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少しの矜持



「政策には最後まで責任を持って欲しくってね。」


第二皇子、いや、今は、王位第一継承者の婚約者という立場になった男から呼び出されて、開口一番にこれだ。リコリスは、つい最近まで座っていた自分の席に男が座っていることに違和感を覚えながら、ソファに腰掛けた。座っていいとは言われてないが、仮にも義姉にぎゃあぎゃあ言う男ではなかろう。


「あなたがやったほうが、早く進むでしょうに。」


公務を積極的に行っていたのは、リコリスだけで、ローズベルは違う。まだ、18歳だし、公務の補助をしていても、国を統治することはローズベルはないだろう。この男がローズベルの分まで卒なくこなすことだろう。


「よそ者の僕に対して反感はまだ、強いんです。あなたが、進めてくれた方が上下水道も整備が進む。あなたの政策展開能力の高さは、皇国にいた時から伝え聞いていましたよ。」


皇国で噂になろうがなんだろうが、国で認められないのだから、詮無い。


「王女のお遊びですわ。」

「王女のお遊びで、性病撲滅して、幸せ家族計画まで農村に普及させて、義務教育を一歩前進させるんだから、恐ろしいですね。」


性病撲滅は、正直副産物に過ぎないし、仮にも女性がその政策を推し進めたと噂になっていたのだとしたら限りなく不名誉なことである。くすくすと男が笑う。ああ、また、思考を読まれた。


「政策には協力致しますけど、主だったところは終わっていますし、殿下が表はやってくださいませ。」


そのほうが、早く国民にも認められるはずである。


「あなたは、女王の座が惜しくはないのですか。」


引きずり下ろした張本人に言われると、視線が冷たくなってしまう。リコリスは、無理に笑うのをやめて、表情を消した。この男の前でつくろっても仕方がない。


「さして、惜しくはありません。何かに執着することはない性格なものですから。」

「あなたを引きずり下ろしたことを悔やんでいるといっても?」


馬鹿なのだろうか。あれほど、頭がよかった男は、どこに行ってしまったんだろう。リコリス自身この男は頭が良い、国を任せていいと思ったのに。惜しまれると言われると、この男の能力が低いのではないか、自分がまた見誤ったのではないかと思ってしまう。


「そんな目で見ないでください。あなたの妹君に本当に恋をして、どうしようもなくなったのも事実です。それに、僕は、兄に追い出される程度には能力が高いと自負できる。国を背負っていける自信はあります。でも、国民の多くがあなたを慕っていた。本当にあるべき王室の姿が、あなたにだけあった。だから、少なからず後悔もしています。」

「その私をもっと効果的に利用しなかったことを、ですか。」


断定的に言うと、男は、ふうと息をはいた。男は、リコリスと同じ穴の狢だ。大体が、考えていることはお互いに筒抜けなのだ。


「……ウェイリントン辺境伯に手を焼いています。上水道のための治水工事を契約不履行で白紙に戻すと言ってきました。辺境伯はあなただから、契約したと言っていて。」

「まあ、あの方が。私、あの方のそういうところ、大好きよ。」


ふざけないでくださいと、目だけで言う義弟。憎らしいことこの上なくて、笑ってしまった。


「私だって、あの方に煮え湯を何度も飲まされてやっとのことで認めていただいたのよ。あなただって、苦労しなくちゃ、私が納得いかないわ。せいぜい、苦労なさい。」


ぐっと、息をつまらせて、殿下は不満をあらわにする。


「早くことをなしたいなら、ローズベルを連れて、領地にでも行くことね。あの方、三顧の礼的なものに弱くてよ。ローズベルがうまくやれば、ウェイリントンは、簡単に攻略できるでしょうね。」


リコリスは許可も取らずに立ち上がり、許可を取らないまま、執務室の外に出ようと歩き出す。リコリスはもう、この執務室の部外者なのだと強く感じた。自分がいたころとは何もかも変わった気がする。


