超肉食聖女様と本当の7年間 その弐
「おい、馬鹿娘。戻ってこい、話しはまだ終わってねぇ。」
父の鋭い言葉に、チパチャパは力なく顔を向けた。
母が肩を優しく支えてくれていたけれど、チパチャパの体は骨を失くしたみたいにグラグラと揺れてしまう。
倒れ込んでしまいそうな気分だった。
「マシュ・・・続きは、明日にしましょう?」
「ダメだ。この馬鹿娘が村に戻るっつうなら、全部知らせなきゃならねぇ。・・・それが出来ねぇってんなら、俺が村に帰る事を許さねぇ。」
「でもっ、マシューっ。」
これ以上まだ何かあるというのだろうか。
デュカの心を踏みにじった事よりも酷い事が? この7年間で、私は一体どれだけ恐ろしい事を彼にしてしまったのか。
聞きたくない。でも、聞かなければならない。そうしないと、本当のデュカの姿がわからないままになってしまう。
そしたら、謝る事も、償う事も、そして・・・向かい合って貰える事も出来なくなってしまう。
それだけは。それだけは、どうしても嫌だった。
そんな事になるくらいなら、嫌われていた方が良い。
蛇蝎の如く憎まれている方が、何倍もマシだった。
彼は優しいから、絶対に昔の事を教えてくれないだろう。
教えてくれるのはきっと、父だけだ。
その父もこの場で聞かなければ、多分、何も教えてく無くなる。夢の世界に戻れと冷たく言い放つに違いない。
涙を流したまま拳を固く握りしめたチパチャパは、言い争う父と母に掠れた声で願い出た。
「・・・母ちゃん、良いの。私、聞きたい。デュカに本当は何があったのか。ちゃんと、知りたい、知らなくちゃいけないの。
父ちゃん、お願いします・・・全部、ちゃんと教えてください。」
体の芯に力を入れて、母の支えの手をやんわりと退けた。
まだ少しふらつきそうになるけれど、チパチャパはぐっと耐えて父をしっかりと見据える。母が離された手を握り、胸元まで引き戻して顔を背けた。
父が、凄みのある顔で笑った。
「はっ! 度胸だけは付いたみてぇだな? いいぜ、全部教えてやろう。キツイ話だ、覚悟しろよ?」
そう言ってマシュは、彼の前に置いてある皿からツマミを一つ摘まみ上げた。
燻製された肉片に見えるソレをマシュは口に運ぶでもなく、チパチャパに良く見える様にプラプラと振ってみせてくる。
「こいつは、シーサーペントの燻製なんだってな。
聖都に着いた時の晩餐とやらにも、燻製は出てた。まぁあん時ゃ、コレじゃなくて、デュカディアが持たせた海産物が色々あったけどよ。
・・・コレを含めて、お前らの普段の食事に結構出てくるらしな? こういう魔物の海産物。村の宴で出てた食い物、どれも初めてじゃなかったんだろ?」
「あ・・・、うん。何度か聖都で食べた事あったよ。」
チパチャパは素直に頷いた。
母の好きなハスモは宴の時にも思ったけれど。クラーケンにギガントスピナーだって、実は食べた事があった。どれも聖都では名前が違ってて、気が付かなかっただけで。
ソレ等の食べ物は聖女達の間でも、ヘルシーだと人気があった。
チパチャパの答えに、マシュは肉片を皿に戻して笑みを深めた。
「魔物の海産物な、殆ど全部。あの村でしか獲ってねぇって知ってるか?」
「え・・・? 私達がリバイアサンを倒した後で御触れが出て、皆で獲り始めたんじゃないの? デュカがそう言ってたような・・・。」
「御触れは確かに来てたな。
その内容まではお前は知らねぇって事か。・・・誰がそんな命を捨てる様な真似すんだ? 少ねぇとはいえ、お前らのお蔭で魚もなんとか獲れるようになってたってのによ。」
「・・・だって!」
デュカは他の魚も少なくて丁度良いから漁で狙う事にしたって。あの時、その御触れを出したお偉いさんとやらを締め上げようと思ったのだ。確かに覚えている。
と、そこまで思い出して、チパチャパは「あれっ?」と小首を傾げた。
(そー言えば、その命令出したお偉いさんって見つからなかった。)
チパチャパの心に、冷たく嫌な風が吹き込んできた。
顔を強張らせた娘を見た父が、「くっくっく。」と低く喉で笑う。
「御触れにはな、目撃情報とそっから予測された魔物の生息域、それと漁で網に魔物がかかって逃げられねぇ時にどうすりゃマシなのかってのが書かれていたんだよ。
万が一、倒せたなら高値で買い取るとはあったけどな?
