少女のプラルトリラー
リコリスは、形ばかりの豪華な席に座ることが嫌だった。会議の間では、大臣たちは質素な椅子に座り、王はそれに対するように豪華な装飾が施された椅子に座る。大臣はあくまで、家臣で、施政者はただ一人だと表しているようで本当は違う。
本当は、王は傀儡だと言っているのだ。お飾りの席に座っているのだと、示されているのだ。だが、リコリスは、決して飾りだけの王にはならない。
奴隷制度を廃止した曾祖父は、飾りだけの王であることを拒否したがために、早世だったと言われている。
それでも、リコリスは、恐れることはない。飾りであるよりも、実であることを望む。それが、自分の命を縮めても。
「これが、あなたの答え?」
「と、おっしゃいますと?」
ロズゴニーは指にはめた豪勢な指輪を、手でいじくるようにした。
「私は、法と憲法の間に矛盾があると言ったのよ?それなのに、あなたがまとめた草案は、まるで、その矛盾が改められてない。」
リコリスは、分厚い草案を机に投げる。思ったよりも大きな音が立ち、幾人かが顔をしかめた。
「税率についても、法の執行に関しても、何も変わってないわ。」
「税率は今まで通り、貴族は1割、平民が2割、聖職者からは徴収しないこととしております。もし、変えるとするならば、平民の税率でしょうか?」
「どう、変えるの?」
「平民からの税率を2割5分に引き上げます。」
リコリスは、その答えに大きくため息をつき、侍従に手を振る。ロズゴニーがまとめた草案よりも分厚い資料が、配られる。
「これは?」
「ロズゴニー伯、あなたのよく知る人がまとめた草案よ。読んでみなさい。」
しばらく目を通し、大臣たちの顔はどんどんと曇っていく。眉間にしわを寄せ、唇をきつく引き結ぶ、その表情は、芳しいとは言えない。
「こんな、馬鹿な!収入により税率を変えることは百歩譲りましょう。だが、貴族に対して、同じ制度を適応すれば、貴族の負担が大きすぎる。そればかりか、聖職者に税を課すなど。彼らが、どれほど、反発するか。」
「ロズゴニー伯、アレムアンドの憲法では、一番に何を謳っているの?」
「それは……、えー、すべての国民の生活を守り、えー、」
「いいわ。ベルギウス伯?」
「え、あ、その、」
「……バルテルス卿。」
「アレムアンドのすべての国民は、みな平等であり、忠実な臣下である。」
テオドールはにやりと笑った。
ですよね、陛下。
そう、ウィンクを投げられて、リコリスは不覚にも笑いそうになった。口角を上げてしまったのは、致し方のないことだ。
「ええ、そうよ。憲法において、アレムアンドは全ての国民に平等であることを説いている。でも、実際は、どうかしら。税率は、国民の間でこうも違う。本来ならば、富めるものは、貧しきもののために、多くの税率を支払ってしかるべきなのに。裁判もそう。同じ法律の下に生きているはずなのに、同じようには裁かれない。教育も、平等に受けることはできない。すべての不平等を平等にすることはできないわ。人は、それぞれ、生まれが違うのだから。でも、国を統べるものが、不平等を作っていい言い訳にはならないの。」
「ですが、教会が税の徴収を認めるでしょうか。彼らには彼らの規律がある。その中で、裁きを下すことに、否やを言えない。」
「彼らは、宗教家である前に、アレムアンドの国民なの。同じように守られたいのなら、同じように義務を負わねばならない。宗教とは、人々がよりよく生きるための教えよ。そこに、腐敗は存在してはいけないわ。」
宗教家と名高い、シェーンバッハは少しだけ眉をひそめた。普段、表情を変えない彼にしては珍しかった。
「この件については、シェーンバッハ候、あなたに教会の説得をお願いしたいの。」
「……それは、私が、教会と通じていると、お考えで。」
「いいえ。あなたは、確かに宗教家と名高いけれど、疑惑がかかったことは一度もないわ。あなたは、正しくその席に座っていられるだけの気高さを持つと私は思っています。だからこそ、あなたにお願いしたいのよ。宗教がいかに高潔で、正義たるか、あなたは知っている。それを正すこともできる。」
「ですが、シェーンバッハ候は、国立大学の件も、担当されています。」
