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 大陸歴 1858年 4月30日 2010


 ヴィルベルク帝国 帝都ティエール 第9区




 日没まではあと1時間程度だろうか。


 帝都は第9区にある有名な歌劇場で演劇鑑賞を終えたルドルフは珍しく馬車の車内へ腰掛けている。


 西日が差し込む車内には彼だけでなくエーベルバッハが対面する形で乗車していた。


 皇国大使館の大使や駐在武官の任へ就いて既に一週間以上過ぎている。ちょうど大使に暇な時間が出来たのもあり、以前の終戦を祝う夜会でダンスのペアを組んでくれた女優が所属する劇団の演劇を約束通りに鑑賞へ赴いたのだ。


 ルドルフには基本的に歌劇等を鑑賞する趣味は生憎と持ち合わせていない。であれば何故、大使に同行しているのかと問われれば有り体に言って彼は護衛である。


 彼はヴァイオリンこそ弾けるが、芸術とは無縁に等しい生き方をしている。とはいえ士官学校の教育課程には写生スケッチの課目があり、それなりには描けるようだ。


「いやぁ。思っていたより見応えがあったね」


「…そうでしょうか?鑑賞の趣味がないので良し悪しが分かりません」


「面白かった、とかの感想は?」


「…自分としては何故、台詞をあのように歌い上げるのか理解出来ません」


「…あれは感情表現の一種でね…?」


「…戦傷を負っているのに元気だな、という感想しか…」


「…あぁ…そう…?」


 どうやらルドルフは大使とは違い、芸術という方面にはかなり疎いようだ。これでもエーベルバッハと同じく──爵位こそ異なるが歴とした貴族なのだ。


「…というか…戦傷を負っているのに元気って…それ君のことじゃないか」


「のたうち回っておりましたよ。特に腸が飛び出た時は…軍医に縫合してもらうまで大勢に身体を押さえ付けられておりましたから」


「…モルヒネも無しで、だっけ?そりゃのたうち回るだろうけど…まだ傷が塞がっていないのに部隊へ復帰したって聞いた時は耳を疑ったね」


 それは“元気”という陳腐な言葉で済ませて良いのか甚だ疑問だ。


 腸が飛び出る──ルドルフの場合は58口径の敵弾が運悪く脇腹の肉を切り裂いてしまい、その大きく開いた傷口から腸が顔を覗かせたのである。


 落馬こそしなかったが流石に彼は突撃を中止して野戦病院で即手術となった。診察台や手術台は運び込まれる負傷兵で一杯。地面へ毛布を敷いた上で手術を受けたが医療物資の不足からモルヒネ等の鎮痛剤は投与されず、消毒用のアルコールを振り掛けられた後、軍医によって零れた腸を無理矢理押し込まれて傷口を縫合されたのだ。


 なまじ頑丈な身体だからか言語に絶する苦痛であっても気絶出来なかったのが恨めしい。


 その痛みを思い出してしまったルドルフは手術痕がいまだ残る左の脇腹をそっと撫でると溜め息を漏らした。


 ちなみに一度ならず二度も同じ戦傷を負っているにも関わらず生きているのだから異常だ。しかも二度目は友軍の誤射により、砲弾の破片で左の脇腹が切り裂かれている不運である。


 馬車は大通りを西へ向かって進む。当然ながら向かうのは第9区と接している第8区──皇国大使館が所在する区画だ。


「ところで…そっちの方はどうだい?陸軍省や参謀本部からの命令だよ」


「…まぁそこそこは。ここ一週間は主に帝国陸軍の練度や武器に兵器の調査です。生産している工場の所在地も特定しました。特に情報は秘匿されていませんでしたので簡単に済みましたが…やはり閣下が予想なされた通り、皇国よりも技術力は…」


