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レイニーレイニー  作者: 田代夏樹
11/12

蜃気楼

 B班は予定通り外宮の駐車場に着いた。A班は十五分ほど遅れた。

「いやあ、すまない、待たせたね」

「大丈夫ですが、何かトラブルでも?」

零士は立石に尋ねた。

「新人君がガス欠。SRのタンク、リザーブのまま気付かずに走り続けてたって、やらかしてくれたわ。B班はトラブルなし?」

「こっちは問題なしです。新人の走りが個性的で。あ、これは食事しながら話します」

零士は皆に話し掛けた。

「全員揃いましたので、外宮参拝に行きます。その後、おかげ横丁で食事、A班はそのまま内宮へ。B班はここに戻ってツーリングを再開します。予定に変更なしです、いいですかあ」

 零士の言葉に全員が頷き、三々五々外宮へ向かって歩き始めた。零士の横に栞が並び、話し掛けた。

「どお? リーダーさん、皆を引率した感想は?」

「責任感で潰されそうです」

「嘘ばっかし」

「全員のリズムやコンディションが把握できていないから、どんなペースで走ればいいか、判んないんだよ。コレホント」

「好きに走れる方がいい?」

「そりゃあね。でも、マスツーも楽しいし、佐藤さんや戸橋さんがアドバイスくれるから大丈夫さ」

「がんばれー」

「・・・棒読みしないで感情込めろよ」

「いつかのお返しよ!」


 自二部のメンバーは参道に着いた。

「神社の鳥居は中央をくぐっちゃいけないんだ。端っこを歩くの、知ってる?」

「知ってるわ。手水にも柏手にも作法があるんでしょ?」

「礼拝と柏手は祀ってある神様で違うんだ」

栞は拳で零士の脇腹を小突いた。

「京女をなめないでくれる?」

「そりゃあ失礼しました」


 参拝の後、今度はおかげ横丁に向かって大勢の人の流れに乗って歩いた。

「お昼は何にしようか」

「そうねえ、伊勢うどん?」

「うどんだけじゃ物足りないかな・・・。食べ歩きをしながら散策して、締めでうどん、かな」

「伊勢うどんの麺って、すっごく太いのよ」

「知ってる。つゆっていうより甘辛のたれみたいな出汁のやつ。前に食べたことある」


 席に着いて注文を頼むと、立石は零士に尋ねた。

「で、個性的な新人ってどっち? Ninjaの子?」

「いえ。彼は走り屋っぽいですね。速さを求めているみたいで・・・、その・・・去年の俺みたいです」

零士は頭をかいた。

「なんか特別な走り方するの?」

「そういう訳じゃあないです。ただ追い越し方はちょっと無謀で、注意しましたけど」

「じゃあ、VTRの子?」

「ええ、ジムカーナでバイクを覚えたらしくって、低速のコーナーは上級者なんですけど、中速から高速になるといきなり初心者レベルになって、ギャップが面白いです」

「市街地は?」

「不慣れみたいですね。車両の追い越しとかはまだ全然」

「そうか、そういう子は注意しないとね。コース取りライン取りは上手くても全体視野が未熟で、周りの車の不意な動きにパニクってハードブレーキでフロントロック、転倒ってパターン、あるから」

「VTRにはABS着いてないですものね」

「市街地は車間距離を取って流れに乗ること。峠道は上手くリードして下さい。Ninjaの子と一緒にすると、ブレーキポイントが違うからね」

「それは自分でも気が付いているみたいです。自己判断でポイントを見つけてますよ」

立石は大きく頷いた。

「そっちの新入生はどうですか?」

「うん、まんま初心者」

立石は笑った。去年の桜井さんを見ているみたいだ、そう付け加えた。栞は零士の背中を叩いた。

「ちょ、ちょっと! 俺言ってない。言ったの、立石さん」

「笑ってるもの、同罪ね。先輩は叩けないから」


 立石たちが店を出ると、そこに新谷がいた。

「あれ? 新谷さん?」

「よおお。立石君かあ。九頭龍君と栞ちゃんも。偶然だなあ。そうか、今日は部の定例ツーリングか」

「新谷さんもツーリングですか?」

「ああ、こいつとね」

新谷の後ろに髪の長い女性が立っていた。細身で、色白、栗色の髪が細く長く、風に揺れている。パッチリとした眼が印象的な、うりざね顔の可愛らしい女性だ。こいつ、と呼ばれてその女性は新谷の背中を叩いた。表情は変えていない。