漁で獲りに行けなんて、一言も書かれちゃいなかったよ。当たり前だよな? 俺達は漁師で魚を相手にすんのが仕事だ。化け物退治は専門外なんだからよ。」
「うそ・・・だって、デュカが。」
「嘘じゃねぇよ。
小せぇの狙うから安全だとか言われでもしたか? あのゲテモノも夜行きゃあ楽だとかそんな事言われたりしてたんだろ。」
「うん。・・・違うの? え? この5年間で死んだのって無茶したルドさんだけなんだよね? 危なくないんだよね?!」
「はっ! ははっ! ははははっっ!!」
何がそんなに可笑しいのか、マシュは突然大声で笑い出した。
バシバシと膝を叩いて、手で顔を押さえて仰け反る様にして大笑いしている。
父の行動に戸惑ったチパチャパが母を見れば。ペニは目を閉じて静かに泣いていた。問い詰めた時の苦虫を噛みつぶしたようなデュカの顔が、不意に浮かんで消えて行った。
(え・・・何? 父ちゃんどうしたの? 何か違うの? まって、凄く嫌な予感が。)
もしかしてあの時。あれ以上、私が心配しないように話を選んでいた?
デュカだけでなく、クパも?
そんな筈はない。チパチャパは不安を殺したくて父の顔を見た。
彼は、笑うのを止めていた。
代わりに乱暴に酒杯に酒を注ぎ、口元へ運ぼうとして、そこでマシュは手を止めた。チパチャパを見る事もなく彼は呟くように尋ねてきた。
「おい、馬鹿娘。お前、なんで若いデュカが村長やってると思う?」
「・・・? ルドさんが指名してたんじゃないの?」
父の質問の意図が解らない。
不慮の事故で死ぬ事も少なくないから、次の村長の順番は男達の間で決められている筈だった。少なくともチパチャパが村を出る時はそうだった。そして往々にして、現村長の指名がそのまま通ってた気がする。
だからチパチャパは、デュカもそうやって指名されたと思っていた。
「船頭になって1、2年の若造を指名しても、誰も従うわきゃねぇだろ。
領主様から御触れが来た時な、俺達は近寄らねぇようにしようと決めた。漁場に結構デカく食い込んでたけどな、それでも命にゃ代えられねぇ。
何かやるにしても観察だけで、ヤバかったら領主様に伝える事にしてたんだ。」
マシュは酒杯を揺らしてそう話した後に、苦い物でも飲み込む様に一息に呷った。
「・・・でもな、デュカディアは死にに行くみてぇにソコに漁に行ったんだ。
高値で売れるってあったからな。簡単? 安全? そりゃここ1年ちょっとの間の話だ。」
「最初の頃はね、デュカ君一人で行っていたの。毎日毎日、大怪我して。傷が治り切ってなくても、動けるようになったらすぐに海に出ちゃって・・・。」
「止めても、怒鳴っても聞かなくてな。
確かにその頃のあいつは借金まみれだったさ。返す為だとか言って、こっちの言う事をまるで聞きゃしなかったんだよ。」
何の借金かは、すぐにわかった。
自分に出していた手紙の為に借りたものなんだろう。
そんな無茶な事までして返してたなんて、想像もつかなかった。チパチャパの心に吹き込む風が強くなった気がする。
「・・・まぁ、たぶんソレだけじゃねぇんだろうけどな。」
マシュがチラリと見ていたことに、チパチャパは気が付けない程動揺していた。
「ダァルの奴が折れて、あいつに無理矢理ついて行かなけりゃ、たぶん今生きてねぇぞ?
