超肉食聖女様と朝の一コマ
――チッチチッ、チチチチッ、チュピチュピッ、チュピッ、チチッ・・・。
賑やかな小鳥たちの囀りで、チパチャパは安らかな眠りから引き起こされた。
「ぅうん・・・。」と寝返りを打ち、ぼんやりとしたまま薄目を開ける。半覚醒状態の脳みそは、見慣れぬベッドや壁を見て、「どこだっけ?」と疑問符のついた信号を送りつけて来た。
(あー・・・、デュカのお家だった。そーいえば。)
寝ぼけたまま体を起こして、周囲を見回してその事を思い出す。
そのまま家の外へと視線を移すと、中々に良い感じに晴れ渡った青い空が見えた。
男達はたぶん、もう漁に出かけているのだろう。目に付く範囲には、洗濯なんかの家事をこなす女達の姿しか見えない。
「ん~~~~っ。」
チパチャパは大きく伸びをした。
寝ている間に固まった筋肉が解れていく感覚が、倦怠感と共に心地よさを伝えて来て爽快な目覚めをもたらしてくれる。
伸ばした手から力を抜いて、ベッドの上に落とす。
ぱふっと柔らかく沈みこんだ手の方に目を向けて、チパチャパは軽く肩を落とした。
残念な事に、そこにデュカが寝ているといった事はない。
ぬくもりが残っているとか、匂いが残っているとかもなく、チパチャパが寝乱した跡だけが皺となって残っていた。
チパチャパは至極残念な気持ちでその皺を眺めた。
(はぁ、結局デュカを食べれなかったぁ。
もー・・・、なんで家にすら帰ってこないのよ? 母ちゃんの言ってた事なんて気にしなくて良いのに。やっぱもーちょっと解りやすく実力行使に出とけばよかったかなぁ。今回最後のチャンスだったのに。)
爽やかだった気分が一気に落ち込んだ。
チパチャパは深い、肺から空気を根こそぎ吐き出すような長くて深いため息を吐いた。今は、目の端に映る外の清々しさすら恨めしい。
(宴の時も途中からどっか行っちゃうし。・・・折角、お客様席で隣にすわれたのになぁ。デュカのバカっ。)
昨晩の宴でデュカの隣に座れたチパチャパは、それはもう舞い上がった。
反対側には泥棒猫が当然のように座っていたけれど、それを気にする事がなかったくらいだ。絶好のチャンスとばかりに擦り寄り、自慢の慎ましやかだけど柔らかい胸をデュカの体に押し付けたりしてアピールしまくった。
ところが夜も更けて宴が無礼講になりだすと、デュカがふらっとチパチャパの隣からいなくなってしまったのだ。
何人かの船頭と話している所までは、目で追えていたのだが。
デュカが居なくなった途端に母が、ずずぃっと近寄ってきたのだ。彼女のお気に入りの料理だとかデザートだかとかを猛烈な勢いで勧められている内に、チパチャパはデュカの姿を完全に見失ってしまった。・・・ちなみに、母は本当に一抱えもある盥でハスモの糖蜜掛けを食べていた。
お年頃の娘にまで、盥で勧めるのは止めて欲しい。乙女にとって、体重は敵でしかない。
(もーっ。お風呂でお肌も綺麗に磨いたのに。・・・あの石鹸、勝負用だったんだからね。それなのにデュカったら。)
パタリ、と起こした体をもう一度ベッドに沈み込ませて、チパチャパは不貞腐れた。
昨夜の期待が大きかっただけに、徒労感もひとしおだ。
それに今日は聖都に帰らなければならないのだ。その事が、チパチャパの背中に重く圧し掛かってくる。
(滞在する日数、せめて2、3日は取っとくんだったわ・・・挨拶するだけだから速攻で帰るとか。どんなハードスケジュールよ、組んだの私だけど。片道2週間もかかるんだから、そこは普通何泊かして疲れとるものでしょーが。馬鹿なんじゃないかな、私。)
2週間前の自分に怒りをぶつけつつ、『いっそ、このまま連絡だけいれて暫く滞在しようか。』とか悪い考えを浮かべる。
旅の疲れが、とか何とか言えば、ちょっとはイケる気がしなくもない。
ただそれをすると、ずるずるとこのまま居残り続けそうだという予感もする。・・・というか、間違いなくそうしそうだ。
そうなると確実に、相手にするのも怠い神官達が大勢の兵士を引き連れて村にやってくる事だろう。
(デュカには、迷惑掛けたくないなぁ・・・。)
ぺしぺしと足でベッドを叩いて己の葛藤と戦っていると、入り口の布が捲られて、クパがひょっこり顔を覗かせた。
「あ。チパ姉さん、起きてた?
