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死に向かうアンダンテ



執務室は質素ではあったが、その意匠は王家に相応しくあつらえてある。実用的な椅子に座るのは、会議の豪華すぎる席に座るよりもリコリスに早くなじんだ。

上下水道についてまとめてある資料をぱらぱらと眺めながら、リコリスは、ベルギウスの言葉を待っていた。


「ブリンクマン博士の意見も、よくまとまっているわ。悪くない。着工までにどれくらいの時間が必要?」

「お褒めいただき、ありがとうございます、陛下。ただ、一つ問題が。」


ベルギウスは会議の席で意見を言ったり、主張をすることはほとんどない。大臣の中では、目立たない存在であるが、横のつながりを大切にする彼は、仕事を円滑に進めることが得意である。

片眉を上げて、リコリスは、ベルギウスの言葉を待った。


「ウェイリントン辺境領で、着工に反対する声が上がっています。」

「それは、ウェイリントン辺境伯自身から?」

「いえ。領民からですが、辺境伯もその声に同調しているようです。」

「……私から、ウェイリントン辺境伯に手紙を書くわ。それで、収められるなら、そのまま着工に。もちろん、公正な判断のもと、工事に携わるものを選定して。」

「かしこまりました。辺境伯から否やが出たら、どういたしましょう。」

「ウェイリントン領に、直接行って、話をします。」


リコリスは、資料を侍従に渡し、席を立つ。次の予定が迫っている。移動しながら、話をすることに許可を出す。


「ですが、陛下、そう簡単に王都を空けるわけには、参りません。」

「ウェイリントン辺境伯の了承が無ければ、この事業は成功しない。彼の了承を得るのに、手段を選んでられないわ。」

「ですが、陛下っ。陛下は、このアレムアンドの国王なのです。辺境伯を自ら訪ねるなど、あってはなりません。」


リコリスはぴたりと足を止めた。怒りからではなく、考えを精査するためだった。とっさに頭を下げるベルギウスの黒髪には、もうすでに白いものが混じり始めていた。


「陛下、アレムアンドの国王たるもの、領主を訪ねることはなりません。どうか、お考えを改めてくださいませ。国王が、この国の主たる矜持を持つことこそ、国民を纏め上げる力になるのです。」

「……なら、どうしろと。」

「陛下。陛下は、まだお若く、戴冠して日も浅うございます。失礼ながら、まだ、陛下の足元は盤石とは言えません。そんなときに、王都を離れるのは、得策ではございません。ウェイリントン辺境伯については、私にお任せいただけませんか。」

「策があるの?」

「これでも、私はウェイリントンと私学時代に同輩です。お時間をいただけたら、説得することもできるかと存じます。」


リコリスは、逡巡する。この男は信頼に値するだろうか。会議でほとんど発言をしないこの男の実情も、腹の内もリコリスには想像する材料がない。

ウェイリントンのように、王女時代の政策で付き合いがあったわけでもなく、この男の為人を知る術は、リコリスにはなかった。

目を細める。腰を曲げ、頭を下げたままの状態のベルギウスの表情はうかがえない。

動くだけではなく、人を動かせなければならない。

リコリスが王女時代に避妊政策を始めるにあたって、ザロマン教授に言われた言葉だった。

信じることはできずとも、彼の働きを待つことはできる。


「……この件は、あなたに任せましょう。」

「ありがとうございます、陛下。」


やっと頭を上げたベルギウスは、会議の時のような影の薄さはなりを潜め、どこか晴れやかな表情をしていた。


「陛下、謁見の間にて、ローゼンベルグ教授がお待ちです。」


リコリスはベルギウスに向けていた視線を、謁見の間に続く扉に向ける。謁見の間は、外部から見れば贅を尽くされた王家の象徴のような場所だ。だが、そこに続く扉は、質素で、飾り気がない。