デカいのとやり合ったお前なら解んだろ? 3mそこらの赤ん坊みてぇなのだって、俺達にゃ脅威以外の何者でもねぇ。何度あいつが、泣き喚くダァルに抱えられて帰って来たと思ってんだ。」
「嘘っ! うそよ、うそだもん! だって、クパだって・・・。」
言いかけて、チパチャパは気が付いた。
クパが一度も傷の大きさや深さについては、口にしていなかった事を。針で縫う程の怪我と言った後に彼女は『今はぴんぴんしてるよ?』と、そう言っていた。
・・・じゃぁ、昔は?
その後デュカを問い詰めて確認した時も、大した事ないなんて、あの娘は一度も言わなかった。そう言っていたのは、デュカだけだ。
凍り付いたチパチャパに、マシュが生温かい目を向ける。
「クパクチュは言ってねぇだろうよ、大丈夫だったなんて一言も。
デュカディアの気持ちを汲んでも、精々あやふやに受け取れる言葉を選ぶくれぇだろうさ。・・・あの娘にそんな事、言える訳がねぇ。」
「あのね・・・チパちゃん。
あの頃、一番近くでデュカ君を見ていたのは、クパちゃんなの。大怪我して死にそうになって帰って来る彼を、クパちゃんは泣きながら必死に手当てして、目を覚ますまでずっと付きっ切りで看病していたのよ。
代わるから休んでって言っても、あの娘は一度も側を離れなかったわ。目を離したら彼が死んじゃうって、そう思っていたのよ、クパちゃんは。」
「一度眠り込んだ隙に、デュカディアの奴がまた海に出ちまったからな。あん時ゃ、クパがえらい剣幕で酒場まで乗り込んで来てよ。
『なんで止めてくれなかったの?! 怪我治ってないんだよ?! デュカが死んだら、僕絶対皆を許さないからっ!』
って、泣きながら睨んできてなぁ。
オルの奴なんか、オロオロして探しに行くとか飛び出しそうになったのを、全員で抑え込んだもんだ。」
村でデュカを問い詰めた時以上に、肝が冷えていく感じがした。
それよりずっと昔に、デュカを失っていた可能性があったのだ。それも、原因は間違いなく自分で。
信じたくない。嘘だと誰かに言って欲しかった。
村でデュカが話していた様な、まだ安心できる要素が欲しかった。
でも、嘘ではないのだろう。
父と母の目が、それを事実だと冷酷に告げてくる。
チパチャパは両手で心臓を押さえた。怖くて、痛くて、苦しくて、狂ってしまいそうだった。
「デュカディアがそんな無茶を止めたのは、1年くれぇたった時だ。クパクチュが、必死になって癒して縋り付いて、あいつの心を陸に引き戻したんだよ。」
「クパちゃんがお嫁さんになってから、デュカ君はまた昔みたいに優しく笑ってくれるようになったのよ。
・・・それまではずっと、作り笑いで海ばかりみていたわ。」
『それが、どれだけ困難な事かお前にわかるか?』と、海の男の顔をした父が、無言で尋ねていた。
答えの代わりに村で見た二人の様子を思い出して、チパチャパは胸を締め付けられたような息苦しさを覚えた。
蚊帳の外だとあの時感じた。
アレは感じたんじゃなかった。蚊帳の外だったのだ、まぎれもなく。
入り込む余地が無さそうだと思ったのは、実際にそんな隙間なんて無かったからに違いない。
それでも、とチパチャパは涙を流した。
(それでも・・・私もソコに居たいよぉ。デュカ、私も、ほんの少しだけで良いから、貴方の心に居させてください。・・・お願い、お願いします、デュカぁ。)
娘の流す涙の意味を、父は良くわかっていたのだろう。
憐れんだ目をしたまま、マシュは淡々と話しを続けた。
「それから半年、あいつはもっとマシな漁のやり方を血眼になって探して、遂に見つけたんだよ。泣いていたクパの為にもな。
