001
フランドル皇国皇都 ヴィーゼシュタット
エルダーの地から東へ約500km。皇国の中央平原へ6世紀ほど前に建設された都市は煉瓦作りの家々が立ち並ぶ。
皇都中央駅には続々と戦場から帰還する将兵を乗せた軍用列車が到着し、出征から長らく顔を見ていない銃後の家族、親類縁者が駆け付けては再会を喜んでいた。
だが帰還者達の中には残念ながら生きて戻れなかった者達も含まれている。
駅のホームへ滑り込んで来た列車が停まると、まず真っ先に降りて来るのは戦死した将兵の遺骨だ。戦場で火葬にされ、遺骨を納めた小さな木箱へ白い布を巻いた同じ部隊の戦友が胸へ抱えつつ帰還を果たす。
──この数年で見飽きた光景だ。
戦場へ発つ際は「これが皇都の見納め」と覚悟して出征したが、運が良いのかーー悪運の類いに恵まれたようでヴィーゼシュタットの駅へ降り立つ帰還者の中には、まだ青年の年頃の大隊長も混ざっていた。
黒衣の上下軍服へ同様の色合いの革地で作られた外套の両肩には金色の星が二つ連なる階級章がある。その階級章を見た者達は立ち止まって彼へ挙手敬礼しつつ混雑するホームの道を開けた。
敬礼に応じて軍帽を被った頭の額へ右手を軽く翳して答礼を済ませながら大隊長は右手に大振りの鞄を握り直して改札口を抜け出る。
「……帰ってこれたか…」
戦場で受けた戦傷のひとつである銃弾が掠めた擦過傷は左頬へ残ってしまった。
やたら目立つ戦傷が顔に刻まれる青年へ青毛の軍馬の口取りを握って誘導しながら歩み寄る軍服を纏った兵卒が彼へ乗馬を勧める。
「手数を掛けたな。言うことを聞かんかっただろう?」
「戦場帰りの馬ですから仕方ありません。お荷物をお預かり致します。お荷物は…ホテルで構いませんか?」
「あぁ、頼む」
愛馬を受け取った大隊長は交換するように兵卒へ鞄を手渡した。
お気を付けてと告げられると大隊長は鷹揚に頷きつつ鐙へ片足を掛けて一気に鞍へ跨がる。
「…帰って来て早々に参謀本部へ出頭か。宮仕えは難儀だな、ウラヌス」
青毛の毛並みをした愛馬の名を呼びながら彼は溜め息を微かに吐き出す。愛馬は「何を今更」と言いたげにブルルと小さく嘶いた。
「──皇国陸軍士官学校第79期に乾杯」
「──生き残りのバカ共に乾杯」
「──死に損ないのテメェらに乾杯だ」
「──そして一足先に逝っちまった141名に献杯」
「──戦争の終結に…」
皇都の各地にある酒場という酒場は帰還兵でごった返している。その中でも比較的、静かな酒場を選んで開かれたささやかな同期会。小さな卓を囲んで腰掛ける年頃が近い5名の男達は木製のジョッキをぶつけ合い、思い思いの乾杯の口上を述べるとジョッキを傾けて一気にビールを飲み干した。
「ふぃ~。──ゲフッ…失礼」
「汚ねぇなオイ」
「しゃーねぇだろ。この頃はブランデーばっかだったんだから。あ、おっちゃん。ビール追加。しっかしへルマンが参加出来ねぇってのは残念だな。北の古巣に戻るんだとよ」
軍馬が象られた騎兵科の兵科徽章を軍服の胸へ付け、少佐の階級章が肩に光る青年が込み上げた炭酸でゲップをかますと、すかさず城砦を象った工兵科の徽章が軍服にある少佐の青年が苦言を口にする
酒場の主人が追加の注文を受けるとビール樽からジョッキへ並々と泡立つ液体を注ぎ始めた。
「で、お前らはどうするんだ?」
「どうするって?」
細く切られ油で揚げたジャガイモを口へ運びながら大尉の階級章に王冠と小銃が象られた近衛の兵科徽章を着けている青年が面々へ問い掛ける。
その問い掛けに小銃と抜き身の剣が交差した意匠の歩兵科の兵科徽章と少佐の階級章が着いた軍服を纏う軍人が首を傾げた。
「退官するのか、って話だ。同期の155名中141名が戦死。生き残った奴等も殆どが退役か予備役に編入だそうだ」
「…ハンスの奴もか?」
「あぁ。右膝から先を吹き飛ばされては…生きてただけ有り難いってモンだろう。他の奴等も退役は受理されたと聞いた」
同期の一人も戦傷が原因で既に退役したと告げられれば、彼等は新たに運ばれて来たビールが並々と注がれたジョッキを掴んで静かに傾ける。
「…俺は退役しねぇぞ?」
「俺もだ。お前の方は?」
「俺か?…近衛が簡単に辞められると思うな」
「辞められちゃ困るなぁ。俺なんか生涯現役みてぇなモンだぞ。残って貰わなきゃ困る」
