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震えるトュッティ、歪むソロ



「陛下!」


あちこちから自分を呼ぶ声がする。着替えを促す声、安否を気遣う声、命令を促す声。そのどれにも、リコリスは答えない。

この血が、犠牲の証であることを知らしめるために、着替えることなどしない。どこからか隠れていた大臣たちが顔を出すのを、リコリスはどこまでも冷たい目で見ていた。

この中の幾人が、本当の意味で女王の生存を喜んでいるだろうか。幾人が、死ねばよかったのにと腹の中で舌を出しているだろうか。


「報告を、バルテルス卿。」


血の海になっていた会議室を使うことはできない。リコリスは執務室を簡易的な会議室として、大臣たちを招集した。年配と言える者たちが、席につき、幾人かが立っている。王国最強と呼ばれるテオドールは、爵位は低く、おのずと立っている羽目になった。

この国の身分制度に、辟易する瞬間だ。この国のために働くものを正当に評価できないことが、歯噛みする口惜しさであることを、リコリスは女王になってから知った。


「マルデブルグ領アイゼナハの戦火は、グライツまで広がっておりましたが、ウェイリントン辺境伯の協力のもと、鎮圧は成功いたしました。」

「そう。革命を煽動した者たちも捕えましたか?」

「いいえ。陛下。」


殺してしまった?リコリスは、テオドールを仰ぎ見た。あの子たちを殺す覚悟はしていると思っていたのに、嫌に自分の心臓が鼓動を早くする。


「いいえ、陛下。こたびの革命は、いえ、革命というのは誤りですな。こたびの戦火は、ヘルベティアによって仕組まれていたものでありました。」

「……なんですって?」


幾人かが息をのむのが聞こえて、リコリスは、他に邪魔されないようにテオドールを視線だけで促した。


「革命と誤った情報が王都に伝えられましたが、事実はヘルベティアによる侵略であり、我々への情報伝達に数日の遅れがあったようです。」

「革命では、なかったと?」

「はい。ウェイリントン辺境伯の言では、国民は、王女がしたことを忘れるほど馬鹿ではない。とのことでした。」

「……そう、あの人が。」

「ですが、陛下、」

「ええ。分かっているわ。」


リコリスは小さく頷きを返した。いつも会議に参加する人数よりも、執務室に集った人数は少なく見える。それが、混乱のためなのか、他の理由のためなのか。

リコリスは冷静に、冷酷に、そう心の中で繰り返した。その言葉に、心はいまだ追いつかないというのに、時間に追われている気がする。女王の座を盤石にしたいのなら、冷徹でなければならない。非道な選択をしなければならない。老いた子を殺さねばならない。

ただ、それが、リコリスの心と形が異なるだけ。


「陛下、王宮に侵入したヘルベティア人ですが、彼らの処刑はいつに致しましょうか。」


会議で口を開くことなどとんとなかったベルギウスの発言は、意外にも多くの者の同意を得る。


「それは、私が決めることではないわ。」

「陛下?」

「処刑の前には、裁判をする必要がある。」

「……陛下、何を仰っているのですか!われらの矜持を穢し、陛下を危険にさらしたヘルベティア人を、処刑することに法など必要ない!彼らは、串刺しにし、さらし者にしても足らぬ罪を犯したのです!」


冷静で正当な判断を下すように見えたベルギウスは、感情を露わにした。こんな風に取り乱すベルギウスを、リコリスは見たことがない。彼は、それだけこの事態に混乱し、怒りを感じている。それに、同調したい自分がいることにリコリスは気付いていた。


陛下、どうかお考え直しください。陛下、陛下。


繰り返される言葉の波の軌跡を、リコリスは静かに眺めていた。この波にのまれれば、リコリスの頭上にのせられた王冠は、きっと海のかなたに流されてしまうことだろう。


「憎しみでヘルベティア人を串刺しにしろと言うの?……何のための法だというの?施政者が決めた法を、施政者が守らずして、誰が守るというの!」


リコリスの張り上げた声は、執務室に響き、そしてぷつりと言葉の波は途切れた。


「私は、法を遵守する。アレムアンドで罪を犯したヘルベティア人は、アレムアンドの法で裁かれるべきです。そこに憎しみを介在させてはいけないわ。」


べっとりと血で濡れたドレスは、リコリスに復讐を囁いた。でも、その声に耳を傾けてはいけない。

アルフォンソは、女王である自分を守るために、その身に刃を受けたのだ。自分は女王として、この道を歩む義務がある。


「陛下!」


バタンと場違いなほど大きな音が立ち、扉は開け放たれる。その乱暴な動作が改められることはないまま、部屋の空気が乱された。髪の薄くなった頭には汗が流れていたが、その突き出た腹が、痩せたようには見えない。