「彼女さんですか?」

新谷はその問いには答えなかった。

「どうだい、今年の新入生は? 何人入った?」

「今のところ五人です。今日のツーリングは四人が参加してます。あ、右からSRの福田君、MTの原君、Ninjaの結城君、VTRの橘さん」

零士が紹介した。こんにちは!と声が響く。

「こちらはOBの新谷さん。と、彼女さん」

「もう! 新谷君がちゃんと紹介してくれないから!  私もOGなのよ。新谷君と同期の夏木です。立石君は一度会ってるわよね」

夏木が新谷の肩を叩いた。

「し、失礼しました」

「君が九頭龍君ね、二代目レイニー君。噂は聞いてるわよ」

「どんな噂ですか?」

「やんちゃ坊主なんですってね、新谷君が教えてくれたわ」

「新谷さん、やんちゃ坊主って、どんな話したんですか?」

新谷は笑っている。

「そういや、先週鈴鹿でやらかしたってな。ファーストラップの第一コーナー、派手にオーバーランしたらしいじゃないか」

「な、な、なんで知っているんですか?」

零士は驚いた。その話はまだ誰にもしていない。

「君、コバさんのトランポに乗って行っただろう? あの人、地元じゃ古株の有名人なんだよ。コバさんが若いの連れて来たって、パドックですぐに話が広まったのさ。その若いの、タイヤに熱も入っていないスタート直後の第一コーナーで鬼ツッコミして、流石コバさんが連れて来た新人だけあるなあって感心してたら、曲がらずにそのままコースアウトしたって。どんだけくそ度胸なのか、馬鹿なのか、名前聞いたら九頭龍なんて珍しい名前だっていうじゃないか。俺は腹筋が吊ったよ、笑い過ぎて」


「いいか! 俺は先にコースに入っているから、君の面倒は見てやれん。講習が済んで走行許可貰ったら、マーシャルの指示に従ってコースインしろ。最初はコースの広さにラインの見当もつかないだろうから慎重にな。初心者が誰かについて行こうなんて思ったら、即ぶっ飛ぶぞ。まずはコースに慣れるんだ」

確かにそう小林からアドバイスをもらっていたが、零士は緊張の余り全てを忘れていた。ピットロードを抜け本線に合流し、千切れんばかりにアクセルを開けて、第一コーナーまでの表示を見たが頭に入って来ない。どこでブレーキを始めればいいか、さっぱり判らず、気が付いたらコースアウトしていた。


「あれはですねえ。コースが広すぎてブレーキポイントが判らなかったから、ですよ」

「普通、初めてのコースは様子見で走るもんだ。コースを覚えて、自分なりのブレーキポイントや強さ、カットインのポイント、クリッピングポイントを探しながらタイムを縮める。いきなり全開で突っ込む奴なんかいないよ」

「レースのゲームとか、投稿サイトの動画とか、見てたんですけどねえ」

「そんなのでコースが攻略できたら、そんな楽なことはないさ。まあいい。ほんと笑かしてもらったよ」

 新谷は零士の肩を数回叩くと、

「じゃあまたな」

そう言って店に入ろうとする。会釈をする立石の前をすれ違って、思い直したように振り返った。

「レイニーとは走っているのかい?」

零士は栞と顔を見合わせた。

「いえ、まだ研修中みたいで、連絡がありません。卒業式の後、走ったのが最後です」

「そうか・・・」

「新谷さんからは電話しないんですか?」

「・・・俺からはしない。あいつが吹っ切れて、自分から掛けてくれるのを待つ、そう決めたから」

零士は神妙な面持ちになった。もしかしたら、新谷さんも麗奈先輩のことが好きだったんじゃないだろうか、或いは現在進行形の? しかしその疑問は口にしなかった。夏木の手前、聞けない。栞が零士の肘を引っ張った。