「あなたは、惜しんでくれたけど、私はあなたの選択が正しかったと思っています。ローズベルほど、女王にふさわしい人間はいない。」

「あなたは賢王になれたでしょう。歴史に残るような。」

「私は賢王になれたでしょう。でも、冷酷で非情な賢王に。賢王たるものそういうものだわ。でも、ローズベルは違う。ローズベルは、ただ純粋までに優しく正義たる賢王になれる。あの子には、死んでもいいという信奉者がごまんといるの。そんな人間は、ローズベルが頼まずとも汚い仕事も、冷酷で非情な仕事も請け負ってくれる。だから、ローズベルは、国民に最も美しい姿だけを見せ続けられる。そんな絶対的な存在があると国民は簡単に団結する。試練に耐えて、国を支える礎になってくれる。ローズベルは、私が地道に浸透させようと努力した政策を、より早く、確実に広められる、そんな存在になるわ。あなたはそれを支える賢さを持っているもの。」


だから、私はいらないのよ。そう言って、小首をかしげると男はため息をついた。


「あなたは、賢いが、馬鹿です。自分の価値だけを理解できていない。」


リコリスは笑う。自分の価値はわからない。そんな価値を誰かに見出されたこともなければ、教えてもらったこともない。自分には価値がない。そう知らしめられるばかりが、リコリスの日常だった。


「貴方の言う価値が、私にあるのなら、いつでも協力して差し上げてよ。」


扉を閉めて、外に出る。執着はない。そういった女王の席。その席に座るために、リコリスは、たくさんの犠牲を確かに払ってきた。毒も皿まで食らったし、命を何度も狙われて、貞操だって危うくなくすところだった。その繰り返しの中にいたのに、執着を持てなかったのは、リコリスにその席に座る価値がなかったからだろう。所詮、それは、本当に欲しいものの代替でしかなかった。

きっと、天はそんなリコリスを見ていたのだ。これは、本当に欲しいものの代替に、国民を利用しようとしたリコリスへの罰なのだろうか。

侍女も誰もつけずに歩き回っているのはリコリスのわがままだ。誰かがそばにいることにリコリスはなれない。

騎士がそばにいたことも、侍女がそばにいたこともない。最初は、それが、どうしてか分からなかった。

騎士も侍女も自分につけられない理由。たとえ、廃材だとしてもリコリスは、王女だ。たとえ、心のない者でも、誰かをそばに置く必要があった。でも、リコリスの周りはあえて人が配置されないように思えた。

最初は、その理由は何かを考えた。自分に与えられなくて、ローズベルに与えられる理由を。

でも、その孤独を理由に、リコリスはローズベルと時間を共にした。

そして、自分で立つことを覚えてからは、与えられない理由を考えるのはやめた。

与えられないのではなく、欲しないのだと理由をつけて、リコリスは自分の周りを空白で埋めていった。

誰もいないのではない。誰も必要ないのだと、言い訳を重ねる自分を哀れだと思ったことはない。


「姫、」

「テオドール。」


リコリスは、優雅に振り返り、背筋を伸ばす。テオドールがあくびを噛み殺して、立っていた。この男はいつ何時も、なんとなく間が抜けている。

あの時、まとまったと微笑んだ男に真意は聞かない。テオドールは、きっとその答えを言ってはくれないと思ったからだ。

この国一番の騎士は、リコリスのものではない。

時折、味方してくれるのは、彼の気まぐれであることを忘れてしまっていた。

だから、テオドールを責めようとは思わなかった。誰も味方のいないあの時の謁見室を、思い出したいとは思わなかったけれど。


「姫、ご機嫌麗しゅう。いかがお過ごしでしょうか。」

「テオドール、久しぶりね。あなたは元気だった。」

「このテオドール、姫に相手にされず、寂しくて、死んでしまいそうでした。」


この嘘つきめ。リコリスは、この男の魔法にかかるまえに、笑いを押し殺して消す。


「そう?寂しいというよりは眠そうだけど。」

「アルフォンソが、抜けた穴を埋めるのも大変なのですよ。」


アルフォンソは、リコリスとの婚約を機にローズベルの騎士をやめた。

自身の婚約というよりも、ローズベル自身の婚約を機にだろう。ニコライは独占欲の強そうな男に見えた。騎士といえど、男をそばに置きたくないのだろう。婚約祝いにニコライにコンドームでも贈ろうかしら。リコリスは真剣にそう思った。

