女王陛下、襲撃。
「光よ曲がれ。空間を誤魔化せ。我が姿を隠匿せよ――迷彩」
大通りに出る前にカードを取り出して、詠唱と共に掲げる。
対象を指定。対象はボクとハムちゃん。小さな光が漏れると同時に一瞬にして魔法が発動する。
魔力を流し込むだけで発動する目くらましの閃光と違い、同じ光――『黄色』に分類される魔法の中でも迷彩はそれなりに高度な魔法だ。
ボクが使える多くの魔法の中でも、迷彩の魔法は苦手ではないが得意でもない。
ということは、ボクが扱える魔法の中では質が悪いと同義なのだ。
この魔法はボクには向いていない。
この魔法は、あくまでもボクたちを見えなくするだけの魔法。
だから触れることも出来るし、存在を感知する魔法を使われればばれてしまう脆い魔法。
本来であればもう少し上級の魔法を使わなくちゃいけないんだけど、残念なことにそっちの魔法はストックを用意してなかったから、今日は迷彩しか使えない。
……あー、もう。早く帰ってお布団に潜りたい。ぬくぬくの毛布に包まりたい。暖かいお風呂でもいい。とにかくボクが安息できる場所に、早く帰りたい。
警戒を緩めることは出来ないから、できる限り人にぶつからないように道を判断しながら南門を抜ける。
検問をしている衛兵たちの真横を何事も無かったかのように通り過ぎて、少し離れた草原地帯でようやく人心地つく。
「……ぷはっ。やっと出られた~」
「まあこれから数時間の徒歩が待っていますけどね」
「さっきまでの殊勝な表情のハムちゃんはどこに!?」
*
「うぅぅもうやだ帰りたい」
「もう帰ってきてるじゃないですか」
「のー! まだだよ!? まだ森の前じゃん!」
辺りが暗くなってきて、ようやくボクたちは広大な森の前まで戻ってこれた。
運良く誰にも会わずに帰って来れたのはよかったんだけど、両足から伝わる疲労が身体全体に休息を求めてくる。
ここまで来てしまえば、逐一疲労を魔法で回復させる必要はない。
……うんっ。
帰ったらますハムちゃんに頼んでお風呂を用意してもらう。
そしてハムちゃんに美味しいご飯を作ってもらう。
暖かいご飯とお風呂でゆっくり癒されてからお布団へどーん、する!
もう決めた。ボクはそれをするまで鋼の意思でハムちゃんにだって抵抗するぞ。ボクがハムちゃんのご主人様なんだ。
「……エルル様」
「どうしたの、ハムちゃん」
「気付いてないのですか?」
「んー?」
少しだけハムちゃんが表情を引き締めていた。ちょっと怖い。
何が、と聞く前に少しだけ違和感に気付く。まだ入り口だってのに森が騒がしい。ボクたち以外の誰かを拒絶するかのような。
「探査発動。対象はコルタニカ領内」
デッキから取り出したカードを発動させると、森全域を含めたコルタニカの領内を探査の魔法が調べ上げる。
目を閉じて頭に浮かぶ領内の地図。そこには点在する青い点がいくつもあり、赤い点は少しだけあるけれどそこまで気にするほどではない。
探査の魔法はあらかじめ指定しておいた範囲内を調べ上げ、発動者、つまりボクに対して危険かそうでない生物を検知する魔法。
危険の基準はかなり下げてあるから、赤く表示されるのは王国魔法隊くらい強い人たちだけど。
――いた。
ハムちゃんの感じるとおり、ボクたちに向かって真っ直ぐ移動してくる青い点が一つ。 でもそれは赤にも点滅している。
つまり、敵意はないが多少危険かもしれない、ということ。
わぁ、わかりづらい。
「あー……」
暗くなりつつある森はそれだけでも恐怖をかもし出すというのに、それとは違う異質な魔力を感じた。
魔力をあまり持たない普通の人とは違う。あまりにも膨大な魔力を感じる。
そしてボクは、この魔力の持ち主が誰かをよーく知っている。
「誰、だと思う?」
「このタイミングで姿が見えないのであればエルル様同様、迷彩などの魔法を使っているか、もしくは――」
ボクとハムちゃんが同時に空を見上げると、感じた魔力がさらに接近してきた。
空から。そう、空を移動し迷彩も使えばより有効的に接近できる。
