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014



 ──そこまでお送りしましょう。


 陸軍武官室を挨拶を済ませて退室しようとするノース少尉へ声を掛けたルドルフはソファに立て掛けていたサーベル二振りを剣帯のフックへ吊るしながら腰を上げる。


「いえ…それは…」


「見舞いに参られた客人を見送りすらしないのは沽券に関わりますので」


 続けて扉の横へ置かれた質素な作りの外套コート掛けへ引っ掛けていた軍帽と外套を彼は手に取る。慣れた手付きで外套を羽織り、短く刈り上げた黒髪が生え揃う頭へ軍帽を被ると扉を開けて彼女を促した。


 感謝と共に軽く頭を下げた彼女が先に扉を抜ける。後へ続く彼も部屋を後にすると正面玄関へ向かって歩き出した。


 濃紺の生地で作られた軍帽を銀糸の髪が覆う頭へ乗せたノース少尉は庇の奥から隣を歩くルドルフへ視線を送った。


 上官であり、見舞いの名代を命じた司令官からは、おそらく、という前置きはあったが彼は貴族である可能性が高いと教えられている。


 ノース少尉の認識では──とはいえかなり限られた認識と経験に基づく知識だが、貴族という特権階級へ属する者達は総じて自意識過剰と言うべきか唯我独尊と言うべきか、兎に角あまり良い印象を持てない。


 無論、帝国陸軍にも貴族出身の軍人は少なからず存在する。陸軍士官学校で教育を受けたのもあり、ある程度の事は一人でこなせるのだろうが──高圧的な印象を受けてしまう人間が多すぎるのは否めない。


 帝国という国家は立憲君主制という君主の権力が憲法等によって制限されている政体を採っている。その代わり貴族や一部の富裕層や特権階級の権限が強い。


 では皇国はと言えば、同様に立憲君主制を敷いている国家だ。しかし君主たる皇帝の権限は非常に強い国家でもある。特に軍部の最高司令官である元帥も兼任しているのだ。噂によると皇国貴族の男子は陸、海軍の将校や士官として勤務するのが暗黙の了解であり伝統となっていると聞く。


 そのような国家の貴族であれば、帝国に負けず劣らず高圧的な態度を取られるものだと彼女は考えていたのだが──蓋を開けてみれば丁寧な応対をされている。


 陸軍武官室では貴族ですらない一介の陸軍少尉へ茶を用意し、帰りの際はこうして自らが見送りにすら出向いている。


 皇国と帝国、一体なにが違うのか──四年戦争では生じなかった疑問が湧いて出てしまう。


「…ローランド中佐は貴族のお生まれと聞きましたが…」


「えぇ、そうです。男爵でありますが…それがなにか?」


 一応、真偽を確かめようとノース少尉は無礼とは知りつつも歩きながら彼へ尋ねる。すると直ぐに答えが返ってきた。それも大した事ではないと言いたげな声音で。


「…貴族とはもっと…なんと言えば良いのか…」


「傲慢で不遜、他者を顧みず、驕り高ぶるのがもはや趣味の領域へ達している連中?」


「…そこまでは申しませんが…」


 自身も貴族であろうにここまでの評価を下せるものなのか、とノース少尉は微かだが苦笑いを漏らしてしまう。


 とはいえルドルフにとっても今しがたの言葉は軽口のそれであったらしい。肩を竦めながら続けて口を開いた。


「帝国貴族とは付き合いが生憎とないので…まぁこれから増えると覚悟しておりますが。皇国貴族は須らく特権階級に産まれた者の義務と責務は全員が理解しているものと信じたい」


 中世は兎も角として近世、近代の帝国貴族は基本的に軍人となっても戦争へ出征する奇特な人間は滅多に存在しない。前世紀に帝国は一時期、大規模な市民革命が原因で帝政が崩れ、多くの貴族が処刑台へ送られた。同時に多くの貴族家が断絶の憂き目に遭っている。その余波もあって必要以上に家系や血統を守ろうとする気質があるのだろうと研究を続けているエーベルバッハは推測していた。


 しかし皇国貴族は彼が言う“義務と責務”を果たす為、進んで出征する傾向にある。陸軍士官学校や海軍兵学校では「指揮官先頭」「率先垂範」を徹底して教え込まれるので、陸軍を例にすれば突撃の指揮を執る将校、つまり貴族出身の軍人は必ず先頭に立つのが慣わしだ。故に“野蛮人”や“戦狂い”などとも呼ばれる一因となっているのだろう。


