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おわりのエチュード



会場についてリコリスは婚約者のエスコートで中に入った。

ひとりでずっとパーティーに参加していたリコリスは、隣に人がいる安心感を初めて感じていた。

王妃主催の舞踏会が、本当は、ニコライとローズベルの婚約を、周知するための準備段階であることをリコリスは知っていた。

貴族への根回しが終わっていないせいで、リコリスが次期女王から外れたことを、周知することはまだできていない。

ニコライの隣に、ローズベルが立っている段階で、すでに、察しているものもいるだろうけれど。

アルフォンソは、時折、リコリスの耳元で大丈夫かと機嫌を伺ってくる。それは、周りから見れば仲睦まじい恋人のように映るだろう。

それを計算しているのだろうか。

思っていたよりも、リコリスを悪く言う声が聞こえなくて少し肩の力が抜けた。妹のものを奪ったと囁かれるとずっと思っていたからだ。


「ご機嫌麗しゅう、ローズベル殿下、ニコライ殿下。」

「おめでとうございます、ローズベル、ニコライ殿下。」


最初に二人に挨拶に出向く。臣下に下る予定のリコリスが、彼らに傅くようになるまで、そう時間はかからない。女王ではなく、家臣の一人となる自分を、ちゃんと想像できるようにならなければ。


「お姉さま、とっても綺麗。」


目元を染めて、本当にそう思っていると言わんばかりに、言ってくるからタチが悪い。

あなたの方が数万倍きれいなのに。


「こんなに綺麗にしたのは、誰かしら?アルフォンソ?」


いや、お義兄さまと呼ばなければね、と言われると、なぜか夫は頬を染めた。妹に惚れている夫が、おにいさまなんて、呼ばれて頬を染めているのをみると気分が落ち込む。つきりと胸が痛む資格は自分にないのに、すこしだけ呼吸がしづらかった。


「お姉さま、この分だと、甥っ子か姪っ子もすぐ見られるわね。とっても楽しみにしているのよ。お姉さまとお義兄さまの子だったら、きっととても可愛いわ。」


私に子どもが生まれたら、婚約させましょうね。なんて、冗談でもアルフォンソが可愛そうだ。

好きでもない女との間の子を、アルフォンソなら義務で愛そうとするだろうから。

この人は、妹との間に子が欲しかったはずだ。自分ではなく。

アルフォンソは、自分を抱くだろうか。リコリスはずっと蓋をしていた疑問が、飛び出してきてしまったことに気づいた。

初夜に、アルフォンソは自分を抱くだろうか。その後も、子どもが生まれるまで、リコリスを抱くのだろうか。

女性として愛してほしいとは思っていない。妻として扱ってもらえたら良いと思っていた。でも、そのためには、アルフォンソはリコリスを抱かねばならないのだ。

愛し、慈しんで、いつかは妻にと望んだ天使の、姉を。

あまりに、残酷だ。リコリスから、断ってあげたいと思う反面、抱いてほしいとも思う。そんな自分が浅ましくて嫌になる。

気丈に振舞わなければと、目線を泳がせると、ニコライと目が合った。

だめ。

思わずニコライから視線を思いっきり外した。ニコライと自分は、同じ穴の狢だ。

自分がニコライの思考を読めるのと同じように、ニコライは自分の思考を読めておかしくない。

自分と婚約者の悲しい関係なんて悟られたくなかった。

そんな風に心のうちで考えていると婚約者が、腰を抱いて体を近づけてきた。

見上げると、アルフォンソの柔和な微笑みがあった。その微笑みは、優しい彼の人柄を表すようなのに、とても怖く感じる。

瞳はとても冷たくて、それが、彼が不機嫌であることを示しているかのようだった。

なにを、怒っているのだろうか。

リコリスが、訝しんでいる間に、さっさと挨拶を切り上げてしまう。

不機嫌の理由を尋ねようかとも思ったが、その前に、婚約者の腕の力がました。


「姫!お久しゅう。ご機嫌はいかがで。」

「テオドール!」


テオドールの名を呼ぶと、アルフォンソから漏れる苛立たしげな空気がました。


「おまえ、なにをそんなに怒ってんだ。」


アルフォンソに気安く問いかけるテオドール。自分が聞けないことをさらっと言えるのが羨ましい。アルフォンソからの答えがないところでテオドールは、リコリスに向き直った。