近づいてくると同時に魔法を解除したのか、何もなかった空からそれが姿を現してきた。
雄々しく広げた鷹の翼。噛み付けば一撃で死を与えると言われる蛇を尾に従えて。全てを噛み千切る獰猛な牙を持った獅子。
キマイラと呼ばれる魔物だ。獰猛すぎて並大抵の召喚士では制御できない危険な魔物。
ボクはその魔物をよく知っている。そんな危険な魔物でも従えてしまう、召喚士の才に溢れた女の子をよく知っている。
キマイラが地面に着地するとその背中から彼女は飛び降りてくる。やわらかくもまるで純金のような艶やかな金の髪は先端まで手入れがされているのが一目でわかるほどだ。
開かれたエメラルドの瞳がボクを捉える。年頃の少女よりいくらか豊満な肢体を軽やかに動かして彼女は叫んだ。
「迎えに来たわよエルルさあ私と結婚しましょう!」
「うわぁ」
これにはボクもドン引きです。
「……ミリアリア様。ご用件は森の入り口に使い魔を寄越すとの約定を忘れたのですか?」
ハムちゃんが呆れたように彼女――ミリアちゃんを嗜める。
ミリアちゃん。ミリアリア・ハイゲイン・アルトリア。ボクと同い年でありながら卓越した才覚を活かし、五年前――わずか十三でこの王国の頂点に立った女の子。
そして、ボクの幼馴染み。
「ハム。私は国王よ。つまり、私がルールよっ!」
「そうですかではエルル様帰りましょう」
「そうだね。ばいばい、ミリアちゃん」
別れの挨拶を済ませて森の中を目指して歩き出す。
いやーよかったハムちゃんナイス。変なミリアちゃんに絡みたくなかったし。
「やーだー! エルルと結婚するのー!」
「うわぁ」
そもそもボクたち女の子同士なのに何を言い出してるのか。たまにハムちゃんに聞いてたミリアちゃんの奇行のことは知ってはいたけど初めて見るとその……うん。大変失礼な感想が出てきたので黙っておきます。
「私は一昨日の誕生日で十八になったわ。つまりもう誰を嫁として迎え入れても構わないってことなのよ!」
ミリアちゃんの言ってることはよくわからない。結婚できる年齢は別に公言されていないし、ミリアちゃんは女の子だからむしろ婿が必要なはずなのに。
とりあえずボクとしての感想は関わりたくない、だ。あまりの変なテンションで来られたから勢いに流されかけてるけど、ミリアちゃんだって他の人間と何一つ変わりはない。
「ミリアリア様、後日正式に謝罪をしますので今日は下がって貰えませんか?」
「いやよ。五年前から一週間に一回公務を抜け出して来ても一度もエルルに会えなかったのよ? ようやく会えたんだからハグしてチューしてベッドインくらいはしないと気が済まないわ!」
「うわぁ変態さんだ……」
なんかもう、ミリアちゃんが変な意味で怖い。こんな人じゃなかったはずなんだけど……まあ、会ってなかった期間が長いから、十年も経てば性格も変わるよね。
大丈夫なのかな、この国。
「ミリアちゃん」
「何エルル私と結婚してくれるの!?」
「だいっきらい」
「あ――」
ぴしゃり。
その言葉だけで空気が凍る。言ってはいけない言葉だってわかってるし、言いたくも無かった言葉である。
でも、こうでも言わないとミリアちゃんは下がらない。
ミリアちゃんはこのアルトリア聖王国の歴代唯一の女王で、類い希な才を持って生まれた天才だ。
そんな人が、ボクのような魔女と関わってはいけない。
……それに。
「『嘘つき』なミリアちゃんは、だいっきらい」
「っ、エルル――」
「――呼び掛けに応えよ。汝の声は蒼天に鐘の名を響かせる。汝が名は世界に氷雪を積もらせる。我に力を捧げよ。我が一部喰らいて世界を犯せ」
カードが、宙に浮く。
六芒星の魔法陣が光を放ち、色を変える。黒い枠線が青の枠線へと変色し、魔法陣から猛吹雪が発生する。
一気に周囲が冷え込む。寒さに強いこの魔法服に感謝しながら、ボクは詠唱を続ける。
ボクだけに届いた声に返答する。返礼する。
「召喚――氷雪の精霊セルシウス」
不思議と視界が滲む。どうしてだろう。悲しくはない。辛くもない。
でもどうして、ボクは泣いてるんだろう……?