革命のカノン
ヘルベティアと境界を接するのは、いくつかの領の最北端だ。その境界にあるエアフルト砦の増員をして、3月が経つ。
それは即ち、ヘルベティアとの密約を断ってから3月が経ったことを指す。あまりの静かさに、リコリスは恐れを感じていた。
リンケですら何も言わないこの状況が、リコリスにとって好ましいのかすら分からない。リコリスは、テオドールに、騎士団の養成と訓練を強化するよう指示していた。
たとえ、攻め込まれても、退けられるように。それが、無理でも、帝国からの援軍を待つ間、攻め落とされないように。
「国立大学の開校式も終了いたしました。陛下には、お言葉を賜り、感謝いたしております。学生の士気も高まったというもの。」
「今後、義務教育を終えた者たちの受け皿を、増やしていく必要があるわ。地域によって取りこぼしが決してないように、今後も国立大学を設立していかなければならない。けれど、それは、少し先に見送ります。」
「はい、陛下。しばらくは、様子を見て、学科を増やすことに集中するべきかと思います。」
ロズゴニーは結局、娘の入学を認めたと漏れ聞いた。女性の入学を認めると決断したのは、ロズゴニーだが、その背を押したのは、娘だという。
それだけ聞けば、この国の未来は明るいと思えるのに、ヘルベティアが絡むと途端に真っ暗な奈落に落とされた気持ちになる。
「陛下!」
バンっと音を立てて開けられた扉の先には、侍従が息を荒げて肩を上下させている。リコリスは、その所作に目を細めた。
「会議中に、申し訳ありません。エアフルト砦から伝令が、」
一瞬で会議室がざわめき、リコリスは誰もがこれを懸念していたことを知った。
「マクデブルク領アイゼナハにて革命が起きたとのことです!」
ざわつきは一層大きくなり、波のように感じられた。
革命
リコリスが恐れていたものとは別の事態がこの国で起きている。
リコリスは一瞬で、自分の立っている場所がぐらぐらと崩れていく気がした。
陛下、陛下。
口々に言われる自分の呼び名に、リコリスはめまいすら感じた。どうして、ヘルベティアとの関係が悪化している今、革命など。
マクデブルク領アイゼナハは、議会を開くことを願い出たアロイスの生まれ故郷だ。なんてことだ。リコリスは、叫びだしたい気持ちになった。
切り捨てる覚悟を持って監視したにもかかわらず、この革命を許してしまった。国で一番の教育を受けていたにもかかわらず、この最悪のタイミングで革命を起こしたアロイスに、呪いの言葉を吐きたくなる。裏切られたとすら感じる。
思わずテオドールを見た。彼の瞳は、この会議室の中で、ひと際、光って見える。
「バルテルス卿、どれほど兵を連れて行ってもいい。必ず、鎮圧していらっしゃい。」
「はっ、陛下のご命令とあらば。」
「国民の被害は最小限にと言いたいところだけれど、犠牲は厭いません。」
リコリスは、自分は賢王になれると、かつてニコライに言った。冷徹な賢王に。
だが、今は、ただひたすらに冷徹で残酷であるだけに思えた。自分は賢く国を治めることなどできないのかもしれない。ただ、無慈悲な王であるだけなのかもしれない。
こんな時、ローズベルならどうするだろうか。あの美しい天使を目の前にしたら、アロイスは革命を起こすなどという考えを抱きもしなかっただろうか。マルセルは、密約を持ち出さなかっただろうか、それともひざまずいて許しを乞うただろうか。
考えても仕方のないことなのに、自分がこの席に相応しくないことが痛いほど感じられた。残酷で無慈悲なだけの王になど、なりたくないのに。
ままならない。
リコリスは、小さくつぶやいた。




