超肉食聖女様と本当の7年間 その壱
チパチャパは何だか現実感が無くなった様に、ふわふわとした心地で自分の部屋へと戻っていた。
この三カ月の間思い悩んでいた事が、全部一辺に解決してしまった。
これで堂々とデュカの元へと行けると思うと、顔がにやけてしまいそうだ。
「うふふ。うふっ、ふふ。」
頬を両手で押さえても抑えきれない喜びに、体が勝手にくねくねと動いてしまう。困った。
(デュカ、待っててね! 私、もうすぐ戻るから! そしたら、その時は私、貴方にちゃんと謝りたい。今までの事を全部。・・・それで出来れば、えへへ~。)
デュカが許してくれるか、今はまだわからない。
でも折角、勇者様、セクトゥス様がチャンスをくれたのだ。挑まないでどうする?
頑張ります、と心の中で最後に見た勇者様の笑顔に返事をして。
ふと目に入った空に、ピタリと足を止めた。
陽も暮れはじめたその空は、彼の心の様に切なく悲しい色をしている様に見えて、胸をきゅっとしてくる。
チパチャパは浮かれていた心をそっと仕舞った。
(・・・思ってたのと全然違う人だった。勇者様。)
チパチャパが今まで見ていたのは、どれも、彼の表面だけだった。
綺麗だとか、物腰が柔らかいとか、無制限に優しいとか、押しに弱いとか。
女神様が創り出した天の御使いだと、これまでは勝手に思ってた。押し付けてたと言っても良い。
でも本当は、ただ愛した女性の為に全てを捧げて守ろうとしてただけの、普通の優しい青年だった。
決して、神官達が言うような『無欲と寛容さに溢れた慈悲深き高徳の人』なんかじゃない。
ましてや、聖女達が口遊む『大変都合の良い男性』でもなかった。
大切な女性の為に、泣きながら耐え忍んでいる人なのだ。
チパチャパは自然と跪き、彼の為の祈りを捧げはじめた。
(ミシャラミウ様、ヌパヌゥイ様、どうかあの方に幸せを。あの方のお心にどうか、安らぎをお与えくださいますように。)
今まで彼にしてきた事を思えば、この程度の祈りでは足りないかもしれない。今回彼に貰ったチャンスまで含めたら、全然全く足りない。
けれど、チパチャパには祈る事しか出来ない。
チパチャパ程度が持ってる権力や財力では、彼の助けになんて微塵もならないとわかってる。
だからチパチャパは、精一杯彼の幸せを女神様方にお祈りした。
(願わくば、ラルゥシャ様がセクトゥス様の元へと行けますように。どうかお願いします、女神様方。)
きっとそれだけが彼を救える。そんな気がした。
曲がりなりにも聖女である自分の祈りならば、もしかしたら届くかもしれないと信じて、チパチャパは女神様方に真剣に願った。
◇◇◇
一頻り祈りを終えたチパチャパは、さて荷造りでもするかと旅行鞄を引っ張りだした所で、両親へ故郷の村に帰ると伝え忘れている事に気が付いて小さく声を上げた。
ちょっと浮かれすぎてたらしい。
開いた旅行鞄や箪笥、引っ張り出した服や下着もそのままに、チパチャパは部屋を出る。急ぎ、目指すは別棟に住んでいる両親の部屋だ。
外はだいぶ暗くなっていたけれど、後宮内はそこかしこに灯りが燈してあるので結構明るい。ぽてぽてと足取り軽く、チパチャパは廊下を歩いてく。
(そーいえば、父ちゃんも母ちゃんも聖都に来てから、やけに大人しいなー。)
忘れかけた言い訳ではないけれど。
この三カ月くらいの間、二人の話題が部屋付きのメイド達の口に上がった事が一度もないのだ。チパチャパもずっと身辺整理に勤しんでいたので、二人に会うのは本当に久しぶりだし。
村で暮してた時の様に凄い生活をしているのなら、色々と苦情もありそうなものなのに。
おかしいな、とチパチャパは首を捻った。
(周りが身分高そうな人ばっかで委縮したとか? それならそれで、まぁ良い事ではあるんだけど・・・そんな小さい肝っ玉してたかな、二人共?)
