エルルが決めたこと
「ぎりぎりぎりぎりぎり」
「せるちゃんなんで血の涙流してるの?!」
一息ついてボクたちは講義に使われる大ホールに移動して、その中心に用意してもらったテーブルを囲んでいる。……んだけども。
せるちゃんがボクから少し離れた場所に立っているハムちゃんの肩の上でもの凄く歯を食いしばっていた。真っ赤な液体を瞳から流しててる。
あっれー。せるちゃんって雪と氷で身体を作ってるから血なんてないはずなんだけど……?
「なんで二人とも当たり前のようにぴったりくっついてるのよ?」
「っ!」
「あっ。……えへへ」
せるちゃんの言葉にミリアちゃんがビクッと身体を震わせ、ボクはとりあえず抱きしめてたミリアちゃんの腕にさらに強く抱きついた。
だって離れたくないんだもん。ミリアちゃんもボクの大切な人ー。
「エルルが、エルルがぁ!」
「五月蠅いぞせる。お主も契約した精霊ならば主人の幸福くらい素直に祝ってやるのじゃ」
「ミリアじゃなければ祝福したわよ多分!!!」
せるちゃんの中でミリアちゃんってどういう立場なんだろう。基本的にボク>それ以外の認識であるはずのせるちゃんがそこまでいうんだから、きっと相当酷いんだろう。
でも、大切なミリアちゃんがせるちゃんに良く思われてないってのは、嫌だなぁ。
せるちゃんもミリアちゃんと同じくらい大切な存在だ。大切な、ボクの家族だ。
あ、ミリアちゃんともそのうち家族になるのかな? ……えへへ。えへへ。
「あぁもうはにかんでるエルルが可愛いのに何故ミリアが! ミリアがぁ!」
「せるちゃん、ミリアちゃんのこと嫌いなの……?」
「うっ」
あまりにもせるちゃんがじたばたしてるので、つい言葉が出てしまう。
じー、とボクが見つめてると言葉に詰まるのか、せるちゃんは居心地が悪そうにおろおろしている。ミニマムモードだからちょっと可愛いけど、ここまで狼狽えるせるちゃんが珍しくてちょっと可愛い。
「……嫌いじゃ無いわよ。でも私はミリアが好きじゃない! 私からエルルを取るから!」
「エルルは誰の所有物でもないわよ?」
「えっ?」
「……え?」
「ボク。ミリアちゃんのものじゃないの……?」
ボクは少なくともミリアちゃんの所有物って意識があるんだけど。
だって、大切なミリアちゃんがボクを守ってくれるんでしょ?
嬉しくないわけがないよ!
「我が生涯に一片の悔い無し!!!」
「ミリアちゃん!?」
「ぎりぎりぎりぎりぎりッ!!!」
「わぁーせるちゃんが溶けてきてる!?」
突然鼻血を吹き出してよろけるミリアちゃんに鬼のような形相で身体が溶け始めたせるちゃん。ああもうなんなのこれ!?
……結果として、ミニマムせるちゃんをボクが抱きしめることでせるちゃんは落ち着いた。隣にはミリアちゃんとハムちゃん、胸元でにこにこしているせるちゃん。
部屋にいた皆が苦笑している。でも、これでようやく話をすることができる。
テーブルに広げられた、この大陸の全体図。王国領は黄色で塗りつぶされており、その中の一カ所――リードン火山が存在する、ウェリアティタンの荒野一帯に大きく×印が入れられている。
そしてさらに、ラングルスから東。海を越えて隣の大陸との中間地点にも、×印が入れられている。
「ここが、精霊が襲われた場所ね」
この二カ所は、ボクが直接確かめた、あの片翼の――天人と名乗っていた人たちの手で、荒らされてしまった場所だ。
その目的は、精霊を黒の力で破壊して、精霊を形成している高密度のエネルギーを取り出すこと。
それをどう使うかはわからない。わからないけど、ろくでもないことに使うことだけは推測できる。
第一精霊を形成させているエネルギーは超・高密度の魔力だ。そんなことをしなくても、大抵の魔法は人の手で行使できる。
……それ以上のことが目的だとしても、ボクには皆目見当が付かない。
「イフリートは間に合ったけど、リヴァイアサンからはエネルギーを奪われてしまいました」
