超肉食聖女様と勇者様 その壱
キィ・・・パタン。
「失礼しました。」
扉を閉めたチパチャパは、やるせないため息を吐いた。
今回もパラフェア女官長の説得に失敗してしまった。もうこれで何度目になるだろう、と大きく肩を落として、窓の外に映る空に目を向ける。
高く澄んだ青空は、故郷の村で最後にみた空にとても良く似ていた。
(何時になったら、村に帰れるんだろう。早く帰りたいのになー。)
無意識の内に指先が、唇へと伸びていく。
あの時の感触は、まだチパチャパの中で色鮮やかにはっきりと残っている。今だって、こうして指先で触れれば、彼の体温まで鮮明に思い起こせる。
流れる雲を眺めつつ開かれたチパチャパの口から、切なげにその想い人の名前が零れ落ちた。
「デュカ・・・。」
村をでてからもう既に、三カ月とちょっとが過ぎていた。
それなのに未だに村へ帰る目途が全くたっていない。お蔭で、チパチャパの心は弱りきって瀕死寸前だ。
なんですんなり行かないのかなぁ、とチパチャパはもう一度ため息を吐いた。
聖都に戻ってからというもの、チパチャパはかつてパトロンであった貴族や大商人、それに海の女神ヌパヌゥイの神殿に勤める大神官といった者達との関係を清算しようと、連日連夜奔走していたのだが。
そのどれもが一向に上手く行ってなかったのだ。
『勇者様から身を引いて、故郷の村に帰りたい。』
要約するとそれだけの言葉を美麗字句で飾り立て、やんわりとオブラートに包みこんで、角が立たないように伝えても。彼らは一様に厭らしい笑みを浮かべて言うのだ。
『ははは、成程。
他の聖女様方も中々に手強いという事ですな。宜しい、ここは一つこの私めも骨を折ってみると致しましょう。聖女様に置かれましては、お心安らかにお待ちになってくださる様伏してお頼み申し上げますぞ。
なに、それ程時間は必要ありますまい。大船に乗ったおつもりでお任せを。』
違う、そうじゃない!
何度そう叫びそうになった事か。
たしかに以前は何度かそうやってぼやいて見せて、密にお願いした事もあった。それだけ嫁戦争は厳しいものだったし、村娘だったチパチャパに使える武器なんてそう多くは無かったのだから。
でも、今は言葉通りに受け取って欲しかった。
落胆を込めた表情ですら、彼らは「そこまでお気に病まれているとは。」とか言い出して、無駄に奮起してくれる。
(今までのツケって、大きいなぁ・・・もー、どーしたら。)
ある意味仕方ない事だとは、チパチャパも理解してる。
彼らとは色々とキワドイお願いをしたり、されたりシてきた関係なのだ。周囲を警戒して表に出さずに要求を伝え合うのが、これまでの当たり前だった。
それを突然、裏を考えるなとか言われても、彼らだって困ってしまうだろう。
お偉いさんって面倒くさい。
そしてそんな彼らより手強いのが、勇者様の後宮を管理する女官長パラフェアであった。
「あの人も、ほんと取り付く島もないんだよねぇー・・・はぁ。」
先ほどのやり取りを思い出すと憂鬱になる。
ここが人目に付く後宮の廊下とかで無ければ、「うきーっ。」と頭を掻きむしってるとこだ。
チパチャパは聖都に戻って、一番最初に彼女の元を訪れていた。一刻も早く村に帰りたいという気持ちが逸って、抑えきれなかったからだ。
芽生えた乙女心のなせる技だ。
「勇者様の嫁を辞退いたします。」
そう告げた時のパラフェアの対応といったら。
無表情に眼鏡をくぃっと持ち上げて、口元だけで上品に笑われた。
「チパチャパ様も、ご冗談がお上手ですわね。
そういう件に関しましては、お国元とご相談の上書面にてお知らせくださいませ。お話しがそれだけでしたらどうぞ、そちらからお戻りください。今の言葉は聞かなかった事にしておいて差し上げますわ。」
「頭の足りない田舎娘はこれだから。」という顔をしたパラフェアにそのまま部屋を追い出されてしまった。それでもめげずに日を改めて、何度も彼女の元を訪れて同じ事を伝えたのだが。
最近では、「まずお国元とご相談を。」とけんもほろろに追い返されている。
それが出来てたら直接お願いに来てなんかいないと言うに。
今日だって入るなり、「いい加減にしてくださいませんと、ご訪問をお断りいたしますわよ?」とけん制されてしまい、チパチャパは大人しく立ち去るしかなかった。
(あの頑固ものめー! うぅ、なんか良い手とか無いかなぁ? こー、全部一辺に片付くような感じで。)
頭を悩ませながら歩いていたチパチャパの耳に、澄んだ涼やかな声が聞えて来た。
「やぁ、チパチャパ。久しぶりだね、ちょっとお茶に付き合ってくれるかな?」
三カ月ぶりに聞いた、勇者様のお声だった。
◇◇◇
「さ、どうぞ? あ、ミルクとお砂糖はお好みで。そこにあるから。」
勇者様は手ずからいれたコヒを、優雅な仕草でチパチャパの前にコトリと置いた。
それから自分の分のカップを片手にテーブルの反対側まで歩き、そこにあるソファーに寛いだ様子で身を沈める。
「・・・あ、ありがとうございます。勇者様。」
ふわりと立ち上る香しいコヒの香りを楽しむ余裕もなく、チパチャパは何とか勇者様に返事をすることが出来た。
内心、冷や汗がダラダラだった。
炒った豆から煮出したそのお茶は、カップの中で黒々とした水面を揺らめかせている。水面にはガチガチに緊張したチパチャパが映し出されていた。
(ち、違うからね! デュカ、コレは本当にお茶するだけだから! 他には何もしないからっ! スルつもりとか全くないからね?! お願い、変な噂聞いても信じたりしないでっ!)
