虹の一種ね。虹を上から見たの」
「うわあ、鳥肌立ったわー」
「先輩! 写真撮れてますか?」
零士も栞も興奮している。
「たぶんね。でも見て、次が始まる」
朝焼けの、ピンク色に染まる霧がオレンジ色とグラデーションを作り、風に揺れて波打つ。
「わあ、鳥肌が立ちっぱなしだあ」
「すっごい景色。感動!」
「ああ、消えて行く・・・。色が消えて行く・・・」
「先輩! 今のも、写真撮れてます?」
「たぶんね。でも今は確認している時間はないわ。この霧の中を走るわよ」
急いでカメラをタオルで包むと、麗奈はタンクバッグに仕舞い込んだ。
「急いで! でも慌てず慎重にね!」
麗奈の指示に二人は急いでヘルメットを被った。
三人が峠を下り始めると、すぐに霧に包まれた。視界はせいぜい二十メートルしかない。
「・・・すごい。雲の中を走っているみたい・・・」
自動で繋がったインカム越しに栞の声が聞こえる。
「栞ちゃん、気を付けてね。視界悪いから慎重に」
麗奈の声も聞こえる。麗奈は視界の利かない霧でかなりペースを落としている。下るにつれ霧は濃くなっているようだ。陽は完全に上がっているのに周囲は暗い。
不意に麗奈の速度が上がり始め、見る見る間に車間が開いた。もう零士からも栞からも麗奈のテールランプが見えない。
「ちょ、ちょっと! 麗奈先輩、速いですよ」
零士が言った次の瞬間。
「了!」
その麗奈の声を最後に、インカムが切れた。
「麗奈先輩⁈ 先輩⁈」
「なに? 今、麗奈先輩なんて言ったの? りょう?」
零士はアクセルを開けた。
「ごめん栞! ゆっくり来て! 俺、先行くわ」
零士が栞を抜いた瞬間、
「いやあ! 一人にしないで!」
栞の叫びに零士のアクセルを開けた手が止まった。そして、アクセルを閉じた。
「・・・そうだよな、ごめん。先導するからついて来て」
零士はバックミラーを覗き込む。二灯のヘッドライトは見えるが、それが丸目なのか角目なのかも判らない。
「ごめん栞。車間が掴めない。今どのくらいの間隔だ?」
「二十五は離れていないと思う。テールランプだけ、なんとか見えてる」
「解った。スピードを少し落とすから、もう少し車間詰めて」
「ありがと」
「いや、俺の方こそ。こんな視界じゃ一旦離されたら追いつくなんて無理だ。冷静にならなきゃいけなかったのに、俺、焦っちまった。ごめん、そんで、ありがとう」
「麗奈先輩、どうしちゃったの?」
「・・解らない」
零士は、先輩はたぶん幽霊を見つけたんだ、と思ったが栞には言えなかった。
やがて明るくなり、視界が広がり始めた。ヘッドライトの灯りが自然光に溶け込むと、丁字の手前で麗奈が停まっていた。インカムが繋がった。
「麗奈先輩?」
「ごめんなさいね。つい・・・。この先に運動公園があるみたいなの、そこの駐車場に入れましょう」
麗奈は二人を止めることなくバイクをスタートさせた。
バイクに跨ったままサイドスタンドを出し、車重を預けてグローブを脱いだ。ヘルメットを外すと、麗奈の目も鼻も赤かった。無言のままカメラを出す。
「麗奈先輩、どうしちゃったんですか? 目、赤いですよ?」
「冷気でやられたのね。それより見て。太陽!」
二人が仰ぐと霧で霞んだ太陽の周りに光の輪が見えた。淡い虹の輪だ。
「日光冠、ですか?」
「よく勉強しているわね。でもこれは光冠じゃなくて暈、ハロね」
「写真、撮れるんですか?」
「どうかなあ。フィルター何枚か持ってきたから、とっかえひっかえ写してみるけど。前にノーフィルターで取った時は上手く写ってなかったから」
麗奈がシャッターを押す、その音だけが心地よく響いた。光の輪は、またしても儚く消えてしまった。
「光の芸術、ですね。完成しても数秒で消えて行ってしまう、儚いアート」