そこからは、勇者様と同じようなもんだ。
最初、村の奴は誰も信じちゃいなかった。でもな、何度も繰り返し大した怪我もなく戻ってくりゃ、信じてみようかって気にもなる。そうやってあいつは、一年以上かけて村の連中を納得させて、そのやり方を仕込んでいったのさ。」
「村がね、あんなに豊かになったのもその頃なの。」
「だから、デュカディアが村長やってんだ。
わかるか? 指名なんてされてねぇんだよ。全部、あいつが掴みとったモンなんだ。」
ぐぃっと酒杯を呷るマシュに、ペニがクスリと小さく微笑んだ。
「そういえば、マシュ? 貴方が漁に全く出なくなったのもその頃よね。それまでは、本当に偶にだけど出ていたのに。」
「うるせぇっ。・・・あの頃は本当に稼ぎが少なかったんだぞ。国から金貰ってた俺が漁にでたら、他の奴らの稼ぎがそれだけ減るだろうが。漁の成果は山分けなんだからよ・・・。」
マシュがバツの悪そうな顔でそっぽを向いて、また酒杯を傾けた。
ペニは優しく微笑んでソレを見つめていた。小さく「皆知っていましたよ? ありがとうって伝えて欲しいって言われてたもの。」と呟いて。
酒精の混じった息を吐きだして、苦々し気にマシュがペニを睨む。
「・・・そういう事は黙っとけよ。
大体、デュカディアにだってついて行ける訳がねぇだろうが。
いくらあいつが『一緒に行こうぜ、親父さん!』とか言ってくれてもよ・・・無理に決まってんじゃねぇか。だけどまぁ、ある意味丁度良かったんだよな。」
「・・・丁度良かったって、何が?」
脳が痺れた様に鈍く動く中で、チパチャパは虚ろになりかけた瞳をマシュへと向けた。
ここ最近、『丁度良かった。』と言われて本当に丁度よかった試しがない。
デュカはまだ、何かもっと危ない事をし続けていたのだろうか。私のせいで。
心臓が止まってしまいそうだ。出来る事なら、耳を塞いでしまいたい。
「お前には、更に辛ぇ話が続くけどな。」
「良い、聞く。聞きたい。・・・まだ大丈夫。」
予想通りらしいと、チパチャパは嘆きながら父に答える。
マシュが眉を僅かに下げて、そんなチパチャパを見た。
「デュカディアのやり方はな、確かにだいぶ安全だ。でもな、やっぱり魚を相手にするのとは訳が違ぇんだよ。
ルド爺の話もどうせ軽く言われたんだろ?
ありゃな、一人で無謀に突っ込んだ訳じゃねぇんだよ。他所の村の者助ける為に、無理を承知で飛びこんだんだ。デュカディアは言ってなかったか? 栄誉ある誇り高い死だとか。」
確かに言っていた、とチパチャパは頷く。
クパも同意するような事を言っていた気がする。
「お前が余計な心配しないようにってトコか。ったく、あの馬鹿は。
漁果がそこそこ出る様になった頃にな、他所の村の奴を見習いとして受け入れはじめたんだよ。他所の村じゃ、挑もうと思う馬鹿は居なかったからな。・・・まぁこれだけで、あの漁がどれだけ危ねぇモンかわかるだろうがよ。
死なねぇ程度の怪我なんかしょっちゅうだ。油断してりゃ、ルド爺みたいに犠牲者が出ちまうような、な。」
「この人はね、漁を止めて酒場に入り浸るフリをしてお酒に薬を混ぜてたの。
傷の治りを早める薬とか、体力を回復したり、病気や毒に強くしたりす薬なんかをこっそりとね。」
「なんでそんな・・・。」
直接渡せばよいのに、と考えて。
父の顔がクシャリと潰れたのを見た瞬間に、チパチャパの背筋にゾクリと嫌なモノが走った。
「なんで、か。
そうだな、2つ程あんぞ? 馬鹿なお前にでもわかる方からいくか。