チパチャパは仮面の裏側で、遠く故郷に居るデュカに向かった涙目で訴える。
あの後、あれよあれよという間にこの小部屋に連れ込まれてしまった。無論、チパチャパ視点の話である。
視界の端に映る、天蓋付きのベッドが異様な存在感をアピールしていた。
(なんで、こんな部屋にベッドなんてあるのよ?! 誰よ! そんな無駄な心遣いしたのは!)
涙目のまま心の中のチパチャパは、叫び声をあげる。
チパチャパとしては、色々と目途が立つまでは勇者様にお会いするつもりなんて、これっぽっちもなかった。
勇者様の嫁として自分が裏切りを働いている事くらい、チパチャパのちょっとダメな脳みそでもちゃんと解っていたし。それに、これ以上デュカの耳に勇者様との噂話を届けたくないという思いもあったのだ。どっちかというと、こっちが本命だったりするけど。
だから聖都に戻ってからも、帰還のご挨拶の時に顔を合わせただけで、それ以来ずっと彼に会う事を避けていた。夜伽だって、順番を全て他の聖女達譲っていたというのに。
なんでこんな小さな部屋、それもベッド付きの場所で二人っきりに?!
まさか、超草食系の勇者様からお誘いしてくるなんて、予想外にも程がある。
しかも、連れ込まれる所は噂好きのメイド達にバッチリと見られていたし。
親指立ててお湯を後でお持ちします、とか言いやがってた。これだと、噂が聖都を飛び出すのも時間の問題だ。
本当にどうしよう。
チパチャパは黒く揺蕩うコヒの水面を見つめて、眉根を下げた。
(ってゆか、いつもの正妻気取り達は何やってんのよ?! こーゆー時こそ、勇者様の側にべったりしてなさいよーっ! デュカにまた勘違いされちゃうじゃないっ。)
チパチャパの心の叫びを聞き取ったのか、勇者様が疑問を解消してくれた。
単にチパチャパが周囲を見回していただけとも言うが。
「あぁ、えっと。フォナとラナには遠慮して貰ったんだ。
他の皆もそうだけど、あのお土産のお蔭で彼女達も少し大人しくなってくれたみたいで、本当に助かったよ。君にお礼に行きたいからって二人に伝えたら、素直に従ってくれただけじゃなくて、人払いまでしてくれたんだよね。吃驚でしょ?」
そこで勇者様は言葉を一旦区切り、コヒの香りを楽しみながら「だからこうして、本当にゆっくりとお茶が楽しめるんだけどね。」と、嬉しそうに呟いた。
なんか、凄く幸せそうだった。
もっともそれを聞いたチパチャパの中の人は、”お礼”という単語にそれどころではない。チラチラとさっきから視界に入り込む大きなベッドの存在感が、否応にも増していく。
(お礼っ?! 要らないっ、要らないです勇者様! お情けとかそういうのは私以外の誰かにとっといてあげてくださいっ! きっと皆待ち望んでいますから! だから・・・いやぁ・・・デュカぁ~、助けてーっ!)
