018
中途半端な出来ですが投稿
やはり腹の読み合い、探り合いの類いは性分に合わない。
ティエール陸軍管区司令官のヴィクトル・ユーステスは葉巻の紫煙を燻らせながら内心で嘆息する。
表情には出ていないと信じたいが、声に動揺の色を醸し出してしまったと自戒の念が込み上げるが今更どうしようもない。
おそらく──いや、眼前の青年将校は気付いただろう。灰皿へ煙草を押し潰す彼は鋭い男であると司令官は察している。
加えてルドルフの上官、或いは上司と言えば良いのか。その地位に座るのはバルト・エーベルバッハだ。
帝国最大の敵と呼ばれ、数十万からなる帝国陸軍を相手に領土を守り切った男である。寡兵の皇国がなけなしの戦力を結集し、激戦を繰り広げた四年戦争。短期決戦を企図して力押しでエルダー平原の占領を作戦方針とした帝国陸軍の思惑を看破し、逆に泥沼の長期戦へ引き摺り込んだ戦略家としての優秀さはユーステスが最も良く知っている。
まんまと餌に食い付いてしまい、右目を犠牲にして奪ったのはエーベルバッハの右腕一本のみだ。その後の血で血を洗った長期戦を考えれば勘定が合わない。
不倶戴天──とは司令官も決して思わないが、その一挙手一投足に警戒するのは当然だ。一度ならず痛い目を見ているのである。警戒しないのは阿呆の類いだろう。
沈黙が落ちる応接室に三人の人影が滑り込んで来るのを司令官の狭くなった視界の端が捉える。
「──遅くなってごめんなさい。あら…なにかお話でもしてたの?」
青色のドレスを纏う自身の妻が戻って来ると司令官は軽く肩を竦めてみせた。
「まぁ…少しな」
多くは語らず、それだけを返すに止めた彼の妻は何かを察したのか小さく頷いてみせる。
執事が皿へ盛った茶請けの焼菓子をテーブルへ置くのを見た司令官が目配せをして外すよう促した。気付いた執事は会釈をして入って来たばかりの応接室を後にする。
「…お久しぶりですローランド中佐。…お邪魔でしたか?」
「いや、そんな事はないが…」
応接室の空気を察したもう一人の人物──銀糸の如き髪を持つ女性将校、エリーヌ・ノースが司令官へ問い掛けると彼は首を左右に振った。
対面へ腰掛けるルドルフの様子を伺うと──やはりと言うべきか彼女の姿を見て目を見開いている。姓も違う他人である筈の彼女が何故ここに、と言わんばかりの目をしていた。
「彼女が幼い頃から後見人をしていてね。普段は官舎住まいなんだが時々、屋敷に泊まりに来るのだよ」
「…なるほど。…後見人…つまりノース少尉は閣下の親戚筋の?」
「…そんなところだ」
小さく頷いて肯定した司令官だが、眼前のルドルフからは疑いの眼差しが向けられている気配を察してしまう。
「…疑うかね?」
「いえ、とんでもありません」
「家族の在り方は多様だ。君の疑問は尤もだが尊重して貰いたい」
良くもまぁ見え透いた言葉を並べられるものだ。司令官は自分で口にした言葉へ自嘲すら感じてしまう。
注意じみた発言にルドルフは姿勢を正すと頭を下げてみせる。
「失礼致しました。無礼の段、平に御容赦を」
「気にしてはおらんよ。頭を上げてくれ」
司令官が彼を促して頭を上げさせる。一連の様子を見守っていたノース少尉はルドルフのカップに紅茶が残っていないと気付き、テーブルへ置かれているポットを掴んだ。彼のカップに紅茶を注いでやれば、ルドルフは会釈を送る。
「…この銘柄は焼菓子に合いますのでどうぞ」
「…頂きます」
皿へ盛られた焼菓子へ手を伸ばしたルドルフがそれを摘まんで口へ運ぶ。咀嚼しながら紅茶を含み、甘味が強調される味わいを確めながら嚥下した。