「零士君、いこ!皆待ってる」

「そうだな。・・・新谷さん、また今度一緒に走って下さい。電話します」

「おう。待ってるよ」

新谷は右手を上げ、零士は栞と仲間の所へ急いだ。


「B班出ますよ、各自準備とチェックしてください」

おかげ横丁でA班と別れ、零士たちは駐車場に戻って来た。

「ええと、ちょっとポジション入れ替えます。先頭は私で変わらず、橘さんセカンドに入って下さい。その後ろにコージとアキラ、佐藤さん、結城君、戸橋さんの順でお願いします」

 ヘルメットとグローブを着けたメンバーがエンジンを掛ける。駐車場をゆっくり出た零士は、街中を慎重に走った。B班は県道を辿って横山展望台に走る。A班は伊勢志摩スカイライン、パールロードから南下し、落ち合うのは鳥羽展望台だ。


「うわあ、綺麗ですねえ」

感嘆の声を上げたのは橘だ。横山展望台のデッキからは英虞湾が一望できる。

「最高の景観だな」

「うん、良いロケーションだ。まさに絶景」

零士は皆の反応に満足した。幾重にも見える緑の小島、碧い海、そして青空。白い雲が輝いて見える。

「写真、写真!」

シャッター音が重なり、何枚もの風景写真とチームメンバーの笑顔が写った。零士は腕時計を見ながら、ひとしきり皆の興奮が落ち着くのを待ってから促した。

「さあ、行きましょう!」

同じポジションを維持しながら零士はチームをリードした。スペイン村を横目に抜けてパールロードへ。途中の市街地を除き交通量は比較的少なく、綺麗な路面の走り易い道だった。零士たちB班はパールロードを北上して集合場所を目指し、立石らA班は南下してくる。偶然にも展望台駐車場に入ったのは同時だった。

「レイニー、お疲れ!」

「お疲れ様です。どうでしたか?」

「サイコー! いやあ、何度走ってもいいわ、パールロード」

「こっちも良かったっす。横山展望台」

「写真、見せてよ」

零士が立石にスマホを差し出すと、横から栞がのぞき込んだ。目に飛び込んだ風景に栞が悶えた。

「いやーん」

「なんつー声を出すんだ。若い娘がはしたない」

立石は、写真を見ながら栞をたしなめた。

「B班の方がロケーションを楽しんだみたいだな」

「A班はロードを楽しんだみたいで。これじゃあ、あべこべですね」

「そんなことないさ。両方ともバイクの楽しみ方、だろ?さ、皆を集めて集合写真撮ろう」


 翌日、児童心理学のクラスで、栞が待ち構えていたように零士に話し掛けた。

「おはよう! 週末のツーリングなんだけど、もうテント買った?」

「あれ? 言わなかったっけ? テントはもう届いてて、寝袋とインフレーターマットは水曜日に届く予定。週末のバイトも休み貰ったし、準備は大丈夫だよ」

「あのね、夕べ色々考えたの。週末の天気は安定して快晴が予想されるし、虹とかは期待できないし、それなら海も良いなあって。それでね、テント泊できるなら遠出もありかなあって」

