010
「すこぶる元気であります。今朝も朝食を共にしましたが、あの歳にしては良く召し上がる方かと」
「…彼は私より…確かいくつか歳上だったな」
「失礼ですがユーステス閣下は?」
「今年で47だ。君は?25…かな?」
「22であります。今年の9月で23歳を迎えます」
葉巻を燻らせるティエール陸軍管区司令部司令官のヴィクトル・ユーステスは隻眼となって以来、幾分か狭くなった視界の中へ収めた眼前の青年将校を見定めていた。
黒衣の軍服に付けられている勲章の数々は青年将校が間違いなく四年戦争で類い稀な武勲を挙げた証明に他ならない。あの勲章を得る為にどれだけの帝国将兵が犠牲となったかは──敢えて考えないと決心する。蒸し返すような愚は得策ではない。
陸軍士官学校の成績や卒業席次が世辞にも良かったとは言えないが、この司令官が四十路半ばで陸軍大将の座にいるのは実力や軍人を輩出してきた家柄も関係しているが時流を読む能力もそれなりにあるからである。
加えて──既に終戦を迎えたのだ。今更、戦争の大義や正義などを論じたところで大した意味はない。それは眼前の青年将校も同様だろうと司令官は考えながら改めてルドルフへ視線を向けた。
それにしても、と思う。軍人らしい軍人、という第一印象がこれほど似合う人間は滅多にいない。青年将校は体格も良く、顔付きも精悍だ。気になるのは腰へサーベルを二振りも下げている点だが、おそらく一振りは予備なのだろうと勝手に予想を付けた。
「22で中佐か。相当に早い昇進だ。皇国陸軍では皆そうなのかね?」
「いえ、通常や平時であれば有り得ません」
なるほど。となれば野戦昇進や野戦任官で戦死等により空席となった将校の役割を埋めるという事態が奇しくも続いたか、と司令官は直ぐに理解が及んだ。だとしても中佐という階級を拝命するには若すぎる嫌いがある。
「…上官に尻でも貸したかね?」
人によっては愚弄の言葉だが、ルドルフはそれを冗談や軽口としっかり受け取ったようだ。苦笑いがその証拠である。
「生憎と私の尻では硬すぎて誰もお気に召さないかと」
「なるほど」
軽口で返されれば司令官も苦笑いを漏らした。四角四面と噂に聞くフランドル人だが噂というものは当てにならないようだ。
面会が始まって10分ほど経った頃、執務室の扉が静かに叩かれる。それを聞いた司令官が入室を許可すると、これまた静かに扉が開かれた。
「──失礼します…お茶をお持ち致しました」
携えた盆の上へカップやソーサー、ポット等を乗せて入室したのは銀糸のような髪をうなじで一纏めにした年若い女性将校だ。
「あぁ、ありがとうノース少尉。客人に…おや、どうかしたかね?」
顔馴染の女性へまずは客人である青年将校に紅茶を配膳するよう促すが、その彼は入室したばかりの将校へ向けた視線を固定させている。表情はあまり変わらないが濃い茶色の瞳を大きく開けているのを見ると驚いているのは司令官にも分かった。
「はっ…実は昨夜の夜会で…」
「む?あぁ…そういえばノース少尉から報告を受けていたが…そうか。中佐に協力したのか」
昨夜の出来事は司令官も報告で聞いている。女性将校ーーノース少尉からは「駐在武官の軍人と協力して暗殺未遂を防いだ」という趣旨の報告であったので、相手の官姓名は聞いていなかった。それよりも暗殺未遂という言葉の方に衝撃を受けたのもあったが。
「…はい。ローランド中佐に協力致しまして…」
「なるほど。あぁ、茶を置いたら下がって構わない」
「了解しました」
まず彼の前へ紅茶が注がれたカップがソーサーの上へ置かれて配膳される。続けて司令官の前にも同様に配膳され、二名の間へ角砂糖が詰まった瓶とミルクの小瓶が置かれた。
「では失礼致します」
頭を下げた彼女が静かに退室すると、司令官は吸い掛けの葉巻を灰皿へ預けてからカップを摘まんだ。彼にも紅茶を勧め、一口嚥下する。
「どうかね?」
「はぁ…美人かとは思いますが…」
「いや、そうではなくて…紅茶の味だ」
「は?あぁ…申し訳ありません」
主語が無かった為、少尉の容姿について問われたのかと勘違いした彼が筋違いの答えを返すと司令官は溜まらず吹き出しかけてしまう。
やはり四角四面という噂は当てにならない。少なくとも眼前の青年将校は差しで話すと愉快な人物だ。
吹き出すのを我慢し、代わりに低く笑い声を漏らした司令官は「失礼」と彼へ謝罪を述べながら「遠慮せず葉巻を」と併せて告げた。
「…葉巻はあまり趣味ではありませんので…煙草で失礼します」
「あぁ、やってくれ」
軍服の胸ポケットを開き、純銀のシガレットケースを取り出した彼が中から手巻き煙草を一本抜き取った。それを銜え、擦ったマッチの火を点ける。すかさず司令官は葉巻を取った灰皿をルドルフへ差し出し、彼はそこへ燃えさしを捨てた。
両者共に葉巻と煙草の紫煙を燻らせ、初対面となった十数分前よりも幾分か和やかな雰囲気となる。しかしルドルフの方はまだ警戒していると察した司令官が会話の切っ掛けとなるよう彼へ水を向ける。
「戦争ではいつから出征を?」
