超肉食聖女様と7年の想い
馬車の外の景色が見知ったモノに変わっていく。
それに合わせて、チパチャパはソワソワと体を揺らし出す。お行儀よく座ってはいたものの、視線が窓から離れる事はない。時折、ほんのちょっと体を曲げたり、首を伸ばしたりして、窓の外に村を探していた。
心の中はこの後の事と不安で一杯ではあったけれど。
でも、渦巻くソレに覆いかぶさる勢いで湧き上がる嬉しさを隠す事なんて、チパチャパには出来なかった。
――だって、やっとここまで来れたのだから。
村を離れたあの時から、4ヵ月近くも経ってしまったけれど。もう、目の前に村があるのだ。
もうすぐ、彼に会える。
彼の姿を、顔を見る事が出来る。声が聴ける。
そう思うとそれだけで、チパチャパはどうしようもないくらいに幸せだった。
「・・・ねぇ、貴女。少し落ち着いたらどうなのかしら?」
ルーリスミシュがチパチャパに苦言を呈してくる。
うにゅーっ、と伸びてくるチパチャパの顔を鬱陶しそうに押しやりながら、彼女のはため息交じりにそう言った。
「うっ。だって、やっと会えるんだもん。しょうがないじゃない。」
「どれだけ外を眺めても、早く着く訳じゃないわよ?」
「や、それはわかってるんだけど・・・その、ね?」
えへへ、とはにかみながら、チパチャパはもじもじしだす。
ルーリスミシュが呆れる向う側で、母が娘の様子に微笑んでいた。片肘をついた父は、ルーリスミシュと同意見の様だ。
呆れた顔でため息を吐いている。
「チパちゃん、とても楽しそうね?」
「勿論! あぁ、早く会いたいなぁ~。」
「はぁ・・・この能天気馬鹿娘が。お前、ちゃんとわかってんのか?」
「わかってるよ! でも・・・やっぱり、嬉しいんだもんっ。4ヵ月ぶりなんだよ? デュカに会えるのはっ。」
「その前は7年会ってねぇだろうが。」
「マシュっ。」
「うぐっ・・・だ、だって。」
「はいはい、わかったから落ち着いてくださらないかしら? チパチャパ、愛しの彼に会うのに皺だらけの服で会うつもり?」
「ぅうっ、それは嫌ぁー・・・。」
ルーリスミシュの台詞にチパチャパは少し大人しくなった。
まぁ、それも僅かの間だけの事。すぐにソワソワチラチラと落ち着かない様子で動き出す。
コレは処置なしね。
ルーリスミシュが諦めて窓の外に目をやると、馬車はいつの間にか止まっていた。
御者さんが降りてくる音を敏感に感じ取ったチパチャパが素早く反応する。ピクンッと体を跳ねさせて、うずうずと動き出す。・・・躾の出来ていない子犬みたいだ。
扉が開いたら飛び出して行きそうな彼女の為に、ルーリスミシュは出来るだけゆっくりと馬車から降りていく事にした。
村は夕暮れ時で、薄闇に包まれ始めていた。
前回と違いチパチャパが急いだので、本来3日かける道程を2日で飛ばしてきた結果である。
でも、その甲斐はあったかもしれない。
夕闇の中、各家からは温かな灯りが漏れていた。静かなな波音がバックミュージックとなって、無性に郷愁を誘ってくる。
馬車から降りたチパチャパは、その光景を見て涙を一粒零した。
(ほんとに、帰ってきた。来れたんだよね・・・。)
なんか凄く長かった気がする。
えへっ、と笑ってから、ぐるりと村を見渡せば。大好きな人の姿も見つけられた。
今回は先触れをちゃんと出して、「盛大なお迎えは止めて欲しい。」と、そう伝えていた事もあって、村の入り口に焚かれた篝火の側には二人しかいない。
けど、その二人はデュカとクパなのだ。
二人共、別れたあの日みたいに優しい顔をしてくれている。
チパチャパの顔にも、喜びが浮かび上がった。
「デュ・・・。」
喉元まで出かかった彼の名前を飲み込む。
思わず駆け出して、飛びつきそうにもなるけれど、それもしなかった。出来なかった。
7年間デュカにして来た事が、そんな真似をするのは許さないと、心と体を引き留める。
直接会うまでは、あんなに心が躍っていたのに。
こうして、すぐ目の前で彼を見ると、見てしまうと。
不安が、恐怖が、罪悪感が、モゾリと蠢きだしてくる。