普通お礼と聞いてそうは思わないだろうけど。
魔王退治の旅の間、”お礼”と称して彼の嫁達は良く襲い掛かっていた。勿論、チパチャパにも覚えがあるし、魔王を倒してから村に行くまでの半年の間にも何度か口走っていたりする。
勇者様の嫁の間では、お礼とはつまりそういうコトを指しているのだ。
身構えて震え出すチパチャパに、勇者様は大変困ったお顔を向ける。
「いや・・・、そのね。僕は君達流のお礼とか、するつもりは全くないからね? 万が一、今の君にそのつもりがあったとしても、僕からする事なんてないから。」
「無いよね?」と少し怯えた様子で確認を取ってくる勇者様。チパチャパは、凄い勢いで何度も首を縦に振り返した。
勇者様が、「良かった。」と安堵のため息を吐く。
「それに、お礼は方便だしね。
本当は君が、故郷の村から戻って来てから随分と雰囲気が変わってる様に見えたから、ちょっとお話してみたいなって思ったんだ。」
「・・・っ!」
美味しそうにコヒを啜る勇者様の目が、楽し気にチパチャパを見つめていた。
獲物を見つけた魔獣の様に、じっくりと観察されている気分がしてチパチャパの背中に悪寒が走った。
窓も開けていないのに、急に肌寒く感じる。
「ねぇ、チパチャパ? もしかして、本気で好きになっちゃった人でも出来た?」
勇者様が笑う。
チパチャパは心臓を鷲掴みにされた心地がした。
勇者様から威圧感の様な圧力がズオォッ!と噴き出して、チパチャパに襲い掛かってくるように感じる。呼吸が上手く出来なくなった。
彼の視線も、ねっとりと舐めまわす様にチパチャパに注がれている気がする。ざわざわと鳥肌が立つ。
楽し気な笑顔のまま変わっていないというに、何故かその顔が魔王に間違えそうなくらい恐ろしく見えて仕方ない。
(え、なんで? バレたっ?!)
あれだけ徹底して露骨に避けていれば、サルでも何かあったと解るだろう。勇者様はお優しいけど、愚鈍でも観察力皆無でもないのだから、察して当然だ。
それにこの所のチパチャパの活動が無駄に実を結び、勇者様の元に『海の聖女様がお寂しそうです。』という陳情が頻繁に上がって来ていたのだ。
それで解らない方が、むしろどうかしている。
勿論、そんな事は全く知らないチパチャパは、背中で滝の様な汗を流していた。
(いや、まだ大丈夫。デュカの事は勇者様は知らないはずだし。まだ何とかなる。うん、彼に何かが及ぶ前に、先ずは「違いますよ。」とそう言わないと。)
カタカタと小刻みに震え出しながら、チパチャパは言い訳を口にしようとして。
先に勇者様に言われた台詞に言葉を失った。
「それって、昔、村で泣いてたあの子? たしか・・・デュカ君だっけ?」
「っ?!」
ビクッとチパチャパの体大きく跳ねた。
チパチャパの反応を見た勇者様が、笑みを深めて口元でニヤリと楽し気な弧を描く。
勇者様がニヤニヤとした顔のまま、スッと前に身を乗り出してきた。
「ねぇ? 当たり?」
嘘は許さないと、ランランと輝くその瞳が言っていた。
勇者様から得体のしれない魔力のようなモノまで漏れ出して、ウゾウゾとチパチャパに絡みつきだす。薄く影の様に見える程に濃密なソレはまるで罪人を拘束する鎖みたいに巻き付いたまま、ゆっくりとその圧力を強めていく。
(うそ、なんで。なんで、知って・・・るの?)
ガタガタと怯えるチパチャパの脳裏に、昔聖女の一人が他の男を連れ込んだ時の話が甦った。村で母と話した時に思い出したあの話には・・・実は続きがある。
聖女を部屋から追い出した後、勇者様が脅す様にその男を咎めていたという裏話だ。
扉の隙間から覗き見ていたメイド達によると、最終的には男が勇者様に縋り付き、慈悲を請うていたというもので。警告ともとれる言葉を男に掛けていたのだと言う。
『すっごい迫力だったらしいですよ? 流石の勇者様も男の方という事ですよねー? 聖女様を寝取ろうとしていた間男を、こう、バッサリと! 凄くカッコ良かったんですって!』
部屋付きのメイドが、興奮気味にそう話していた。
その後、その男は聖都から遠く離れた辺境へと強制的に送られたとか、そんな事も言っていたはずだ。確かそこで、魔王討伐後も残ってる危険な魔獣と命懸けの戦いを今でも日々、強いられているのだとか。
聞いた当時、勇者様がそんな事する訳ないじゃないと笑い飛ばしたその話は。
今、目の前で笑う勇者様をみると、事実かもしれないと思えてきてしまう。
チパチャパの心は狂乱しそうになっていた。
(やだっ! やだよぉ・・・そんな事されたら、デュカが死んじゃう。あの人は兵士でも騎士でもないんです。デュカは、ただの漁師なんですっ! そんな所に送り込まれたりしたら、本当に死んじゃうかもしれないんですっ・・・。)
目から涙が溢れ出す。
心が恐怖で凍えてしまって、体が芯から震えて止まらない。
草食系だと今まで思っていた勇者様の浮かべる笑みが、審判を告げる時を今か今かと待ちわびているようにしか見えなかった。
「どうなの? チパチャパ。」
「っぉ、お願いします! 私なら、私ならどんな事をされても構いませんからっ。だから、どうか! 村には・・・デュカには、お慈悲をくださいっっ!
