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002



 同期会、もとい結局は送別会となった催しは夜遅くまで続いた。酒場を何件かハシゴした後、それぞれが再会を約束して互いに挙手敬礼で別れを済ませる。


 四年戦争と名付けられた戦争の開戦が間近となる頃、まだ士官学校の生徒であった彼等は繰り上げ卒業となり、17歳や18歳で陸軍最年少の少尉候補生となったのは勃発の1ヶ月前だ。


 卒業記念と出征記念が重なった最初の飲み会ではロクに酒の飲み方も分からない時分で酔い潰れるか悪酔いするかという二択の有り様が店内に広がっていた思い出を青春と表題されたノートのページに綴って彼等は戦場へ向かった。


 第一次、第二次、第三次、第四次、第五次と会戦の回数が刻まれるにつれて同期会へ参加する同期の人数は反比例の如く減少を続けた。


 若くして戦場の露と消えた同期達を顕彰する石碑が建立された国立英雄墓地。


 白亜の墓石が等間隔に連なり、個人の名前の下には生年月日と戦没した年月日が刻まれている。


 果たしてどれほどの墓石があるのかは定かではない。なにせ1世紀ほど前に当時の皇帝が墓地の設立を命じて以来、皇国がどれほどの若者の血を流させ、屍を積み上げて祖国を護って来たのかを鑑みれば当然だろう。


 自身の送別会となった翌日の昼前に大隊長は国立英雄墓地を訪れた。


 墓地の入り口には衛兵が立っており、軍服姿の彼を認めると銃剣を着けた歩兵銃を持ち上げて捧げ銃の敬礼を行った。それへ答礼を返しつつ大隊長は墓地の敷地へ足を踏み入れる。


 手入れされた芝生の上へ等間隔に並ぶ墓石を視界の両端に収めながら向かった先は戦没した同期達を顕彰する石碑である。


 【皇国陸軍士官学校第79期生戦没者慰霊碑】


 大柄である大隊長の背丈を遥かに超える白亜の石碑に刻まれた文字の下には戦死した同期達の名前が一人ずつ連なっている。


 連中に花束は似合わん、と愛馬に跨がりながら墓地へ向かう途上にあった花屋には立ち寄らなかった。


 その代わりに、と言わんばかりに彼は姿勢を正し、カツンと乗馬用長靴の踵同士を合わせ、端正な挙手敬礼を石碑へ送った。礼式の模範として描かれそうな程の敬礼だ。


 軍人として逝った者達へ対しての弔いはこれで充分なのだ、と大隊長は心の隅で考えつつ右腕を下ろした。


「──行ってくる」


 返事が来る訳でもないが、141名の名が刻まれた石碑へ向かって呟くと大隊長は回れ右の動作を基本に則って行い、規則的な歩幅でその場を立ち去った。





「──お父上の墓参りはしなかったのかい?」


 皇都ヴィーゼシュタットには貴族街と通称される区画が存在する。その通称の由来は単純だが、貴族が屋敷を連ねているからだ。


 その貴族街の中にある屋敷でも一位、二位を争う程の敷地面積を誇る邸宅へ邪魔をした大隊長が家令の案内を受けて応接間に足を踏み入れると待ち構えていた五十路過ぎの男性が紅茶が淹れられたカップを傾けつつ彼へ分かりきっている問い掛けを放った。


「…お分かりでしょうに」


「まぁね。…でも同期達の墓参りは済ませた、といった所かな?」


「良くお分かりで」


「君とも長い付き合いだからね。それこそ君が産まれた時から──あ、コーヒーで良いかな?砂糖抜きの」


「はい、お願い致します」


 家令へ目配せする屋敷の主人である壮年の男性は彼へ対面のソファを勧めた。


 軽く頷き、軍帽を脱ぐと腰の剣帯へ吊っているサーベルの佩環からフックを外して腰を下ろす。


「先日、モーリッツとカールが来てね。葉巻を置いていったんだ。どうだい一本?」


「…と申しますと参謀総長閣下と陸軍大臣閣下が?…頂きます」


 気軽に──それこそ雑談の中で今朝の食事の献立を思い出したと言わんばかりに皇国陸軍の軍政と軍令を司る要職を務める高官が屋敷を訪問したと告げる邸宅の主人が眼前のテーブルに置かれた葉巻の箱を指し示す。一服を勧められ、彼は会釈を軽くしてから手を伸ばした。


「そう。老い先短いのにわざわざ帝都くんだりまで行くのはどうかしてる、と言われたよ。まだ52なんだけどね」


「そして、死に損ないと来ている」


「それはその通り」


 蓋を開け、中から葉巻を一本抜き取った大隊長が傍らへ置かれていたギロチンを手にして吸い口を切る。長軸のマッチを擦り、葉巻の先端を炙りながら軽口を叩くと屋敷の主人は堪らず苦笑いを漏らした。


「…お痩せになりましたか?」


「うん?まぁ…そうかもね。終戦交渉も忙しかったから」


 屋敷の主人に最後に会ったのは第五次会戦の戦場へ出征する寸前だ。主人も中立国での交渉の為、出発を控えていたのもあって長い時間を過ごせた訳ではないが──記憶にある姿よりも些か痩せている気がしてならない。とはいえ目立って痩せた、という訳ではない。良く言えば貫禄があるだろうか。腹部が丸く突き出ているのがその証拠だ。