多少不可解ではあるけれど、節制とかに目覚めたならそれはそれで良い事だ。これから村に帰るんだし、デュカ達に迷惑が掛からなくなるかもしれない。
にへっ、とそんな風にほくそ笑んで、チパチャパは両親の部屋をノックする。
「・・・どーぞー。」
ややあって、中から母の声で返事が返ってきたのでチパチャパは扉を開けた。
夕闇に溶け込んでいる部屋の中、先ず目に入って来たのは、窓際に座り壁に寄りかかりながら酒杯を傾けている父の姿だった。
なんだ、変わってないじゃん。
ちょっと呆れたチパチャパは、魔導灯りに照らされた両親に変な違和感を覚えた。
(あれ? 父ちゃんも母ちゃんも、丸っこく無い? マジで節制してたの?)
ほぼ三カ月ぶりにまともに見た両親の姿は、幼い記憶の中の彼らの姿に近かった。
なんかこう、全体的にスリムになっている。いや、父の方はマッチョに戻ったと言うべきなんだろうか。少し後退した髪の毛はそのままだけど、綺麗に整えられてどこか皮肉気な顔で入ってきたチパチャパを眺めている。
微妙にムカつく。
そう思って母を見れば、蓄えた脂肪もどこへやら。
スラリとした印象なのに、妙に肉感的で蠱惑的な魅力ある姿へと大変身してた。ぶっちゃけ昔より男受けしそうな美人だ。・・・なんで胸は殆ど減っていないんだ?
どんな魔法を使った母よ、と睨みつけるチパチャパに、父が声をかけてきた。
「はっ! そろそろ来る頃だと思ってたぜ。ほれみろ、ペニ。オレの予想は大当たりだったじゃねぇか。」
「そうね。でも、貴方だけ娘の前で恰好つけるのはズルいと思うの、マシュ。」
母がお茶を片手に父に抗議している。
父は得意げに「ふふん。」と笑って母の抗議を受け流していた。
母の乳に目が行っていたチパチャパは、最初『なんのお話し?』と思っていたのだけれど。
「・・・ちょっと待って? 私が来ると思ってたの? 今日?」
父の台詞がようやく脳みそに到着して、言葉の意味を理解すると同時に驚愕した。
うちの両親がそんなに賢い訳がない。
だって、私の親だもの。まさか、何かの加護でも受けたのか?
顔に出ていたらしい。ペニが苦笑いしていた。
「当たり前でしょ? 私達は貴女の親なんですもの、チパちゃん。」
「まぁ、メイドとやらが矢鱈と詳しくお前の話をしてくれっからな。ついさっきも、勇者様と二人っきりで部屋に籠ってたんだろう? なら、その後来る事くらい、馬鹿でもわかるわな。」
「もーっ、何で私のカッコいい台詞を台無しにしちゃうの? マシュったら。」
「・・・ぁ、すまねぇ。いやでもほら、コイツ俺に似て馬鹿だろう? ちゃんと言わねぇと何かの加護を貰ったとか変な事考えだすだろ、絶対。」
「はぁ・・・そうね、ありそうだわ。私達の娘なんですもの、馬鹿なのよね。」
本当に加護は貰ってないのだろうか。チパチャパはちょっと疑った。
無駄に鋭い指摘をありがとう。
おっとりとした仕草で頬に手を当ててため息を吐く母に、軽く殺意が湧いてくる。腹立たしい事に、三カ月前と違ってその姿は大変妖艶にチパチャパの目にも見えるのだ。
お胸がプルンと震えているのも、殺意を大いに助長してくれた。
(馬鹿馬鹿うっさい! わかってるわよ! 無駄にぷるぷるさせおって、ぐぎぎぎ・・・。)
拳を握りしめチパチャパが歯がみをしていると、マシュが「良いから、ソコ座れ。」と床に置かれた座布団を指さした。
両親が座っている一角だけ、故郷のスタイルになっている。
部屋に備え付けられるテーブルもソファーもガン無視して、なんでわざわざ故郷の敷物を床に敷いてるのか。他にも座布団やらクッションまである。
村から持って来たのか、お茶の間セットは。
なんか釈然としないままで、チパチャパは大人しく父の言葉に従った。
「言っとくけど、勇者様とは何もシテないからね?」
「わかってんよ、馬鹿娘が。いらん事は言わんでいい。」
「んなっ。」
子供とか期待すんなよ、私は村に帰るんだ。
的な釘を刺したら、マシュが心底馬鹿にした顔を向けてきた。
さっきから微妙に苛立っていた事もあって立ち上がりかけたチパチャパを、ペニが袖を軽く引っ張って座る様に促してくる。
渋々座って、プンスカしてたらお茶を渡された。
(あっ・・・コレって。懐かしい。)
立ち上る香り懐かしい香りに、チパチャパの頭に上ってた血が優しく下りていく感じがする。
昔、村で良く飲んでいた林で摘んだ香草のお茶だ。
驚くチパチャパに、ペニが優しく微笑んだ。
「懐かしいでしょ? シュブキのお茶。ここのお庭に沢山生えていたのよ?