口々に彼等は退役しないと同期達へ告げる。あの地獄のような光景が支配していた戦場へ二十歳前から駆り出されて尚も軍人を続けるのは精神異常者と言われても無理はないかもしれない。
「──で?我等が首席殿は?」
不意に騎兵科の少佐が静かにジョッキを傾けてビールを嚥下している大隊長へ視線を向けた。すると自然に他の同期達の視線も集まってしまう。
「…俺も暫くは無理だな。新しい辞令が出たのもある」
「へ?もう?」
「1ヶ月は休暇貰えるんじゃねぇのか?」
「その筈だった。どっかの馬鹿野郎のせいでな。新しい任地へ向かわなきゃならん」
苦々しそうに──少なくともビールの味ではない苦味を感じさせる表情を精悍な顔へ浮かべながら大隊長は口にする。それを聞いた騎兵科の少佐は乾いた笑い声を漏らしていた。
「で?新しい任地って?」
歩兵科の少佐が同期である大隊長へ尋ねると、その彼はおもむろに握り拳を作って立てた親指を西へ向けて見せる。
「…西部方面軍?」
「確か…生まれと育ちは西部だったよな。良かったじゃねぇか。故郷の近くで勤務だなんて」
「……その先だ」
「…その先…って国境守備隊か警備隊?…えぇ~?」
「騎士鉄十字勲章の受勲者に対しての辞令じゃなくね?参謀本部は何を考えてんだ」
大隊長は終結した本戦役に於いて数々の勲章を受け取っている。いわば“英雄”の如き存在だ。その彼に国境の守備と警戒が任務の部隊へ転属を命令するなど信じられないとばかりに同期達が唖然とする中、大隊長はゆるゆると頭を左右へ振る。
「え、違うのか?」
「…国境の先って……帝国しか……」
「その帝国だ。帝都での駐在武官勤務を仰せ付かった。任期は3年だ」
「…お前が駐在武官?」
「出来んの?」
「無理じゃね?」
彼が任地を明らかにした途端、同期達は顔を見合せながら言い合う。
その姿に流石の大隊長も額へ青筋が浮かんだが──何を言いたいのかは理解しているのもあって激昂するような言動はなかった。
「…戦働きしか出来ないような皇国軍人はいないだろう」
「そりゃそうだけどさぁ。…ん?でも帝都の大使館って閉鎖されてたんじゃ…」
「終戦を迎えたからな。閉鎖も解かれて新しい大使も赴任するんだろう」
「なるほどなぁ。…あぁ、だからお前を駐在武官に。つい最近まで殺し合ってたからな。大使や職員の護衛って任務もあるのか」
同期の一人が予想を呟くと大隊長は頷いて肯定を示してジョッキを傾ける。
「で、赴任する大使は?人選難しいんじゃないか?」
「それについてはもう済んでる。バルト・エーベルバッハだ」
「………マジ?」
「それ大丈夫なのか…?帝国の国民感情的に…」
帝都へ大使として赴任する人物の名を大隊長が気軽な様子で告げると一人を除いた同期達が言葉を失う。
それもその筈だ。バルト・エーベルバッハという人物は四年戦争と名付けられた戦役から切っても切り離せない人間である。
開戦劈頭の第一次会戦から第三次会戦までエルダー平原で総司令官を務めたのがバルト・エーベルバッハ陸軍大将だ。第一次会戦での戦傷で片手の肘から先を失ったが、それを物ともせずに指揮を執り続けた。
現在は予備役大将となったが、予備役へ入る切っ掛けとなったのは皇帝の崩御である。まだ年若い即位したばかりの皇帝を支える為、五十路を超えた陸軍大将は長年の軍務に一区切りを付けると第一線を退いて文官の道へ進んだ。
外務省勤務となり、今回の大使選定に当たって白羽の矢が立ったのである。
そのエーベルバッハが戦争中に於ける皇国側の有名人──無論、悪い意味で有名であり、何千、何万もの帝国の若い男達を殺した命令を下した人物なので国民感情は宜しくないのではないか、と同期達は考えてしまう。
「…まぁ…煮ても焼いても喰えん人だ。若い頃は帝国に駐在武官として派遣された経歴もある。そこまで心配は要らんだろう」
「…そうかなぁ…」
「…くれぐれも気を付けて行けよ。同期会が送別会になっちまうなぁ」
「…なら主賓の俺は奢られる立場で構わんよな?」
「「「「割り勘だボケェ」」」」
異口同音で一斉に返して来る同期達へ大隊長は思わず苦笑いを漏らしつつ純銀のシガレットケースから抜き取った煙草を銜えるとマッチで火を点けた。