おはよー、良い朝・・・じゃないかな? もうお昼近いし。良いお昼だよー?」
「あー・・・おはよー、クパ。
ごめんね、なんかすっかり寝過ごしちゃったみたいで。」
『そっかー、もうお昼かー。』とか思いながら、パタパタしていた足を止めて顔だけをクパに向けたチパチャパは、気だるげな挨拶を返した。
演技? ナニソレ美味しいの?
昨日、散々ダメな姿をクパにも見られているのだ。今更、取り繕う気にはなれない。第一、ここは赤の他人がいるような公の場所じゃなくて、安心できるデュカのお家の中なのだ。
そんな場所で同性相手に演技して何になる。
デュカがここに居たらなら、もちろん、ちょっとは取り繕うけど。でもそれも、乙女として幻滅されたくはないからだ。
やる気のないチパチャパの態度を見ても、クパは眉を顰めるなんて事はなかった。逆に楽しそうにケラケラと笑い声をあげている。
「あはは、チパ姉さん相変わらずだねー。
でも、そんな事気にしなくてもいいよ? ほら、チパ姉さん聖都? からずっと馬車だったんでしょ。疲れてて当たり前だよ。」
「ありがとー、クパ。・・・でも、また今日から馬車に乗らなきゃいけないのよねぇ。それ考えると、もの凄く怠い。やだー疲れる―めんどくさいー・・・。」
チパチャパは枕に顔を埋めて、くぐもった声で「帰りたくない。」とクパに訴えた。その姿はまるで駄々っ子の様だ。
クパが苦笑いしているような気配がする。
「頑張って、チパ姉さん。
そんな事したら御者のお姉さんが困っちゃうよ? それにほら、次はもっとゆっくり出来るようにすれば良いんだよ。・・・ね? クパ姉さん。」
「うばぁー・・・。」
「ほーらっ! もうっ、起きてよクパ姉さん。」
「うぬぁー・・・。」
「あぁんっ、もーっ。そろそろデュカだって帰って来ちゃうんだからねっ?」
「っ! それを先に言って! クパ!」
ガバッ!
デュカの名前を耳にしたチパチャパは、勢いよく体を起こした。見ていたクパが「おぉっ。」と感嘆の声を漏らすくらいにその反応は早かった。
「えーっと、ブラシは何処やったっけ? ああっ! 乳液と美容液がないっ?! もー、どっかに置き忘れてきちゃった?! もぅもぅもぅっ! 化粧水はっ・・・あった!
あっ! そだ、クパっ! お湯頂戴?」
「はーい。今持ってくるよー。」
チパチャパは旅行鞄をひっくり返す勢いで身支度を整え始めた。
中に詰め込んでいた下着やら服まで、あっちゃこっちゃ投げ散らかして大騒ぎだ。
クパはその様子をみて、「たはは。」と乾いた笑いを浮かべた後、チパチャパの為のお湯を取りに静かに部屋を後にした。ついでに、クパが使っている化粧品とか持って来てあげようかな、とかそんな事を考えながら。
「うなーっ! ファンデはどこいったーっ!」
背後から聞こえて来たチパチャパの悲鳴にクパは、もう一度「たはーっ。」と力なく笑った。
◇◇◇
「おはよっ! ・・・って、デュカ居ないじゃない、もー・・・。」
「あはは。何時もならもう帰って来てる時間なんだけどねー? どうしたんだろ、今日はちょっと遅いね。」
結局、身支度には一時間くらいかかった。
万全の準備を整えて居間に顔を出したチパチャパは、そこにデュカが居ない事を知るとグテーっとテーブルの上に身を投げ出した。
彼女と一緒に、海の聖女としての正装までもがテーブルの上にダラリと広がる。
そう、チパチャパは正装をしてこの場に望んでいた。
道中お偉いさんに絡まれた時の為に持ち出していた正装を着込んで、今は見えないけど下着にも気合いを入れていた。聖都に帰ってすぐに勇者様とにゃんにゃんする為に、一着だけ持って来ていた準勝負用の下着だったりする。攻撃力より清楚さと印象値の高い一品だ。
昨晩食べる事には失敗したけれど、それでもデュカには一番綺麗な姿を是非見て欲しかったのだ。
それにまた帰って来た時の為に、『諦めてないからね。』というささやかな意思表示も込めたつもりだった。そう考えて、気合いを入れて来たというのに。
たった今、全力で無駄になってしまった。
(もー・・・なんで居ないのよぉ。チラ見されても良い様にいろいろ頑張ったのに。)
力なくテーブルに突っ伏していたチパチャパの前に、クパがブランチとなってしまった朝ごはんをコトリと置いた。
「はいどーぞ、チパ姉さん。」
食欲をそそられる香りに体を起こしたチパチャパは、目の前の朝ごはんを見て吃驚した。
美味しそうな湯気を立てる魚のシチュー、パシェトと呼ばれるこの地方独特の薄い無発酵パンに、新鮮なサラダ、そして搾りたてのジュースまである。
