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016



【昨日のお見舞いの品物は有り難く頂戴致しました。過分なお心遣いに恐縮すると同時に感謝を改めて申し上げる次第であります】


 在ヴィルベルク帝国フランドル皇国大使館にある陸軍武官室へ置かれた執務机の上で質素な便箋へ黒衣の軍服を纏う青年が万年筆を走らせている。


「…表現は…あぁ、これで大丈夫か」


 時折、文章を綴る万年筆の手を止め、傍らへ置いた共通語の辞書のページを捲っては慣用句などの表現を確かめながら青年、ルドルフは筆記を続けた。


 口述はまだしも、筆述に関しては辞書が手放せないようだ。母国語がフランドル語なので致し方ないとはいえ、駐在武官としての任期はまだまだ残っている。早めに辞書を必要とせずとも自在に筆述をこなせるようにならなければ、と改めて考えながら彼は万年筆を走らせる。


【つきましては直接、御礼申し上げたく存じますので御都合の良い日取り、或いは閣下が御在宅の日取りをお手数ではありますがお知らせ頂ければ幸いであります】


 これで大丈夫だろうか。


 筆記体で手紙の文章を綴ったルドルフは何度か読み返す。拙いかもしれないがーーそれは共通語の筆述に慣れていないという事で微笑ましく見て欲しい、と願いつつ手紙の最後へ自身のサインを綴る。


 【Rudolf Freiherr Ritter von Roland】


 自身の名前は慣れた手付きで綴り終えた。インクが乾いたのを認め、便箋を折り畳んで質素な封筒へ収めてから宛先の住所と姓名も筆記する。


 執務机へ置いている燭台の火へ摘まんだ赤い棒状の蝋を近付ける。その先端を炙って溶かした蝋を中身の便箋が飛び出ないよう張り合わせた箇所へ垂らした。


 20秒ほど経って、蝋が少し硬くなったのを見極めると指輪の印璽を押し付ける。そのまま蝋が固まるのを待ち、静かに指輪を退かせば──Rの文字の左右へ兜と馬が描かれた紋章が浮かび上がった。







 大陸歴 1858年 5月9日 0934


 帝都ティエール 第4区


 


 青毛の愛馬、ウラヌスへ跨がった軍服姿のルドルフは眼前にある屋敷の門と右手へ摘まんでいるティエール陸軍管区司令官から預かった紙片を見比べていた。紙片を摘まむ右腕の脇にはフランドル語の焼き印が押された細長い木箱が挟まれている。


 間違いなく住所はここだ。紙片へ書かれた住所で第3区から第4区に掛けて貴族の屋敷や邸宅が立ち並ぶ地域へ管区司令官であるユーステス大将の屋敷はあると知っていたが、皇国の大貴族に勝るとも劣らない敷地面積を誇るそれだとは思いもしなかった。


 もっとこぢんまりとした屋敷だと思っていたのだが、この分では執事や女中を含めれば最低でも10名は住み込みで雇わないと維持は難しいかもしれない。


 下馬したルドルフが愛馬の口取りを握り、誘導しながら門へ歩み寄った。敷地の中へ足を踏み入れると正面玄関から人影が現れて彼へ歩み寄って来る。


「──いらっしゃいませお客様。御用件をお伺い致します」


 帝国の成人男性の平均身長よりも幾分か長身である壮年の男性がルドルフへ会釈をしつつ用件を尋ねて来る。上下共に黒を基調とした執事服を纏っているのを見るに年齢も考慮すると屋敷で働く使用人達を統括する人物の可能性があった。


「お初に御目に掛かる。私はルドルフ・フライヘル・リッター・フォン・ローランド。ユーステス閣下が本日は御在宅と伺い、過日のお見舞いの御礼に罷り越した。お取り次ぎをお願いしたい」


「大変失礼を致しました。主人からはローランド様がお越しになり次第、お通しするよう仰せ付かっております」


 カツンと綺麗に磨かれた長靴ブーツの踵を合わせて会釈をしたルドルフが訪問の理由を述べる。既に屋敷の主人からは訪問を伝えられているようで、執事が仕事をしていた庭職人を呼び寄せる。その者に彼が愛馬を預ければ執事が案内を始めた。


 腰へ吊るした二振りのサーベル同士が擦れ合う音を響かせ、ルドルフは案内のまま邸内に入ると被っていた軍帽を脱いで左の脇へ挟んだ。


 彼は飾られている甲冑や絵画を横目に収めながら案内の執事の後を進んだ。やがて執事が立ち止まり、応接室と思われる扉を開いてルドルフに入室を促す。


 入室するが、司令官はおろか家人の影も形もない。


「──暫しお待ち下さいませ。ただいま主人をお呼び致します」


 ここまでの案内をしてくれた執事にルドルフは会釈を送りつつソファの前まで進むと眼前の机上へ手土産の木箱を置いてから腰へ吊るしていた二振りのサーベルをフックから外した。