大陸歴 1858年 5月9日 2045
帝都ティエール 第8区 在ヴィルベルク帝国フランドル皇国大使館
「──ふぅん…それは妙な話だね」
大使館の大使執務室のソファへ腰掛け、差し向かいながらチェスを嗜むエーベルバッハが面白げに口角を緩く上げる様子を対面のルドルフが見遣りつつ駒を動かす。
「ノーデルラントに対する対応を尋ねられた後、交換条件で例の訓練施設について質問しましたら…」
「明らかに態度が変わったんだね?」
念押し気味に大使が確認するとルドルフは頷いてみせる。それを確めたエーベルバッハがビショップを動かして、ポーンを奪い取った。
「ユーステス大将は実直な軍人だよ。良くも悪くもね。僕みたいにペテンや謀には不向きな性格だ。それは君もなんとなくは分かるだろう?」
「…閣下と比べたらどんな人間でも素直かつ実直でしょう」
言うようになったな、と大使は彼の返しを聞いて思わず苦笑いを漏らしつつナイトを動かし、敵のルークを牽制する。
盤面の戦況を睥睨するルドルフは眉間へ皺を寄せながらポーンを前進させた。
「…そんな人間が明らかに嘘を吐いているのは気になってしまうね。何を知っているのか……いや、何を見たのかが正しいのかな」
大使の呟きに彼は疑問符を浮かべつつエーベルバッハが駒を動かす盤面を見下ろすが、相変わらず戦況は不利のままだ。たった今、クイーンでチェックを掛けようと動いた。四手先でチェックが掛からないようキングを移動させる。
「…何を見たのか、ですか?」
「ただの噂程度…流言の類いだとしたらユーステス大将の事だ。笑いながら否定するだろう。根も葉もない噂だとね。その彼が明らかに態度を変えて…それとも動揺したのかな?いずれにせよ気になる反応を見せた」
「…その訓練施設の存在を知っているばかりでなく…」
「運営とかに携わっていた可能性もあるね。まぁただの勘だから根拠はないけど」
肩を竦めてみせた大使がルークを動かすと盤面の戦況を確認した後、ルドルフへ問い掛けた。
「さぁ、どうする?」
「…参りました」
これ以上、戦いを続けても勝機が見えない。主導権が握られっぱなしどころか何十手先を読んでいるのか分からない采配を振るわれては投了を選択するしかなかった。
「結構。……その内、僕もお邪魔してみようかな」
「……は?」
何を言っているのだ。
エーベルバッハを見詰める彼の視線が物語っている意味を正しく捉えた大使が駒を片付けつつ口を開く。
「本気だよ。ついでに言えば正気でもある」
「…お言葉ですが閣下は…」
「そうだね。僕は彼に右腕を斬り飛ばされて、彼は僕に右目を斬り裂かれた。けど、その程度の因縁だよ。この程度でいつかのように殺し合いをする程、我々も暇じゃないからね」
そういう問題なのだろうか。エーベルバッハの言葉を聞いたルドルフが首を捻る。大使はそうでもないが、司令官からはエーベルバッハへ対する警戒心を否応なしに感じられた。
流石にあの屋敷で顔を合わせた途端に懐かしい第一次会戦の続きが始まるとは思わないが──
「…あまり煽らないようお願いします」
「失礼だな。僕も彼に負けず劣らずの素直な人間だよ?」
「先程、ペテンや謀に向いている人間とも聞こえる発言があったと記憶していますが…」
「あれ?そうだっけ?いやぁ、歳は喰いたくないなぁ。何分か前の発言を忘れちゃうんだもん」
いけしゃあしゃあと良くそんな事が言えるモノだ。
問い詰めるルドルフを煙に撒く大使は笑みを浮かべつつ肩を竦め、その姿を見た彼は呆れを込めた大きな溜め息を吐き出していた。