張りぼてのような豪華さは、張りぼての矜持しか生まない。

リコリスは、衛兵たちが開いたその扉をゆっくりと歩く。

尊大で、冷静で、冷徹に見えるように。

開けた視界は、シャンデリアで明るく照らされる。実用的に蠟燭で明かりがとられている執務室との違いに、いつも目がくらむ。

ビロードの赤は、国王が国王たる証のように、いたるところを飾るけれど、それがリコリスを守る鎧になることはない。

ローゼンベルグとの謁見と聞いていたリコリスの前には、それ以外にも年若い男が3人傅いていた。慣れない姿勢なのか、もぞもぞと動くところを見ると、貴族ではない。


「久しいわね、ローゼンベルグ教授。」

「陛下に置かれましては、ご健勝のこととお喜び申し上げます。」


ローゼンベルグは高名とはいえ、一代限りのナイト位を与えられたにすぎない。型通りの挨拶は、応用のきかないものでも致し方ないように思えた。


「ええ。顔を上げてちょうだい、話しにくいわ。」


リコリスの許可に、後ろにいた男もつられて顔を上げた。芯の強さが滲み出る鳶色の瞳は、一瞬で困惑し、そらされた。

自分には、許可が出されていないことに気づいた男の所作は、賢明と言える。


「あなたが、謁見を願い出るなんて珍しい。国立大学の話も軌道に乗って、問題はないと思うのだけれど。」

「はい。私が生きている間に、この国の教育がここまで発展するとは思いもよらず。夢のようでございます。」

「そう、第一人者のあなたに言ってもらえるのは、嬉しいものね。それで、その者たちは?」


ローゼンベルグは、一瞬後ろを見てから、リコリスに目線を戻し、頭を垂れた。


「私学にて、私が直接、法学と政治学を教えております。アロイス・デア、クレイグ・アイヒマン、ヨルク・フランツです。」


みな、陛下がおつくりあそばれた奨学制度で、私学に通っております。

ローゼンベルグはどこか誇らしげだ。この急ごしらえのような挨拶にも合点がいく。平民出身であるがゆえに、この教授も目にかけているのだろう。彼らは、ローゼンベルグの研究の集大成なのだ。


「そう。みな、顔をあげなさい。」


息を吐き出してから、顔があげられる。アレムアンドの国民によくみられる髪と、瞳の色が並ぶが、一対だけ鳶色の瞳が目を引く。

アロイス・デア、強い意志の透けて見える顔立ちは、貴族だと言われても否定できない繊細さがうかがえる。


「それで、あなたの目的は何かしら。この者たちを紹介するためだけに、謁見したわけではないのでしょう。」


わざわざ面倒な手順を踏んでまで、謁見室に赴いたのには、理由があるはずである。リコリスは、王座からしか見えない位置にかけられた時計をちらりと見た。


「はい。この者たちから、ぜひ、陛下のお耳に入れたいお話がございます。どうか、お聞き届いただけませんか。」

「……聞き届けるかどうかは、話を聞いてからよ。謁見時間は限られている。話があるなら、簡潔に。」

「はい、陛下。アロイス、話を。」


鳶色の瞳が一歩前に踏みでた。この男が、教授が最も気にかけている秀才であることはわかる。この国で最も高い知識を与えられた平民の代表者だ。

リコリスは自分の政策の成果を感慨深く見つめると同時に、恐ろしく思えた。もし、彼と同じように、理知的で賢い国民が増えれば、貴族も王族も必要なくなる。自分という存在の価値が失われていく気がしてくる。


「アロイス・デアと申します。陛下にお聞きいただきたいのは、私とこの者たちの研究と、それから得た結論です。」


アロイスは緊張してかすれた声を出し、そして、そんな自分を恥じるかのように視線を下げる。一つ呼吸をして、アロイスは視線をリコリスに向けた。その目は、射貫くように強い。


「貴族制度を廃止し、議会を開いて頂きたい。」


ぴくりと空気が震えた。後ろで微動だにせず立っていたアルフォンソが、わずかに動いたのか、腰に下げられた刀が、服の装飾品とぶつかって高い音を立てた。


「この国は、長い間、貴族と平民の間に大きな隔たりを持ってきました。支配するものとされるもの。この国には二種類の人間がいる。そんなこと本来はあってはならないはずです。アレムアンドの憲法は全ての国民を平等だと言っているのに。議会を開き、広く聴衆の声を聞き届けてください。この国の未来のために。」


ヘルベティアは、王政に反対した国民が自由を望んで、革命を起こしたと伝え聞く。周りの国は、その煽りを少なからず受けた。

どうしてアレムアンドだけ受けないと思っていたのだろうか。

国民がまだ、未熟だから?それとも、国民は、分かってくれるとでも思っていた?