 サーベルを左手で握りながらソファへ腰を下ろして待つこと数分。


 応接室の開け放たれた扉の先にある廊下から三人分の足音が響いて来た。


 それが耳朶を打ったのと同時にルドルフは腰を上げ、入室した扉へ向かって正対する。


「──いやいや。待たせて済まん」


 先頭に立って応接室へ現れたのは屋敷の主人であるユーステス大将だ。休日であるのもあって軍服ではなく背広を纏っている。黒い眼帯と厳めしい顔でなければ一廉の紳士に見えるだろう。


 その後に先程の執事、司令官よりもいくつか年下と思われる青いドレスで装った婦人が続けて入室する。


 彼は正対しつつ黒革の長靴の踵をカツンと音を響かせながら合わせて会釈を送る。


「いえ、お気になさらず」


「怪我の具合はどうかね?──あぁ、紹介が遅れたな。これは私の妻のエリカだ」


 傍らに立った青いドレスを纏う婦人が司令官の紹介を受けて人好きのする微笑をルドルフへ向ける。彼は再び踵を合わせる音を室内に響かせて軽く頭を下げた。


「ルドルフ・ローランドと申します。お見知り置きを」


「エリカ・ユーステスです。どうぞ楽になさって」


  司令官とその夫人が揃って彼へソファを勧めるとルドルフは頷くが、腰を下ろすのは対面の二人が座ってからであった。夫妻が腰掛け、その背後へ執事が控えたのを認めた彼もサーベル二振りを纏めて掴みつつソファに座る。


「先日は過分なお見舞いの品を頂戴し、恐縮の至りです。改めて感謝を申し上げます。お陰もありまして肩の傷もだいぶ癒えました」


「そうか、それは良かっ──……ん?…もう治っているのかね?」


「えぇ、まぁ。ほぼ塞がっており、痛みもありません」


「そうか…フランドル人は丈夫だと聞くが…」


 掠めたとはいえ肩の肉が抉れる程の銃創だったと司令官は、さる筋から耳に挟んでいた。まさか誤報だったとは思いたくないが、まがりなりにも銃創が一週間とそこらで完治寸前だと彼から告げられれば驚愕の一言である。


 なんとも言えない表情を浮かべる司令官をひとまずは無視し、ルドルフは机上へ置いた細長い木箱を夫妻に向けて押し遣った。


「御礼の品には程遠いかと思いますが…御笑味頂けば幸いです」


「いや、これはこれは御丁寧に」


 机上を滑らせて渡された細長い木箱を受け取った司令官が焼き印がされたフランドル語を解読しようとする。


 とはいえ司令官もそこまでフランドル語に造詣が深い訳ではない。蓋を開けて中身を確認すれば木箱へ収まっていたのは封が切られていない赤ワインのボトルだ。


「お好みの銘柄はもとより、ワインの知識が恥ずかしながら皆無ですので助言に従ってこちらを贈らせて頂きます。帝国産のワインには劣るかと思いますが…」


「いやいや、結構な品を頂いてこちらこそ恐縮しきりだ。早速、今夜にでも楽しませて貰おう。実はこう見えてエリカ…妻は酒に目が無くてな。外国産の酒が珍しいのもあって今夜の内に空にしてしまいそうだ」


「お客様にそんな事を言うものではないわよ」


「ははは、済まん」


 贈答品の第一印象は良好のようだ。やはり大使へ相談して幸いだった、とルドルフは考えつつワインを木箱ごと司令官から預けられた執事が退室して行くのを視界の端へ収めた。


「そういえばヴィクトル。当家のお客様に皇国の方がいらっしゃるのは初めてね」


「む?あぁ…確かにそうだな…」


「でしょう?ローランドさん、と呼ばせて頂いても宜しいかしら?」


「構いません、奥様」


 喜色満面のまま彼に伺いを立てる夫人へ快く頷いたルドルフを見た司令官が小さく頭を下げる。彼は歴とした貴族であると伝えていた筈なのだが、天真爛漫とも言える性格の夫人には関係ないようだった。


「出身は皇国のどちら?」


「皇国の西部になります。ちょうど帝国との国境の近くです」


「あらそうなの?思っていたより近いのね。だから共通語が上手いのかしら。それにしても…確か22歳と聞いてるけど…階級は中佐…ヴィクトルが同じ歳の頃と比べたらずっと上の階級ね。末は陸軍のお偉いさんかしら」


 堰を切ったように夫人が捲し立て始めると、流石のルドルフも目を白黒させてしまう。


 女性とは大概の場合、お喋り好きだとは知っているが、帝国の女性は輪を掛けて喋るのが好きなのだろうかと疑問が生じてしまう。


 質問は受け付けるが、なるべく一問一答形式で進めて貰いたいとルドルフは思う。だが当然ながら夫人にその願いは届く筈もなく紅茶が届くまで夫人からの質問に次から次へ彼は答えるはめとなった。




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