017
「──それにしても背が高いわね。体格も良いし…フランドル人の方って皆そうなの?」
「──はぁ…まぁ総じて帝国の方々よりも背丈は高いと思いますが…」
応接室で対面に座る夫人が興味津々とばかりにルドルフへ質問攻めをするのを夫である司令官は苦笑いを浮かべて見守るしかない。律儀に答える彼には迷惑を掛けているだろうが、これも務めと割り切って貰うしかないのだ。
「終戦して直ぐだというのに帝都で任務なんて大変ねぇ」
「余程の不当人事でない限りは異議申し立ては出来ませんし、経歴にも箔が付きますので悪い話ではありません」
「そういうものなのね。ヴィクトルには縁のない話だわ。この人、一度も外国勤務なんてしたことないし」
接待用に机上へ置いていた葉巻の端をギロチンで両断し、マッチで炙り終わったそれを銜えた拍子に自身へ飛び火した言葉を聞いた司令官が思わず咳き込んでしまう。
ゴホゴホと咳き込む司令官を隣に腰掛ける夫人が苦笑混じりに背中を擦る。
「私は関係ないだろう…」
「そう?だってあなた…士官学校の卒業席次は良くなかった、って言っていたでしょう?ローランドさん、皇国では駐在武官に任命される軍人って卒業席次は?」
「…卒業席次ですか?」
今度はこちらにも水を向けて来る夫人からの問い掛けにルドルフは考え込んだ。
「…全員がそういう訳ではありませんが外国語が堪能で現地の礼式や作法にも通じ、情報収集能力や処理能力が高い者が望まれますので…士官学校や陸軍大学校での成績優秀者が選ばれる傾向にあるのは間違いありません。勿論、部内や上官からの評価が最重視されますが」
「…ということは…ローランドさんもその内の一人という意味になるわね。個人的な興味でお尋ねするけど、あなたの卒業席次は?」
「幼年学校と士官学校はどちらも一応は首席で卒業しました。まぁ士官学校については繰り上げ卒業だったので正規の卒業席次とは言い難いのですが…」
中途半端に教育課程が終わってしまい、繰り上げ卒業の後は直ぐに出征だ。戦術学、戦史、軍制学、兵器学、射撃学、築城学、交通学、測図学、馬学、衛生学、教育学、外国語、校内教練、校外教練、隊内勤務、射撃、剣術、体操、馬術、典令範、測図演習、野営演習、各見学、その他諸々の課程全てを修めていない上での首席卒業は思う所がいまだにルドルフの中ではあるらしい。
「でも首席なのは凄いことよ。この人なんて真ん中の下ぐらいの成績だったそうだから」
「…私の頃の首席卒業者は貴族の子息だったからな。箔付けもあったのか、それとも金が動いたのか上位のほとんどは似たようなものだったよ」
「…それは私が聞いて大丈夫なのでしょうか…」
司令官が士官学校を卒業したのは30年程は前になるだろう。当時の候補生達の能力がどれほどなのかはルドルフは全く分からない。分からないが、眼前の司令官がボヤいた声音を察するに程度は宜しくなかった可能性を彼は感じ取った。
「構わん構わん。まぁ現在がどうかは分からんがね。…私が卒業した当時は成績優秀者達に凝った装飾が入った儀礼用の長剣が渡されていたな。皇国でも似たような慣例は?」
「となりますと…恩賜の銀時計でしょうか。首席と次席に下賜されます」
身を置く国家と軍隊は異なるが慣例は似通っているらしい。
尋ねられたルドルフは軍服のポケットから細い鎖で繋がっている純銀の懐中時計を取り出し、対面する司令官夫妻へ良く見えるよう差し出す。その蓋には皇国の国章である鷲が刻印されていた。
「…恩賜、ということは…」
「恐れ多くも──」
口にした言葉の後、彼は着席しながら背筋を伸ばして姿勢を正す。
「──先帝陛下より直接、賜った物になります」
「…そうなの。…銀メッキには見えないから…純銀かしら?」
小さく頷いたルドルフは手元にある懐中時計をポケットへ仕舞い込んだ。ちなみにこの時計を持っているだけでも皇国陸軍では一目置かれるらしい。
「でも意外ね。皇国の事だから…もっとこう…サーベルとか武器が渡されるかと思ってたわ」
「そのような時代もありましたが基本的に我が軍の将校や士官は自費調達なので現在ではサーベルや拳銃は自分の好みに合った代物を個人で揃えるようになっております。無論、この軍服もですが」
「自費調達ねぇ…最終的には財布と相談になりそうだわ」
「仰る通り…」
特に任官直後の少尉候補生は財布の余裕がない。それこそ全くと言って良い程だ。金銭的な余裕がなく、軍装品一式を揃えるのにも苦労するのは想像に難くない。その為、互助会のような組織が皇国には存在し、金銭の援助を行って新任の将校達へ軍服や外套を始めとした軍靴、剣帯、拳銃、拳銃嚢、双眼鏡といった軍装品の購入を手助けしている。
無論、実家が裕福であれば利用する必要はないのだが、将校となれば実家も“一人立ちした”と見做して援助を渋る場合も多いようだ。それでも援助が必要なら頭を下げて借金の形で資金調達をするしかない。
「まぁ我々の世代は出征が近いのもあって陸軍と国から支度金が支給されたので助かりました」
「…皇国は戦争や軍隊に金を惜しまない、と耳にするが君の話を聞くと吝嗇なのかその逆か分からなくなるな」