溢れていた幸せが、逆にソレ等に塗り潰されていくようだった。
(でも、ちゃんと踏み出さないと。何も変わらないままになっちゃう・・・私も。)
ともすれば震え出しそうになる足に力を込めて、一歩、デュカ達へと踏み出す。涙を手で拭って、チパチャパは綺麗な笑顔を彼に向ける。
デュカが片手を上げて、迎えてくれた。
「よぉ、チパ! お帰り。」
「ぁ・・・うん、ただいま!」
「あん? どうした、大丈夫かお前?」
彼の声があまりに優しすぎて。
チパチャパの心の中は嬉しさと不安でぐちゃぐちゃになってしまいそうだ。
手を伸ばしたい。
彼に触れたい。ぎゅって抱きしめて欲しい。
・・・でもダメなのだ。そんな資格は、今の自分にはない。
嬉しいのに、幸せなのに、心が凄く痛くて苦しい。
泣き出した自分の心に蓋をして、ふわりとチパチャパは微笑んだ。
「な、なんでもないよ。大丈夫だよ、デュカ。」
チパチャパの精一杯の虚勢に、デュカが怪訝な顔をする。
じっと見つめてくる彼の目が、まるでチパチャパの中を覗き込んでくるみたいだ。醜い自分を見られているようで、逃げ出したくなる。
けれど、逃げる訳にはいかない。
その為に、この村に帰って来たのだ。
だから、チパチャパは努めて明るい声をだした。
「ほんと大丈夫だってば。ほら、こんな時間に村に帰って来ちゃったから、なんか懐かしくなっちゃっただけなのっ。」
「・・・まぁ、お前がそう言うなら良いけどよ。」
デュカはとりあえず納めてくれたようだ。
目が「後でちゃんと話せよな?」と言っている。チパチャパは笑顔の裏側で、ひっそりと涙した。胸が潰れてしまいそうだった。
「んで? チパ、そっちの美人さんは誰だ? 友達か?」
「あ、うん! 友達・・・かな? ルーリ、森の聖女よ。」
「はっ?! 聖女様っ?!」
なんでそんな偉い人が、といった感じで驚くデュカに、ルーリスミシュが優雅なお辞儀をして見せた。海の国の夜会でも見せた事のなかった丁寧な様子に、チパチャパも少し驚いた。
「初めまして。紹介して頂いた、森の聖女ルーリスミシュと申しますわ。
先ずは突然の訪問をお詫びいたしますわね。私もチパチャパの故郷に少し興味がありましたの。それで、無理言って押しかけてしまいましたわ。」
「え・・・あぁ、これはご丁寧にありがとうございます、聖女ルーリスミシュ様。
私はこの村の村長デュカディアと申します。これは嫁のクパクチュ。
我が村へのご訪問、感謝こそすれ迷惑等という事はございません。田舎の村ですから何かとご不便をお掛けするかと思いますが、ご用がございましたら何なりと、私共にお申しつけくださいませ。」
慌ててデュカもお辞儀を返していた。どこかぎこちないけれど、綺麗な礼だと思う。クパもぴょこんと頭を下げている。
二人の態度にルーリスミシュが微笑んだ。
「うふふ、普通にお話ししてくれて構わないわよ?
チパチャパとはお友達なの。だから、貴方達もお友達という事にしてくださらないかしら?」
「あ、いや・・・それは、その。」
「お願い、出来ないかしら?」
可愛らしく首を傾げたルーリスミシュに、デュカが困惑してアワアワしている。なんか微妙にムカつく。モヤモヤとした感情が胸に宿り、チパチャパは少し拗ねた。
クパがデュカをつついて、眉を下げながら頷く。
「わかり・・・いや、わかった。よろしく、ルーリスミシュ。村へようこそ!」
「ふふっ、良い子ね。
ところで、あちらで待っている人達がいるみたいだから行ってらしたら? 私達の事なら気にしなくても良いのよ。」
「いや、ええと・・・すまねぇ、ちょっと挨拶してくる。チパも悪りぃな。」
ルーリスミシュが掌でマシュとペニの方へとデュカを促す。
デュカは軽く会釈してから二人の方へと歩き出した。クパもペコリとお辞儀をすると、デュカの後を追いかけていく。
「親父さん! なんだ随分痩せたんじゃねぇか? 都会の暮らしは肌に合わなかったのかよ?」
「ああ、そーだよ。お偉いさんばっかで海もねぇしな、気が休まらねぇんだ。だから、ペニと三人で帰ってくる事にしたんだよ。」