「どっか行きたいとこ、思い付いた?」

栞はニンマリと笑うと、

「蜃気楼見に行こう!」

と半ば叫ぶように言った。教室の何人かが振り向いた。

「蜃気楼って・・・、魚津、富山かぁ⁈」

今度は零士が驚きの声を上げた。また何人かが栞たちを振り向いた。

「だめ?」

零士は考えた。ざっと350kmくらいか? 一泊で行けない距離ではない。しかし。

「蜃気楼って、今の時期だっけ?」

「三月から六月の初めまで。私、調べたから」

「栞、アクティブになったなあ・・・」

栞は照れたように、でも自慢げに笑った。


 土曜日の朝六時、零士は栞を迎えに行った。高速道路と使って岐阜白鳥へ。そこからは国道と県道を併用するルートにした。早朝とは言え、市街地で渋滞に巻き込まれるのは避けたい。そのまま富山まで高速を走る方法もあったが、高速代の節約とやはり峠道は楽しみたい、そういう零士に栞も賛成した。途中、九頭竜湖に寄ろうと提案したのは栞だ。

 岐阜から福井へのルートでは沢山のツーリングライダーとすれ違った。ヤエーの連発を受けて、栞も上機嫌だ。白山公園を半周するように白川郷に走るルートは、青々とした木々の香りが凄かった。右へ左へとバイクを操る二人はロードの上でダンスをしているようだった。昨年、麗奈と新谷が踊ったようなダンスを、今は栞と零士が北陸の山中で繰り広げている。零士は不思議な感覚を覚えた。一緒に走っているライダーの狙っているラインやカットインのポイント、アクセルポイントが解るのだ。解る?感じると言うべきか。例えば今なら二台が並走しても接触も転倒もする気がしない。フィギュアスケートのペア競技のようなライディングも可能だろう。

「感覚が鋭敏化しているのか・・・?」

零士が呟いた。

「何?」

インカム越しに栞が聞き返したが、零士は何でもないよ、と返しただけだった。

 富山県には午後の早い時間に入った。数回の休憩を挟んだとは言え、ほぼ走り詰めだったせいか、二人が考えていたプランより早くキャンプ場に入れそうだった。晴れた日だったので、休憩ごとに見える山岳の景色もたっぷりと楽しむことができた。海沿いのキャンプ場にチェックインし、管理人に二人は尋ねた。

「そう、京都から蜃気楼を見に来られたの。ここからでも見れるし、でも海の駅の方が良いかな? ボランティアの人が海を観察していて、蜃気楼が出たら教えてくれるから」

初老の、柔和な管理人はそう教えた。二人は丁寧にお礼を言って、整理された区画にテントを張ると、海の駅蜃気楼を目指して走った。二人が朝早く出てきたのは少しでも長く海を見るためだ。

 零士と栞は石のベンチに並んで座り、とりとめのない話をしながらずっと海を眺めた。さざ波が光を反射し、眩しい。薄く曇ったような水平線を見ていると、今にも蜃気楼が現れそうな気がして、目が離せなかった。

