もう一人のボク
いきなり現れた女の子は、痴女だった。間違いない。ボク知ってるよ、外で裸のまま出歩いても恥ずかしがらないのは痴女だって本で読んだことあるよ!
「服を着て!」
「え、暑いからやだなー?」
慌ててローブを渡そうとするけど受け取ってくれない。ボクとそっくりの女の子はにこにこと明るい笑みを浮かべながら周囲をキョロキョロ見渡している。
「火とー、光とー。で、バハムートとー人間とー……エルル!」
周囲にいる人を指差しながら、最後にボクだけは知ってるようにビシ、と力を込めて指を向けてくる。
「知ってる知ってるよー。あなたの中からずっと見てたから知ってるよーっ」
嬉しそうに子犬のようにはしゃぎながら女の子は笑っている。
中から、見た?
「フレイムブレッド」
「あれ?」
微笑みを絶やさない女の子に炎の輪っかが巻き付いて拘束する。イルンイラードさんが放った拘束用の魔法だ。抵抗すれば火傷では済まない、動きを制限する魔法。
でも女の子は笑みを絶やさない。捕まったというのに、それでも表情を崩さない。
「貴様、何がおかしい!」
「えーっとね。そうだね。“クルル”でどう?」
「何をっ」
「私の名前だよっ」
クルル、と名乗りを上げた女の子が手を振り上げた。
え、だって炎で拘束されて――!?
「なっ……」
弾けた。
炎が、弾けた。拘束の炎はまるでガラス片のように音を立てて崩れていく。
炎の拘束を解く方法はいくつかあるけど、水でもない風でもない土でもない、光や闇で強引に振りほどくわけでもない。
炎が破壊された。
そう例えられるのはボクしか知らない。だって、それは。
「黒の、力。どうして、どうして君が」
「私もエルルだからだよ!」
「わけが――」
「クルル・ナナクスロイってところかなー。エルルの半身。黒き力の象徴。どう、いい名前じゃない?」
それでも笑みを絶やさない女の子――クルルはボクをずっと見つめている。
嬉しそうに、楽しそうに。待ち焦がれた人のようにボクから視線を逸らさない。
「エルルとそっくり……えっと、クルル、でいいのかしら」
「そうだよ、ミリアっ」
「うっ! か、かわいぃ……」
……………………ミリアちゃん?
にこっと満開の花のような笑顔を見せたクルルにミリアちゃんが身体を硬直させて感慨の言葉を漏らす。
ボクがじとっ、と睨むとミリアちゃんは慌ててコホンと咳払いをして居住まいを正した。
なんとなくだけど、もやもやするなぁ。
「私はミリアリア・ハイゲイン・アルトリア。このアルトリア聖王国十八代目国王です。
クルル・ナナクスロイさんに質問します。
――あなたの目的は、なんですか?」
「自堕落に生きたい!」
あ、これボク自身だ。
「…………はぁ。容姿や佇まいだけではなく思考までもエルル様に似ておられると……不憫ですね」
「その扱いは私だって傷つくよ、ハム!」
ハムちゃんはため息をついてクルルを哀れむし、堂々と発言したクルルにミリアちゃんもイルンイラードさんも頭を抱えている。
とりあえずボクとしては早く服を着てほしい。ボクそっくりな女の子が全裸で笑顔のままはしゃいでるなんて知られたら、ボクはもう恥ずかしすぎて外を出歩けない。
待てよ、それなら一生お家の中で暮らせるのでは――!?