 ついでに言えば皇国貴族を他国の貴族は“色情魔”とも蔑称する。特に顕著なのは帝国だ。


 その理由は非常に簡単で、皇国は一夫多妻を容認しているのである。何故容認しているかと言えば、人口増加の切っ掛けとして、或いは貴族家の血統を守る為に子供を多く作る、という考え方のようだ。


「…理解はなされているかと思います。四年戦争の戦場で何度も見ましたから…」


「…というと?」


「皇国の将校が必ず先頭に立って突撃しているのをです。帝国では…まず有り得ませんから」


 確信を以て述べられた彼女の一言に彼は疑問符を浮かべる。続けられた言葉に納得したが、ノース少尉と初めて顔を会わせた日に生じた疑問が再び湧いてしまう。


「…なるほど。それは…戦列歩兵として我々の突撃を特等席で見ていたから、ですか?」


「…………」


 彼の問い掛けに彼女は答えず唇を結んだままだった。易々と答えてはくれないか、と分かっていたとはいえ彼は心中で残念と呟く。


 やがて正面玄関に辿り着き、敷地へ作られた正門までの舗装された道へ足を踏み入れた。


 彼女の姿を認めたのか厩舎から厩務員の一人が栗毛の軍馬を連れて現れる。どうやらノース少尉の馬であるらしい。


「良い馬に乗っておられる。後肢トモも素晴らしい」


「ありがとうございます。…良く言うことを聞いてくれる子です」


 厩務員によって誘導された軍馬が彼女へ手渡される。すると栗毛の馬はノース少尉へ甘えるように顔を寄せて擦り付ける仕草を見せた。


「では本日はここで失礼致します」


「御足労をお掛けした。ユーステス閣下に宜しくお伝え下さい」


「了解しました。……ところで…狙撃を受けたのは正門前でしたか?」


 軍馬へ跨がろうと鐙へ足を掛けようとしたノース少尉が不意に動きを止めた。視線を下士官2名が衛兵として就いている正門へ向けながら問い掛けるとルドルフは頷いて肯定した。


「…そして馬車に乗られていた、と。…弾は後部座席の窓を突き抜けて…弾が発見されたのは前部座席の…」


「後部座席から見て右側ですが…」


 情報を整理しながらノース少尉は視線を敷地からも望める正面に建ち並ぶ各国の在外公館、或いはホテルを確かめている様子だ。


「……射点はあのホテルですね」


 短く告げた彼女は今度こそ自身の軍馬へ跨がる。


 推測にしては当てずっぽうとは思えない確信を込めた声音で告げられてはルドルフも彼女が視線を向けていたホテルを見詰めてしまう。


「…警察もおそらくはあのホテルだと言っていましたが…何故、お分かりに?」


「…私も同じだからです…」


 鞍上のノース少尉を見上げる格好となった彼は感嘆と疑問を半々に混ぜた声音で問い掛けた。それに返されたのは要領を得ない言葉だ。


「…最後にひとつだけ宜しいか?」


 彼女を見上げながらルドルフは否応の答えを待たず、自身の左頬へ右手を伸ばした。指先で鉛弾が掠め、頬に刻まれた傷痕をゆっくり撫でつつ菫色の瞳へ自身の濃い茶色の瞳を向ける。


「薄明…夜明けの突撃後、帝国兵を追撃していた際に敵弾が掠めた痕だが…貴女が撃った弾かな?」


「……いいえ」


 その示された傷痕を見た彼女は首を左右へ振ってみせる。やはり違うか、と彼が思った矢先──


「──私が撃っていたのならローランド中佐はこの世にいません」


「──あぁ…なるほど……」


 事もなげに、何処か自信すら感じられる声音でノース少尉が紡げばルドルフは何度か頷きを返す。


 これで彼女の正体がやっと分かった、と言わんばかりの態度である。


「…“白銀の悪魔”…帝国が流布した戦場での宣伝戦(プロパガンダ)の産物だと思っていたが…いや失礼。御高名はかねがね伺っている。お会い出来て光栄だ。……また近い内に」


「…はい」


 馬上で頭を下げたノース少尉は軍馬へ合図を送り、ゆっくりと歩みを進ませる。下士官達の捧げ銃を受けて答礼をしつつ大使館を後にする彼女を見送ったルドルフは踵を返して館内に戻った。


 陸軍武官室に帰る途中で彼と擦れ違った大使館職員はルドルフが微笑を浮かべているのを見て、珍しいと思いつつも何か楽しい事でもあったのだろうと考えたそうだ。






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