「このところ、全然お会いできませんでしたね。誰かさんのせいで。」

「誰かさん?私かしら。この頃、公務にも出ていないから。なるべく、円滑に引き継ぎたいと思っているの。」

「ええ。姫のせいではありませんよ。ね、アルフォンソ?」

「いい加減、姫と呼ぶのは止めていただけませんか?団長。私の、妻になる人をいつまで姫と呼ぶつもりですか。」

「えー。いつまでもだよ。だって、姫は、ずっと、私の姫だし。ね?」


同意を求める声に、リコリスは返事をしかねた。

テオドールが親しい王族への呼称を、いつからリコリスに使うようになったのか、正確なところを、覚えてはいない。

でも、そこに優しさがあったのは確かだ。誰からも、姫と呼ばれることも、名を呼ばれることもなく女王の座に就くリコリスへの同情とも言えるそれを、リコリスは否定できなかった。

リコリスの返事は声にされることなく、楽団が奏でる音にかき消さる。

指揮者の振る、指揮棒がキラキラとシャンデリアの光を受けている。まるで、魔法使いの杖のようだ。

言い争いをしていた二人も、広間の中央に目線を向けて、唇を閉ざした。

ニコライとローズベルのファーストダンスは、あまりに美しくて、リコリスは目が離せなかった。きっと、この場にいる誰もがそうだろう。

二人は絵に描いたように美しくて、そして、まるで自分とは違う生き物を見ている気分になるのだ。どこまでも、美しくて、麗しい妹と、自分の違いを見せつけられることは多い。

