超肉食聖女様とルーリスミシュの夜
チロチロと杯に注がれた黄金色のお酒を舐める。
仄かに甘く、舌先が痺れる様な強い酒精を感じて、チパチャパは思わず舌を引っ込めた。
部屋に戻ったルーリスミシュが用意した彼女の故郷の蜂蜜酒は、どういう訳か山の国で好まれそうなくらいに酒精が強い。
火を近づけたら、そのまま燃え出しそうだ。
お酒がそれほど得意ではないチパチャパにはちょっと厳しかった。
それを差し向いに座るルーリスミシュは、さっきからまるで水でも飲むかのようにカパカパと開けている。
ちょっと信じられない光景である。・・・二重の意味でも。
(ルーリってば、いつもは嗜む程度にしかお酒飲まないんだけどなぁ・・・。)
チラリと様子を窺うと、ルーリスミシュがまた手酌で蜂蜜酒を注いでクピクピ喉を鳴らしていた。
こうして目で見ても、まだちょっと信じられない。
淑女然とした彼女が、チパチャパの目を気にする事なく杯を重ねているのだ。それでもどこか気品がある様に見えるのは、彼女の育ちのせいだろうか。
でも流石に、アレだけ飲めば彼女も酔いはするらしい。
ほんのりと桜色に頬を染めている。
只、ぼーっとしてるルーリスミシュの姿は、浜辺で見た印象も相まって、なんだか恋する乙女の様にも見えて、チパチャパの心を騒がせた。
(・・・いや、うん。ないない、気のせい。)
狩りに失敗してショックなだけだから。
今までルーリスミシュが、男を人として見た事なんてないはずだから、平気。
声を掛けてみても上の空で、禄に返事をしてくれないので確証を得られないのが、ちょっと不安ではあるけれど、大丈夫。
チパチャパはそう頭を振って、自分の心を落ち着けた。
(それにしても、いつになったら話してくれるんだろ?)
黙っているから変な不安ばかりを感じてしまうのだ。
さっきからお酒を呑むだけで、ルーリスミシュは一言も喋ってくれていない。浜辺での事を教えてくれるというから、こうして付き合っているというのに。
チパチャパは恨みがましい視線を彼女に送る。
暫くじぃっと見つめていると、ルーリスミシュがぼんやりと中空に視線を彷徨わせたまま、口を開いた。
「・・・本当に腹立たしいわ。けれど彼、素敵な良い男ね? チパチャパ。」
やっと喋ったかと思ったら、そんな当たり前の事を言って来た。
チパチャパの眉間に皺が寄る。
「言われなくても知ってるから、そんな事。」
「そうよね、知っているはずなのよね。
出会って半日も経っていない私でもわかるんですもの・・・貴女がいくら鈍くても、幼い頃からのお付き合いならわかると思うわよね。」
憮然とした態度のチパチャパの返事すら、ルーリスミシュは何か考え込んでいるかのように軽く受け流す。若干皮肉に聞こえるあたりだけは、いつもの彼女らしい。
この駄肉は。
チパチャパのコメカミがヒクついた。
「あのね、ルーリ? 何が言いたいの?」
「そうねぇ・・・何が言いたいのかしら私。
あぁ、そうだわ・・・勿体ないって思ったのかもしれないわ。彼を放って勇者様に身を捧げた事も、今の貴女も、なんて勿体ないのかしらって。」
「うっさい。あんたにだけは、その台詞は言われたくないんだけど。」
(大体、あんたが体を許したのは勇者様だけじゃないでしょうがっ!)
