超肉食聖女様とお国帰り
カランカランッ。という鐘の音を聞いて、桃色空気の中にどっぷりと浸かり込んでいたチパチャパは慌てた様子で動き出した。
あの鐘の音は、御者の女性が痺れを切らしたという合図だ。
彼女は一度怒らせると、後が少しばかり恐ろしい。
何せ、移動中のトイレやらその先の出発時間なんかは、彼女の胸先に全て掛かっているのだから。
チパチャパは旅行鞄を引っ掴むと、籠をデュカにお願いしながら小走りで玄関の布を潜り抜けた。
――ワアアァァァッッ!!
外に出た途端、大歓声にお出迎えされて吃驚した。
それだけではない。デュカの家の前から馬車までの道に、村人達が並んで列をつくってチパチャパを待っていた。驚いた顔のまま、たしたしと階段を降りると。彼女の頭上に、色とりどりの花びらまでひらひらと舞い降りてくる。
(ふゃっ?! え、何? 皆どーしたのよ?)
見送りである事は、チパチャパにも理解できる。
でもこんな盛大なお見送り、今までされた事がなかった。
似たような事があるとするならば、魔王を倒して凱旋した時の聖都でやったパレードとかだろうか。勇者様が居るならともかく、チパチャパ一人の時にこんな事をしてくれるなんて。
背後で床の軋む音がして、デュカ達も出て来た事を知ったチパチャパは、目をまん丸くしたまま彼の方へと振り返った。
「デュカ? どしたのこれ? なんで皆こんな・・・。」
チパチャパの手から旅行鞄を取りながら、デュカが楽しそうにしている。
「言ったろ? 皆お前に感謝してるし、誇りに思ってるって。」
「でも・・・。」
「来る時はお前、いきなりやって来たからなぁ。そん時の分も含めて、盛大に送ってやろうって。まぁ、皆張り切ったんだよ。」
「ふふ~、良い香りでしょ~? 子供達が朝から摘みに行ってたんだよ?」
クパは歩きながら捕まえた花びらを一枚、フリフリとチパチャパの顔の前で仰いでみせた。
ふんわりと甘くて素敵な花の香が鼻腔をくすぐる。
そんな花びらが雨の様に、一歩前へと進む度に子供達によってチパチャパに振り撒かれていた。チラリと横目で確認した子供達の腕の中の籠の中には、まだまだ沢山、こんもりと山になって花びらが乗せられている。
チパチャパが惰眠を貪ぼっている間に、子供達は物凄く頑張ってくれたらしい。
(や、嬉しいけど。嬉しいけどね? なんかこー罪悪感というか、背中がこそばゆいとゆーか、ね?・・・うん。)
ちょっと過剰すぎやしないだろうか。
急いでつくった外行きの笑顔の裏側で、チパチャパはタラリと冷や汗をかいていた。
それに、彼女に降り注いでくるのは、花びらだけではなかった。さっきから、村人達の声援のようなモノまでひっきりなしに掛けられている。
「チパチャパーっ! 元気でなーっ!」
「お土産で頑張るのよっ! 次来る時は、赤ちゃん期待してるからねーっ!」
「他の聖女様方に負けんなよー!」
「今度来るときは、勇者様も連れてきてねーっ。」
「魔王討伐の話もまた聞かせてくれよな!」
「都会に良い男がいたら紹介してねー?」
(うん、そんなつもり全くないからね? デュカの赤ちゃんなら幾らでも期待して欲しいけど。それと最後のはちょっと、難易度高すぎやしない? あーでも、村の実情いえば・・・ダメだわ、禄な男が引っかからなさそう。)
表向きは「ありがとう。」とか「そうねー。」とかそんな言葉を半自動で垂れ流しつつ、チパチャパはにこやかに応対して通っていく。
でも、皆が本当に祝福してくれているのが伝わってきて、凄く嬉しかった。
人の温かさとか、聖都ではほぼ無縁だったのだ。まぁ、仕方ない。あそこは女神様方を奉る中心地なのだから。色々な事が複雑に絡み合う、宮廷のような、というか、宮廷そのものだ。
デュカの事を抜きしても、帰りたくないなと結構本気で思ってしまう。
そんな感じで手を握られたり、肩を叩かれたり、ついでに小物なんかまで渡されながらチパチャパは歩いていった。小物なんかは量があまりに多くて、隣を歩くクパに持って貰った程だ。
「これで倦怠期もバッチリよ?」と、鼻息も荒く怪しげな香油を押し付けてくるメリ小母さんを若干引きつついなして、チパチャパは前を向く。
彼女で最後だったのだ。そろそろ馬車も近い。
(あれ? 父ちゃんと母ちゃんどこいった?)
