片翼の一族
「なにをやっているかティオよ」
「あらごめんなさい? 恨み辛みを晴らそうとして闇討ちを狙ってるお馬鹿さんでも同胞くらいは助けられると思ってたのよ?」
「くだらねえ女だ」
アブソリュート・カオスエレメントは、三つの属性を混ぜた上に黒の力で纏め上げた魔法だ。その威力は黒の力によって防げるわけがなく、ボクが使わないと決めた忌まわしき力の最たるものでもある。
ボクは全ての属性を扱うことが出来る。だがしかし、人を傷つける、攻撃となる手段を取るとボクの魔法は全て黒の力が混ざる。
それは誰にも防げない凶悪な魔法となり、全てを傷つけるためだけの暴力である。
でも、ボクの黒の魔法は弾かれた。
ボクたちとルクスリアさんとの間に割り込んできた灰色の髪と片翼の青年。左目には十字傷が入っており、たぶん、見えてない。
濁った瞳がボクたちを――いや、ボクだけを睨んでいる。
その手に握られた背丈ほどある巨大な剣を振り上げて肩に担ぐ。
あの剣だ。あの剣が、ボクの黒の魔法を弾いた。防がれるはずがない黒の力を遮断した。
「あら、ナナクスロイさんは黒の力の弱点を知らないようね?」
「弱点?」
防げることをわかっていたかのような振るまいなルクスリアさんは右肘を左手で支えるような姿勢でボクを見下ろしてくる。
なんだか、いやだな。頭痛は続いてるしボクの心を見透かしてきそうな目で見られている。
「この剣は黒の力を生み出した原初にして我らが神。ハデス様自らが生み出した剣。生まれた時から黒の力と歩んできたこの剣は、黒の力に侵されない――いえ、黒の力を受け入れた剣となっている」
やや饒舌気味に剣のことを語る青年は、それでもなおボクから目を逸らさない。
「だからこの剣は、同時にナナクスロイを殺す剣でもあるということだ」
ゆらりと幽鬼のように剣を降ろした青年はボクへの殺気を隠そうともしない。
ナナクスロイを殺す、と言った。けれどボクは青年さんのことは見たことも聞いたこともない。ましてや片翼の人間種なんて知らない。
「あなた、ケーラの子供でしょう?」
「お母さんを知っているんですか!?」
ルクスリアさんの問いかけに驚く。だってそうだ。この人は、お母さんを知っている。
お母さんから天人なんて種族は聞いたことはないけれど、お母さんは彼らのことを知っていたの……?
「ケーラの娘。娘か。はは、ははははは!」
「落ち着きなさいテュポン。もう手に入れるモノは手に入れたのよ?」
「黙れ。黙れ黙れ黙れ黙れ。十八年だ。十八年耐え続けた。耐え続けたこの憎しみ。痒い、左目が疼くんだよ。恨みを晴らせと。ケーラ本人でなくても構わない。娘であるなら丁度いいッ!」
テュポンと呼ばれた男の人が左目の傷を掻き続け、切り裂かれた傷跡から零れる血すらも気にせずに掻き続ける。
「ケーラに付けられたこの傷の恨みを晴らさせろ、ナナクスロイいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」
「う、嘘だ! お母さんがそんなことするわけがない!」
お母さんはいつも微笑んでて、ボクが悪いことをしても優しく頭を撫でてくれた人だ。
ハムちゃんやせるちゃんにも優しくしてくれた、誰かを傷つけることから一番遠い位置にある女性だ。
お母さんが誰かを傷つける訳がない。お母さんの優しさは、娘のボクが一番知っている!
「エルル様お下がりを。言っても聞かないと思われます」
「そうね。それにケーラのことを悪く言うなら私も黙ってられないし」
ハムちゃんとせるちゃんが今にも襲いかかってきそうなテュポンさんの前に立ち塞がる。
まるで猛獣だ。テュポンさんは、ボクを殺すことしか考えていないように感じられる。
……怖い人だ。距離をとっていても、ハムちゃんたちが守ろうとしてくれていても、それでもあの人のさっきはボクだけに向けられている。
「テュポン、ここで勇み足で行動してはイフリートでの失態を取り返せないわよ?」
「……っち」
……イフリート?