「ええ。でも大方の目途はついているし、その仕事を、ロズゴニー伯と分担してほしいの。」
「ですが、私は!」
ロズゴニーは怒りに震えて握りつぶしていた資料を机にたたきつけるようにして、立ち上がった。
「私は、法の改正の仕事を、」
「あなたには、その仕事以外を担当してもらうわ。」
「それは、私では荷が勝ちすぎているということですか。」
リコリスは、纏め上げられていた資料を数ページ、ぱらぱらとめくる。
ロズゴニーは、怒りで顔を赤くしている。
「この資料をまとめたのは誰だと思う?」
「それは、有識者とやらでしょう、」
「いいえ、違うわ。ロズゴニー伯、あなたの良く知る人よ。」
ロズゴニーは困惑した表情を浮かべ、リコリスを睨み付けるようにする。
「イレーネ・ロズゴニー嬢。あなたが、大学進学を許さなかった娘よ。」
「っそんな!」
「あなたの娘は、私学の大学進学を夢見ていた才女だったそうね。あなたが、女に教育はいらないと許さなかった、進学をあの子は諦めきれなかったらしいわ。私に、直談判してきたのよ。」
勇気のある子だと思わない?そう同意を求めても、おかしそうに笑ったのは、テオドールだけだった。
「だから、草案をまとめさせてみたの。もし、あなたが、権利に見合う努力をしたのなら、国立大学への入学を認めると。」
「そんな、勝手に!私の娘だ、私の了承なく大学進学など!いくら、陛下でも勝手が過ぎる。」
「勝手が過ぎるのは、あなたよ。あなたの娘の人生は、あなたのものではないわ。あの子自身のものよ。」
「女に教育を与えるなど!なんと、愚かしい。社会に進出?ふざけたことだ!女は家を守り子を産めばいい。男勝りに社会に出て、野蛮になって、それがどんな結果を生むというのだ!」
ロズゴニーはしばらく暴言を並び立てる。そのあまりの勢いに、アルフォンソがそっとリコリスに一歩近づくのが分かった。
「それは、私への侮辱かしら?私は、女であるけれど、野蛮になった自覚はないのだけれど。」
ロズゴニーに同調する部屋の空気は、一瞬にして冷めたブルーに戻っていく。
「この国の半分は女性よ。女性が教育を受けて賢くなってはいけないの?この国は、平等であると、国民に約束しているのに?それでも、女性は教育を受けてはいけないの。家を守り、子を産むのは、大切なことよ。でも、それが、男性に女性が隷属しなければならない理由にはならないわ。」
「隷属を、望んでいるわけでは、」
「あなたは、隷属は望んでいないけれど、従順であることは望んでいるのよね?強い男を生むのも、賢いものを生むのも、すべては女性よ。女性が、男性と同じ権利を望むことを妨げるのはなぜ?」
「それは、」
「この国は変わるわ。その変化についていけないのなら、その席から下りるべきよ。国が変わり慣習が変わることを、許容できないのなら、その席に座っている権利はない。」
ロズゴニーは力を失くしたようにへなへなと、席についた。先ほどよりも、ずっと、座り心地は悪そうだった。
「この国のために、働くというのなら、シェーンバッハ候の仕事を引き継ぎなさい。この国のためと、あなたが真実、考える道を選びなさい。」
リコリスは、ロズゴニーだけではなく、大臣職にいるすべての人間を順番に見た。誰も味方はいないと思った。だが、施政者が変わり、この国が変わり、そして、貴族も変わり始めていた。
その波に取り残されることを、彼らは望んでいるわけではない。
若い施政者の考えが、すべて正しいわけではない。彼らの考えがすべて間違っているわけではない。
彼らがいつも、私利私欲に走っているわけではない。この席に座って、彼らがその席に座るために払った代償を知って、リコリスはそう思うようになった。
ロズゴニーは先ほど握りつぶしていた資料のしわを、黙って伸ばしている。娘が纏め上げた草案は、この国の法律を、少しずつだが、変えていくことだろう。
変わっていくこの国に、リコリスは取り残されやしないだろうか。
成長を妨げてはならない。そういっておきながら、国民の成長を最も恐れているのは、リコリス自身だ。
リコリスは、静かに会議の終わりを待つ。この国に、リコリスがいつか切り捨てられる日が来るような気がして、恐ろしくてたまらなかった。




