013
戦場での経験が濃厚すぎて、この程度の負傷は被弾とも言えないが掠り傷とはいえ銃弾を浴びたルドルフが運び込まれた医務室で待ち構えていた部屋の主は軍医だ。軍服の上に白衣を纏った壮年の男性の階級は大尉である。
帝都という大陸でも有数の文明国の首都で戦場でもないのに何故撃たれるのか、と呆れ顔を浮かべる軍医の手で彼は治療を受けた。
ルドルフも“基本的には”軍医に逆らわない。逆らっては命がないからである。同様にパンを焼く製パン中隊、家畜を屠畜する屠殺中隊等を擁する野戦炊事大隊には逆らえない。どちらも逆らえば命が危ういのは変わりがないからだ。
とはいえ野戦病院を自主退院するという暴挙をしでかした経験もあるので後者の部隊と比べれば軽視しているのは否めないのだが。
「…まったく…撃たれるのには慣れているだろうが、こうも撃たれ慣れていると考えモノだな。まだ一週間と少ししか帝都で過ごしていないのにどうすれば撃たれる程の恨みを買うんだ?」
「先生…それは俺が知りたいですよ」
階級は軍医の方が下とはいえ、やはり逆らえない考えがあるらしく彼はなるべく丁寧な口調で告げた。
恨みなら嫌というほど買っている。特にヴィルベルク人にしてみれば掃いて捨てる程の恨みがあるに違いない。
ルドルフにとっては迷惑千万である。正規軍同士でそれぞれの旗の下、大義を掲げて戦ったというのに遺恨を持ち出されては非常に困るの一言だ。
そして彼も好きで撃たれるような趣味を持ち合わせている訳ではない。そんな奇特な人間は世界中を探しても少数中の少数だろう。
僅かに抉れた傷口を包帯でグルグル巻きにされて彼は治療を終える。痛みが残るので就寝前に度数の強い蒸留酒を軽く一杯飲んでからベッドへ横になった。尚、軍医からは暫く酒は控えろ、と言われたばかりなのであるのに逆らうのを見ると、やはり食事を作る人間よりも医者を軽視している嫌いがあるようだ。
撃たれた翌日からは職務へ復帰せざるを得ない。事情聴取で警察が来ているのでそれへ応じる必要もある為だ。
馬車の車内へ食い込んでいた凶弾は58口径のドングリ型をしている弾頭だったらしい。掠めるだけで済んだのは幸いだ。
「──あんなのを肩に喰らったら骨どころか腕が千切れかねませんからな」
「…はぁ…」
溜め息混じりに告げる彼へ応じる女性の声が陸軍武官室で漏れた。
応接用のソファへ腰掛けているのは帝国陸軍の軍服を纏った女性将校だ。その対面で脚を組みつつコーヒーを啜るルドルフに視線を向ける女性将校──濃紺の軍服へ身を包むノース少尉は疑問符が先程から拭えない。
仮にも“撃たれた”のだ。それも昨夜である。
掠めたとはいえ58口径の鉛弾だ。肩の肉が抉れて血が噴き出したのは想像に難くない。
ティエール陸軍管区司令官であるユーステス大将が一報を聞いて彼女を名代として見舞いに遣わしたのだが、これは司令部へ帰ってから怪我の状態を尋ねられた際に「元気だった」と報告して良いものか判断に困る。
「…こちらへ伺うまでお加減が気になりましたが…お大事ないようで幸いです」
「…まぁ撃たれるのには慣れておりますので。騎兵は撃たれ慣れてナンボの仕事ですから」
「そういうものでしょうか…?」
圧倒的な攻撃力と機動力に反し、皆無に近い防御力──それが騎兵という兵科だ。
戦場では目立つにも程がある軍馬へ跨がって隊列を組み、敵の弱点を目掛けて突進する。突進──とは言うがそれが成功するまでの間、駆けている最中に戦列を組んだ歩兵や野砲の攻撃に叩かれ続けるのが宿命の兵科である。軍馬に代わる“何か”が代替となり、それが主力となった暁にはあっさりと見限られる可能性が高い兵科でもある。維持するだけでも莫大な費用が嵩むのだから仕方ない。
「そういうモノです。…それはそうと見舞いの品物に感謝すると閣下にはお伝え下さい」