「言うわねえ。でもそうね。大自然が生み出す、光の芸術。私はツーリングを通して、美しい光の芸術、その一瞬を写真に収めるのが好き」
麗奈と栞はカメラの液晶画面をのぞき込んだ。
「きゃ! 素敵!」
「よおし。バッチリね。二人ともありがとう。いい写真が撮れたわ」
「すみません、ちょっとおトイレ行って来ます」
零士がその場を離れ、用を足して戻って来ると、今度は栞がトイレに向かった。
「なに話してたんです?」
「ん? カメラの話。彼女、写真にも興味が出たみたい」
「あのう・・。幽霊、出たんでしょ?」
「・・・うん。君と走ると出現率高いね。今年だけで二回目よ」
「日下部さん、なんですか? やっぱり」
「私が減速すると向こうも減速する、私が加速するとあっちも加速する。車間はほとんど詰まらない。あのラインであのアクセルワークは彼しか考えられないわ」
「インカムが切れる前、了って聞こえました。栞も聞いています」
「あらやだ。誤魔化さなくっちゃ」
「やっぱ、言えないっすよね。幽霊探して走ってる、なんて」
「探しているわけじゃないのよ?」
「新谷さんはそう言ってました」
「ほんと新谷さん、余計な事ばっかりしゃべって」
「幽霊を探して、どうするつもりなんですか? まさか抜くつもりじゃあ?」
「馬鹿ね、マンガじゃあるまいし。抜けないわよ」
「抜けないと判ってて、それでも追いかけるんですか?」
「ツーリングよ。もし現れたら一緒に、少しでも長く一緒に走っていたい。それだけ。幽霊とレースをしたいわけでもないし、止めて写真と撮ったりおしゃべりをしたいわけでもじゃないわ。・・・でも、なんで出てくるのか、やっぱり現世に未練があるのか、聞いてみたいけどね」
「なんの話ですかあ?」
栞が戻って来た。
「今日はいい写真を撮らせて貰ったから、朝ごはんを二人にご馳走しようかしら、って話してたの」
「嬉しい、ご馳走になりまーす」
「それに早く戻らないと、ここ、天気崩れるわ」
「え? 雨ですか?」
「そうよ。今日は降られる前に帰りましょう」
三人は結局、大学の近くのファミレスまで戻って来ていた。
「大晦日はどこもやっていないわね。ごめんね、ファミレスで」
「そんな、いいですよ。おごっていただけるだけで十分です」
「私、ここのモーニング好きです」
三人はオニオンスープで体を温めながら話した。
「麗奈先輩。俺、正月は帰省するんで、年明けは早くても五日以降でお願いします」
「一月はねえ、前半は荒れるし後半は気温がぐっと下がるのよねえ。たぶん三月にならないと峠は無理ね。凍結と残雪で走れる場所があまりないの」
「二月の後半から年次試験です」
「そうよね。だから一緒に走れるのもあと、二、三回ってとこね。この二ヶ月、よく付き合って貰ったわね。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました。おかげで沢山、素敵な景色を見せてもらいました」
「むしろ足手まといじゃなかったですか?」
「ううん。やっぱりソロはね、慣れているつもりでもいざという時に心細いわ。伴走してくれるだけで十分サポートになった。本当よ」
麗奈は零士を見て、
「君は私に付き合ってくれたせいで。サーキットラン、できなかったでしょう?」
BOMで知り合った小林は定期的に連絡をくれていたが、零士は全て断っていた。
「大丈夫です。サーキットは逃げないし、麗奈先輩と走れる時間は限られている。優先順位がこっちなのは納得済みですから。それに・・・」
「それに?」