睨みつけたチパチャパに、ルーリスミシュは部屋に戻って来てから初めて顔を向けて来た。
その視線を受けたチパチャパが、小さく息を飲んだ。
何と言えば良いのか。
彼女の目は凄く、透明だった。いつもそこに乗せている揶揄うような感じも、つまらなさそうな無機質な感じも、全部削ぎ落したみたいに何もない。
言い換えれば、とても彼女らしくない目だ。
無垢な子供みたいな瞳で見つめられて、チパチャパは少し動揺していた。
ルーリスミシュが、こてん、と幼い仕草で首を傾けた。
「えぇ、そうね・・・そうだわ、私も貴女の事は言えないわよね。いいえ、貴女より言えない、が正しいのかしら?」
台詞まで彼女らしくなかった。怖いくらいに、しおらしい。
「いや、誰だお前。」と、薄気味悪くなってきたチパチャパから視線を外し、ルーリスミシュは手元の杯に目を向けた。
「私の部族、土地ではね? 女に相手を選ぶ権利があるの。この男性の子なら産んで良い、産みたいって願った方と交わるわ。
勿論、相手の方の了承を得てからの事だけれど。」
「他所とは役が逆かしらね?」ルーリスミシュが杯をゆらゆらと揺らす。
唐突に故郷の話をされたチパチャパは、意味がさっぱり解らなかった。今、その話をする必要がどこかにあるのだろうか。
怪訝な顔をするチパチャパを置き去りにして、ルーリスミシュは話しを続けた。
「私がね、生まれて初めてそう思った方は、実の兄様だったわ。
とても優しくて、温かくて、素敵な方だったのよ? 兄様も。だから、私は兄様に願い出たの。
『貴方の子が産みたいです。』
って。
けれど、兄様には無理だとお断りされてしまったわ。・・・別の男を選びなさいって、言われてしまったの。」
「ゃ・・・それは、そうでしょ?」
兄妹でそういう事をすると、確かに子や孫に深刻な影響が出やすいとか何とか、昔教わったような。
本格的に話が変な方向に行き出した。
眉を寄せながらも相槌を打ったチパチャパに、ルーリスミシュは視線を戻して微笑んだ。
「えぇ、そうね。母にも同じような事を言われたわ。
でもあの頃の私は、幼かったから知らなかったの。覚えるべき事が多すぎて、教育係ですらその理由を教える事を後回しにしていたんですもの。
それなのに兄様は、それ以上何か言われる事もなく、お願いしてすぐに別の女の元に貰われて行ってしまったわ。兄様ご自身が、そうお決めになられたの。
・・・私に悪影響が出る、とでも思われたのかしらね?」
ルーリスミシュの微笑みに反して、チパチャパの心が冷えていく。
(あー・・・そーいう事ね。そっか・・・。)
何となく彼女の言いたい事がわかった気がする。心に落ちた影が色濃くなっていく中で、ルーリスミシュはまだ微笑んだままだった。
「神託を頂いた後で勇者様について行ったのも、純潔を差し上げたのも、全て兄様に対する当てつけだったのよ?
けれど、兄様は悔しがる素振すら見せて下さなかったわ。
お耳に入る様にしても、逆にお喜びになられて祝福してくださったわ。酷いと思わない? 私には兄様以外の男なんて、どれも一緒だというのに。
それに気が付いても頂けなかったわ。」
「もういいっ!」
チパチャパは涙を貯めて叫んだ。
「もういいわよっ。
何よっ・・・結局、私とは違うって言いたいんでしょっ?!
わかってるわよ! 言われなくたって、私、私が! 自分でデュカを捨てたって事くらいっ、ちゃんとわかってるわよ! 聞いてたでしょ、あの時っ!
そんなに何度も念を押さなくたって・・・いいじゃないっ。」
もう十分だ。
デュカがしなかった事を代わりにしたいのか、この駄肉は。わざわざ今日、あの直後に浜辺でデュカに誘いを掛けたのもこの為か。
だったら、ルーリスミシュの思惑通りに事は運んでいる。
デュカの言葉に、態度に、ちょっと薄れ掛けていた罪悪感は、バッチリ復活を果たしていた。
彼女の様に言い訳すら出来ない自分は、彼が誰と肌を重ねていても混ざる事すら出来ないのだと、見せつけられたのだ。
自分の罪深さをもう一度、深く心に刻み込まれた。
それとも何か?
アレは、これから先も同じ苦しみを何度も味わうのだから共に来い、とでもいう為に見せたとでも言いたいのだろうか。
彼女みたいに、適当な男で気を紛らわせて過ごせと、そう言いたいのか。
瞳に憎しみを灯して、チパチャパはルーリスミシュを睨みつけた。
ルーリスミシュが、目をぱちくりとさせる。鳩が豆鉄砲を食ったような驚きを顔に映していた。
「あら・・・違うわよ?
私の思い出話は餞別、貴女に送って差し上げたお塩ですもの。」
「塩って何よ?!