彼女がまだ手を付けていない眼前へ置かれた紅茶を手振りで勧めつつルドルフは見舞いの名代として現れたノース少尉から受け取ったばかりの平べったい木箱を撫でた。中身は葉巻であるらしい。
一応、葉巻は趣味ではないと面会の際に言っていたのだが──相手の厚意で送られた品を突き返すのは無礼にも程がある。ルドルフもそれぐらいの常識や慣例は弁えている人間だった。
「了解しました。…まだ痛みますか?」
「まぁ多少は。撃たれたのが昨夜ですからな」
“不死身”などとも言われているがルドルフも人間である。痛いものは痛いのだ。それを誤魔化す為、昨夜は就寝前に痛み止めと寝酒を兼ねて一杯飲んだ程度には痛みを覚えている。
失礼と彼は一言断ってから純銀のシガレットケースをポケットから取り出す。蓋を開けて手巻き煙草を抜き取ると口へ銜えてマッチの火を点けた。
「…狙撃と伺っていますが…射手は?」
「まだ捕まっていません。しかも腹立たしいのは撃たれた場所がギリギリで“大使館の敷地外”だったので犯人が捕まったとしても帝国法で裁かれてしまう」
「…ちなみに皇国の法律が適用される場合は?」
「司法の判断になりますが…銃殺刑が適当でしょうか」
要は死刑である。だが、皇国に於ける“死刑”とは民間人が想像する一般的なそれとは大きく異なっている。
平たく言えば生体実験の被験者にされるのだ。生体実験とはすなわち人体実験である。
皇国とは貧しい国だ。人口という名の人的資源にも限界が存在する。また、刑務所へ収監する囚人達の被服や食事は税金で賄われる。これはどの国でも同じだろう。
その貧しい国が新しく開発された試作品の武器や兵器の性能、医療の発展として薬の薬効を確かめるにはーーと考えが及んだ時、格好の存在があれば当然の帰結とばかりに手が伸びる。倫理などは無視する、と言わんばかりだ。
銃砲火器の発展、医療の進歩が皇国において著しいのはそんな理由である。
とはいえ流石のルドルフも眼前で紅茶が淹れられたカップを傾けているノース少尉へ教えるような愚は犯さなかった。いずれは何かを切っ掛けにして知る機会があるのかもしれないが、少なくとも今日ではない。
「…なるほど…銃殺刑ですか。…帝国では絞首刑ですね」
「個人的に絞首刑は嫌ですな。軍人としての死に方には程遠い」
「…そういうものでしょうか…」
死刑ひとつとっても国が異なれば違うのだな、とノース少尉は納得していたが、長躯を誇る皇国陸軍の黒衣の軍服を纏っている軍人が漏らした言葉には首を傾げてしまう。その拍子に銀糸を思わせる前髪がサラリと僅かに流れた。
「…軍人として処刑されるなら銃殺刑が良い。逃げも隠れもせんから手錠を外して貰ってから銃殺隊の前へ立ち、目隠しもされずに死にたい」
「…それは皇国の方々の一般的な考え方なのでしょうか…?」
「どうでしょうね。…聞いて回った事がないのでなんとも。もし必要なら調査をして然るべき後に──」
「いえ、結構です」
紫煙を燻らせる彼がおもむろに言い放つとノース少尉は反射的に左右へ首を振る。仮に頷いていた場合、冗談ではなく彼は間違いなく意識調査などをして結果を報せる可能性が高い、と彼女は考えてしまったのだ。
「…そうですか?」
断られた事に釈然としないのか、今度はルドルフが首を傾げている。
彼の評価は司令官から「差しで話すと愉快な人物」と教えられていたノース少尉だが、これは愉快というよりも──
「………“天然”なのでしょうか……」
感覚や言動が一般と比較するとズレている人物を指す言葉をノース少尉はとても小さい声量で呟いた。
幸い、ルドルフには聞かれなかったようで吸い切った煙草を灰皿へ潰している最中だ。
しかし仮にその呟きがエーベルバッハの耳へ入った場合、大使は大口を開けて笑いながら彼女を喝采するに違いないだろう。