大切な想い
王都アルトリア、女王である私の家でもある王宮の一室でエルルは眠り続けている。
魔力切れによる意識の喪失は一歩間違えれば精神崩壊に繋がってしまう危険な症状だった。
本来であれば意識の混濁といった初期症状が出てきて、その時点で処置が間に合う。
……でも、エルルにはそれがなかった。
初期症状が出ないほど、エルルは一度に魔力を出し尽くしてしまった。
魔力切れによる昏睡状態はもう手の施しようがない。外部から魔力をいれたとこで精神が傷を負っていたらもう手遅れなのだ。
だから、待つしかない。いつ目覚めるかもわからない。でも、そうするしか方法がないから。
「ミリア。俺が見てるから少し休めよ」
「大丈夫よ。ここで書類関係の仕事もできるわ。トリスタンも協力してくれるし」
窓から城下町を見下ろしているユーゴがため息をついた。
不満げというか、文句でも言い足そうな表情をしている。
「ミリア様、お茶が入りました」
「ありがとう」
沈黙していた空気を破ったのは、暖かい湯気を立てながら紅茶を持ってきてくれたバハムートだった。
エルルが意識を失ってから四日が経って、彼らはエルルが目覚めるのを待っている。
「セルシウスとイフリートは?」
「いい機会だからと魔法学院の授業を手伝っています。労働条件として給与が出されるのを気に入ったようですね」
「そう」
ユーゴが自分の仕事を処理するために退室して、部屋には私とバハムートだけが残される。
……四日前、ラングルスで意識を失ったエルル。
エルルが目覚めない以上、彼女をどうするかは二つに一つだった。
一つはここ、王宮で安静に過ごさせること。
もう一つはエルルの家――森に帰らせること。
セルシウスはもちろん森に帰ることを望んだ。言葉にこそしなかったものの、バハムートも同じ気持ちだったろう。
クルルやイフリートは揺れていたようで、そういえばあの二人は経緯的にまだ森の家に帰ったことがないのだから仕方がない。
けれどもエルルたちは私の独断で王宮で休ませることにした。
もちろんセルシウスには猛反対された。
私の所為でエルルが追い込まれたのに、とも言われてしまった。
「ねえ、バハムート」
「はい」
「あなたは私を恨んでる? エルルから母親を、平穏な生活を奪った私を」
紅茶を口元に運びながら質問を投げかける。バハムートの顔を見ることが出来ないのは私が臆病だからだ。
十年前も、私はエルルを守れなかった。
私の立場であればケーラおばさんの病気も、家が燃やされることも防げたはずなのに。
「まさか。あなたが尽力しようとケーラ様は死に、家は焼かれていましたよ」
「そんなことないっ!」
十年前にエルルが王都アルトリアを守って――私は凄く嬉しかった。私の友達、いいえ親友はこれほど魔法の才能を秘めた凄い人だったんだってわかって。
今まで対等だと思っていたけど、全然違った。天と地の差が私たちの間にはあった。
そしてそれを怖れたのは、お父様だった。
私はいずれ国を背負う立場になる存在として、優秀でなくてはならなかった。優れた血筋の婿養子を取り、この国の更なる発展のためにその才を捧げなければならなかった。
でも、私の上には常にエルルがいる。優れた魔法使いであり召喚士でもあるエルルは、お父様に取っては私の人生というレールの上に置かれた障害物だったらしい。
だからお父様は、私を軟禁した。当然反発したし何度も抜け出そうとしたけど、そのたびにトリスタンに妨害され、同情をもらった侍女たちにも解放はしてもらえなかった。
その間に行われたのが、エルルを迫害することだった。
当時からエルルに友達と呼べる存在が私しかいなかったのを逆手にとられて、私たちは引き離された。
王都を救い、どういう扱いを受けるか不安に感じていたエルルに守ると誓ったばかりなのに。
からくも逃げ出した時には手遅れだった。ケーラおばさんは死別してしまい、郊外にあった家は燃やされてしまった。