馬車の側にはデュカの両親に、それと小さな男の子と女の子の姿しか見えない。チパチャパは首を傾げた。
昨晩の宴で、両親ともに「ついて行くさ。勇者様の顔もみてぇしな。」と言っていたのに。 急に気でも変わったのかな、とかチパチャパが思っていると、デュカの父であるダァルが苦笑いをして教えてくれた。
「マシュの奴も、ペニも、先に馬車に乗っているって言ってな? 来るのが遅いって怒ってたぞ。」
「あー・・・、ありがとうございます。色々ご迷惑おかけしてすみません、ダァル小父さん。」
なるほど、と納得しつつも、チパチャパはちょっとほっとした。
ダァル小父さんには、5年前の事でなじられると覚悟していたのだ。
それは息子を捨てられた彼らの当然の権利だったし、チパチャパはそれを受け止める義務があったのだから。でも、全然そんな事はなかった。
小父さんはそんな雰囲気が少しもなさそうだし、その隣で寄り添うリウ小母さんもにこにこと優しくチパチャパを見ている。
(良かった・・・ほんっと、良かった。二人に嫌われてたらどうしようとか、凄い焦った。)
デュカの嫁になるのが難しくなるとかではなく、単純にチパチャパは二人も好きだった。覚悟はしてても、そうなってたら泣く程度では済まなかった。
安心して胸を撫でおろす仕草を何か勘違いしたダァルが、リウと顔を見合わせて笑う。
「はっはっは! そんな気にしないで良いさ、チパちゃん。マシュの奴は気が短すぎるんだ。」
「そうね。だからほら、笑って? 女の子なんだから、最後は笑顔でいなくちゃダメよ?」
「さぁさぁ。」と二人に急かされて、チパチャパは極上の笑顔を二人にみせた。
演技では絶対に作ることの出来ない、はにかんだ様な嬉しいという感情を素直に表にだした良い笑顔だった。ダァルとリウが優しい笑顔で応えてくれる。
村を出る前まで良くチパチャパにも向けられていた大好きなその顔に胸が幸せになっていく。
(ダァル小父さんもリウ小母さんも、昔とちっとも変ってない。二人とも、相変わらず素敵なままだー。)
目の前で仲睦まじくしている二人は、少し老けた程度で殆ど変わった様子などなかった。
昔見た、理想的なお似合い夫婦のままだ。・・・体形とかも含めて。
ダァル小父さんはムキムキの筋肉が陽光を鈍く照り返して、真っ白な歯を見せて朗らかに笑っている。昔の父もこんな感じだったのだ。これぞ漁師の男という逞しい姿だ。
リウ小母さんもスラリとした美人のままで、楚々としていらっしゃる。
古き良き村の伝統をきちんと守ってくれていたらしい。ここまでの道の途中で、見知った同年代の奴らの中に裏切り者を結構発見していたチパチャパとしては、本当に、本当に、安心できる。
ただ、お肌が昔よりツヤツヤしている様にみえる。
小母さんもハスモとかが好きなのだろうか。だとしたら、アレはちゃんと弁えれば素晴らしい効果が得られるのではないか。
母のツルツルお肌を思い出しながら、リウ小母さんの卵肌を食い入るように見つめていると、彼女に「あらあら。」と困った顔をされてしまった。
「大丈夫よ、ハスモも他の美容に良いモノも馬車にちゃんと積んでおいたから。 他の聖女様達に分けても十分残るくらい沢山乗せておいたわ。」