「根気よく待っているねえ」

ボランティアのジャンパーを着た年配の男が二人に声を掛けた。

「ええ。気持ちのいい海ですね。蜃気楼が今も現れそうで」

「うーん・・・。気象条件はいいんだけどね。海上はちょっと風が強いのかなあ」

「そうなんですか? ここはこんなに穏やかなのに」

「海と陸じゃ違うから。ほら、海鳥が上がったり下がったりしてるでしょう? あんな飛び方をするときは、ちょっと風が強い」

「そうなんですか」

「・・・うーん、たぶん明日じゃないかぁ、出るの。明日も見に来れますか?」

二人は顔を見合わせた。

「せいぜい十時半くらいまでですね、魚津にいれるのは」

男は二人の横にあるヘルメットに目を落とすと、零士に尋ねた。

「どちらから?」

「彼女が京都で、僕は滋賀です」

「そうかね。遠い所から折角来てくれたのにねえ。明日の午後なら見れる可能性は高いと思うけど、午前中かあ・・・」

「駄目、ですかねぇ」

「わからんよ。蜃気楼は気まぐれだから」

男はそう言って、笑ってその場を離れた。

「何時までここにいる?」

栞が零士に聞いた。

「地元の人が今日は駄目っぽいって言うのだから、今日はもう諦めるか・・・。逆算して、晩御飯、買い出し、風呂って考えると、四時半が限度かな」

「じゃあ、もうそんなに時間ないね」

「よし、スパッと気持ちを切り替えよう。温泉、入りに行こう」

 栞は名残惜しそうに海を見ていたが、意を決して立ち上がると、海に向かって右の拳を突き出した。それをピストルの形にして片目をつむると、

「明日出て来ないと容赦しないからね、バンッ!」

そう言って笑った。


 近くの温泉宿でお風呂を借りた。栞はたっぷり一時間、零士は長めに入って四十分、しっかり体を温めて出て来た。零士は早起きのせいで眠気に襲われ、受付の横にあるソファーでウトウトしていた。人の気配がして眠そうな目を静かに開けると、湯上りの栞が立っていた。すっぴんの、まだ幼さが残るような顔は、いつもメイクを済ませた顔を見慣れている零士にとっては新鮮だった。半分寝ぼけたように栞を見つめる零士。栞は照れた。

「ノーメイクなの。そんなに見ないで・・」

ノーメイクでモーマンタイ、零士は口にしかけて止めた。女性の化粧に男は口を出してはいけない、昔悪友に言われた言葉だ。理由は教えてくれなかったが、何故か覚えている。きっと女性には男に触れられたくない部分が何かしらあるのだろう。勝手に解釈した。

「よし、行こう」

二人は受付をしている女性に丁寧にお礼を言って外に出た。これから食料の買い出しをしてテントに戻る。弁当やパンを買うつもりだったから料理時間はないに等しい。キャンプ場に戻ると管理人が声を掛けた。

「どうでしたか?蜃気楼は見れましたか?」

「いえ、見れませんでした。明日に期待します」

「そう・・・。明日はきっと見れますよ。今日は馬鹿陽気で気温が上がったから」

「楽しみにします」

零士は何げなく売店を覘いて、あっと声を出した。レンタル焚火台という張り紙がしてある。

「あの、これって、何がセット内容に含まれるんですか?」

「二、三人用の焚火台ね。耐火シートと着火剤、マッチが含まれます。薪は別ね」

栞が零士の肘を引っ張った。

「借ります。薪も下さい!」


 零士は立石がやったように焚火台に薪を積み、着火剤を下に差し込んでマッチで火を付けた。二本目のマッチで着火剤に引火し、すぐに薪に火が移った。火起こしが成功してすぐ、辺りは暗闇に包まれ始めた。十分な灯りを持っていない二人にとって、目の前の焚火が唯一の灯りだ。零士が予備のグランドシートにインフレーターのマットを引き、そこに二人で並んで座り、弁当を食べた。

「暗くてお弁当のおかずが何だか判らないね」

「そうか、ランタンとかも要るね」

「うん、椅子もやっぱりあった方がいいな。焚火の火の粉でエアマットに穴が開いたら大変だ」

「もう少し焚火と離しておこうよ」

「寒くない?」

「大丈夫」

 食事が終わると後は何もすることがない。二人はしばらく揺れる炎を見ながら授業のことやバイトのこと、来年するであろう就職活動のことを話していたが、やがて話題はツーリングで行きたい場所のことになり、麗奈の話になって、会話は途切れた。遠くに潮の音が聞こえる。虫の声、焚火のはぜる音。栞が零士の肩にもたれた。

「焚火って、ロマンチックね」


 朝、零士が目を覚ますとその横には栞の顔があった。夕べ栞が甘えて零士のテントにインフレーターとシュラフを持ってきたのだ。

「零士君、一緒に寝よ」

「二人じゃ狭いって」

「大丈夫よ、荷物を向こうに移せば」

そう言って勝手に零士の荷物を自分のテントに移動させた。

「しょうがねえなぁ」

二人は並んで横になった。スマホのライトを消すと何も見えない。零士が栞の甘い香りに誘惑され、でも理性を保っているうちに栞は寝息を立てた。その寝息を聞いているうちに零士も眠りの落ち、気が付いたら朝になっていたというわけだ。今は栞の寝顔がハッキリと見える。零士は栞を起こさないように静かに体を起こしたが、栞はいきなり目を開けた。