「ははっ! うちの親父が喜ぶよ。親父さん達がいなくなってから、随分と落ち込んでたからなぁ。」
「阿保か。あいつがそんなタマかよ・・・まぁ、後で顔見せに行ってくらぁな。」
「ああ、そーしてやってくれよ。きっと、すげぇ喜ぶからさ。」
バシバシと肩を叩き合って、デュカとマシュが挨拶を交わしている。
その隣でクパが、ペニに嬉しそうに話しかけていた。
「おかえりなさい、ペニ小母さんっ!」
「ただいま、クパちゃん。素敵なお土産が一杯あるのよ? 後で皆で分けましょうね。」
「わぁっ! すっごく楽しみ!」
「うふふ、珍しい布とかもあるんだから。」
クパがキャイキャイと喜んでいる。
そんな彼らの様子を眺めながら、チパチャパはルーリスミシュの脇をつついた。
「珍しいわね、あんたがあんなちゃんとした礼を取るなんて。」
「あら? だって、思ったより素敵な男性だったんですもの。第一印象って、大事なモノでしょう?」
言外に「味見したい。」と言っているように聞こえて、チパチャパの目が険しくなった。
「・・・ルーリ?」
「うふふ。そのお顔、彼に見られたら大変よ? なんて冗談よ、だから安心してチパチャパ。」
「ほんと、お願いね。デュカにだけはそーゆー事しないで。」
ソレをしてデュカを傷つけたら許さない、と。
チパチャパはどこ吹く風といった様子のルーリスミシュを強く睨んだ。
◇◇◇
それはデュカから切り出された。
前に住んでいた家がまだ空けてあると聞いた両親と別れ、ルーリスミシュと一緒にデュカの家の客間にお世話になる事にしたチパチャパが、食事やら色々終えた後の事である。
ゆったりとした時間の流れる中で、チパチャパは何といって切りだそうと思い悩んでいた。
頭の中では色んな言葉がぐるぐるとしている。
ごめんなさい、では足りない。
許してくださいなんて論外だ。
想いを言葉にしたいのに、その言葉が上手くでてこない。
デュカを見ていると、胸が切なくて、苦しくて、悲しくて、いっそこの心を取り出せたら良いのにと、チパチャパは胸を掻きむしりたくなってくる。
(わかんない、わかんないの・・・でも口に出したい。言葉にしたいの。デュカにちゃんと伝えたいよぉ・・・。)
焦燥ばかりが募るチパチャパの顔いろは、随分と悪く見えたのだろう。
デュカが真剣な顔をしていた。
「それで、どうしたんだ? 親父さんやお袋さんまで連れ帰ったって事は、ただ事じゃねぇんだろ? チパ。」
やめて、そんな優しい目で見ないでください。
チパチャパの心臓がドキリと跳ねる。
胸の苦しさが増えていく。締め付けられるなんて言葉程度じゃ、到底表せないくらいの重さが溜まっていく。
「ぁ・・・の、そのね。」
デュカ、貴女に謝りに来たの。
こんな言葉では軽すぎる。違うのだ、この気持ちはもっと・・・。
――アァアァアアアアアァアアッッ!!
重みに耐えかねた魂が慟哭していた。
狂いだしそうになる。どうしても言葉が見つからない。こんなに、こんなにも貴方に伝えたいのに、どうして。
デュカの瞳が、とても辛い。
あの瞳で心を撫でられるだけで、重さが、苦しさが増していくようだ。優しすぎて、チパチャパの心を抉り取ってしまうのだ。
何も答えないチパチャパに、デュカの視線が更に強くなった。
顔色が青を通り越して、白くなる。早く言わなくちゃ、でも何て? そればかりが頭の中に木霊して、チパチャパは追い詰められていった。
「その、ぁ・・・ぅぁ。」
デュカの顔が、ふっと和らいだ。
探る様な視線から、チパチャパを労わる様な温かな視線へと変わる。
「・・・いや。言いたくねぇなら、無理に言わなくてもい・・・。」
「――その娘は、勇者様に離縁されたのよ。デュカディア。」
「は?!」
デュカの言葉に被せるように、ルーリスミシュはそう告げた。
素知らぬ顔でカップを口元に運ぶ彼女を、デュカが目を見開いて凝視している。クパですら、目をまん丸くしていた。
「やっ、待てって! そりゃ、チパが嫁から降ろされたって事か?」
「ええ、その認識で合っているわよ。デュカディア。」
ダンッ!