さっきも言ったろ・・・単純に危ねぇからだよ。特に、他の村から見習いが来てからは、村の連中の怪我が増えた。まぁ、仕方ねぇよな。慣れねぇ海で化け物獲ってんだ。外の村の者見捨てる訳にもいかねぇしな。」
「村の女たちはね、男達が漁に出ている間、本当に一生懸命治療のやり方を覚えていたのよ? 毎日誰かしら大怪我して帰って来るから・・・。」
「慣れるまでは仕方ねぇとはいえ、影でどれだけ女達が泣いてるか知らねぇからな馬鹿共は。
うちの家の部屋の一つは、治療用の本やら魔導具で埋まってんだよ。6年前の疫病の時の伝手があって良かったぜ、まったく。」
「ラパの奴には感謝してもしきれねぇ。」とマシュがぼやく。
『僕たちがどれだけ頑張って、治療法お勉強したと思ってるの?』
クパがデュカにそう言っていた時、一瞬とても苦しそうにしてたのはその日々の事も思い出したからだったのかと、チパチャパは思った。
きっとデュカは誰よりも一番怪我をしたのだろう。
ううん・・・多分今も、誰よりもずっと怪我をし続けてるに違いない。
あの言葉はそんな彼女の心配が漏れ出した言葉なのだ。だから、あの後彼女はチパチャパよりの態度を示していたのだ。
『本当に、貴女の居場所なんて彼の心にあるのかしらね? ねぇ、裏切り者さん。』
チパチャパの中でもう一人の自分が、嫌らしい顔をして言う。
うるさいっ、と掻き消しても、チパチャパの中にその言葉は残ってしまっていた。
身を震わせるチパチャパに、ペニがそっとお茶を差し出してくる。シュブキのお茶でなんとかチパチャパは心を落ち着けた。
マシュはその間、静かに待ってくれていた。
チパチャパがカップを置いたのを見てから、彼はまた話しはじめた。
「コイツが馬鹿みてぇにハスモを喰う様になったのだって、エルスジェリーが一番怪我しにくい獲物だったからだしな。アレが結構な金になるってわかった時から、デュカ達がなるべくそれだけ獲る様にって、コイツも必死だったんだよ。
無理してまで食うからあんな体型になっちまいやがって・・・付き合わされた俺までひでぇ事になったじゃねぇか。」
「だって・・・しょうがないじゃない。私、もうクパちゃんや他の子達が泣くの見たくなかったんですもの。」
「まぁ、あんま意味なかったけどな。」
「もうっ、意地悪なんだから。」
マシュが茶化し、ペニがいじける姿を眺めながら、チパチャパは『デュカはともかく、クパは知っていたんじゃないか。』と思ってい始めていた。
思えば、あの娘はすぐに両親のフォローを入れて来ていた気がする。
言い淀んだのはあの時の両親の見た目のせいと、両親の裏事情をデュカに悟られたくなかったからだろうか。母が魔導具に詳しいとい情報はクパからだとデュカも言っていた。
『貴方と違って、旦那様の想って尽くす、良いお嫁さんよね?』
またもう一人のチパチャパが囁いてくる。
うるさいっ! 黙れっ!
と、チパチャパが頭を振っていると、両親がじっとチパチャパを見つめていた。
「・・・大丈夫か? もう一個の理由の方は、たぶんお前にゃ凄くキツイ話だ。」
「大丈夫。」
心配そうな声で、「それでもまだ聞くか?」とマシュが尋ねてくる。
最後の優しさというやつなのだろうか。チパチャパは迷わず頷いてみせた。
マシュは酒杯を床において、チパチャパの方へと体を傾ける。
「わざわざバレねぇように、酒に混ぜたもう一つの理由はな。
デュカディアの奴が、俺達から渡された物を何一つ受け取ってくれねぇからだ。
絶対に口はつけねぇし、手も出さねぇ。それがどんな物だろうとな。無理矢理押し付けても、あいつは預かるだけなんだよ。」
「村でデュカ君と話してたのを聞いていたでしょう?