摘んで良いか聞いてみたら、良いって言うからお茶にしてみたの。メイドさん達に聞いたんだけど、こっちの人はあまり好きじゃないみたいね?」
そりゃそうだろう、とチパチャパは少し呆れた。
シュブキはそもそも匂いが独特で慣れてないと、ちょっと飲むのが辛い。聖都あたりだと、ただの雑草よりも扱いは酷いのだ。お茶になんて余程のモノ好きでもない限りしない。
そっか、庭に生えてたのか。
知らなかったなと思いつつ、口に含んだお茶は癖のある懐かしい味がした。
嫌いではない、というか。好きな部類に入るお茶にチパチャパは、ほぅっと色んなトコの力を抜いていく。
クッションを引き寄せて、グテーっとし始めた娘に、マシュが『お前は何をしに来たんだ?』という様な顔を見せていた。
「おぃ、馬鹿娘・・・まぁいい。俺等の娘だしな、仕方ねぇ。
お前、村に帰るつもりなんだろ? デュカディアのトコに戻りてぇとかそんな事考えてんだろう?」
「なんっ・・・。」
父の台詞に体をぴょこんと起こして、「なんで?!」と叫ぼうとしたチパチャパをペニも呆れた顔で見ている。
「解るに決まってるでしょ・・・村を出る時にあんな事を、あんな顔でしておいて。それに・・・。」
「村での態度見てりゃ、丸わかりだ馬鹿娘。大方、デュカディア達に会って、やっと大事なモンってのが何か解ったて所だろうよ。・・・ほんと、予想通りで笑えて来るわな。」
「マシュっ! その言い方はあんまりよ。」
「足りねぇよ、この馬鹿には。
憧れだけで飛び出して、純潔まで夢に捧げた馬鹿娘だぞ? 大体、お前だって最初っから解ってた事だろうが、こうなるって。」
「そうだけど・・・でも。」
父の言い様にチパチャパはカチンときた。
その馬鹿娘をあてにして、自堕落な生活をしてたのは何処の誰だ、と思わず叫びそうになる。腰を上げて感情のままに声を出そうとして、父の憐れむような悲し気な目がチパチャパを寸前で押し留めた。
「・・・村に、戻って来なけりゃ良かったのにな、お前もよ。そしたら、憧れと夢の中で愛されなくても生きて行けたろうに。わざわざ茨の道を選びやがって。」
妙に重い言葉だった。
けど、なんで何も知らない父に、そんな事言われてなきゃならないのか。ちゃんと大事なモノに気が付いたんだから良いじゃないか、コンチクショウ。
フツフツとチパチャパの心が沸き立っていく。
マシュがこれ見よがしにため息を吐いていた。母も悲しそうに、そっと目を閉じる。
「・・・あのね、チパちゃん。
勇者様を見れてれば、すぐにわかるのよ? あの方が今も、貴方を愛してなんていない事くらい。」
「お前が勇者様を愛してないってのは、最初から知ってたけどな。
国で広まってる話、アレが嘘だって事もすぐに解った。ありゃ、お前が調子にのって襲ったとかそんな所だろ? 馬鹿娘が。」
「んなっ! そっ、なっ、わっ・・・。」
「なんで、そんな事、解るのか、とかか?