床板を蹴って、デュカが膝立ちになる。
顔に憤怒を宿して、平然とお茶を楽しむルーリスミシュに向かって身を乗り出した。
「それは、あの勇者様がチパを捨てたって事か?!」
「・・・違うわ。勇者様はチパチャパを自由にしてあげただけ。」
「意味がわかんねぇよ! あれだけ勇者様を好いていたチパを、なんで嫁から外すんだよっ! あいつは、勇者様にっ!」
「やめてっ! デュカっ! 違うのっっ!!」
ルーリスミシュに掴みかかろうとしたデュカを、チパチャパは止めた。
デュカの顔がチパチャパに向けられる。泣き出しそうな、怒っているような、そんな顔を彼はしていた。
「どう違うってんだよ! お前っ、だって、あんなっ。」
「違うのっ! 私っ、勇者様の事なんて・・・。」
好きな訳じゃなかった。
その言葉を口にしようとして、チパチャパは愕然とした。
本当に、今更ながらに気が付いた。
そう。
自分が勇者様に抱いたのは、”好き”という感情じゃなかった事を、初めてチパチャパはちゃんと理解した。
今の自分の気持ちの話ではない。
7年前のあの日からずっと、彼に抱いていたのは”憧れ”という感情だ。
自分が聖女という特別な存在だと舞い上がって。
たまたま同じ特別な存在だった勇者様に、憧れていただけ。
彼の綺麗な容姿に、柔らかな物腰に特別感を感じていただけ。特別な自分ならソレを手にすることが出来ると勘違いしていただけの事。
そうしたら、夢の舞台に自分も立てると思い込んでいただけだった。
聖都で父が言っていた言葉を思い出す。あれは、正鵠を射た言葉だったのだ。
勇者様の事が好きでああなったのなら、まだデュカの心だって救われたかもしれない。
その為に、彼はあんなにも泣き出しそうな顔で怒ってくれたのだから。
でもそうじゃない。
違う。違ったのだ。
ふわついた遊び半分の感情で、デュカの想いを踏みにじった。嘲笑うようにこの体を他人に捧げて、彼の心を弄んだ。
これでは、彼の心が、救われない。
(わた・・・私、ほんとになんて事しちゃったんだろ。)
今まで自分が思って来た事の全てが、白々しく聞こえる。
チパチャパがやった事は、あの日からの彼の7年間すら否定するような事だった。
戻れる訳がない。
彼の心に居場所を作って貰うなんて、烏滸がましい。
「ごめっ・・・ごめん、なさい。デュカ、本当にごめんっなさい・・・。」
ボロボロと涙が零れていく。
この感情をなんと呼べば良いのだろう。いっそこの世から、この身が綺麗に消えてしまえば良いのに。デュカの記憶からも、心からも。
そうしたら、あの人は、大好きなあの人は幸せになれるんじゃないか。
自分という棘なんかに煩わされる事なく。
けれど、そんな方法ある訳なかった。
どんなに遠く離れても、彼の心には棘が残ったまま、ずっと苦しめ続けてしまうだろう。
そんなのは嫌だ。デュカの心に消えない傷としてなんて残りたくない。
残されているのは、全部話して、彼の心の棘を抜いてしまう事くらいだ。
きっと嫌われる。軽蔑される。もう二度と、あの優しくて温かい笑顔を向けてくれなくなる。
でも代わりに。
彼の心は、棘から解放される。救われる。・・・そして癒される。
(それなら・・・良いかな。だって、デュカが救われるんだもん。)
泣き叫ぶ心をそっと脇に押しやって、チパチャパは涙の向こう側にあるデュカの顔を見た。やっと、わかった気がする。
この為に、私は村に帰って来たんだ。
この為に、女神様は私にチャンスをくれたのだ。
チパチャパの顔が綻んでいく。彼に、これから嫌われるとわかっていても笑顔を見せたかった。
「あのね・・・デュカ。私ね、7年前から勇者様の事、別に好きじゃなかったんだよ?」
ぼやけたデュカの顔が、驚愕の色に染まっていくのが見える。
(好き、大好き、デュカ。愛してる・・・ほんとだよ?)
涙を流しながらチパチャパは、心の中で彼に最後のキスをした。
チパチャパ達の移動手段で船つかわないの?とか思われたかもしれません。
急ぎなら陸より海のが早いですしね。
理由は単純で。
村は軽く入江になっている場所にある上に、砂浜から直接船を出して漁をしている為、そんな船が泊まる場所がなかったりするせいです。
客船から小舟で行けばよいじゃない?
冒険ものならともかく、普通の船主さんはそんな事しませんよ。
まぁそれに。村の周囲の海だって安全とは言い難いですからね。掃除した交易路を外れると、ちょっと危険度が跳ね上がってしまいますし。
後は、お約束として。海図も立派な戦略情報です。地図ですら他国への流出を恐れるのに、それより予測の難しくなる海図を指定航路以外で流す沿岸の国はありません、ということで。