「さっきも言いましたけど、感動的な風景を沢山見せて貰って、感謝してます。俺、麗奈先輩に会うまで、峠のコーナーと路面しか見えてませんでした。朝焼けも夕焼けも、あんなに色が変わるもんだなんて気が付きもしなかった。雲の色や形が、あんなにも美しく、空の色が・・・」
零士はポロポロと涙をこぼしていた。
「あれ、なんだこれ。俺、なんで泣いているんだ?」
「感極まっちゃったのね」
栞がそっとハンカチを出す。
「解るわ。私も感動したもの」
「魂がね、揺さぶられるの。琴線に触れるってやつね」
「やべ。はずい」
麗奈はゆっくりと微笑んだ。
「君、その感性を大切にね」
正月が開けて、零士は大学のアパートに戻って来た。麗奈の言ってた通り、一月は天候が荒れて安定せず、冬の、嵐のような日が続いた。大陸からの冷気を伴った高気圧が、エルニーニョ現象の影響で温度が下がらない湿った太平洋高気圧と押し合いになり、谷間の前線が日本列島の上で南下と北上をくり返していたのだ。
一月も中旬になりシベリアからの強烈な寒気団が下りてきて、ようやく冬らしい西高東低の気圧配置に落ち着くと、各地で大雪が降り、交通網は寸断される事態になった。
「うわ、これじゃ週末まで溶けねえな」
零士はニュースを見て呟いた。スマホで各地の気温をチェックしたが、まずどこの峠もバイクでは通行できそうもない。
二月になると年度末試験のために急に構内の人口が増えた。零士は時々麗奈を見かけたが、麗奈もやはり卒業論文作成が忙しそうで、時折ショートメールは届くものの、今週はなし、というメッセージばかりだった。路面の状況も、まだバイクには不向きだ。
三月になって試験が終わり、構内が落ち着くと、自動車部では部長交替が行われた。岸さんの卒業に伴って、四輪の中村さんが部長になり、四輪部長と兼務、二輪部は立石さんが部長、山田さんは就活が終わるまで部活動休止でリーダーは零士が指名された。
「俺でいいんですか? 雨男ですよ? 肝心な日に降られちゃいますよ?」
「んー。でもさあ、リーダーじゃなくても行事に参加して雨を降らせるなら、どっちでも同じじゃん?」
立石はそう言って笑った。
「まあそうでしょうけど」
「これ、部の年間予定表。当面の行事は週末の卒業生追い出しコンパで、これは自動車部全体ね。ここまでは山田君がやってくれるから、その時に役員交代のバトンタッチを行う。その次の行事は四月の新入生歓迎会で、そこから九頭龍君の出番だけど自治会から通達が来るまではやることないし。去年、山田君のやってたこと、見てたでしょう?まあ、あんな感じで。よろしくね」
「はあ」
ていよく仕事を押し付けられてしまった感はあったが、仕方が無い。
「追い出しコンパって、何やるんですか?」
「あれ? 前回の定例で聞いてなかったの? 自治会館、借りてあるんだよ。当日は、学際で使ったパネル写真を展示して、食べ物と飲み物を並べて。イベントはじゃんけん大会で、勝ち抜いた人から好きなパネル写真を持って帰れるんだ」
「はあ」
「以前はね、女の子の部員にレオタード着てもらって、レースクィーンと一緒に写真、ってイベントだったらしんだけど、今はほら、セクハラになっちゃうんで」
「はあ」
零士は気の抜けた返事しかできない。
「龍本先輩が最後じゃないかな? レオタード着たの」
「え、えー? 麗奈先輩が?着たんですか、レオタード? レースクィーンの恰好したんですか?」
「九頭龍君、前々から気になっていたんだけど、龍本先輩のこと、下の名前で呼ぶの、馴れ馴れしいというか図々しいというか。龍本先輩は皆の憧れだからね」
「すみません。麗奈先輩が容認してくれたんで、つい。」
「ほらまた!」
「すみません! で、龍本先輩のレオタード写真、あるんですか?」