だが、アルフォンソが近衛をやめたとはいえ、ことあるごとにローズベルに呼び出されているのは知っている。あえて知りたいとは思わなかったその事実は、リコリスに伏せられることもなく一人歩きしている。


「そうだ、姫。この私めを、恋人にしてくださいませんか。」


テオドールは、突然ウィンクしていってくる。この男は何を言い出すんだろうか。簡単に自分がテオドールの魔法にかかってしまったことに腹を立てながら笑う。政略結婚した夫婦にありがちな恋人制度なんかでこの男がしばれるとは到底思えない。


「まあ、あなたみたいな恋人は私の手に余るわ。」


くすくす笑う。久方ぶりにこんなに笑った。公務を手放してから、会議に出なくなったリコリスが、テオドールに会う機会は格段に減っていた。

この男の魔法に久方ぶりにかかって、リコリスはその心地よさに微笑んだ。

この魔法が自分のためのものでなくても、嬉しくなるのはなぜだろうか。


「欲しかったものは手に入りましたか。」

「意地悪な人。私の欲しいものは、ずっと、これからもローズベルのものよ。」

「おや、なら、一層、わたくしを恋人にしてくださいませ。」


リコリスは困ったように笑った。テオドールの冗談が本当は嬉しいことが困ってしまう。突然、リコリスは後ろに力強く引かれる。テオドールとの間に過剰なほど空間が空く。腰に力強い手が回されていて、リコリスは戸惑った。


「私の婚約者を口説くのはやめてください。」

「おや、嫉妬かい、アルフォンソ。男の嫉妬は見苦しいよ。未来の妻の恋人ぐらい寛容に許すのが貴族の男というものだ。」

「私は、独占欲が強いのです。他の男と妻を共有する気はありません。」

「本当、不器用な男だよね、お前。」


だから、こじれちゃうんだよ。そうテオドールが呟くと、アルフォンソの腕は一層強く、リコリスの腰を抱いた。婚約者として適切な距離を守り続けてきたアルフォンソの行動は、リコリスには驚くと同時に、理解しがたかった。

そんな風にしなくても、ちゃんと結婚すると教えてあげたくなる。

でも、あえてリコリスはそれを口にしなかった。この心地のいい檻から出るのが惜しかった。たとえそれがアルフォンソの気遣いで作られた、幻の檻だったとしても。


「姫、部屋までお送りいたします。」

「え、でも、」

「引き継ぎの不備を直すために出仕しただけで、今日は本来、非番です。」


ですよね、団長。まあ、そうだけどね、副団長。そうテオドールが肩をすくめる。アルフォンソがリコリスと婚約して得たのは、副団長。つまり、この国の武力の№2だ。それが、リコリスとの婚約の対価なのか、アルフォンソの実力なのかはわからなかった。

エスコートされることに慣れないリコリスは、その腕にわずかに手を寄せた。だが、触れただけの手は、アルフォンソの手に導かれて、強くその腕をつかまされてしまう。

一人で立てると思っていた。それなのに、エスコートの手を知って、リコリスは一人で立つことがどれほど孤独なことだったか知ってしまった。

こんなこと、知りたくなかった。誰かの腕にすがることが、これほど、安心し、そして、幸福だなんて。

今までの自分がどれほど、哀れだったのか。そんなこと知りたくなかった。


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