支配する者には、責任が伴う。支配する者は、本当は支配される者に、支配されている。そんな苦悩を、きっと、国民は分かってくれるとでも思っていたのだろうか。

リコリスは、深い紺色のドレスを身にまとっていた。踝までの長さにある布がゆらゆらと揺れて、肌をくすぐった。


「話は、それだけかしら。……なら、謁見は終わりよ。」

「陛下っ!」


リコリスが立ち上がると、まるで非難するように声が上がる。4人のうち、誰がそんな声を上げたのかは分からない。


「議会は開かない。それが、答えよ。」

「陛下!なぜっ、」

「なぜか、分からない?」

「あなたが、支配者だからですか?この国は、国民のものだ。貴族だけのものでも、まして、あなただけのものではない!」


あなたなら、分かってくれると思っていた。そんな非難の言葉は、リコリスに突き刺さった。政策に尽力するから、理解してもらえると踏んだのか。それとも、年若く、拙いと軽く見られたのか、判断することはできない。


「いったい……いつ私が、この国を自分のものにしたと言うの?」


リコリスの怒りが、この部屋を凍らせた自覚はある。

謁見の間を出るために動いていた体は怒りで、止まった。感情のまま、言葉を口にしてはならない。感情のまま、動いてはならない。王とは、感情を持った人であってはならない。

リコリスは、震えた声を止め、呼吸を一つした。冷静であれ。たとえ、冷酷だと思われても。


「この国は、国民のもの。女王とは、アレムアンドのためにある。私は、与えられた力を私欲のために使ったことは一度もない。」


彼らを見ないように横を向いていたリコリスの視界に、アルフォンソが見えた。その瞳は、どこか心配そうに揺らいでいた。この瞳に晒されると、女王でいる自信がなくなる。ただのリコリスに戻りそうな自分がいる。王冠の重みを知らなかったら、支配者でいる責任を知らなかったら、女王の座をすぐにでも投げ捨てて、彼の手を望むことだろう。

そんな我儘な自分を心の奥底に封印して、アルフォンソから目をそらした。


「どうして、議会を開かないのか、聞いたわね。その質問が出る時点で、この国に議会は開けない。」

「なぜっ!!」

「この国で、最も高い教育を受けたあなたたちが、正解を導き出せないからよ。」


リコリスを見つめる鳶色の瞳は、悔し気に歪められていた。


「あなたたちですら、分からないのよ。この国の国民がどれだけ、あなたたちと同じだけの賢さを持っていると思うの?アレムアンドに教育制度ができてたったの5年よ。義務教育は広まったとはいえ、山間部にはいまだ、文字も読めず、計算のできない人間がいるの。あなたたちのように高等教育を受けられる恵まれた人間は、一握り。女性への教育の必要性すらわかっていない有識者さえいる。そんな国で、議会を開いて、いったいどれだけの国民がその権利を行使して、義務を負うことができると思っているの?恵まれた一部の人間が、貴族に取って代わるだけよ。」

「だから、あなたが支配するというのですか!」

「良いこと?あなたたちが支配者になった時、この国を円滑に動かし、他国から守れると思ったら大間違いよ。支配する者には、支配する者の義務と責任があるの。私たち王族も、貴族も代々その対価を支払い、血反吐を吐いてきたのよ。あなたたちは、自由を望むのよね?それが、どんなものか知っているのかしら。自由にどれだけの対価が必要か、責任があるか、何を支払わなければならないのか。」


リコリスは、鳶色の瞳を見つめるのをやめた。その瞳が怒りをたたえていることを知ったからだ。この怒りが燃え上がり、感情に訴えれば、この国はヘルベティアと同じ道をたどるだろう。

多くの国民が死に、貴族も絶えて、リコリスは処刑台へと歩むことになる。身分差は消えてなくなり、同時に、すべての国民が責を負うのだ。国の未来を決める権利を得ると同時に、義務と、それに見合う責任を。


「この国に議会はまだ早すぎる。それが、私の答えです。」


リコリスは、挨拶をすることもされることもなく部屋を出た。どうせ、型通りの挨拶すらままならない彼らに、それを要求したところで意味はない。

怒りのまま歩みを早くしそうになってから、リコリスは冷静さを欠いた自分を恥じた。ゆっくりと足をすすめながら、テオドールを呼ぶ。


「あの子たちを、監視してちょうだい。」

「……どう、なさるおつもりですか。」

「あの子たちが、もし、この国を壊しそうになったら、始末して。」

「よろしいので?」


リコリスは一瞬だけ、自分の中で迷いが生じるのが分かった。成長を望む子を拒むことはないと言った。老いた子を切り捨てることはないと言った。でも、そのために国を燃やしたいわけじゃない。


「個のために、その他の多くを死なせるわけにはいかないの。」

「……承知いたしました。」


テオドールの声は、リコリスの深いところまで届いて響いて、反響する。これが、施政者の苦しみなのだろうか。それとも、この揺れ動く、激動ともいえる時代に選ばれたゆえだろうか。

リコリスは、真っすぐに続く廊下が、まるで、処刑台に続いているようにすら思えた。



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