「んー? どっかにあると思うよ。新谷先輩の卒業の時のやつだから。もうその頃は、女性部員のコスプレイベントはセクハラだって言われて止めてたの、誰だったか冗談で言ったのを真に受けた、って聞いたよ。それからだからね、レイニークィーンってあだ名は」
「この時代によく着ましたね」
「詳しいことは知らないけど、新谷先輩がロードレースで入賞したから特別だって、岸さんに聞いた覚えがあるなあ。なんかすごいレースだったらしいよ。もう一歩で表彰台だったとか」
「へえ、そんなに好成績なレースだったんですか?」
「聞いた話。詳しくは知らないよ、俺が入部した時の自二部はツーリングチーム一つだったし、ロードレースもモトクロスも、皆やってなかったしね」
記憶が風化する、零士はそう思った。忘れちゃいけない記憶は、ある。でも新谷さんは生きているから、レースの話はいつでも聞ける。聞けないのは日下部さんの体験談。
俺たちは生きる限り新しい記憶を積み重ねてゆく、古い記憶は徐々に薄れ、途切れ、あるいは美化されて真実と離れてしまうかも知れない。そうか、だから麗奈先輩は走り続けるのか。思い出を風化させないように、新谷の言葉が零士に蘇った。
土曜日の午後三時、卒業生を除く自動車部が自治会館に集まった。中村が皆に声を掛ける。
「今年度最後の部活行事です。四年生に気持ち良く卒業してもらうために協力をお願いします。まず班分けです。四輪部のラリーチームは飲み物の買い出し、エコノチームは食料品の買い出し、二輪部は会場の設営、パネル展示をお願いします。五時には卒業生の皆さんが来られますので、一時間半でスタンバイ下さい。ではよろしくお願いします!」
お願いします、という掛け声が部員が返す。続けて立石が、
「二輪部直行班は会場の準備をしますから、ここに残って下さい。遠回り班はパネルの搬出をお願いします、山田君よろしく」
前日の金曜日に確認したが、部室には四十枚ほどのA2パネルがあった。パネル二枚で段ボール紙を挟んでセットにし、紐で括って二十セット。これを遠回り班の七人で搬出しなければならない。両手で持っても最低二往復だ。
「さ、始めよう」
山田はメンバーを引率して歩き始めた。
自治会館の会議室、長椅子を並べて島を四つ作り、その上に紙コップと食べ物が並べられた。立食パーティスタイルだ。炊事場のシンクは氷水で満たされ、ビールやら日本酒やらワインが冷やされた。
「あ、誰のチョイス? この日本酒、岸さん好物の大吟醸じゃん!」
「そりゃあ今日の主役ですから。奮発しましたよ」
会場が笑いで包まれる。山田は展示パネルのチェックに忙しい。
「部屋に入って時計周りで時系列になるように配置してね。高さは揃えて」
零士たちは壁際に並べられたホワイトボードに、マグネットのフックを取付、高さを合わせて一枚一枚パネルを掛けていった。
「四輪はレースの写真が多いねえ」
「パドックでの整備の様子なんか、臨調感あるよなあ」
「ピットインの写真なんて、絵になるよね。部屋に飾りたい」
「二輪もレースしてれば、こんな写真を撮ってたかもね」
「ツーリングの風景写真だって、イケてるよ」
「十五分前です! そろそろ先輩がお見えになるので、一年生は入り口でお出迎えをしてエスコートして下さい。二、三年生は四年生が入場されたらビールをお出しして下さい」
中村が声を張り上げる。零士と栞は入り口に向かうと、そこには既に麗奈の姿があった。
「ご卒業おめでとうございます!」
「ありがと! 明日もよろしくね」
「十三時集合っすよね。紀伊半島の南端ってことは夕陽がお目当てですか?」
「そ。でもね、海上では虹も見えると思うんだ」
「絶景を期待しています」
三人は声を出さずに笑った。
「ご案内します」
栞が麗奈を会場に案内した。