「……リンケ伯、随分遅い、出仕ね。」

「陛下!ご無事で!私、安心いたしました。」

「そう、かしら?」


全員の視線を余すことなく受けながら、リンケはすぐにリコリスの座るソファの近くで両膝をついた。それは、まるで、リコリスに懺悔するような姿勢だ。


「陛下!私は、こたびの件とは全く関係がございません!誠です。」

「あなたは、私にヘルベティアとの婚姻を薦めたわね?」

「それはっ!それは、確かに事実でございます。私は、この国のために、ヘルベティアと婚姻関係を結ぶべきだと考えました。ですが、このような事態を招くことは本意ではなかった!」


リコリスは自分でも恐ろしいと思う微笑みを浮かべた。リンケは案の定、目を大きく見開いた。


「あなたは、この国のためを思った。そう、それは素晴らしいことだわ。そのために、内情を他国にばらして、この国を危険にさらした。革命と戦乱、その両方を、あなたはこの国に招き入れようとしたのよ。」

「そのようなっ、そのようなことは決してありません。」

「何の証拠もない?あなたのことだもの、そんな証拠どこにも残っていないのでしょう。王女時代に私を誘拐して、純潔を散らせようとした時も、毒を盛った時も、馬車を横転させた時も証拠はなかったものね?」

「っ陛下、」


リコリスの言葉に震えあがったのは、何もリンケだけではない。そう、リンケだけではない。年若い王女の政策についていけず、反感を持ち、排除しようとしたのはリンケだけではない。そのことをリコリスは知っていた。証拠はない。でも、リコリスはその事実をずっと心に秘めていた。順番に、微笑みを向けると、部屋の空気がより一層、温度を下げたことが分かった。


「私は法を遵守したい。この国の法が、身分によって捻じ曲げられることがないことを証明したいの。そのために、ヘルベティア人は利用する価値がある。」


リンケは跪いた姿勢のまま、祈るような顔をしている。神など信じていないくせに。リンケの膝は、体重を支え切れないかのように、小さく震えていた。


「でもね、あなたには、無いの。」


リコリスは、テオドールを見上げる。その手が剣を抜き、リンケの首元に吸い付くようにあてられるまで、瞬き一つしか必要としなかった。


「陛下!!」


リンケの声は震えてリコリスに許しを乞い、瞼はかたく閉じられて、現実を頑なに見ようとしない。


「私は法を守りたいの。でも、同時に、感情のままにあなたを殺して、八つ裂きにしたいと思っているのよ。人間として生まれたことを後悔するような苦痛を与えて、あなたの一族郎党、全員に恥辱と苦しみを与えて殺してしまいたい。」

「陛下、陛下、どうかお許しください。」

「あなたの娘は美しいと聞くわ。きっと、娼婦となっても生きていくことができてしまうから、その顔を焼いてしまいましょうね。あなたの妻は、浪費が過ぎるというから、もう二度と買い物ができないように、声をつぶして、手も足も切り落としましょうか。」

「陛下!私は、本当に知らなかったのです!あの時も、ただ戦争を止めたくて陛下とヘルベティアの婚姻を薦めた。そのために、情報を渡したのは事実だ!でも、今回のことは本当に知らなかった!この国を、貶めることなど、私はしません!絶対に!」

「……そうね。あなたは、確かに私欲に生きている。でも、私欲のためだけに生きているわけではないわ。この王冠の重責を知り、大臣の座の義務を知っている。」


リンケは震えながら、両目をゆっくりと開いた。その肩には変わらず、テオドールの刃が乗せられている。


「でもね、あなたは、触れてはならないものに触れたの。私の逆鱗に触れたのよ。」


リンケは体中から汗を流し、そして両目から涙を流した。


「陛下、どうか、お許しください。お許しいただけるのでしたら、私が命を差し出します。ですから、どうか、どうか、家族だけは、お助けください。」

「……それでは、許せないの。」


リコリスは小さくつぶやいた。ここで、感情をもって裁けたら、どれほど楽だろうか。ここで、感情をもって殺せたら、自分は後世にどう記されるのだろうか。

冷徹で、冷酷。恐怖をもって国を支配した女王。

その道は、容易く、この国を血で染める。


「あなたは、一生、証明し続けなければならない。私に心からの忠誠を捧げ、その命を盾にしてでも私を守らなければならないの。心の中で舌を出せば、その舌を切り取るわ。あなたが裏切れば、一族郎党、皆殺しにするわ。私は、その時、容赦しない。だからね、一生、無実であることを証明し続けなさい。あなた自身のために、私のために、そして、国のために。」


リコリスが合図を出すまでもなく、テオドールの剣は下げられた。その剣が、カチンと音を立ててしまわれた瞬間、リンケの体は床へと崩れた。力を失った体はそれでもなお、許しを乞う様に震えている。

部屋には同様に震えている人間がいた。年若い女王の足元を、老獪はぐらぐらと揺らしていたのに、今はそれを盤石にするための礎になろうとしている。踏みつけて均して、リコリスはここに王国を築くのだ。

部屋の片隅で、シェーンバッハが小さく祈りを捧げたのが見えた。この祈りは、誰を救ってくれるというのだろうか。

リコリスの足元に転がる魂のためだというのなら、自分はなんと報われないことだろう。リコリスは自嘲したように微笑んだ。



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