「ありがとうございますっ、リウ小母様! すっごく嬉しいです!」
「俺は”さん”で、お前は”様”か・・・、リウ。」
リウに詰め寄る勢いで感謝を伝えていたら、隣でダァルが拗ねていた。
(あ、なんか村にいた頃みたい。あはっ、懐かしい。)
昔もこんな風に二人と接していた事を思い出して、チパチャパの顔に柔らかく緩む。
デュカと二人で小母さんにこっそりオヤツを貰って、隣で小父さんが「俺の分がねぇ・・・だと?!」と良く拗ねていたものだ。
チパチャパはデュカをそれを見て、小父さんにオヤツを分けてあげていた。
そうすると、彼は「くぅっ! なんて良い子達なんだ・・・優しさが沁みるっ。」と言って嘘泣きをはじめて、呆れたリウ小母さんに頭を叩かれるのだ。その後、皆で笑い合って、仲良くオヤツをつつくまでがいつもの4人の姿だった。
忘れてしまっていた事がまた一つ、チパチャパの胸の中に戻って来たようで凄く幸せな気分になった。
「何やってんだ? 親父。」
馬車に籠と旅行鞄と皆から貰った贈り物を積み終えたのだろう。
その景色の中で一番重要な人の声まで聞こえてきて、チパチャパは急いで彼の方へと顔を向けた。
そのまま記憶の自分のように飛びつこうと手を伸ばそうとして――。
「とーちゃんっ!」
「ままっ!」
チパチャパの横を小さながすり抜けていった。
影が自分の代わりにデュカの胸の中へと飛びこんでいく。デュカも嬉しそうにその子を持ちあげて話かけていた。
チパチャパは笑顔のまま固まった。
(えっ・・・。子供? アレ? っあ・・・うん、そう、そうだったよね。今は違うんだよね。だって私、7年間旅してたんだし。)
パチパチと瞬きをして、チパチャパはゆっくりと手を下ろす。
そう、今はまだ村を出る前だった頃ではない。ソレは遠い昔の事だ。
デュカにあんな子供が出来ているくらいに、時間は経っているのをすっかり忘れていた。今朝だって、クパがあの子の事を話してくれたじゃないか。
口の中が乾いていく気がして、チパチャパは無意識に唾を飲み込んだ。
デュカが子供と幸せそうに戯れる姿は、5年前、いや7年前まではチパチャパに約束されていた夢の世界かもしれないけれど、今はチパチャパのモノではないというだけの事。・・・捨てたの、自分自身だ。
「スヌー、良い子にしてたかなー?」
「もちろんよ、スヌはとっても良い子だったわよ? クパ。」
「そっかー! お婆ちゃん家は楽しかった? スヌー?」
「あい! ああいの、いっぱ!」
「甘いの一杯食べたんだねー? 良かったね、スヌー? ・・・お義母さん、ちょっと後で僕とお話ししよーね?」
「ク、クパちゃんっ?! 違うのよ? そのね、ほら、昨日は宴だったんだもの。いつもは違うのよ、ね? ダァル?」
「ぁ、ああ! 勿論だとも! いつもはバランスを考えて確りとだな・・・。」
泣いている様な笑っている様な顔をしたチパチャパの脇を通り抜けて、クパがリウから女の子を受け取っていた。
楽しそうにリウやダァルも交えて家族の会話をしているのが、耳から入り込んでくる。それは、もしかしたら、チパチャパがしていたかもしれない会話だ。
これも昔、平凡だと自分で捨てた未来の欠片だった。
(あ、あはは・・・ほんと、私ってば何勘違いしてたんだろーね?)