誰がお前の親だと思ってんだ? 大体、勇者様は村においでになった時から周りの聖女様達ですら見ちゃいなかったよ。いつも、どこか遠くを見つめていらっしゃった。
そんなあの方が、お前に手ぇ出す訳ゃねぇんだよ、阿保娘。」
父が酒杯に酒を注ぐ。
「お前には解んなかったみてぇだけどな。止めろって言っただろう?」とぼやくように呟いて、父は酒杯を呷った。
「でもね、私達はそれでも良かったの。・・・それで、貴方が幸せなら。」
「勇者様には迷惑なこったろうがな。だけど、あぁ・・・そーだよ。確かに、別にそれでも構わねぇと思ったわな。ほんと、何で戻って来ちまったんだ、お前。」
なんかしつこいくらいにマシュがため息を吐いていた。
大当たりではある。あるのだが、なんでいちいち棘のある言い方をするのだろうか、このダメ親父は。
しかもさっきから、「戻って来なければ良かった。」とか連呼しやがって。村での生活はデュカから聞いているんだぞ、とチパチャパはブチリとキレてしまいそうだ。
いや、キレた。
「だったら! なんで私が迎えに来るのを待ってるなんて村で言ったりしてたのよ! しかも自堕落な生活までして、みっともなく太って! 帰って来ない方が良いっていうなら、そんな事言わなきゃ良いじゃないっ! 普通に村で暮してなさいよ!!」
膝立ちになって二人に吼えたチパチャパにペニが、目を見開いて何か言おうとした。
マシュが母を片手で制し、チパチャパをまっすぐ見つめてくる。
「決まってんだろ。俺達が、村を出ていくための嘘だよ。もう半年くらいお前が戻って来なけりゃ、俺達はお前んトコに行くっつって旅に出るつもりだったんだよ。」
「・・・その時は、たぶん貴女に会う事もしなかったと思うわ。チパちゃん。」
二人の目が本気だった。
訳がわからずきょとんとしたまま、チパチャパは目をシパシパさせた。
「は? 何言ってんの? え? なんで父ちゃんと母ちゃんが村をでんのよ。
あ・・・、実は村の皆に虐められてたとか? デュカは尊敬してるって言ってたけど、デュカとクパだもんね。あれ? でもそれなら直ぐに私の所に来れば良いだけじゃない? なんで会わないとか言うの?」
二人の真意がさっぱり解らない。
持ち上げてた腰をペタリと床に落として、チパチャパはまた瞬いた。
尊敬してたのは実はデュカとクパだけでした、とかオチは十分ありうる。チパチャパが村に住んでたら、どれだけ恩があろうとも二人を邪魔におもっていただろうし。
微妙に納得しはじめたチパチャパに、マシュが呆れた声をだす。
「馬鹿か、あの村の連中がそんな事すっかよ。聖都の連中とは違ぇんだよ。」
「じゃぁ、なんで?」
「・・・お前は、ちったぁ成長したかと思えば。そうでもねぇみてぇだな? 成長しても馬鹿は馬鹿のままって事か。身に覚えがありすぎて辛ぇな、おい。
村に残れる訳ねぇだろ? お前、自分が何をしたと思ってんだ。」
マシュの口から盛大なため息が吐き出された。
ムカつきはするが、やっぱり意味がわからない。
「あぁ、さっぱり解らねぇって顔してんな。」
「だって、虐められてる訳でもないならそんな必要ないでしょ? 私の事だって、デュカは村の誇りだって褒めてくれてたんだもん。会わないとか意味がわかんないよ。」
頭に疑問符を乗せるチパチャパを見て、マシュはまたため息を吐いて見せた。
「あのな、デュカディアは確かにそう思ってんだろうよ。あいつは良い男だからな。でもな、他の村の連中は違ぇよ。感謝も尊敬も全部、聖女としてのお前にだ。
村の娘としてのお前には、そんな事少しも思っちゃいねぇさ。」
「・・・え?」
「デュカディアの奴がお前に手紙を送ってた事は、皆知ってんだよ。けどな、お前は一度だってあいつに手紙を返す事なんてなかった。
お前は知らねぇかもしんねぇけどよ。
7年前のあの頃、手紙一つ送るのにどれだけの金が必要だったか、わかるか? 今より世界はずっと危険だったんだぞ。しかもお前が居たのは、その最前線だ。」
(手紙って補給物資のついでに届くものじゃないの? え、私宛の手紙って届けるのに、お金が必要だったりしたの? 聞いた事ないよ?)
チパチャパは首を傾げた。
自分から出した事なんて無いので今一、良く知らないけど。エウエリカは2週に1回くらい故郷の幼馴染と手紙出し合ってなかったけ?
マシュの憐れんだ瞳が、困惑するチパチャパを深く貫く。投げつけられた言葉と一緒に、視線は深々とチパチャパに突き刺さってきた。
「あいつはな、デュカディアはな。毎月、たった一枚の手紙をお前に送るのに、漁の稼ぎを全部つぎ込んで送ってたんだよ。
お前達があの化け物を倒してくれる一年前あたりはな、魚なんてもう禄に獲れやしなかった。それでもあいつは、危ねぇ目に会いながら必死に売れる物を探しまわって何とか金を工面してたんだ。足りねぇ時は、自分の道具を売ったり、他の連中に頭さげて金を借りてな。」
「デュカ君はね・・・貴女にお返事を書いて貰いたくて。押し花を私達に教わって作って添えてたりしてたのよ?