塗り込めって言いたいの?! なら、お望み通りになってるわ! 心に沁みて痛くて苦しいわよっ! これで満足っ?!」
噛みつかんばかりの剣幕で吠えるチパチャパに、ルーリスミシュがため息を吐いてみせる。
透明だった瞳に、呆れを乗せていた。
ささくれ立った心がその瞳に逆撫でされて、ギザギザと尖っていくかのようだ。
ギリギリと睨みつけてくるチパチャパを、ルーリスミシュは頬に手を当てて可哀想な子供でも見るように眺めた。
「・・・あぁ、そう、知らなかったのね貴女。
そうね、相手の方に塩を送るというのは、北の方、ラナフォルスの故郷の辺りで昔あった逸話の事よ。傷口に塩を塗り込むなんて意味では、勿論無いわ。
詳しい意味は、悪いけれど後で他の方にでも聞いて頂戴?
私の口から言うには、少し恥ずかしいんですもの。」
「今、教えなさいよっ。他に意味なんかないじゃないっ。」
「はぁ・・・本当に鈍いわよね。
変な妄想だけはすぐに逞しくするのに、どうしてこういう方面だとダメなのかしらね、貴女は。」
「妄想じゃないもんっ! 私は・・・実際にそう思ったんだからっ。」
「やっぱり貴方のソレ、妄想だと思うわよ?」
「違うっ!」
チパチャパは力一杯否定した。
浜辺で見せつけられた時に感じた想いは、幻なんかじゃない。今だって、心はこんなにも切なくて苦しいのだ。
ならこれは、妄想じゃなくて現実だ、と。
ルーリスミシュがもう一度、大きくため息を吐いた。
それから何かを思い出そうとするように、天井をつらつらと見やる。
「ええと・・・何だったかしら? あぁ、そうだわ。思い出した。
聖都で見た演劇を覚えているかしら、チパチャパ? ほら、イリファラが好んで呼び寄せいていたのがあったでしょう?
貴方、あの劇の主人公達みたいだわ。
思い込みばかり激しくて、勝手に絶望しあって自殺した恋人達そっくりよ?」
「作ったお話なんかと一緒にしないでっ! お話しと現実は違うんだからっ。」
「そうかしら?」
ガンッ、と打ち付けた杯からお酒が零れ落ちる。
作り話ならこんなに思い悩む事なんてない。物語みたいに想いが終わらないから、苦しくて悲しいのに。チパチャパは首を傾げるルーリスミシュに、キッと鋭い視線を叩きつけた。
「貴女の場合は、変わらいと思うのだけど。
――だって、貴女。あのお話しの子達と同じで、相手の方の事を全然見ていないでしょう?
何時だって、自分の考えた想いしか頭にないんじゃないかしら?」
「そんな事っ・・・ないわ。」
「ある、と私は思うわよ。
私の言葉も曲解してばかりですもの。デュカディアの伝えた言葉ですら、貴女は信じていないんじゃなくて?
彼が優しい嘘をついている、とでも思っていたりするんじゃないかしら?」
「違うもんっ! 信じてるもんっ!」
口にした言葉とは裏腹に、チパチャパはふぃっと顔を背けていた。
「それも、嘘ね。
彼の言葉をきちんと受け止めていたのなら、浜辺でも私を引き剥がしに来ていたのではないかしら? 貴女なら。」
ルーリスミシュの瞳が、逃げるチパチャパを追いかけた。
チパチャパは彼女の問いかけに答える事が出来なかった。かわりに目の端から、涙がボロポロと零れだす。
「はぁ・・・。」と、ルーリスミシュは三度目のため息を漏らした。
「変な所だけは幼子のままなのよね、貴女は。
まぁ、わからなくもないのだけれど・・・多感なお年頃の全てを勇者様の側で過ごしていたのだから。ここでは必要のない教育なんてなさらないでしょうし。」
ルーリスミシュが立ち上がり、チパチャパの隣へと座り直した。
そっとチパチャパの顎を手に取ると、彼女の方へと向かせる。チパチャパは目だけを逸らして抵抗した。
「ねぇ、チパチャパ?
私の様にどうしようもない理由で諦めなければならない訳でもないのに、どうして貴女はそんなにも頑なに自分に憑りつかれているのかしら?
うじうじと思い悩むくらいなら、いっそ好きだと彼に伝えたらいかが? そうしたら、貴女が疑う必要もない答えを頂けるんですもの。」
「っさい! 言える訳ないでしょっ、デュカは嫌ってるかもしれないんだよ?! 怖いんだからねっ! 想いをぶつけられるのはっ!」
直後、吐き捨てる様に言ったチパチャパの言葉を、ルーリスミシュは複雑な顔で聞いていた。
振り払われた手をちょっと見つめ、またチパチャパの顔を見る。
涙を流しながら床を睨んでいる彼女の肩に、ルーリスミシュがぽんっと手を乗せた。
「・・・この土地の流儀がオカシイのかしら? 貴女の常識が旅の間で歪んだ可能性もあるのだけど。
あのね、チパチャパ?