村に来てから、デュカ達が昔と変わらずに接してくれていたせいだろうか。
演技なんて捨てて、素の自分に戻って気を緩めていたから、今さっきしたダァルやリウとの懐かしさで一杯のやり取りで、心まで昔に引き込まれていたのかもしれない。
チパチャパは、つい自分が今、7年前の勇者様が村に来る前の自分に戻ったような気分になってしまっていた。
勿論、それは只の勘違いで、幻だ。
目の前の現実は、容赦なくチパチャパに『お前はそれを選んでいない。』と叩きつけてくれる。一番欲しかった夢が何だったかという事まで、ご丁寧に付け加えて。
(・・・意地悪だよ、現実って。)
ピシリ、と。チパチャパの視界がひび割れた。きっと心も、そうなったんだと思う。
(・・・お手紙。あの聖女みたいに、ちゃんとお返事だしとけば良かった。体も綺麗なまま大事に守っとけばよかったなぁ・・・そしたら、私、この中にちゃんと戻れてたのに。
今更、あの時はどうかしてたのって言っても、誰も信じてくれないよね。)
乾ききった口の中に、滲み出す様に苦味が広がった。
いくら唾を飲み込んでも消えないその味は、チパチャパが産まれて初めて知った、後悔の味だった。ひび割れた心が疼きだして、ジクジクとした痛みを伝えてくる。
胸が、たまらなく苦しかった。
体から力が抜けていくのを感じながらフラリと倒れかかったチパチャパの肩を、温かな手がガシリと掴んだ。
「っおい! 大丈夫かっ、チパっ?!」
力強く引き寄せられて、力なく項垂れていたチパチャパの頭が分厚い胸板の上に乗せられる。
顔を見なくったって、解る。
優しく響いてくる彼の鼓動に合わせる様にひび割れて色を失っていた世界が、綺麗に修復されてその輝きを取り戻していく。
チパチャパは誘われるまま、彼に身を委ねる。肌に伝わる温もりに安心して、その大好きな人の胸の中へと顔を埋めた。
「あぶねぇな・・・ほら、クパも親父達も。チパ放って何してんだよ?」
やっぱり彼だ、彼の声だ。
彼の体温がチパチャパの心のヒビも溶かして治してくれる。
治った心が、喜びに打ち震えるように高鳴っていく。大好きだ。私は彼の事が、一番大好きだ。そう、声高に叫ぶように、ドンドンと激しく打ち鳴らしていた。
目に浮かんでた涙も、今は嬉しくて溢れ出しそうだ。
「デュカ、大好き。」チパチャパは、声なくそう囁いた。
「こいつらの紹介はやったのか、親父?」
「いや、お前達が来てからの方が良いかと思ってたんだが。・・・チパちゃん大丈夫そうか? なんか具合あんまり良くねぇのか?」
「わかんねぇ。今日は日差し強ええからなぁ・・・立ち眩みとかだと良いんだけどな。いや、良くねぇか。何にしてもさっさと終わらせて、馬車に乗せてやろうぜ?」
「あらあら、それは大変だわ。そうねぇ、急いで紹介だけしちゃいましょ?」
「・・・おぃ、チパ? 大丈夫か? あんまり辛ぇようなら、すぐ馬車に乗るか?」
チパチャパはデュカの胸に顔を押し付けたまま、ゆるゆると首を横に振って意思表示をする。
涙も彼の胸でふき取って、デュカに「大丈夫。」とちゃんと伝えたくて顔を上げた。
途中、無垢な男の子と目が合った。
チパチャパの中で時が止まった。
「だいじょーぶ? おねーちゃん。」
お子様に今のガン見されていた。
頭がソレを理解した瞬間に、なんか色々消し飛んだ。ダラダラと冷や汗を流す。顔に体中の血液が集まってくるような気がする。
見る見るうちにチパチャパの頬は紅潮していった。
お子様が、コクン、と首を傾げる。
「おねーちゃん、お顔まっかだよ? おかぜ?」
「ぅ、ううん! 大丈夫よ、お姉ちゃんは全然平気! うん、心配してくれてありがとうね? ・・・えっと、トゥク君?」
とりあえず、ニッコリ外向けの笑顔で微笑んで誤魔化す事を思いつく。
チパチャパにつられて、デュカが安心したように微笑んだ。
「大丈夫そうか? あんま無理すんなよ?