女の子に気持ちを伝えるには、お花もいるのかもって言って。」
知らない。知らない。そんな事知らない。
手紙一枚がそんな大変なモノだったなんて、全然知らなかった。押し花なんて見た事もない。全てはゴミ箱に投げ入れてしまっていた。
チパチャパの顔から血の気が引いて行く音がした。
その青い顔をみて、父が疲れた顔をしていた。
「その様子じゃお前、中を見てもいねぇな? そのまま捨てたとかそんなトコか。
・・・村の連中はな、ソレをずっと見て来たんだよ。デュカディアが爪に火を灯しながらお前の手紙を待ちわびる姿を。そんで返事が来なくて一人で泣いてる姿を、2年間ずっとな。」
チパチャパの目に、村で優しく微笑んでたデュカの姿が浮かんだ。
昔の事と、彼が笑いながら言ってのけた言葉が、酷く重く圧し掛かってくる。そんな苦しそうな様子なんて、あの時少しも彼は見せなていなかったのに。
「そこに、5年前のお前の嫁入りの話だ。・・・わかるか、馬鹿娘?
そん時のデュカディアの顔が。お前に想像つくか? 領主様の使者がめでたいと声高に、お前の様子を語って聞かせた時の、あいつの姿が。
使者の話が終わってすぐ、一人黙って宴を離れたあいつの苦しそうな背中を、村の連中は皆見てんだよ。」
目から零れてた涙を母が拭ってくれた。
彼を引き留めたくて尋ねた時、明るく答えてくれたデュカは、裏でどれくらい泣いていたのだろう。ついさっき勇者様を勘違いした時の、恐怖と絶望を思いだしてしまう。
あの苦しみでずっと、ずっと彼の心を傷つけてた?
あの一時ですら、チパチャパは生きる望みを失ったというのに。それをどれだけの間、彼に与えてきたのだろう。それは、どれ程の苦痛になるの?
――ソノ後彼ニ、私ハ何ヲシタ?
スルリと想いを躱すあの人を捕まえたくて、何をした?
迫った? 違う・・・あれは、演技で固めた、彼の一番苦手な姿で、あの人の心の傷を、深々と抉りなおしていたのだ。
馬鹿じゃなないのか? 何が7年前の想いに再び火をつける、だ。
彼が涙に弱い事も知ってて武器を使ってまで。追い詰める様にその絶望を彼におも出させた。「確かに、あった。」そう絞り出す様に答えてくれた彼の顔に滲んでいた苦渋は、決して、胸をときめかせて良いモノじゃなかったのだ。
心の中で、歓喜の叫びを上げてる場合でもなかった。
(・・・デュカ。デュカ、デュカ、デュカ、ごめん、ごめんなさい。本当にごめんなさい。わ、わた・・・私、どうしたら良いの? ほんと、どうしよう。ごめんなさい。)
チパチャパは両手で顔を覆って泣き出した。
マシュがその様子を鼻で笑う。
「あの盛大な見送りだって、お前が聖女として、勇者様の嫁として帰って行くからあれだけ皆、寿いでたんだよ。」
「ダァル小父さんも、リウ小母さんも・・・じゃぁ。」
やっぱり許してくれてはいなかったのだ。
優しく見えたのは幻で、本当はあの顔の裏側で私を責めていたんだ。
心にヒビが入る。けれど、それも仕方ない。聞いてしまったデュカの過去は、そうして当然だった。
深く落ち込んでいくようなチパチャパの問いかけに、マシュはそっぽを向いた。
苦しそうな、それでいてどこか嬉しそうに窓の外の夜空を見る。
「あいつを、あいつらを、他の連中と一緒にすんじゃねぇ!
流石デュカディアの親だ、ほんとに馬鹿野郎どもだ。・・・あいつらはな、お前も許していたさ。5年前のあの日、俺は真っ先にあいつらに殺される覚悟で謝りに行ったんだよ。」
「私達の命でどうか許してくださいって、二人で頭をさげたのよ。」
「けどな、あの馬鹿は。
『マシュ、そりゃ息子が決める事だ。
けどな。多分だけどよ・・・あいつもチパちゃんを恨んだりしてねぇと思うぞ。そんな男に育てた覚えはねぇ。海に恥じるような男にしたつもりはねぇよ。
大体、俺達があの娘を嫌いになれる訳がねぇだろ?
