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スラーのついたアンティーク



「リコリス、よく似合うわ!」


リコリスは首元までレースで覆われたアンティークのウエディングドレスに袖を通しながら、息を詰まらせていた。

母とこれほどまでに時間を共有したことはなかった。ローズベルのいない空間で、母と過ごしたことなどなかった。

慣れないことにリコリスは息が詰まりそうだった。

母と呼ぶには遠すぎるその人を、王妃陛下と呼ぶようになったのはいつからだろうか。

家族という枠組みの中に、この人が入っているのかすら、自分でもわからなかった。それは、王妃陛下の家族の枠組みに、自分が入れられていないことを理解していたからかもしれない。

そういう意味で、リコリスにとって家族はローズベルだけだ。ローズベルは、リコリスの真実、妹であり、そしてこの家族ともつかない人たちと自分を結びつける橋だった。それはとても心許ない橋だけれど。


「ありがとうございます。」


お針子たちに、どこをどう直すのか指示を出すその姿は、自分に似ている。髪の色も瞳の色も、顔の造形は、親子であることを感じる。だが、そこに浮かぶ表情は自分のものとはまるで違った。

その表情は感情を隠したりしない。この人は、本当に王族なのだろうか。何度も疑問に思うほど、この人は自分の感情に正直だった。

それを、うらやましく思うこともあったけれど、同時に自分にはそれが許されないことも重々承知していた。自分はいつか女王になる。この国を統治する人間になる。

その自負は、いつしか、リコリスから感情を奪っていった。

アンティークのドレスが祖母のものであることを知っているリコリスは、その生地が傷まぬように細心の注意を払いながら、縁取るレースに触れた。

虫食いひとつないドレスはとても美しく、そして自分に似合っていた。勤勉で、理知的であろうとする王女の自分に似合いな禁欲的なドレスだ。

いつでもそうあろうと思ったのは、女王に相応しいふるまいを身に着けるためだった。だが、その目的を失ったにもかかわらず、リコリスは変わらず、堅実であることを自らに強いていた。


「妃よ、どうした、このような時間に。おや、リコリスではないか!」


試着をするための部屋は決して広くはないが、狭くもない。それなのに、陛下が現れて、この部屋の空気は格段に薄くなった気がした。

リコリスは、足りない酸素にあえぐ羽目になりながら、目を伏せて、カーテシーをする。その動きを陛下は片手だけで御す。

この人は、施政者としてリコリスの先を歩む人だ。リコリスにとって、自分の父親とはそういう存在だった。

近しく感じたことはない。血のつながりを感じることもほとんどない。


「良く似合うな。母上のドレスだな。」

「ありがとう存じます、陛下。」

「そのように、よそよそしく呼ぶな……いや、呼んでくれるな、リコリス。」


王陛下はいつだって、リコリスを後継者として扱った。公務がしたいと言えば、させてくれた。政策に関わりたいと言えば、任せてくれた。

陛下は、リコリスの話をよく聞き、報告させ、同意し、後押しして見せた。それが、父親の愛かと聞かれると、リコリスには途端に分からなくなる。それが、施政者の考えかと聞かれれば、肯定できた。


「私は、お前に厳しくあり過ぎた。今となってはそう思う。」

「陛下、私は……感謝しております。女王としての振る舞いを、教えていただきました。」


女王とは孤独だ。いかなる施政者よりも、ずっと。

眉間にしわを寄せ、何かに耐え、己を罰するような顔をした陛下を初めて見た。リコリスを次なる女王として扱い続けた父は、その座から引き摺り下ろすしか、選択肢がなかった。

リコリスには、その理由が分かっていた。

たとえ、どんな望みであっても、帝国の第二皇子の願いを叶えるしか、今の父には選択肢はない。隣国・ヘルベティアとの間で火種がくすぶっている今は余計に。

施政者としての理由は、リコリスにも分かった。だが、父親として理由は、リコリスには予想もできない。


「だが、今となっては、」

「私は、この道を歩んできたことに悔いはございません。これから歩む道も、迷いなく進むことができます。それが、アレムアンドのためとあらば。」

「ほら、辛気臭いお話はやめにしましょう!せっかく、こんな素敵なドレスを着ているのだもの。」

「しかし、お前も……、」

「確かに私も、親子の時間を持つこともできず、寂しい思いをさせたことを後悔していますわ。でも、それは致し方のないことだった。そうでしょ?」


王妃は、どこか無邪気にそう言った。後悔という言葉が、これほど似合わない人はいないなと、リコリスは思った。


「女王のリコリスに相応しい人をと、あれほど騒いでいたくせに、よく言う。」

「な!それは、内緒にしてと言ったのに!」

「リコリスのエスコート役の男を何人、首にした?」


両陛下はリコリスにお構いなしに、二人で会話を楽しんでいるように見えた。その姿をずっと遠くから眺めていたリコリスにとっては、身近には感じられない。


「……え?」

「リコリスをエスコートするのにふさわしくないと言っては、首を切っていたんだ。そのせいで、リコリスが、一人で入室する羽目に何度なったことか。」

「だって!あんなおバカに、未来の女王陛下を任せるなんて、許せなかったのだもの!この子の良さを分かってない男に、任せられるわけないでしょ!」


リコリスは、驚きに目を見開いた。誰も、リコリスにそんな人、用意していないのだと思っていたからだ。

用意されていた人を、母は、相応しくないと、その役目をといていた。

それが、リコリスを想ってのことだったのか。リコリスは自分の中で何かが、急速に冷えていくのを感じた。

この人たちが分からない。

施政者としての陛下を理解することができても、父親としては理解できない。母親に至っては、何も理解することができない。

この埋まらない溝は、きっと、一生、リコリスに付きまとい続ける。


「そんな心配りをしていただいていたなんて、存じ上げませんでした。」


微笑んで見せると、二人は少しだけ安堵したような顔をした。

繕う影がちらついて、リコリスは、思った。

そこにリコリスに対する愛情はない。

ここにあるのは、家族の形をしたガラクタだけだ。

欲しかったそれは、リコリスの前では、朽ち果てた花のように澱み腐ったものに見えた。

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