それにしても、クパから名前聞いてたのかよ。ああ、コイツがオレの息子のトゥクトゥパだ。4才になったんだぜ? なー、トゥク? ちゃんとチパお姉ちゃんにご挨拶できるかなー?」
トゥクがにぱっと天使の笑顔を見せて、元気よく手をあげた。
「うん! ボク4才になったよ! はじめまちて、ちぱおねーちゃん! トクトパです!」
「偉いぞーっ。流石、オレの息子だ。どうよ、チパ? 賢いだろ? な?」
「やっ! とーちゃん、それはずかしい!」
鼻の下を伸ばしたデュカが相好を崩して頬刷りして、トゥクが嫌がっている。
「んー!」と力いっぱいデュカの顔を遠ざけようとするトゥクがとても可愛い。
自分の子供の時もあんな顔してくれるのかな、とチパチャパがにへらっと笑っていると、クパが肩を突いて来た。
「チパ姉さん、この子がスヌスリュだよ。ほら、スヌー? チパお姉さんにご挨拶しようねー?」
「あい! ねね!」
「こんにちわ、スヌちゃん。チパお姉ちゃんですよー?」
「ちぱ!」
クパの腕に抱かれたスヌが小っちゃな手を振り上げて、元気に挨拶してくれた。
その小っちゃなお手手に指を合わせながら、チパチャパも優しく微笑みかえす。触れた指先が、スヌににぎにぎされて、心がほっこり和んだ。
(私もこんな子欲しいなー。それでデュカと一緒に可愛がるんだ・・・そしたら、二人の顔が近づきすぎちゃって・・・えへへ~。)
妄想を膨らませて、えへらっとチパチャパが顔を崩していると、デュカが肩を揺すってきた。耳元で囁かれて、ちょっと妄想が漏れ出しそうになった。・・・どこからとか聞かないで欲しい。
「おい、チパ。そろそろ行かないと、なんかヤバそうだぞ? 御者の姉ちゃんがすげぇ恐ろしい顔でこっち見てる。」
「ひゃんっ! っへ? ・・・あっ。」
クパ達の後ろから、御者さんがチパチャパを睨んでいた。
背中にドラゴンでも見えそうだ。
チパチャパはクパ達に「ありがと!」と頭を下げてから小走りで馬車へと向かった。急がないと、なんか命の危険を感じる。
タラップに足を乗せようとした時、トゥクをクパ達に預けたデュカが扉を開けて手を取ってくれた。
思わぬ気遣いに、さっきの妄想が溢れて来てチパチャパの頬が桃色に染まる。
しずしずとエスコートされるお姫様の気分でタラップを登ったチパチャパは、最後の段に足を掛けた時、一度立ち止まって村の方を振り返った。
そこでは村人達が列を崩して集まっていた。
皆にこやかに手を振って、チパチャパを見送ってくれている。その中には、いつの間にか移動したダァルにリウ、それにクパやトゥクとスヌの姿もある。
クパ達を見ると、また少し胸が苦しくなった。
その胸の痛みをチパチャパは、小さく頷いて受け入れる。
解ってる。
時間は巻き戻せない。間違えてしまった事も、取り返しの付かない行いも、全部無かった事になんて出来ない。
でも、と。チパチャパは、デュカの手をぎゅっとした。
(やり直す事は、きっと・・・出来るよね? だよね? デュカ。)
ちゃんと過去を清算して、誠心誠意謝って、それからもう一度、今度は私からお願いしよう。
チパチャパは優しい笑顔を向けてくれるデュカへと視線を戻してから、ゆっくりと彼に顔を近づけていった。