親友のお前の娘なんだぞ、俺達にとっても娘みてぇなモンだ。だからよ、頭を上げてくれ親友。
きっとこうなるのが、潮の流れってヤツだったんだろうさ。海は荒れる時もある。けどその先にはまた、穏やかな水面が必ずあるもんだ。なぁ、そうだろ?』
そういって、笑いやがったのさ。
海の女神様は、なんでお前なんか選んだんだろうな? なんであいつ等やデュカディアじゃなかったんだろうな?」
「リウもね・・・『仕方ないわ、女の子だもの。憧れの綺麗な人に特別扱いされたらそうなっちゃうわよ。』って、逆に私を慰めてきたのよ?
泣きそうな顔してた癖に、あの子ったら。」
デュカだけでは無かった。
父も母も、ダァル小父さんもリウ小母さんにまで、酷い苦痛を与えてしまっていた。罪悪感で胸が潰れてしまいそうだ。チパチャパは何を言えば良いのかすらわからない。
小父さんや小母さんの優しさに、胸が更に抉られた様に痛かった。
気軽に捨てたあの時は、そんな事少しも考えていなかった。
村に戻る時ですら、思いもしなかった。
どうすれば。
何をすれば、贖罪になるのだろうか。
(海の女神ヌパヌゥイ様・・・私は、彼に、あの人達に。何を差し出して赦しを請えば良いのですか? 一体どうしたら、私はやり直す事を・・・許されるのですか?)
涙が未だに止まらない。
チパチャパは胸の前で手を組んで女神様に祈り尋ねた。
「今更そんな顔してどうすんだよ、遅ぇっての。
デュカディアの奴も、マジでお前を恨んだりしてねぇんだぞ。吃驚だよな? 俺ならお前をぶっ殺しに行ってる所だってのによ。・・・教えてやろうか? 宴の次の日に、あいつが俺に言った言葉ってヤツを。
あいつはな、すまねぇと謝った俺にこう言ったんだ。
『きっと、オレが足りなかったんだ。
だから、小父さん達もチパも誰も悪くないんだよ。ただ、凄く胸が苦しくて痛いだけだから平気・・・ねぇ、小父さん? オレには何が足りてなかったのかな? 何があったらチパは戻って来てくれてたのかな?』
15になったばっかのガキがだぞ。
一緒に同じように育ててたはずなのにな、ダァルとオレの違いは何だろうな? むしろオレが聞きたかったわ。俺に、俺達に何が足りてなかったのか。
・・・俺は忘れねぇ。あん時のあいつの泣きそうな耐えてる面を。」
父の目が『お前に償う事なんて出来んのか?』と言っている気がする。
恨まれているのなら、その恨みをこの体で受け止める事もできた。
あの人の恨みが全部晴れるまで、どんな事をされても良かった。それで赦されるなら、赦して貰えるのなら、耐えられる。例え、死んでしまっても。
けれど、そうですらないのなら。
(私・・・どうしたら、デュカに赦して貰えるのかな? どうしたら、彼にまたちゃんと見て貰えるようになれる・・・の?)
女神様の答えはまだ頂けていない。道が見えない。
窓の外の世界のように、闇がチパチャパの心を飲み込んで覆っていく。チパチャパは光を失いそうな瞳で天を仰いで答えを求めた。
「これだけでも、村を出る理由になるけどな。」という父の呟きが、不吉な音色でチパチャパの耳を撫でて行った。
お手紙はデュカが出していた当時、地元の行商人のラパさんから王都の商家に送られそこから更に国をいくつか跨いで届けられてました。
ざっと見ただけでもお金がかかりそうですが。これに危険手当とか護衛料とか色々ついたりしちゃいます。最終的には兵士つきで前線に送られますしね。むしろ大した稼ぎのない漁師のひと月分ならば良心的お値段ですよ?
もっとも、名前しかでてない聖女エウエリカさんの様に、ちゃんとして申請しておけば実は月2,3度なら無料だったりします。チパチャパの両親に送られたお金みたいなものですね。福利厚生の一環です。
まぁ、当時のチパチャパがそんな事する訳ありませんよね。