好きだと伝える行為は、夜這いをかける事をいうのではないのよ? ご存知?
私の土地では、態度ではなくて言葉でお伝えするわ。肌を重ねるのは、お互いの心を重ね合った後の事なのよ?」
「は? あんた何言って・・・。」
思わずといった風にチパチャパはおかしな事を言い出したルーリスミシュに顔を向ける。
ルーリスミシュが、生温かい目でチパチャパを迎えていた。
「だってあなた、先日の王宮での事を思い返していたのでしょう?」
「・・・そうだけど、それがどうしたのよ。」
「そういえば、勇者様の時も酔い潰して襲ったのだったかしら、貴女。
普通、好きと伝えると聞いて、あんな事は思い出さないものよ? チパチャパ。」
「えっ・・・ぁ。」
確かにそうだ、と納得しかけて、チパチャパは首を傾げる。
(・・・いや、あれ? や、まって、え?)
サラリと納得しかけたが、言われてみると本当におかしい。なんであの事件の事なんて思い出したのだろう。
昔はどうやって伝えていたかな、と振り返ってみても思い当たる事がない。
今まで全部、ソッチに直結する事ばかりしていた気がした。
今や黒歴史になった勇者様との事は、手に入れたいと暴走していたし、そもそも恋じゃないから脇に置いておくとしても。
前に村に帰って来た時とか、聖都にいた時とか、結構な頻度でデュカとイタす事ばかりを考えていたような。
いや、側に居たいとは願って居たけれど。側に居て、何をするのかがわからない。
あれ、村に居た頃は何やってたっけ?
他に愛を表現する方法ってあったかなぁ、と考えてチパチャパは狼狽えた。
真っ白だったのだ。
頭を撫でて貰うとか、撫でてあげるとかはなんか違うような気がする。
キスをする?
それって、結局もにょもにょしたいって事なんじゃ?
頭の中をひっくり返してみても、元聖女仲間達の行動や、彼女達に勧められた本の中身はソッチ側前提のモノばかりで、何の参考にもなりそうになかった。
「え? あれ?」と呟くチパチャパに、ルーリスミシュがもう何度目になるかもわからないため息を吐いた。
「貴女、彼女達の過激で悪い所しか覚えていないのね・・・旅に加わった時期が悪かったのかしら。
勇者様の心が自分達には向かないと皆が知ってしまった頃ですもの。あの娘達の多くが体で繋ぎ止めようと必死だったものね。アレばかり見せられていたら・・・こうもなるのかしら。」
ポンポン、と肩を叩かれて。
チパチャパの首が油の切れた玩具みたいにぎこちなく、ルーリスミシュの方を向いた。
「良い事? チパチャパ。
相手の方を好きになったら、最初にする事は心を見せ合う事なのよ? その為にお話しをしたり、同じ時を過ごしたりするものなの。
大切なのは、見て貰うだけではなくて、相手の方も見て差し上げる事。
その方が何を思っているのか、何を考えているのか、どんな事が嬉しくて、どんな事が悲しいのかを感じようとする事が大事なの。
相手の方を理解したい。それが、好きという想いなのよ?」
ルーリスミシュの声が、柔らかく響く。
「貴女は全て、自分の中で完結してしまっているでしょう?
今だってそうだわ。自分がこれだけ苦しいのだから、デュカディアも同じ想いをした。自分なら耐えられないから、彼も無理に違いない。
そんな事ばかり考えているのではないくって?」
「・・・ぅ。」
「デュカディアと貴女は、別の存在なのよ? どうして、貴女と彼が同じ感情を抱くと思い込めるのかしら。
私達は聖女ではあるけれど、相手の方の心を覗ける訳ではないの。
彼の言葉が一度で信じられないのなら、言葉を変えて尋ね直してみれば良いのよ。彼の想いを信じられるまで、何度でも。
あのエウエリカでさえ、そうやってお手紙で確かめていたんですもの。」
「お手紙・・・。」
踏みにじったデュカのお手紙を思い出して、チパチャパは再び瞳を潤ませた。
ゴッ、とチパチャパの脳天に杯が突き刺さる。
ルーリスミシュが出来の悪い聖都を見る教師の目付きをしていた。
「いひゃい・・・。」
「一々、自分の中に閉じこもろうとするの、止めてくださる? 鬱陶しいわ。
貴女がしなければならないのは、恋人同士になる前の段階ね。
とても簡単な事よ? 今の彼をちゃんと見る事、コレだけよ。
他の事は何も考えなくて良いわ、無駄ですもの。ここに来るまでの間にしていた気持ち悪いお顔を彼に見せて、素直に反応を感じると良いわ。
牛の様に何度も反芻してはダメよ?