じっと彼の目を見て、チパチャパはその言葉を口にする。
「あのね、デュカ。・・・その、今までの事、本当にごめんさい。私、馬鹿だったわ。」
「あん? 何の事だ?」
デュカは相変わらずの朴念仁でチパチャパの想いをさっぱり汲んでくれなかったが、予想通りだったのでそこは良い。沢山時間を作った後で、何度でも伝えればよいのだから。
それよりも、これから実行する事を思うと、心臓が暴れ出して胸から飛び出してしまいそうだ。
でも、やりたい。
なけなしの勇気を全部振り絞って、チパチャパは自分を鼓舞した。
(これは、そう、必要な事なの。私がちゃんと自分を取り戻した事の証明なの。それに・・・。)
自分にそう言い聞かせ、チラリと村人に混ざるクパを見る。
目を瞑って、開いて。・・・今度はデュカの目をちゃんと見れなかった。
視線をちょっと横に向けて、ちゃんと伝えようと唇を開く。
「こ、これは、その・・・私の! 気持ちだからっ。」
口籠りながらも言い切った後に、チパチャパは素早くデュカのほっぺにキスをした。
驚いて目を見開くデュカを置いて、急いで馬車に乗り込むとバタンと扉を閉める。
待ちわびていた御者が早速馬車を走らせた。
(っゃった! ゃってしまった! あぁもーっ、どーしよーっ?!)
走り出した馬車の中で、チパチャパは緩んだ頬を両手で押さえた。カッカと熱をもって、掌が燃えてしまいそうだ。
軽く触れるだけの子供がするみたいなキスだったけど、チパチャパは自分の中の勇気に拍手喝采した。
本当は唇にするつもりだったけれど、微妙ににヘタれて頬にしてしまった事も気にならない。
唇はデュカが求めてくれた時の為に取って置いたと思えば良いのだ。
今まで自分から誰かにしてあげた事はあっても、して貰った事など一度もないのだから。初物を大事にしたとも言えるし、数少ない彼への捧げものになるかもしれない。
そう考えるなら、実にナイスな判断だと言えるに違いない。
(デュカも吃驚してた! うん、ちゃんと伝わったかは・・・かなり微妙だけど! でも! 感触は残せたし! 私にも残ったし!)
チパチャパは唇を指でなぞっては、「くふふ。」と気味の悪い笑い声を漏らした。
唇には彼の頬の感触がしっかりと残っている。これは、これから先に待ち受ける大変面倒な身辺整理の時にも心の支えになってくれるに違いない。
「私、頑張る!」と再び、にへらっと顔を崩してチパチャパは頬を押さえ、体を捩る。
そんな不可思議な行動を繰り返す愛娘の様子に、向いに座っていたマシュもペニも、疲れた顔で深い、それは深いため息を吐いた。
宮廷、それは古狸と化狐が集う社交の場。
上は貴族に大商人、神官から、下はメイドや雑用に至るまで。全てが虚実を織りなして相手を蹴り落とす事に執心する爛れた舞踏会場。高位貴族のご令嬢が明日には国外追放されてしまう伏魔殿。
他人の善意は罠の味。良い友人は墓の下にだけいる。
どこの世界でも変わる事のない麗しの宮廷事情ですよね?
幸せほわほわな宮廷とか存在できるのは、国民が全員お花畑の住民の場合だけですって。
そんな魑魅魍魎共が喰らい合う恐ろしい場所に放り込まれた勇者様の悲哀はどれ程のものか。嫁すら信用なんてできない。・・・いつか、勇者様の愛と優しさと清らかさが世界を救うと信じて。