お願いしますっ、勇者様! お願い・・・します、愛しい勇者様。」
焦れたような勇者様の声に、チパチャパは顔面を蒼白にして即座に慈悲を求めた。
胸の前でぎゅっと固く、手を握りしめて。パタパタと流れ落ちる涙で、テーブルを汚す。額をそのテーブルへと擦り付けるようにして、チパチャパは勇者様に赦しを請うた。
愛しい勇者様、と言った時に、ズキリと胸の奥が痛んだ。
「また裏切るの?」と悲し気な誰かの声が聞こえる。
チパチャパはソレを黙殺した。デュカが危険な場所に送られるくらいならば、そっちの方がまだマシだ。失う恐怖に比べたら、その程度の痛みなんて耐えられる。他にも必要な事があるならば、何だってしてみせる。
(だから・・・どうか、デュカだけは。)
チパチャパはその姿勢のまま、祈る様に勇者様の言葉を待った。
どれくらいの時間が経ったのか。
カチッコチッと、時を知らせる魔導具の作動音だけが部屋の中に響いている。
やがて、カチャリとカップを置く音が聞こえた。
「ねぇ、チパチャパ? とりあえず、顔をあげてくれないかな?」
穏やかなその声に、蹲ったままだったチパチャパは恐る恐る頭をあげた。
圧し潰してくるような威圧感もだいぶ薄れていた事が、それを後押しした。もしかしてお赦しを頂けたのかもしれない。そう思ってしまった。
けれど、顔を上げて勇者様を見た時に。
チパチャパは彼の言葉に従った事を激しく後悔した。彼の目は、相変わらず獲物を見る獣の目をして輝いていた。
「っひぅ。・・・お願いします! あの人は、デュカは、本当に何もしてないんです!
わたっ、私が勝手に好きになっちゃっただけなんです! 彼にはお嫁さんもいるんですっ、だから、だからどうか・・・・。」
「だからどうか、罰は私だけに。」涙に掠れて消え入るような声で、チパチャパは勇者様に懇願する。チパチャパの言葉を聞いた勇者様が、心の中の衝動を抑えきれないといった感じで、にんまりと唇を釣り上げた。
チパチャパの心は、恐怖と絶望で砕け散りそうだった。
この世界の嫁、結婚感について軽くご説明しときましょう。
基本的には3種類あります。
一つ目は、貴族や大商人といった、特権階級の場合。嫁や婿になるというのは、契約も絡んで神聖なモノとして扱われます。離婚とか気軽にはできません。二人目以降の嫁も正妻よりは一歩劣った扱いだったりとまぁ、テンプレ気味のアレですね。
二つ目は、大きな街や首都などの住民の場合です。彼ら、貴族達の影響を受けやすいのでやや貴族よりの思考をもっています。なので、嫁や婿も神聖な愛の形として受け止めてます。理想の愛の末にうんちゃら~みたいなヤツですね。「死が二人を分かつまで」とか言っちゃったりするのもここの人達の特徴です。・・・貴族は愛とかガン無視なのに。なんて立派な。
三つ目は、農村とか長閑に暮らす平民達の場合です。こっちは、最初の頃に書いたように女の人を養うのが生きてる男達の義務になります。嫁とはつまり、守り養う者。上の二つと違って、女神様に誓いを立てたる事もなく、神聖視されてもいません。
好きになった者同士が一緒に暮らすとか、流れでゆるーく「一緒に暮らそっか?」と一緒になったりする事が多いですけど、お見合い的な感じで充がわれる事も。なので喧嘩別れして、離婚というか嫁でなくなる事は頻繁でないものの、ままあります。相性とか暮してみないとと分らないですものね。
旦那が気にいらないなら、逃げ出しもいいのよ? と実に優しい世界です。・・・まぁ、若いとすぐ次を用意されちゃいますけどね?
他にも地域限定の事があったりしますけど、ここでは割愛しましょう。
そんな事よりも、勇者様の後宮の方が気になるでしょう?
勇者様の後宮のお部屋は、全室ベッド付きです。リネン室にまでちゃんとありますよ?
サロンや食堂に廊下ですら、大きめの寝椅子が設置されています。お庭にも、四阿とかデッキチェアが至る所に。
犯人ですか? 名前だけ出て来たフォナとラナですね。それぞれ国元では王女様と辺境伯令嬢様ですから。お金持ちなんです。
理由? なんて残酷な事を尋ねるのでしょうか。 そりゃ、ムラッと来た時に無いと不便じゃないですか。ねぇ?