「第一次会戦の頃には戦場におりました」
「…ん?第一次会戦?…その頃、君は士官学校の生徒ではなかったのか?」
「初級将校の不足が予測されたのもあり、四年と三年の生徒は繰り上げ卒業で出征となりました。開戦の1ヵ月前ですので…まだ17歳の頃です」
「…なるほど…」
想像以上に皇国も苦しかったようだ。彼から開戦間近の出来事、その一端を聞かされた司令官は多くは語らないが代わりに深く頷いてみせる。
「開戦時は何処に?」
「主力となる第2軍の隷下…第1竜騎兵旅団であります。旅団司令部付の少尉候補生でしたが、開戦の5月8日に少尉を拝命しました」
「まさか士官学校を卒業して直ぐに初陣とは思わなかっただろうな」
なんとも間の悪い。かつての敵軍で将校をしていた相手とはいえ流石の司令官も同情を禁じ得なかった。
「えぇ…まぁ。越境した帝国陸軍の補給路を叩く為、後方へ回り込んで輜重部隊を襲撃する作戦に選ばれるとは思いませんでしたが…」
「あぁ…あの。…君もいたのか」
開戦の翌日、主戦場が形成されたエルダー平原から離れた帝国本土へ続く国境の付近で越境したばかりの補給物資を輸送する輜重大隊が100騎以上の皇国騎兵の襲撃を受け、死傷者多数で混乱が起きた大隊は負傷者を置き去りに敗走を始めたが、それに追撃が掛かってしまい結果的には大量の物資が奪われ、人員の半数以上を失った戦闘の情報は司令官も知っていた。
まさかその襲撃へ参加した軍人に会うとは思わなかったが。
「あれは見事な手並みだった。騎兵の本領発揮という感じでね。同じく私も騎兵出身だが羨望すら抱いたよ。流石はフランドル騎兵だ」
「恐縮です」
「…発案したのはエーベルバッハ大将かね?」
「そうだと伺っております」
「…だろうな…」
尋ねて返ってきた答えに司令官は納得する。後方に伸びる補給線を脅かされた事で危機感を抱いた当時の総司令官は兵力を割いて後方警戒を強化した。ささやかな嫌がらせだったのだろうが、見事に帝国陸軍は乗せられてしまった。
その手の“嫌がらせ”や“誘い”が上手い皇国陸軍の指揮官と言えばーーそれは四年戦争を通じてユーステス大将は一人しか思い当たらなかった。
「警戒はしていたんだが地の利は皇国にあったな。その後も度々と襲撃を受けて…兵力を割くにも限界があった。嫌がらせが上手くてイライラしたよ」
口に出してみると眼前の彼は返答に窮したのか困った表情を浮かべながら吸い終わった煙草の吸い殻を灰皿へ潰している。意地悪しすぎたか、と司令官は何度目かの苦笑いを漏らしてしまう。
「いや、済まなかった。君に言うことではなかったな。許して欲しい」
「いえ、とんでもありません」
気付けば面会に予定されていた時間を大幅に過ぎている。これほど話が通じると分かっていたならば、30分ほどしか時間を取らなかった事を司令官は悔いてしまう。
ルドルフも執務室の壁にある振り子時計が示す時間へ気付いたようで懐から純銀の懐中時計を取り出して蓋を開けていた。
名前から察せられたが、やはり貴族ともなると持ち物が良い、と今更の感想を司令官が抱く中、カップに残っていた紅茶を飲み干した彼が腰を上げる。
「だいぶ時間が過ぎておりました。気付かずに申し訳ありません」
「いやいや、とんでもない。こちらこそ話し込んでしまった」
腰を上げたルドルフがサーベルを剣帯へ慣れた手付きで吊るす様子を認めると司令官も立ち上がった。
「君も忙しいだろうが、時間が合えばまた話そう」
司令官は執務机へ歩み寄り、手帳を取ると白紙のページにペンで何事かを綴るとその箇所を破いて青年将校に近付くとそれを手渡した。
「私の屋敷の住所だ。司令部でも悪くないが、酒がないと話も弾まんだろう。週末は基本的に屋敷で過ごしている。君の暇があればだが…」
「ありがとうございます。お邪魔する際は先にお伺いの手紙を書かせて頂きます」
彼の返答を聞いた司令官は満足そうに頷く。一方のルドルフはーー渡されたページに綴られた住所だという文字の羅列へ目を落とすと「解読が必要」と感じてしまう。ミミズがのたくったような文字なのだ。悪筆の人間は多かれ少なかれ存在するが、ここまで酷い人間がいるとは知らなかった。
とはいえ、その紙片を降り立たんで胸ポケットへ仕舞うと彼は司令官へ正対して長靴の踵同士を合わせた。カツンと音が室内に響き渡る。
「──では本日はお忙しい中の面会に応じて下さり感謝を改めて申し上げます。またの機会がありましたら宜しくお願い致します」
「──うむ。君とは長い付き合いになりそうだ。宜しく頼むよ」
軍帽を被った彼が挙手敬礼し、それに司令官も帝国陸軍式の挙手敬礼で応える。
軍人同士の挨拶が終われば、ルドルフは踵を返して執務室を後にした。
扉が閉まる音が響き、司令官は小さく息を漏らす。ふと手の平を開いて見ると汗が滲んでいて自嘲の笑みを漏らした。
どうやら彼だけでなく、自身も知らず知らずの内に僅かでも緊張はしていたらしい。
その事へ気付くと司令官は執務机の椅子へ腰掛け、溜まっている決裁が必要な書類へ目を通し始めた。