チパチャパが村に居た頃とは全然違う、豪華な朝ごはんだ。
しかも、シチューには香辛料までふんだんに使われているらしく、その匂いに誘われてさっきからチパチャパのお腹が『早く食わせろ。』とうるさい。ジュースだって、オランを絞ったものみたいで、鮮やかなオレンジ色していて爽やかな香りを漂わせていた。
昔はお祝いの時くらいしか飲めなかった代物だ。
普段は水か、良くても近くの林で摘んできた香草を煮出したお茶だったのだ。
ゴクリと喉を鳴らしたチパチャパは、早速頂くことにする。
(そーいえば、あのベッドも良い物だったよねー・・・昔はハンモックだったのに。)
パシェトを手で千切り、シチューに浸して口へと運びながらチパチャパは寝ていたベッドに思いを馳せた。
あれも、聖都でチパチャパが使っていた物に劣らないものだった。藁ではなくて、ちゃんとスプリングが使われているベッドだ。それに、空調に防虫、お洒落な灯りの魔導具まで本当に部屋に備え付けられていた。トイレも汲み取り式ではなく、聖都でも最新式の水洗でチパチャパは感動した。
ビデ付きとか、勇者様のいる宮くらいでしかまだ見た事はない。
(なんかこー、釈然としないとゆーか。何? この村いつの間にこんな事になってたの? 誰よ、小汚い漁村とか言った奴。)
もぐもぐと口を動かしながらも、チパチャパの手は忙しく動いていた。
悔しいけれど、もの凄く美味しいのだ。あのちびっ子は、料理の腕まで冒涜的に育ったようだ。・・・帰ったらちょっと料理の練習をしよう。
「ぐぬぬ・・・。」と向かいのテーブルの上に鎮座する胸を睨みつける。
普通に座ってるのに、乗るとかありえないだろう?
食事とかで邪魔じゃないのか。自分だとお腹をテーブルにめり込ませてもそんな真似は出来そうにない。
チパチャパの魂の叫びだった。
チパチャパの視線が何処に向いているのかを感じたクパが、「あはは・・・。」と乾いた笑いを漏らしながら身じろぎする。
クパは視線を逸らそうと、ご飯を食べながら無言で見つめてくるチパチャパに話をふってみた。
「でも、良かった。
都会の凄い生活に慣れてるチパ姉さんだと、あのベッドじゃ寝にくいかもって、僕ちょっと心配だったんだ。けど、大丈夫だったみたいだね?」
「快適だったわよー?
お部屋も過ごしやすいし、波の音とか聞こえてロマンチックだし。お風呂まであって、おまけに足伸ばせるくらい大きかったし。・・・それに、このご飯もすっごく美味しいわよ? 悔しいけど。」
「・・・あ、ありがと。チパ姉さんのお口に合ったみたいで良かったよ。」
「ええ、ええ。とーってもお口に合いましたともー・・・もーっ。ほんと、色々成長しちゃって。どうなってんのよ、その体っ。」
チパチャパの視線は微動だにしなかった。
クパが、「あーん、失敗したよう。」といった感じで家の外へと助けを求める様に目を向けた。
実際、聖都での優雅な暮らしに慣れたチパチャパ的にも、ここでの一夜は全く不自由がなかった。驚くべきことに、だ。恐らく、聖都ですらこんな生活をしているのは、裕福な部類に入る極一部の人たちだけではなかろうか。
客人用とかいってたから、これより多少グレードが下がるにしても、村全体でこうならば。一体幾らかかっているのか、チパチャパにはちょっと想像もつかない。
(これ、父ちゃんや母ちゃんが貰ってたお金じゃ無理よね。)
多分、どれか一つを買うので精いっぱいだ。
オランジュースで喉を潤しながら、チパチャパはどうやって整えたんだろうと疑問に思う。
そう、疑問といえば。
チパチャパは、まだデュカの子供達をみてないぁ、と首を傾た。
「ねぇ、そーいえばさ。子供いるんだよね? 見せて貰った記憶ないんだけど、私。」
不意に投げかけた質問に、クパは家の外へと向けていた視線をチパチャパへと戻し、一瞬「あっ。」という顔をした後で、少し申し訳なさそうに答えた。
「うん、二人いるよ? トゥクトゥパとスヌスリュって言うんだ。男の子と女の子なの。
今頃は多分、学校に行ってると思うんだけど・・・二人共今日は家に帰ってこないんだよね。その、まだ小っちゃいから、チパ姉さんに迷惑掛けるかもって、昨日からデュカの両親のトコに預けてるの。」
「えー・・・、気にしなくても良かったのにそんな事。あれ、でも学校って幾つ? その子達。」
「トゥクが数えで4つで、スヌが2つだよ。二人とも、デュカが甘やかすからちょっとやんちゃで困ってるの。」
「その年で学校って、いくらなんでも早すぎじゃない?