最初に感じた事を積み重ねて、今の彼の想いを知るべきね、貴女。記憶の中の昔の彼ではなくて。
考えるのはそれからになさい。」
「・・・気持ち悪い顔って酷いよ、ルーリ。」
「実際、とても不気味だったわ。
今思い悩んでいる事も綺麗に忘れるのよ? 意味がないのだから。・・・あぁ、そうだわ。抱き着くまでは良いけれど、キスしたりするのは我慢さない。
貴女には早すぎるわ。」
コンコン、と杯で頭を小突かれると、なんだか釈然としない。
言われている事は正しいとも思うのだけど、目の前の駄肉がソレをやっている所なんてこれまで見た記憶がなかった。
いや、兄以外に興味がなかったのならそれも当然なのか。
上目遣いにルーリスミシュを眺めて、チパチャパはふと頭に浮かんが疑問を口にした。
「あれ、でもそれやってたなら、ルーリはなんでお兄さんに・・・。」
「おだまりなさい。
私の場合は、兄妹の愛と男女の愛を思い違えていた事が原因ですもの。貴女みたいに過程を無視して突撃した訳ではないわよ。」
少し強めに小突かれた。
今度は物理的な痛みで涙が滲みそうだ。
涙ぐむチパチャパに、ルーリスミシュの姉の様な微笑みが向けられた。
「色々と焦りすぎなのよ、貴女。
ここには、やり直しに帰って来たのでしょう? 貴女は一度積み重ねたモノを全て崩してしまったのだから、また積み直す所から始めないと何もならないわ。
良い機会だと思って、励む事ね。」
「・・・なんでルーリが知ってるのよ。」
「誰もが、貴女のように不思議な頭をしている訳ではないのよ、チパチャパ。」
「は? え、ちょっと?!」
話は終わりと言わんばかりに、ルーリスミシュはくいっと杯に残った蜂蜜酒を一息に飲み干す。
チパチャパからも杯を取り上げて、テキパキとお酒も片づけると「お風呂を頂いて来るわ。」と、さっさか部屋から出て行ってしまった。
何となくわかったような、わからないような。
ただ、デュカを見ていないという言葉だけは深く心に沁みていた。彼を信じていないという言葉も。
(そいえば私、今のデュカが好きなモノも知らない・・・。)
昔の彼はパナニャという果物が好きで、オランは苦手だった。
今はどうなのだろう。
食べ物もあの頃に比べて増えているし、もしかしたら別のモノなのかもしれない。そんな事すら知らなかった。
成程、これでは妄想と言われても仕方ない。
(一からまた積み直すかぁ・・・ふみ。)
罪悪感が薄れた訳ではない。
デュカの言葉もまだちょっと信じられない。
でもそれらを一旦心の棚にしまって、デュカを知り直す事から始めても良いかもしれない。
そんな事を思いながら、チパチャパはルーリスミシュが揺らしていった入口の布を、眺めていた。
ロミオラとジュリエッタ
風の聖女イリファラの好んだ劇の題名。
とある国の敵対する貴族の家同士に生まれた恋人達を描き上げた悲劇。
王主催の夜会で知り合った二人はお互いの事情を知らないまま恋に堕ち、やがて事実を知って絶望していくお話し。
ロミオラはジュリエッタの為に前線へと赴き、ジュリエッタは彼が死んだという誤報を聞き「待っていてくれ、必ず戻るから。」という彼の言葉に嘆き毒杯を煽る。けれど、それはロミオラが親友だと思っていた乳兄弟の男による謀略だった。
戻って来たロミオラは、ジュリエッタが自分の言葉よりも親友の悪意を信じた事に絶望して、彼女の遺体の上で自害する。
色々あるが、主人公達の一面から見た独白が秀逸。
全体を俯瞰してみると、ある意味喜劇になるという人もいる。
この様に人によって解釈は様々あるものの、この世界では結構人気の演目だったりする。
尚、勇者様はこのお話、大っ嫌い。乳兄弟も嫌いだけど、そもそも対立する両家がお気に召さない模様。




