クルル・ナナクスロイはマイペースである。
しん、と静まりかえる室内。クルルだけはにこにことお茶請けに出されたクッキーを何個も口に運びご満悦である。
ボクのトラウマから生まれた、とクルルはそう自己紹介した。
ボクの……。
「このクッキー美味しい! ハムどうにか再現できない!?」
「レシピさえ頂ければ可能ですが……」
「ミリアお願い私のお菓子のために!」
「あ、あとで用意させるわ……」
「やった!」
………………その割にはなんかあっさりしてない?
なんというかクルルの独壇場となっている。みんな呆気に取られててペースを握られてしまっている。
「まあそういうことで、私は王国に危害を加えるために生まれたわけじゃないし、エルルを守るためだし。邪骨竜は私の肉体を創るためにちょうどよかったから利用したのでした。はいおしまい。エルル森に帰ろ?」
ぱん、と手を叩いてクルルが話を終わらせようとする。けれど誰も終わらせてはくれないだろう。
ボクはともかく、ミリアちゃんもイルンイラードさんも納得していない。
ボクは……わからない。わからないけど、クルルが嘘を吐いているわけじゃないのはわかるし、この子は本当にボクを守るために生まれて、こうしてボクを守るために外に出てきたのだろう。
ならクルルはボクの味方だ。ボクの半身だ。ボクであり、ボクじゃないけど、ボクなんだ。
そう考えると不思議と胸の穴が塞がったような感覚が広がっていく。あれほど時折襲ってきた不安が嘘のように消えていく。
傍にいる、ボクを守る半身がそこにいる。怖れていた黒の力を抑えてくれる。
「んー。やっぱりミリアとおじさんは信じてくれてない?」
「そうね。友人としてなら私はあなたを歓迎するわ。ミリアリアとしては、まだちょっと整理できないけれど」
「あはっ。友人として歓迎してくれればそれでいいよ」
ミリアちゃんが差し出した手にクルルが握手で応じる。無事に和解できたようで、ボクとしても一安心だ。
……イルンイラードさんを除いて。
「不満がありそうね、トリスタン」
「えぇ。笑顔で物事を運ぼうとする輩にろくな奴はいないのが持論でして」
猛獣のような獰猛な瞳がクルルを睨め付ける。素知らぬ顔で受け流すクルルだが、イルンイラードさんが睨んでいるだけで部屋の空気が張り詰めていく。
「それなら『紫の一位』はどうなのよ」
「お嬢様のご命令があればいつでも切ります」
「あなたね……」
「お嬢様――女王陛下が周囲に対して優しすぎるからこそ、オレが厳しく見極めなければなりません」
ミリアちゃんがはぁ、とため息を吐く。イルンイラードさんの意見も正しいけど、もう少し肩の力を抜いてもいいんじゃないかなぁ。
「うーん。でもおじさん無理しない方がいいよ? エルルやミリアには出来なくても私には勝てないから」
空気が凍り付いた、気がした。
あっれおかしいなあ。せるちゃんはまだカードの中で寝てるはずなんだけどなぁーあははははー。
「………………そうだな。少なくともオレではお前に勝てるかはわからないな。軽やかな身のこなしと黒の力。赤と銀だけのオレには荷が重い」
「へー、あっさり認めるんだ」
「オレとて十年前の防衛戦を経ている。気合いや根性を否定はせんが、相手の実力を見極め時に退くことも必要だと理解している」
「あっそ。じゃあ私が敵意むき出しになったらどうするつもりだったの?」
「ッハ。貴様がお嬢様を攻撃しないことくらい、一目見て理解していたわ。『貴様はナナクスロイにとって大事な人材には敵意を向けない』、だろう? ならばお嬢様は殺されない。それならばオレがすぐに貴様を攻撃する必要性も薄い」
「……なるほどね。そりゃ王国最強を名乗ってるわけだ」
二人の言葉の応酬はクルルが両手を挙げることで決着した。ボクには難しくてよく理解できなかったけど、クルルはボクを困らせる存在にしか敵意を向けない、ってことでいいのかな。