「低いかい?…どっかに落ちてないかなぁ…帝国が開発してる新兵器とかの設計図か現物。銃が1挺でもあればバラバラに分解してどの程度の精度でネジやバネが作れて、施条を掘れるのかが一発で分かるからね。その国の工業力や技術力を知れるのは大きな成果だよ」


「…道端にそんな物が落ちていたら私も助かりますが…」


「分かってるよ。僕も冗談で言っただけさ」


「……あぁ、それと地図も入手しました。5年ほど前の代物ですが、それでも帝国地理院発行の地図になります」


「大手柄だ。何処で見付けたんだい?というか誰の手引きで…」


「古本屋です」


「……古本屋ぁ?」


 こういう密談じみた話は馬車などの閉鎖空間でするのが一番だ。特に──公的機関が測量し、発行した地図を国外へ持ち出そうと企んでいる会話などは人に聞かせられない。


 精度の高い測量の結果で描かれた地図というのは軍事的な情報が詰まった宝の山と言える。そのような代物が国外へ運び出されるのは非常に問題なのだが、市井で暮らす人々はそこまでの知識はない。


 古本屋で「帝国全図」などと題された地図集が無造作に売られているのを偶然に発見したルドルフは最初、我が目を疑った。しかしそれが間違いなく帝国地理院発行の地図を参照して作られていると気付けば、大使館へ戻った後に背広へわざわざ着替えてから購入に出掛けた。


「…それはビックリしただろうね。そんなモノが売られているなんて…」


「…おまけに海岸線までしっかり測量された地図まで…」


「うわぁ……フィッシャー大佐が喜びそうだ」


 特に兵員や物資を比較的容易に上陸させられる地点の選定に役立つ為、海軍から派遣されている大佐は泣いて喜ぶだろう。


 やがて馬車は第8区へ入る。各国の大使館や公使館、そしてホテルなどの宿泊施設が並ぶ様子が馬車の車窓からでも見て取れた。


 大使館まで残り僅かだ。ひとまず戻ったら海軍武官の大佐と相談し、偶然にも入手した地図をどうやって本国へ送るか思案しようとルドルフは考える。


 皇国大使館の敷地が見えてきた。間もなく日没という事もあって敷地内の手入れされた芝生も赤く染まっている。


 正門の柵が開けられ、両脇に立つ軍服を纏った下士官達が捧げ銃の敬礼で一時停止した馬車を迎えた。


 まさに正門を馬車が抜けようとした瞬間──


「──ッ!!」


 ルドルフは右肩に強い衝撃を受けて前のめりに倒れかける。次いで乾いた銃声らしき甲高いそれが界隈一帯へ響き渡る。


「ルドルフ!!」


 顔へ湿った飛沫──血が掛かった大使だが、それに構わず前のめりに倒れかける彼を支えながら耳元で名を呼んだ。


「掠めただけです!それよりも頭を下げて!」


 右肩へ左手を強く宛がって押さえ付ける彼はエーベルバッハに鋭く指示を放った。肩越しに振り向くとルドルフが腰掛けている後部座席、その背後の車窓へ貫通した弾痕が刻まれている。


 狙撃か、と瞬時に理解しながら彼は馬車の御者へ急いで敷地に入るよう命じた。


「──Scheiße(クソ)…まったく…帝都へ来て一週間と少ししか経っていないというのに…手荒い歓迎だ」


「あぁ、そうだね。……うん、確かに貫通銃創じゃない。掠めただけだ。…君を狙ったのかな?」


「いえ、閣下でしょう」


「あぁ、やっぱり?」


 撃たれた直後、しかも掠めたとはいえ右肩からは血が溢れて彼が纏う軍服を湿らせている。にも関わらずルドルフとエーベルバッハの会話は普段と変わりがない。


「…警察に通報と…あとは…」


「それよりも君は医務室だ。まずは手当てをしなさい」


「…掠り傷なのですが…」


「破傷風にならないように、だよ」


 穏やかだが、強めの口調で大使はルドルフに注意する。これには彼も大人しく頷くしかなかった。




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