『まったくだ。貴様らが遅い所為で――』
「ほほう? リヴァイアサンともあろう精霊が人間を当てにしていたと?」
『ぐ、ぐぐぐ……!』
苛立ちを隠しもせず責めようとしたリヴァイアサンを、リフルちゃんが逆に責める。
たらればの話になってしまうから、リヴァイアサンの言葉は敢えて無視することにする。ごめんなさい。
「目的は不明。でもその集団は天人と名乗り、片翼の人間種――で、いいのよね?」
「うん。気になるのは、黒の力を行使できること」
「……黒の力は過去にハデスと呼ばれる存在が使えた力よね。今はエルルだけ……クルルも、ね?」
「そのとーり! 私とエルルにしか使えない黒の力。なぜだか彼らはそれを使える! さて、どうしてでしょう!」
暗くなる空気を無理矢理にでも壊そうとクルルも気丈に振る舞う。
でも、クルルもわかっている。あの人たちが、お母さんと繋がりがあることを。
テュポンさんの左目は、お母さんが奪ったと。あの憎悪は、あの場でボクにだけ向けられていた。
……お母さんは、そんなことをしない。するわけがない。
もし、もしするとしても――そこには絶対に、「しなくちゃならなかった」理由がある。
「黒の力を使える集団。目的は精霊を破壊してエネルギーを奪うこと……か、雲を掴むような話じゃないか」
マトウさんの言葉通りだ。目的がわからない以上、こちらは後手に回るしかない。
この大陸には数多くの精霊が住んでいる。
風の谷のガルーダ、凍土のせるちゃん、リードン火山のリフルちゃん。
国境線沿いの森には、大樹を司るトレントもいる。その他にボクが知らない精霊だっている。
「エルル」
「なに、ミリアちゃん」
「エルルはこの事態に、どうしたいの?」
ミリアちゃんが不安げな瞳をボクに向けている。きっとボクの決めたことを見通して、ボクの言葉を待っているのだ。
「ボクは……精霊を、守りたい」
本来であればミリアちゃんに情報を伝えた時点でボクは関わらなくていいことだ。
力はあっても、ボクは誰よりも臆病で、森の奥で静かに暮らしていたいから。
森の家で、せるちゃんやハムちゃん、リフルちゃんにクルル。たまにミリアちゃんと遊べれば、それだけでボクはもう満たされる。
――でも。
「精霊は、何よりも尊いものなんだ。この世界を創って、守って、維持してくれる。感謝しなきゃいけない存在なんだ。そんな彼らを冒涜する天人を、ボクは、許せない」
ボクの言葉にせるちゃんを初めとした精霊である人たちが表情を引き締める。
それに続くように、精霊と関わりのある人たちも表情を変える。
「わかったわ。――ユーゴ、トリスタン」
「おう」
「女王陛下の名の下に」
「【色彩の階位】に名を連ねる頂点。カラーズ・ワンに招集をかけなさい。この大陸の国家全てに協力を要請し軍を派遣。全ての精霊たちに護衛を付けるわよ」
「オーケーミリア。速攻で行ってくる!」
「っふ。久しぶりに血が滾るな……!」
ミリアちゃんの言葉を待っていたユーゴくんとトリスタンさんが意気込む。
くるりとボクに向き合って、ミリアちゃんが優しく微笑む。ボクの大好きな、ミリアちゃんの笑顔だ。
「エルル、あなたにはそれぞれの精霊との対話を任せたいわ。人間が護衛に回ることを、天人たちの脅威を伝えて欲しいの」
ボクの意思を尊重しつつ、できるだけ危険から遠ざけるため、だろう。
それでもボクには十分だ。ボクのしたいことを、ミリアちゃんは応援してくれる。
「わかりました。エルル・ヌル・ナナクスロイ。その依頼、必ず成功させますっ!」
ユーゴくんたちが大ホールから出て行くと、ボクはすぐさま地図を広げて目的地を指差す。
王都から一番近いのは――王国領の最北西にある、風の谷。
「最初はガルーダを目指そう。風の、空とも関わりがあるガルーダなら、ボクたちの知らない情報を持っているかもしれないし」
目的が決まった以上、王都に残る必要はない。
急いで家に帰って準備を済ませ、風の谷を目指そう!