「まさかお主が父上を!?」
「アァ? ……なるほど、そこの小娘はイフリートの関係者か。そうだよ。もう少しで俺もコアを手に入れてたんだがな……」
イフリートを歪ませていた張本人が、目の前にいる。
リフルちゃんは敵意を露わにして、テュポンさんも構わないとばかりに剣を構える。
「だーめ。ここで戦っちゃ、だめ」
殺気立ったお互いを諫めたのは、クルルだった。
「あら、誰かしら。調べた限り知らない存在だけど」
「まあ、そりゃ私は今日生まれたようなものだしねー」
いつもとはちょっと違う、にこにこと笑みを浮かべているけどクルルの言葉には暗い感情が込められていた。それはきっとボクにしか伝わってこない感情。
クルルの言葉には悲しみが込められている。戦ってほしくないという思いが感じられる。
どうして? あの人たちは精霊を踏みにじる悪い人たちなんだよ?
「イヌンダーティオー・ルクスリア。テュポンって言われてるから、テューホーン、って名前なのかな? 多分本名とは違うんだろうけどさ?」
クルルの言葉にルクスリアさんも、テュポンさんも表情を失った。
「あなた鋭いのねえ」
「いやいや。イヌンダーティオーは洪水、ルクスリアは色欲。どこの言葉かまではわからないけど、なんとなーく。なんとなーく、わかるんだよねー」
クルルの推察はどうやら当たっているらしい。愉快げな笑みを見せたルクスリアさんはクルルの言葉に続く。
「ええそうよ。あなたの推察通り。で? それがどうかしたのかしら?」
「んーこれ多分言わない方がいいと思うんだけど。特にエルルとテュポンって人」
「……あ?」
「ボク?」
うんうんと頷くクルルは自分一人で納得している感じだ。
ボクはともかく、テュポンさんは構わないとばかりに剣を背負った。クルルの言葉が気になるのだろう。
クルルがボクに目配せしてくる。ボクも承諾の意思を込めて頷いた。
「ケーラ――私たちのお母さんの名前は、ケーラ・シン・ナナクスロイ。だから、ケーラとあなたたちは、どこか起源を同じくする一族、でしょ?」
「え?」
「スペルビア、アワリティア、ルクスリア、インウィディア、イラ、アケディア、グラ。シンは罪、ってところでしょ」
「ま、待って! 待ってよクルル!?」
クルルの言ってる意味がわからない。理解したくない。
クルルは何を知っているの? 十年前にボクから生まれた、というだけじゃ説明がつかない。どうしてボクが知らないことを知っているのか。お母さんの下の名前なんて、ボクは知らないのに。
「あー、うーん。……エルルは帰ったらお母さんの遺品整理しよ? そうすれば真実に辿り着けるから」
「わけがわからないよ!」
「わからないのは仕方ないことなんだ」
うんうんとまたも頷いてるクルルだけど、ボクの頭はこんがらがるだけだ。
「くだらない。そんな話が俺に関係するだと? 忌々しいケーラの話などどうでもいいわ」
「えー? 娘の話はちゃんと聞いた方がいいよー?」
「………………なに?」
むす、め?
クルルが零した言葉の意味がわからない。違う。娘って言葉は知っている。ボクはお母さんの娘だ。子供だ。
「テューホーン・アワリティア。私たちはあなたの娘だよ。ケーラとあなたの。ケーラが残した、愛の形」
「嘘、だよね?」
「嘘でこんなこと言うわけないじゃーん」
クルルは少しだけ楽しそうに語る。
だからテュポンさんがボクたちに剣を向け、ハムちゃんたちが戦おうとした時に悲しい表情を見せたんだ。
でも、でも!
「確かにお父さんのことは知らないよ。お母さんも話してくれなかったし。でも、どうしてクルルは詳しいの!?」
「…………ま、そうだよね。エルルは十年前に、自分の記憶を殺したんだから。記憶の断片を繋げて繋げて、黒の力にまつわる過去の一部を失った。お母さんの名前も。お母さんが残した日記のことも記憶から失ってしまった」
「くだらない。くだらないくだらないくだらないっ! お前たちが娘だと!? 確かにかつてはケーラを愛していたさ! だが、だがっ! あの女は俺の左目を奪ってどこかに消えた! ケーラは、ケーラは俺を裏切ったんだッ!!!」
テュポンさんが激高する。
ボクはわからない。わからないままうずくまって、押し寄せる頭痛に苛まされる。
そして、海底神殿が揺れた。