「エルルも大概馬鹿なこと考えるよね」
「思考を読んだの!?」
「エルルはわかりやすよね。あはっ」
「エルルはわかりやすいわね」
「エルル様はわかりやすいです」
「オレでも予想できたわ」
ハムちゃんにミリアちゃんとイルンイラードさんまで同意してきた。
え、そんなにわかりやすい? ボクって結構ポーカーフェイスだったはずなんだけど。
「えーと、クルル」
「うんっ!」
改めて名前を呼ぶとよっぽど嬉しいのかにっこりと笑顔になる。もともとニコニコしてるんだけど、さらに花が咲いたような。
「……服、着よう?」
「ま、エルルのお願いならしょうがないにゃー」
思ったよりあっさりと承諾してくれた。とりあえずここは魔法学院だし、予備の制服もあるだろう。ミリアちゃんに頼んで用意してもらうとしよう。
本題は……まだ、話さない方がいいのかもしれない。笑みを絶やさないってことは、それだけ余裕があるってこと。
だからボクたちが知りたいことは全部煙に巻かれる、ような気がする。
なんでだろう。初めて相対するのにクルルのことが、なんとなくだけどよくわかる。
「ミリアちゃん、クルルに制服でもいいから渡せてもらえる? ……で、落ち着かないし、どこか落ち着ける場所に行きたいな」
「そうね。学院の応接室を使わせてもらいましょう。このままじゃ一般生徒もなだれ込んできそうだし」
「え?」
ミリアちゃんが指差す方を見ると、中庭に入れる全ての通路が厳重に封鎖されていた。
元々邪骨竜の搬送と調査のために封鎖自体は行われていたらしい。
そっか。ボクたちは空から来たから関係なかったんだ。
「とりあえずクルルは一旦これを……」
「ありがとねー」
せめてものカバーとしてボクのローブを被せる。裸にローブってすっごくミスマッチな気がするけど、一時的な処置だからもうしょうがない。
「……アリね!」
「ミリアちゃん?」
「ななななななんでもないわ私はエルル一筋だから!!!」
「それならいいんだけどさ……むぅ」
さっきからミリアちゃんはクルルのほうばっか見てるし、なんだかつまらないよ。
*
「どうどう似合う? いぇい!」
「あ、講習用の方なんだね」
用意された制服に袖を通したクルルは何度も漏らしてしまうくらいにボクとうり二つだ。双子と言われても疑いようがない。
ボクと違うのは、ボクより若干だけ長かった髪をポニーテールに纏めていること。
それと、ボクみたいに帽子とローブの魔法使いスタイルではなく、講義を受ける時用のノースリーブの上着をシャツの上に着ていること。
「エルルの予備があったのよ」
イルンイラードさんを伴って後から入ってきたミリアちゃんが細かい説明をしてくれる。
「ミリアもありがとねっ!」
「どういたしまして。……まあ、まだあなたを信用したわけじゃないんだけど、ね」
それでもミリアちゃんは荒事にしないためにこの判断をしたのだろう。チラリとボクに目線を送ってくるのは、きっとボクを気遣ってくれている。
イルンイラードさんは明らかに警戒――を越えて敵意を隠そうともしない。すぐにでもエクスタイトを呼び出してクルルに斬りかかりそうだ。
一方クルルは応接室のソファに身体を沈めている。あ、このソファ凄いボクもやりたい。
ボクはクルルと並ぶように座り、ミリアちゃんはその対面に腰掛ける。イルンイラードさんはミリアちゃんが座るソファの後ろに立ち、ボクたち――もとい、クルルから目を逸らさない。
「クルル。クルル・ナナクスロイ。改めて問います。あなたは、何者なの?」
「あーやっぱ最初にそれ聞いちゃう? いきなり核心に入っちゃう?」
「真面目に答えて」
おちゃらけたクルルの言葉をぴしゃりとミリアちゃんが切り捨てる。
空気が変わる。寒いというか、冷ややかというか。
緊迫した空気は、クルルの言葉によって破られる。
「私はクルル。“狂いて流れる”として名付けた、エルルの半身。魂の片割れにして、エルルの黒の力を司る存在」
……え?
「というかね。私が出てこなかったらエルルもう少しで廃人だったよ?」
「え」
「は?」
「……やはり、ですか。症状が昔ほど回復しないとは思っていましたが」
言葉を失うボクとミリアちゃん。どうやらハムちゃんはどことなく察しが付いていたようだけど、ボク自身なにも知らなかった。
廃人? 廃人ってあれだよね。思考が鈍って生きてるんだけど生活できない状態の人とかのことを言うんだよね。
……………………ボクが?
「まあエルルが黒の力を使ったのも九年ぶりだし。私という人格がこっそり出来てから初めて使われたしね。そりゃー色々歪むってものよー」
「え。待って、待って。ちょっと待って!?」
何を言いたいのかよくわからない。理解が追いつかない。
違う。理解したくないというか、本能がそれを聞きたがってない!
でもクルルはだからこそと言わんばかりに言葉を続ける。
「私は十年前、エルルが負った心的外傷を発端として生まれた存在だよ。エルルを怖れて排斥しようとする行動。それら全てからエルルを守るために生まれた、全てを壊す黒の人格として」
クルルはまたにっこりと――今度は嘲笑うかのような、不気味な笑みを浮かべた。