実際に何が違うのか問われると、途端に、リコリスは答えられなくなる。

全て違う。

その答えを口にすると、自分が可哀そうな気さえするのだ。


「姫?」


テオドールの声に、リコリスは顔を上げた。ファーストダンスは終わりを告げて、思い思いにカップルが踊り始めていた。

自分だけが、ファーストダンスのワルツに囚われていたことに気づいたリコリスは、それを悟らせまいと微笑んだ。


「姫、私とダンスを踊ってくださいますか?」


リコリスは、テオドールの初めての提案に、驚き笑った。この人は、変わらず、リコリスの魔法使いでいてくれるのだと思うと、笑みは自然とこぼれてしまう。

今までは、ひとりぼっちのリコリスのそばにはいても、ダンスの申し込みなど一度もしてきたことはないのに。

久しぶりのダンスだけど、テオドールなら安心してエスコートしてもらえる。少々、ミスをしても、テオドールなら大丈夫だろう。リコリスは微笑んだ。


「ええ、もちろん、」

「もちろん、ダメに決まっているでしょう。」


もちろん、よろこんで、と言う前に、婚約者が言葉を掬っていく。テオドールに向けるアルフォンソの視線は、とても冷たくて、触れるのを躊躇してしまう新雪のようだ。


「おまえ、本当に心狭い。」

「なんとでも言ってください。姫が踊るのは私だけです。ほかの誰とも踊らせません。」

「や、誘われるままに踊らないと社交にならないだろう。」

「いいえ。姫には踊らせません。社交がどうしても必要なら、私だけ踊ればいい。」


言い切ると、まるでテオドールから逃げるように広間に向かう。

掴まれた腕は痛いというほどではなくても、十分に強かった。

久しぶりのダンス。

それも、アルフォンソとダンスなんて、久しぶり過ぎて、緊張する。踊れない。心のどこかでリコリスが悲鳴をあげていた。


「ほかの男とのダンスを私が許すとでも思ったのですか。」

「べ、つに、お断りすることではないと。」

「へえ、」


アルフォンソのおざなりな返答に心臓をぎゅっと掴まれたような気になった。


「リコリス、そんなに硬くならないで。」


耳元で、アルフォンソが、自分の名前を囁いた。

驚いて体が小さく反応する。姫と呼ぶ前のアルフォンソは、必ずリコリスを、王女として扱った。

決して、名前を呼ばれたことなどない。

アルフォンソだけでなく、誰もが、リコリスを次期女王として扱い、名前を呼ばれたことなどなかった。

自分の名前が呼ばれたのに、自分のものだと思えない。両親からもらった名前に、リコリスは愛着があるとは言えない。

それなのに、アルフォンソに呼ばれただけで、その名前に温もりがある気さえしてくるのだ。


「やっと、こちらを見てくださった。」

「……アルフォンソ殿。」

「私たちは、婚約者同士ですよ。いつまでも、そのように他人行儀に呼ばれては、寂しいです。」

「でも、」


かつて自分が彼を愛称で呼んでいたことを思い出す。そして、同時に、リコリスは苦い過去を思い出した。

アルフォンソが、自分の騎士ではないことを突き付けられた過去は、これから先もずっと変わることはない。

アルフォンソは、慣れたリードで、リコリスをくるりとまわした。世界が一周する感覚が、リコリスはあまり好きではなかった。

過去には、ダンスをしている時だけは、アルフォンソはリコリスの騎士なのではないかと錯覚できた。でも、今は、そんな淡い幻想を抱くことすらできなくなっていた。

ダンスが終わると、変に息が上がっている。

長い間、公務を言い訳に、すべてから逃げていたのだと、リコリスは気付いた。国のため、国民のためという言葉は、リコリスの中ですっかり言い訳となっていたのだ。

なんて、酷い王女なのだろう。


「姫、少し、休みましょう。」

「ええ、ごめんなさい。」

「いいえ。久しぶりに踊ると疲れるものです。」


アルフォンソはそっと、リコリスの手を取り、そのままバルコニーへと導いた。休むために用意されたソファに腰掛ける。

必要以上に近くに座ったアルフォンソは、給仕から受け取った酒をリコリスに勧めた。

外気は程よく涼しく、火照ったリコリスの体には、ちょうどいい。


「先ほどは、許可も頂かず、申し訳ありません。」


名前を呼んだことを詫びられて、リコリスは小さく首を振った。そんなリコリスの様子を見ているアルフォンソは、どこかご機嫌だった。

どうして、リコリスの名前をあんな風に呼んだりするのだろうか。

リコリスと、まるで大切なものであるかのように、呼んだりなんてするのだろうか。

ローズベルが、好きなくせに。

ローズベルが一番のくせに。

惑わされたくなどない。リコリスは、唇を噛みたくなるのを懸命に我慢した。


「アルフォンソ!」


ふいにリコリスの耳に届いた鈴を鳴らしたような美しい声。

リコリスが顔を上げると、広間の光を背中に受けた妹が、バルコニーを覗き込んでいる。エスコートの姿はなかったけれど、その無作法を笑って許される妹と自分の差を、リコリスはしっかり認識しているはずだった。

自分とローズベルの間にある違いをしっかり、分かっているはずなのに。

その違いを、アルフォンソに壊されそうで怖かった。

ローズベル、愛らしい天使、神々しい女神の登場にアルフォンソは、リコリスから少しだけ体を離した。


「ローズベル殿下、」

「もう!一回ぐらい踊ってちょうだい。」

「しかし、」

「それぐらい、いいでしょう?お話だってしたいもの。」


ローズベル。リコリスの婚約者の主で、恋人だった娘。

どこまでも天真爛漫な、美しい残酷な子。

アルフォンソは、一瞬だけリコリスを見た。その瞳を見たくなくて、リコリスは目をそらした。

そこに、憐れみを見たくなどなかったのだ。

一人には慣れていた。だから、平気なはずだ。いつもと同じ。前と同じになるだけ。


「行ってらして。私は、ここにおります。」

「ここを離れないで。すぐに戻ります。」

「積もる話もありましょう。ごゆっくり、」

「誰かにダンスに誘われても、断るんですよ。」


曖昧に微笑んで、リコリスは二人の背中を見送った。キラキラと明るいシャンデリアの光の中に入っていく二人の背中は、とても遠い。

暗闇に一人ぼっちなリコリスと、二人はまるで違う世界にいるようだ。

ファーストダンスの時には、ローズベルとニコライ、あれほど似合いの二人はいないと思ったのに、今はアルフォンソとローズベルの方が一対の人形のように思えた。

二人は一対だ。たとえ、運命が二人を引き裂いたのだとしても、主と騎士は、変わらず一対の魂のように思えた。

自分の持たない唯一を、二つも持つローズベルのことを、羨ましく思うことなどない。

妬ましいと思うこともない。心が引き裂かれるような、気持ちになど、なるものか。

ローズベルは神様に愛された天使なのだ。廃材のリコリスとは違う。

リコリスとローズベルに渡される愛に違いがあることなど、当たり前だ。だから、悲しいなんて思わない。


「……嘘つき、」


リコリスは、静かに星を見上げる。

せめて、アルフォンソがリコリスを選んだ理由を教えてほしかった。そこに愛情がないことをちゃんと突き付けてほしかった。




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