しろいせかいで
まっしろな世界でボクは意識を取り戻した。
身体を起こすと、いつもの魔法学院の制服を着ている。帽子は身体を起こした拍子に落ちてしまったようだ。
……どこだろ、ここ。
まったく見覚えのない場所だ。そもそも地面も天井も地平線すらわからないまっしろな場所なんて、ボクは知らない。
あたりをキョロキョロしても、何も変わらず白だけが広がっている。
ボクはどうしてここにいるのだろう。
ボクは確か――魔力を使い果たして、意識を失ったはずだ。
魔力切れ。
文字通り魔力が底を突いた。精神の力である魔力が底を突けば、意識を失い最悪の場合は……魂が死んでしまう、とさえ言われている。
普通は魔力が切れる初期症状として手の震えとか意識の混濁とかがあるはずなんだけどな。
それに……まさか、ボクが魔力切れになるなんて思ってもいなかった。
ボクの内臓魔力は普通の魔法使いたちとは一線を画す。【|色彩の階位》カラーズ・ステア》】の誰であっても魔力量だけならボクに並べられる人なんていないほどだ。
幼いころにボクが魔法学院で浮いてしまった理由の一つ。
だから本来ハムちゃん、せるちゃん、リフルちゃんの三人に過剰なまでに魔力をあげても魔力が切れることなんて有り得ないはずなのに。
……あー、そっか。
よくよく考えてみたら、せるちゃんがパワーアップしたとしてもその行動にはボクの魔力が消費される。海面を凍らせて、海底に続く階段を作って、海底神殿の崩壊すらも一時的に押し止めた。
せるちゃん凄いと思ってたけど、そもそもボクの魔力をかなり持って行ってたんだ。
とはいえそれだけが原因ではないだろう。その程度ならボクの魔力は底を突かないはずだ。
なにかきっと、理由があるはず。
…………考えていてもしかたない。今優先すべきことは原因を探ることではなく、このまっしろな世界から抜け出す方法だ。
寒くはない。暑くもない。快適とは言えないし、過ごすには殺風景すぎるしここは――生命が感じられない世界だ。
寒くはないけど、酷く、寒い。まるでボク以外の誰もいないように感じられる孤独の世界。
……いやだ。ひとりはいやだよ。
ハムちゃんはどこ?
せるちゃんはどこ?
リフルちゃんはどこ?
クルルはどこ?
先生でもマトウさんでもイルンイラードさんでも誰でもいい。
誰でもいいから、ボクを一人にしないで!
お母さん。お母さんは。
ミリアちゃんは!
ボクを守るって言ってくれた人たちはどこにいったの!?
やだよ。やだよ。ひとりはいやだよ……。
“大丈夫だよ。君には僕がついている。生まれた時から。そう。ケーラよりも、クルルよりも。僕はボクを理解している”
だれ……?
走り出そうとして転んでしまったボクの目の前に現れた、まっしろな世界の中で異質なほど目立つ、まっくろな『もや』。
ゆらゆらと揺らめいて輪郭をハッキリとさせない『もや』は、明らかによくない印象をボクに抱かせる。
でも、今のボクにとっては唯一交流が出来る存在だ。
君は、だれなの?
“僕はそう。ナナクスロイの始祖にして、シンの友達。遙かな昔に空に散った哀れな…………なんだろ。愚者? 僕としては騎士のつもりだったけど、僕は好きな人に振られたし。うん、そうだね。僕のことは『まるでだめなクズ野郎』を略してマダクとでも呼んでくれればいいよ”
え、自分で言ってて悲しくないの?
“僕は事実は受け止めるからさ”
は、はぁ。
マダクと呼んでしまうのは不本意だけど、本人が望んでいる以上はそう呼んだ方がいいのかな。
マダクは人かどうかもわからない。言動からは人間のようだけど、目の前で不定型な『もや』でいられると人として判断しにくい。
言葉を発さなくてもマダクはボクの言葉を受け取れるみたいで、心を覗かれているはずだけど……不思議と、嫌な感じはしない。
“ところでさ、エルル。恋をしてるかい?”
いきなり何を聞き出すの!?
“あーなるほど。今咄嗟にミリアの顔が浮かんだね? 女の子同士だけどちょっと気になってる?”
そそそそんなことないし!? ミリアちゃんとは友達だし!
“恋はいいよね。人が理屈を超えるために必要な感情だ。愛憎こそ理屈をねじ曲げ世界を超える奇跡の感情だよ”
……マダクは人の話を聞かないのかな?
“恋はいいよね。僕もかつては求婚を続けたんだけど振られ続けてさ! あまりにも見向きもされなかったから自決したほどだよ”
すぷらったー!?
“ははは。……エルル。君は僕とそっくりだ。だから安心するといい。君が不安を感じている時、僕は中から君を思っていると。クルルは出て行ってしまったけど、僕は君の中で君を守るよ”
マダク……?
“君が目を覚ませば、僕のことは忘れているだろう。君はケーラの日記を読んで真実と向き合い、父親との対話を望むだろう”
マダクの言動はつかみ所がない。ボクに考える余裕をくれない。
でも、大事なことを言っている。
“君は精霊を愛している。君は世界を愛している。君は愛情を求めている。愛してくれと訴えているけれど、怖くて自分の気持ちに向き合えない”
“だから僕は提案しよう。僕のことは忘れるけど、これだけは覚えてて欲しいかな?”
“大切な人には、我慢しちゃだめだよ。みんな、君の我が儘を待っている”
……ボクは十分に我が儘だよ?
森に引きこもってゆっくり暮らすためにハムちゃんたちを巻き込んでいる。
本当だったらハムちゃんもせるちゃんも広い世界で自由に生きられるのに。優しいからボクの世話なんか気にして外の世界に行こうとしない。
助かってるけど、心苦しさくらいボクだって感じてるよ。
ボクが森で暮らしたい。人と関わりたくない。
それだけでボクの我が儘は十分だ。十分すぎる。
“いやほんと、そっくりだ。僕もそうやってよくシンにぼこぼこに殴られたさ! 大丈夫だよ。君が皆を大切に思ってるように――皆も君を大切に思ってるから”
……でも。
“エルル。君はもっと幸福になっていいんだ。僕の力を継いでしまったから失ってしまったものを、君は求めていいんだ”
君は……君は、誰なの?
マダクは何者なの? ボクの何を知っているの?
“話はここでおしまい。そして、ここからは僕のお願い”
人の話を聞いてよっ。
“彼らはみんな、僕を思って翼を捧げた。その結果、彼らは空での自由を失ってしまった。
だからお願いだエルル。僕ではなく君が、彼らを救ってやって欲しい。
彼らは空で自由に生きることを許された者の眷属であり、雄大な空を旅する一族だから。
だからお願い。シンの子供たちを解放してあげて”
すーっ、とマダクのもやが薄れていく。
待って。まだ話は何も終わっていない。ボクを一人にしないと言っておいて、どこに消えようとしているの!?
一方的に言いたいことを言ってきて、ボクはどうすればいいの!
わからないよ。わからないよ……っ。
“大丈夫だよエルル。君には手を差し伸べてくれる大切な人がいるから”
消えていくマダクに手を伸ばそうとして。
「エルルッ!」
誰かが僕の後ろ手を掴んだ。
……みりあ、ちゃん?