 炙った葉巻を銜え、紙巻き煙草とは違うまろやかで豊潤な香りと味わいを楽しみつつ大隊長は紫煙を緩く吐き出す。個人的な嗜好としては紙巻きや手巻きの煙草の方が好みだが、この銘柄は悪くない。


「…気に入りました」


「それは良かった。僕も紙巻き派だから敬遠してたんだけど、その葉巻は悪くなかった。それはそうと…辞令は正式に出たのかい?」


「はっ。大使館付の駐在武官を昨日拝命致しました。閣下に御同行するように、との命令であります」


「明後日に出発だ。暫くは皇都どころか皇国へも帰れるか分からない。終戦直後というのもあって向こうでは忙しい日々が待っているから覚悟しておいて欲しい」


「畏まりました」


 首肯する彼の眼前で葉巻を手にしてマッチで先端を炙る屋敷の主人こそ、帝国へ新しく赴任となる大使だ。


 バルト・ヘアツォーク・フォン・エーベルバッハ。四年戦争で主力の第2軍を基幹とした皇国陸軍を率いて帝国陸軍と砲火を交えた人物だ。現在は予備役の陸軍大将となりつつも外務省で勤務している。名前のHerzogヘアツォークが示す通り、公爵の爵位を戴いている歴とした貴族でもあった。


 右腕の肘から先を斬り飛ばされてしまい、それ以来は義手を着けて生活しているのだが器用に葉巻へ火を点けているのは流石としか言いようがない。


「閣下が赴任となりますと…奥様は?」


「あぁ…彼女は皇都こっちに残るそうだよ。息子二人の墓守もしたいと言ってね」


「なるほど。…遅れ馳せながらお悔やみを申し上げます」


「ありがとう。…複雑なものだよ。軍人や司令官としては“良く死んでくれた”と誉めたいんだけど…父親としてはね…」


 屋敷の主人──エーベルバッハの子息二人も四年戦争で戦死している。いずれも将校としての戦死だ。戦死者を出した一般臣民の家庭がそうであるようにエーベルバッハ家でもささやかな葬儀を執り行ったと彼は耳にしていた。


「エーベルバッハ家の存続は如何なさるおつもりですか?養子は…」


「養子かぁ。…君さえ良ければ養子に迎えたいんだけど…」


「御冗談を」


「断られてしまったなぁ。割りと本気だったのに。まぁ君の家も皇国開闢以来の歴史を持つ家柄だからね。しかも当主だ。エーベルバッハ家は弟が継いだ分家が存続させてくれるだろうから心配要らないよ。本家は僕の代で終わりだ」


 そう簡単に家の存続を決定して良いのだろうか、と大隊長は葉巻の紫煙を緩く燻らせながら考え込む。しかし養子を迎える気がない、となればエーベルバッハ本家の血筋は当然ながら断絶となる。


「一族は祖国に何世紀も仕えたんだ。もう義務は果たしただろうから大丈夫さ」


 濃い茶髪を整髪剤で撫で付けた屋敷の主人が気軽な様子で肩を竦めてみせる。


 互いに紫煙を燻らせながら葉巻を無言のまま味わっていると家令がコーヒーを運んで来る。眼前へ配膳されたソーサーに乗せられたカップを摘まんで一口啜った大隊長は溜め息を吐いた。


「…やっと終わりましたな」


「…うん、終わったね。やっと。始めるのは簡単だが、終わらせるのは困難、という先人達の言葉の重みを改めて理解したよ」


「…故に賠償金なしの終戦?」


「手打ちにするにはそれしかなかった。いや…どうだろうな。もっと条件の良い終わり方もあったんだろうけど帝国あっちは厭戦気分が蔓延し、皇国こっちは戦争遂行の能力が限界に近かった。エルダー平原の永年占有、で手打ちだよ」


「…それでは開戦前と変わらない。賠償金の請求もなし、新たな領土の獲得もなしでは…」


「…言わなくても分かるよ。でもね…周りには皇国を併呑しようとする諸国オオカミがいるんだ。いつまでも帝国相手に戦争をやってる訳には行かない。…北で不穏な動きもある」


「つまりノーデルラント王国に?」


 カップをソーサーへ置きながら尋ねる大隊長へエーベルバッハが鷹揚に頷く。


 昨夜の同期会、もとい送別会に同期の一人が来なかった。なんでも北の古巣──原隊へ戻ったからと聞いているが、どうやらエーベルバッハが口にした“不穏な動き”に関係があるようだ。


「開戦、でありますか?」


「いや、直ぐにどうこうとはならないだろうね。少なくとも半年…いや3ヶ月ぐらいは猶予がある」


 それを直近というのだがエーベルバッハは構わず続けた。


「北部方面軍15万を主力として東部方面軍管区から2、3万を引っこ抜き、増員させて侵攻に備える。それと外交での交渉かな。今はそれぐらいしか出来ない。下手に増やすとノーデルラントを刺激する恐れがある」


「…まさか参謀総長閣下と陸軍大臣閣下がこちらへ参られたのは…?」


 士官学校、陸軍大学校の同期・先輩である屋敷の主人から助言を得る為だったのだろうか、と彼は考えたがエーベルバッハは微笑みを浮かべるばかりで答えはしなかった。



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