定時前に卒業生全員が揃い、自動車部の追い出しコンパが始まった。中村が進行役で司会をし、岸が乾杯の音頭を取った。歓談の合間にじゃんけん大会が始まり、十人の卒業生は順に気に入ったパネルの裏にサインを入れて、ホワイトボードから下した。二次会で本格的に飲む人もいるので今日は部室預かりになる。酔った人が忘れないための措置だ。
意外にも二輪部の風景写真に人気が集まった。
「意外ですね。四輪部は自分たちのレース写真を持って帰るかと思ったら・・・」
零士が口にすると山田が答えた。
「実は去年も二輪部が撮った風景写真が人気でね。なんで、って思って聞いたんだ。そしたら、レースのときの写真はもう持ってるから要らないんだって。部屋に飾るなら風景写真の方が良いらしいよ」
「へえ、そんなもんですか」
岸が横から口を挟んだ。酔っている。
「レースの感動やガソリンやオイルの匂いを、僕たちは忘れないよ。皆で流した汗も涙もね。そおいうのはちゃんと、ここに仕舞ってある」
そう言って胸を二度叩いた。
「パネルはさ、部室に飾ってさ、新入生の勧誘と部活の説明に使ってよ」
「はい、そうします」
「えーそれでは。宴もたけなわではございますが、卒業生から一言ずつ、お言葉を頂戴したいと思います」
会場には拍手が鳴り響いた。
「先ず、二輪部のレイニークィーンこと、瀧本麗奈先輩!」
麗奈が中村を睨んで、拍手の中、笑いが起こった。麗奈が前に出ると、それだけでスポットライトが当たっているかのような錯覚が起きた。彼女には華がある。中村からマイクを受け取ると、麗奈は静かに言った。
「雨女の瀧本です。雨女ゆえに皆さんにイジられましたが、この部でいろんなことがあって、でもいろんな風景や感動にも出会えて。楽しかったって言える四年間でした。今日はありがとうございました」
短い挨拶に拍手が起きた。
「レイニーにとっては、ほんといろんなことがあった部活だったよな」
岸のつぶやきを、零士は黙って聞いていた。
順に卒業生が挨拶を済ませると、最後に岸が残った。
「ではオーラス、岸さん! お願いします!」
「ああー。岸です。僕はラリーではいい戦績を残せませんでしたが、いろんなコースを走らせてもらって、マシン壊して、皆で直して、全レースノーリタイヤで終わることができたのが最高の想い出です。どうもありがとうございました。自動車部、最高!」
岸の挨拶で会場は盛り上がり、拍手と歓声に包まれた。
「どうもありがとうございました。卒業生の皆さんの、これからの活躍を応援したいと思います。さて、これで会はお開きとなりますが、最後に新役員を紹介します。自動車部の部長は私中村が務めさせていただきます。四輪部の部長と兼務です。会計係は立石君です。二輪部の部長兼務です。四輪部の副部長は林さん、活動リーダーは吉岡君です。二輪部の副部長は山田君、活動リーダーは九頭龍君です。この六名で新年度の自動車部の運営を行いますので皆さんよろしくお願いします」
―拍手―
一部の三、四年生が二次会へと流れた。一、二年生は片付けが済みしだい合流となる。山田たちはパネルを部室に戻し、残った部員が机や椅子を並べ、会場の掃除を行った。分別したごみを出して、自治会館の鍵を守衛室に返すと片付けは終わった。
「二次会に行ける人は、ぶんぶくちゃがまへ行って下さーい!」
林の声に山田が二輪部の部員に声を掛けた。
「行ける人、行ってね。九頭龍君、行かない? 四輪の、ラリーテクニックとか聞けるよ? 四輪部と二輪部の交流機会でもあるからね」
「すいません、このあとバイトなんで」
「今日ぐらいシフト外してもらえば良かったのに・・・」
「すいません」
「じゃあ皆さん、行きますよー」
零士は彼らを見送った。