彼の家の部屋一つ埋めてる物はね、本当は使ってって彼に渡した物なのよ、全部。」
少し、脳が理解する事を拒んだ。
いや大丈夫。そう、きっと何か優しい理由があるはずだから。村での両親みたいに、優しさに溢れた裏側があるに違いない。
チパチャパは必死にそう思い込もうとした。
「クパも受け取らねぇしな。・・・全部お前の為に使ってくれって返されちまうんだ。良かったな、馬鹿娘。大した愛されっぷりだぞ?」
「マシュ、止めてあげて。ダメよ。
だからこの人も、酒場に入り浸るフリなんかしてたの。あそこのお酒なら、漁から戻って来たデュカ君達が必ず飲むでしょう? マシュったらね、その時間になると酒場から出てくるのよ? それから一人で船の傷み具合とか備品のチェックしたりしてたの。
そんな事するくらいなら、素直に一緒に行けば良いのにね?」
「うるせぇ、お前も人の事ぁ言えねぇだろうが。
同じもん2つも3つも買いやがって。コイツがそんな事してんのはな、なんかの拍子で他の奴に渡した時にデュカが欲しがるかもしんねぇって、ただそれだけの為なんだぞ?」
「でも一度も成功してないのよね・・・都会ではそうやって渡すって聞いたのに。」
両親が言い合う中で、チパチャパは目の前が再び真っ暗になっていくような気分に陥っていた。
両親の差し出した物でさえ、デュカは受け取ってくれない。
その台詞は、殊の外重かった。
どうしよう、と嘆くチパチャパの横に誰かが立った。
『あんたの為に使ってくれだってさ? ねぇ、聖女の皮を被ってた時のあんたも良く同じ事言ってたわよね。・・・そんなゴミ要らないって言うかわりに。』
自分と同じ声で、そう耳元に囁かれた。
海の聖女の正装をしたソイツが、綺麗に磨かれた腕をチパチャパの首に柔らかく回してくる。甘い吐息が、耳に掛かって気持ち悪い。
『あんたの贖罪って、彼に受け取って貰えるのかしら?』
『あんた拒絶されてるわよ? きっと。』と、意地悪くソイツが告げてくる。
ビクっと震えたチパチャパは、目を見開いて涙を流した。
耳を両手で塞ぎ、髪を振り乱して、イヤイヤっと全身でその言葉を拒絶する。クスクスとソイツが楽し気に嗤う声が頭の中に響いてくる。
(いやっ! やだっ、そんなのイヤ! ダメ! 私、わたし、戻りたい。だからそれはイヤなの・・・。)
もう一人の自分の嗤い声が響き渡る中、チパチャパの意識は限界を迎えた様に、プツリと切れて世界が閉じた。
ちょろっとこの世界の漁師さんのお話でも。
この世界の漁師さんは、船頭を軸として何艘かの船を使い共同で漁をしています。追い込んだり網を張ったり、まぁそんな感じですね。それで獲れた魚を食べる分を除いて、嫁さんや娘さんといった女達が干物なんかに加工して売り出したのが基本的な稼ぎになります。
その稼ぎを、頭割りして端数を船頭が貰う感じで分配してました。
マシュは、自分の麾下の漁師達のベテラン数人に任せて漁からわざと離れていました。魚が獲れる量が大幅に減ってたので、その方が皆に稼ぎを渡せたみたいですね。
一緒に行って渡せばいいじゃない、とかあるかもしれませんが。・・・悪い習慣として残るのを恐れてやらなかったみたいですよ? ただ、アドバイスだけはしっかりとしていたようです。毎日漁から戻って来た人達に海の様子を聞いたりして。
え、デュカに船頭渡したんじゃないかって?
シーサーペントとか獲り出した頃に渡したんですよ。それまでは渡したくても、実績がないので無理でしたから。本当はデュカに継承させる予定だったダァルさんは、マシュに説得されてしまってました。
ダァルさんがその事でちょっと落ち込んでたのは内緒です。