・・・って、まって? 学校?! あるの? この村に?! え、何、神殿でも建てたの?」
オランジュースのお代わりを注いでいたチパチャパの手が止まる。
危うく零しそうになったので慎重にテーブルの上に置き直してから、チパチャパは鼻息荒く身を乗り出した。
この世界の学校とは、一般的には神殿で神官達がボランティアとして子供達に読み書きを教える事を指す。勿論もっと高度な事を教える場もあるが、そっちは貴族やら大商人やらの子息令嬢達が社交を兼ねて通う場所だ。この村には縁がない。
だから学校と聞いて神殿を建てたと考えたチパチャパは間違っていない。
神殿を建てたのならそれは海の女神ヌパヌゥイのものであろうし、そこに勤めるという名目でこの村に留まる事が出来るのでは? と考えたのだ。
「詳しく!」と目で訴えるチパチャパを、クパは若干引き気味に宥める。
「お、落ち着いて、チパ姉さん。
2年くらい前に、村に調査とかに来た錬金術師さんの一人がね? タファ姉に一目惚れしたーって言って求婚したの。それでね? 村に残るって言いだして、研究所? も兼ねた学校を建てるーって。
だからその・・・。神殿を建てた訳じゃないんだ。ごめんね、チパ姉さん。」
「あ”ぁ”~~・・・。」
身を縮めるクパの前で、チパチャパは再びテーブルの上に身を投げ出した。
朝から徒労感ばかりが蓄積されてる気がする。
また顔だけ起こして胸を見てくるチパチャパに、クパが苦笑した。
「はぁ・・・まぁいいわよ。そんなホイホイ建てられるものでもないし。でも、やっぱりその年の子を学校に送るには早すぎるんじゃない?」
「あの子達の場合は、預かって貰って皆と遊んでるだけだよ。
ちょっと広めに場所を取ったんだ、学校。朝は家事とかで僕達も忙しくてちゃんと見てあげられない事も多いし、それに子供の数も増えたから、いっそ皆を集めてそこで遊ばせちゃおうかって。」
「あぁ。そういえば、村の中で沢山子供達を見かけたわね。」
「うんうん。だから、そーゆー事にしたの。」
「錬金術の先生、お仕事出来なくなるんじゃない?」
「あはは、そこは大丈夫。
長老達が、ひ孫達と遊べるって張り切ってるから。最近だと、送り迎えまでまでしてくれてるんだよ? なんか凄く元気になって、子供達と走り回ってるみたいだし。」
「長生きしそうだよねー?」と笑顔を見せるクパを眺めながら、老人達も自分が居た頃に比べて随分世話焼きになったようだと、チパチャパは置きっぱなしのジュースに手を伸ばした。
(・・・私達の頃は、読み書き教えるのすら億劫がってた癖に。)
爺婆共め、態度が違いすぎるだろう。
チパチャパは手にしたジュースをくぴくぴと喉に流し込んで、あわよくば保母さん枠でと企んでいた計画を、ソレが潰えた悲しみと一緒に腹の底へと押し込んだ。
「はぁ~・・・。」
空になったコップをテーブルに置いて、三度チパチャパはテーブルへと倒れ込んだ。
憮然として頬っぺたを膨らませる。
本当に、今日は何もかも上手くいかない日だ。
(にしても、デュカってば遅いなぁ・・・何やってるんだろ? 帰っちゃうぞ? 私。)
ごろりと玄関の方を向く。
入り口に掛けられた布は風に吹かれて微かに揺れるだけで、願った人の姿は一向に現れない。
無性に胸が切なくなって、チパチャパは小さなため息を吐いた。
チパチャパが手づかみでパシェトを千切ってシチューに浸して食べていますが、この村のある国のあたりでは正しいマナーに則った食べ方になります。あ、サラダにはちゃんとフォークが付いてますよ?
雰囲気的には、インドカレーとかそのあたりを想像して頂ければイメージしやすいかと。
尚、物語では言及してませんけど。
宴のご馳走は、シーサーペントの肉を大きな葉っぱで包み蒸し焼きにした物とクラーケンとギガントスピナーのシチューでした。葉っぱのお皿に切り分けたお肉乗せるとかロマンですよね。