「おはよ」

栞はそう言うと、シュラフのジッパーを下し、起き上がった。

「顔、洗って来る」

零士がテントを出ると、近くのキャンパーはもう起きていて、それぞれ湯を沸かしたり、朝食の準備をしているようだった。零士も歯を磨きに水場に歩いた。コッフェルやコンロがないとコーヒーも飲めないのか、零士は歩きながら呟いた。必要最小限の装備で来たから、足りない物だらけだ。しかし立石に教えてもらった通り、初めから全てを揃えようとしなくても、始めて見れば本当に必要な物が見えてくる。例えば、フライパンやサンドメーカーで朝食を作れば温かい食事は摂れるももの、作る時間や後片付けの時間は発生する。当然荷物も増える。結局は立石の言う通り、目的にあったギアがあればいいというわけだ。必要なものとあった方が便利なものでは意味が違う。栞が帰って来た。既にメイクも決まっている。零士はテントからグランドシートとマットを出して座る場所を作った。

「さ、朝ごはんにしよ」


 テントを畳んでキャンプ場を後にし、海の駅に着いたのはまだ八時前だった。昨日と同じベンチに陣取り、二人はひたすら海を眺めた。零士が紙コップに入ったコーヒーと紅茶を買って来た。熱いよ、そう言って栞に差し出す。

 九時半を回って、ボランティアスタッフの人が来た。双眼鏡を片手に海上数十キロを探している。十時を回った。栞は少し悲しそうな顔をし始めた。零士はそれを見て、栞に話し掛ける。

「帰りにミラージュミュージアムに・・・」

「出たぞう!」

零士の言葉は誰かの叫び声に掻き消された。その声に弾かれて、栞がカメラ越しに蜃気楼を探す。小型のミラーレスだがレンズは望遠レンズが付いている。零士がオペラグラスで探す横で、栞のカメラからシャッター音が響いた。零士は栞のレンズが向いている方を探すと陽炎の向こうに微かに何かが見える。

「あれか?」

「ほら、零士君」

栞が零士にカメラを渡した。ファインダーを通して、海上に街の建造物が揺れているのが見えた。

「すげえや」

二人はカメラを荷物に固定し、液晶画面を通じて海を眺めた。そしてそれは唐突に起きた。

「あ、消えた・・・」

「やだ、いきなり消えるのね。徐々にフェードアウトするのかと思ってた。幽霊みたい」

呆然とする二人の前に、昨日のボランティアの男がいた。

「二人は運が良いねえ。あっちで蜃気楼見えた証明書がもらえるよ」

「ありがとうございます」


 栞の自宅前。零士は一旦NSRのエンジンを切るとサイドスタンドに車重を預けてヘルメットを脱いだ。

「栞、今日はありがとう。いいもの見れた」

「ううん、こっちこそありがとう。零士君が居てくれたから魚津まで行けたの」

CBRに跨ったままの栞に零士が近づき、その時、二人のスマホに着信があった。

「麗奈先輩だ!」

メールには、研修終了、ツーリング再開するけど? と、短い文章があった。麗奈らしい。零士は少し迷った。麗奈の誘いはいつも突然だ。こっちで予定を組んでいたら、そう思うと昨年のように簡単に返事ができない。優先順位の問題なのだ。栞はその気持ちを察したかのように、月に一回くらい、行き先は麗奈先輩任せの日があってもいいんじゃない? と言った。零士は頷いて、月一くらいの頻度でいいですか? と返信した。すぐに、勿論、の二文字。続いて、再開は七月二週からとメールが届いた。

「随分先だなぁ?」

二人は不思議に思った。

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