燃え盛る炎を呆然と見つめていたエルルを見た時に、私はどんな言葉をかければいいかわからなかった。
守ると誓ったのに。感情の籠っていない表情のエルルに、どう手を伸ばせばいいかわからなかった。
『嘘つき』
そうだ。私は嘘つきなんだ。エルルを守ると豪語しておきながら守れなかった。
だから私は――エルルを守るために何が出来るかを考えた。どうすればエルルを助けられるか。どうすればエルルに謝ることが出来るのか。
いやまあその時々いろいろ歪んでしまったけれど、私の思いは変わらない。
“エルルを二度と悲しませない”
ずっとずっと、十年間思い続けた。
エルルにウェリアティタンの荒野の件を任せたのも、そこに起因する。
本来であればトリスタンが赴く予定だったのを、強引にエルルに任せるようにしたのだ。
破格の依頼料を用意すればきっと受けてくれる。エルルなら失敗することはないと信じていたし、そうすれば正当な理由でエルルを支援できる。
でも、エルルは大けがをして帰ってきた。
そして、今回も。
私は、エルルを傷つけてばっかりだ。
「エルル様はあなたを恨んだことは一度もありません。そもそもエルル様が誰かを恨むような方だと?」
「……それは」
「エルル様は何をされても自分が悪いと受け止め諦めてしまう方です。ですから私たちも、エルル様の思いを優先しています。優しすぎて臆病すぎる、魔法使いですよ」
「知ってるわ。……えぇ。よく知っているわ」
だって、私にできた初めての友達なんだから。
「ですからエルル様はミリア様を恨んでおりません。……まあ、あなた方の溝が埋まっているとは思えませんが」
……バハムートは私たちをよく観察している。そう、確かに私たちは仲直りして昔のように談笑するようにはなった。
けれど私たちの問題は解決していない。
エルルは自分が受けた扱いを受け入れてしまっている――そして、私は軟禁されていたことを告げていないから。
引け目なのか、負い目というか。軟禁されていたから助けられなかったなんて言い訳を、したくなかったから。
「エルルは許してくれるかしら」
「違いますよ。エルル様は誰も恨んでいません。誰かを許すことなんて最初から有り得ないんです」
「なら、どうすれば――」
「エルル様を、許してあげてください」
「……え?」
「エルル様に今一番必要なのは、心の底からエルル様を思う愛情です。それも、私たちとは違う、本当に対等な人からの想いです」
顔を上げるとそこにはバハムートが優しげな微笑みで私を見ていた。ベッドで眠るエルルへ視線を移すと、まるで父親のような優しさの籠った目をする。
竜と人間が、ここまで深く家族としていられる。とても、とても美しい在り方だと思える。
……私は?
私はエルルが好き。友達として、親友として。そして、人間として。
エルルを守りたい。支えたい。ずっと傍にいたい。彼女がいない人生なんて考えらいないほどに彼女を愛している。
「私は対等なのかしら」
「少なくとも私はあなた以上にエルル様と対等であろうとしてくれる人を知りませんよ」
「……ありがとう。少し、救われたわ」
「ありがとうございます。では私は侍女たちの手伝いをしてきますね」
「そ、そう」
バハムートが王宮の掃除や炊事などを手伝っているなんて、世も末というか……メイドたちは呆気に取られてないだろうが。
「……ねえ、エルル」
ベッドで眠るエルルの手を握る。小さな手はスベスベで、火傷の跡は一切残っていない。
エルルの手を優しく握りしめながら、未だ眠り続けるエルルの顔を覗き込む。
これから私がすることを、エルルはどう思うだろうか。
怒るかな。喜ぶかな。戸惑うかな。
でも、これは本当に私の心からの想いだから。
「エルル・ヌル・ナナクスロイ。私――ミリアリア・ハイゲイン・アルトリアはあなたを愛しています」
まるで物語の眠り姫のように眠り続けるエルルの唇へ向かって、私はそっと自分の唇を重ねた。