「けれどそのまま野放しにはできんのも事実だ。だからこそ貴様を見逃す条件を一つ提示させてもらう」
「ま、妥協してもらう身分だからねー。いいよ、なに?」
「その力を行使する際において、エルル・ヌル・ナナクスロイの裁決を必要とする」
「あはっ! 目の付け所がいいねそれは! いいよいいよ。元からエルルのためにしか使うつもりはなかったし、なんなら呪いとか契約で縛ってもいいくらいだよっ」
「ねえミリアちゃん。ボクたちが理解する前にどんどん話が進んでいくんだけど」
「安心してエルル。こうなったトリスタンには私も口を挟みづらくて厄介だから」
お互い面倒……もとい、心配性な人が傍にいると大変だね。
クルルとイルンイラードさんはどうやら交渉が成立したようだ。向かい合ってはいるが、先ほどまでの重苦しい空気はどこにもない。
「あ、そういえばクルルも住むってことはお家改築した方がいいよね」
いくらボクの半身でボクを守ろうとしているとはいえ一人の時間はほしいだろう。
あの家はハムちゃんとボクの個人部屋はあるけど、逆にいうと一人のための空間はそれしかない。
せるちゃんやリフルちゃんはミニマムモードで過ごしてもらうし、本人たちが精霊だから気にならないと言っていたから作らなかったけど。
「そうですね。森の奥なので業者もこれませんし」
ハムちゃんに改築を任せるにしても時間が掛かるだろう。その間ボクと同じ部屋でもいいんだけど……。
「それなら大丈夫だよ」
ボン、と音を立ててクルルの姿が消え――ってちっちゃくなった!?
ソファの上に立つちっちゃなクルル。そのサイズはどこからどう見てもせるちゃんたちと同じミニマムモード。
「エルルの中で過ごしている間にこういうのも出来るようにしておいたのだ。ミニマムクルルなのだ!」
「なにその便利なの」
そもそもクルルだってボクと同じ人間なわけで――あ、違う。クルルの身体は邪骨竜を用いて創られた高純度の魔力の集合体みたいなものだ。それならば確かに身体のサイズも自由自在だ。
まさかそこまで考えて邪骨竜を使ったのかな。そう考えるにはちょっと邪骨竜が目覚めるのがタイミング良すぎた感じもするけど……。
「さ、トリスタンとの約定も済んだし帰ってせるの治療でもしますかっ!」
ぴょん、とクルルがボクの肩に飛び乗ってくる。普段はせるちゃんとリフルちゃんがいる場所に、ボクと瓜二つのクルルがいる。ちょっとの違和感。けれど不思議と嫌いではない。
「そうだね。ミリアちゃん、ご迷惑をお掛けしました」
「全然よ。あなたは邪骨竜の危険性を教えに来てくれたのだから。ありがとう」
「……えへへ」
「また遊びに来てね? 可能な限り時間を作るわ」
「うんっ!」
笑顔でミリアちゃんと握手を交わす。さ、邪骨竜の問題は解決したことだし、新しい家族を連れて森に帰るとしよう。
あーでもその前にラングルスでいいからクルルの服とかも買っておいたほうがいいな。ボクの服じゃクルルの性格と合わなそうなものもあるし。
「ミリア!」
「女王陛下だユーゴ・マトウ!」
「っとと……ってナナクスロイさんもいたのか!」
「あ……ど、どうも」
「わーおイケメーン」
帰ろうと立ち上がったところで突然マトウさんが扉を叩きつけるような勢いで入ってきた。
……クルルの言葉はとりあえず無視しておこう。
「女王陛下。ラングルスより緊急の連絡です」
「今ここで聞きます。事の子細を教えて」
並々ならぬマトウさんの様子にミリアちゃんもイランイルードさんも表情を切り替えた。
和気藹々としていた空気はすぐに飛散して、クルルの時とはまた違った緊迫した空気が訪れる。
ちくりと胸が痛むのは、なんでだろう。嫌な予感しかしないのは、なんでだろう。
「海が、干上がりました!」