「既に国家予算の大半を軍事費に投じているのです。将校や士官なら自分で購入しろ、という事でしょう」
「いやまぁ…分からなくはないのだが…」
やはり国が違うと軍制等も異なるのだろうか。司令官は首を捻りながらも理解するしかない。彼が普段の軍務で纏う軍服も将官へ昇任してからは慣習に従って仕立てて貰っているが、それ以前の佐官までは支給品であった。軍隊の人員が豊富なのもあり、軍服のサイズは各種揃っていたのだ。購入する必要もない、と支給品を使っていたが大量生産品であるので着心地は察しの通りである。
主に夫人から質問攻めとなっていたルドルフに吉報がやってくる。紅茶の用意が出来た執事が女中を連れて応接室にやって来たのだ。
豊潤な香りが漂う湯気立つ紅茶がポットからカップへ注がれ、まず客人であるルドルフにソーサーへ乗せて配膳される。続けて夫妻の眼前にも配膳された。
「どうぞ。お口に合うと良いけれど」
「頂戴致します」
眼前のテーブルの天板は下腹部より下だ。その為、彼は左肩へサーベルの柄を預けると空いた左手でソーサーを掴んで持ち上げ、右手でカップを摘まんだ。
カップを傾けて一口啜れば、香りに違わぬ味わいが口内へ広がる。
「…紅茶はあまり馴染みはありませんが…これは美味い」
「口に合って何よりだ。…しまった…茶請けがないな。エリカ、済まないが焼菓子でもあれば…」
「分かったわ。ちょっとお待ち頂けるかしら」
「どうぞお構い無く」
一応の礼儀としてルドルフは告げたが、夫人は首を左右へ振って腰を上げると執事や女中と応接室を後にする。それを見送ると司令官が灰皿へ置いていた吸い掛けの葉巻を右手で摘まんで口に銜えた。
「来客が珍しいのもあって妻がはしゃいでいるようだ。申し訳ない」
「いえ、お気になさらず」
その程度で腹を立てるほど狭量ではない。彼の返答を耳にした司令官は軽く頭を下げてみせると手振りで彼へ煙草を勧めた。
「…では遠慮なく」
実際、口寂しかったところである。素直に頷いたルドルフがソーサーへカップを置きながら机上へ戻し、ボタンで留められている軍服の胸ポケットの蓋を開いて純銀のシガレットケースとマッチを取り出した。
良く見ればシガレットケースにも皇国の国章である鷲が刻印されている。深くは尋ねなかったが、この品もおそらくは褒章品の類いだろうと司令官は推測した。
マッチを手元側へ擦り、手巻き煙草へ火を点けた彼が手首を軽く振って消火する。それを見た司令官が灰皿を差し出すとルドルフは恐縮しつつマッチの燃えさしを捨てた。
葉巻と煙草の紫煙が燻る室内に沈黙が落ちる。焼菓子が届くまで静かな時間を過ごすのかと思いきやーーおもむろに司令官が口を開いた。
「…ひとつ尋ねても構わんかな?」
「なんでしょう閣下?」
「ノーデルラントとの開戦に備えて皇国は動員の準備へ入りつつある、などと情報が入ったが…」
司令官が口にした言葉を聞き、彼の眉が僅かにピクリと動く。探りを入れられているのか、と警戒心が募る中、当の司令官は苦笑しつつ肩を竦めてみせた。
「そう警戒せんでくれ。エリカが言うところの個人的興味だ」
それにしては随分な個人的興味である。易々と話せる内容ではない。そんな事は分かっているだろうに敢えて尋ねる意図が掴めなかった。
それならば──とルドルフは鼻腔から紫煙を緩く吐き出し、溜まった灰を灰皿へ指先で叩いて捨てた後に尋ね返す。
「お話するのは吝かではありませんが…交換条件で如何でしょうか?」
「交換条件?」
「えぇ。…面白い噂を耳にしまして。なんでも…帝国陸軍では未成年──17歳以下の兵士が存在し、先の戦でも動員して実際に戦わせているとか」
「ほぅ…面白い噂だ」
今度は司令官の頬が僅かに痙攣する。それを視界へ収めた彼は鷹揚に頷いた。
「はい。全うな軍隊にあるまじき事ですが…話には続きがありまして」
「…続けたまえ」
気に障ったか。ルドルフがそう考える程に司令官の声が硬くなった。
「年少兵と呼ばせて頂きますが…その者達は孤児院を隠れ蓑にした訓練施設とやらで訓練と教育を受けたとか。閣下は何か御存知ありませんか?」
根元近くまで吸い切った煙草をルドルフが灰皿へ潰しつつ再度尋ねる。
視線を向けて司令官を伺うとーー彼は指へ葉巻を挟み、口元を真一文字に結んでルドルフへ隻眼の鋭い視線を向けていた。
「…生憎と…私も長く帝国陸軍に奉職しているが、そんな話は聞いた覚えがないな…」
「そうでしたか……いや、お気に障る事をお尋ねして申し訳ありません」
「…構わん。…エーベルバッハ大将から探って来るよう言われたのかね?」
「……は?」
何故、そこで大使が出てくるのかルドルフには皆目見当が付かなかった。確かに情報は大使から聞かされたモノだが屋敷への訪問に際して探りを入れて来るように等とは一言も命じられなかった。
見当外れの問いであったと察した司令官は葉巻の紫煙と共に溜め息を漏らすと頭を軽く下げる。
「いや…失礼した。先程のノーデルラントの件も併せて忘れて欲しい」
謝罪にルドルフは頷くもーーどうやら根も葉もない噂だと情報部が断じたそれが真実味を帯びて来たと察してしまう。
対応に注意を払う必要があると考えた矢先、応接室へ面した廊下から複数の足音が迫って来た。